竹取物語

作者不詳



かぐや姫おひたち

今は昔、竹取の翁といふものありけり。野山にまじりて、竹を取りつゝ、萬づの事に使ひけり。名をば讃岐造麿となむいひける。その竹の中に、本光る竹なむ一筋ありけり。怪しがりて寄りて見るに、筒の中光りたり。それを見れば、三寸ばかりなる人、いと美しうて居たり。翁言ふやう、「われ朝夕毎に見る竹の中に、おはするにて知りぬ。子になり給ふべき人なめり」とて、手に打入れて家に持ちて來ぬ。妻の嫗に預けて養はす。美しきこと限りなし。いと幼ければ籠に入れて養ふ。
竹取の翁この子を見つけて後に、竹を取るに、節を隔ててよ毎に、金ある竹を見つくること重なりぬ。かくて翁やう/\豐になり行く。この兒養ふ程に、すく/\と大きになりまさる。三月許になる程に、よき程なる人になりぬれば、髮上などさだして、髮上せさせ裳著す。帳の内よりも出さず、いつきかしづき養ふ程に、この兒の容貌清らなること世になく、家の内は暗き處なく光滿ちたり。翁心地あしく苦しき時も、この子を見れば苦しき事も止みぬ、腹立たしき事も慰みけり。翁竹を取ること久しくなりぬ。勢猛の者になりにけり。この子いと大になりぬれば、名をば三室戸齋部秋田を呼びてつけさす。秋田、なよ竹の赫映姫とつけつ。此の程三日うちあげ遊ぶ。萬づの遊をぞしける。男女嫌はず呼び集へて、いとかしこく遊ぶ。

つまどひ

世界の男、貴なるも賤しきも、いかで、この赫映姫を得てしがな見てしがな、と音に聞きめでて惑ふ。その邊の垣にも家の外にも居る人だに、容易く見るまじきものを、夜は安き寢もねず、闇の夜に出でても穴を抉り、此處彼處より覗き垣間見惑ひあへり。さる時よりなむ、よばひとはいひける。
人の物ともせぬ處に惑ひ歩けども、何の驗あるべくも見えず。家の人どもに物をだに言はむとて、言ひ懸くれども、事ともせず。邊を離れぬ公達、夜を明し日を暮す人多かり。疎かなる人は、益なき歩行はよしなかりけりとて、來ずなりにけり。その中に猶言ひけるは、色好といはるゝ限り五人、思ひ止む時なく夜晝來けり。その名、一人は石作皇子、一人は車持皇子、一人は右大臣阿倍御主人、一人は大納言大伴御行、一人は中納言石上麻呂、只この人々なりけり。世の中に多かる人をだに、少しも容貌よしと聞きては、見まほしうする人々なりければ、赫映姫を見まほしうして、物も食はず思ひつゝ、かの家に行きて、佇み歩きけれども、詮あるべくもあらず。文を書きてやれども、返事もせず、侘歌など書きてやれども、返しもせず、詮なしと思へども、十一月十二月の降り氷り、六月の照り霆くにも障らず來けり。この人々、或時は竹取を呼び出でて、「娘を我に賜べ」と伏し拜み、手を擦り宣へど、「己がなさぬ子なれば、心にも從はずなむある」といひて、月日を過す。
斯かれば、この人々家に歸りて物を思ひ、祈をし、願を立て、思ひ止めむとすれども止むべくもあらず。さりとも遂に男婚はせざらむやは、と思ひて頼を懸けたり。強ちに志を見え歩く。これを見つけて、翁、赫映姫にいふやう、「我が子の佛、變化の人と申しながら、こゝら大さまで養ひ奉る志疎かならず。翁の申さむこと聞き給ひてむや」といへば、赫映姫、「何事をか宣はむ事を承らざらむ。變化の者にて侍りけむ身とも知らず、親とこそ思ひ奉れ」といへば、翁、「嬉しくも宣ふものかな」といふ。「翁年七十に餘りぬ。今日とも明日とも知らず。この世の人は、男は女に婚ふことをす、女は男に婚ふことをす。その後なむ門も廣くなり侍る。いかでか然る事なくてはおはしまさむ。」赫映姫のいはく、「なでふ然る事かし侍らむ」といへば、「變化の人といふとも、女の身持ち給へり。翁のあらむ限りは、斯うてもいますかりなむかし。この人々の年月を經て、斯うのみいましつゝ宣ふ事を思ひ定めて、一人々々に婚ひ奉り給ひね」といへば、赫映姫いはく、「よくもあらぬ容貌を、深き心も知らで、徒心つきなば、後悔しき事もあるべきをと思ふばかりなり。世の畏き人なりとも、深き志を知らでは婚ひ難しとなむ思ふ」といふ。翁いはく、「思の如くも宣ふかな。そも/\如何やうなる志あらむ人にか婚はむと思す。斯ばかり志疎かならぬ人々にこそあめれ。」赫映姫のいはく、「何ばかりの深きをか見むといはむ。聊かの事なり。人の志等しかなり。いかでか中に劣勝は知らむ。『五人の人の中にゆかしき物見せ給へらむに、御志勝りたりとて仕うまつらむ』と、そのおはすらむ人々に申し給へ」といふ。「よき事なり」と承けつ。
日暮るゝ程、例の集りぬ。人々或は笛を吹き、或は歌を謠ひ、或は唱歌をし、或は嘯を吹き、扇を鳴らしなどするに、翁出でていはく、「辱くも穢げなる所に、年月を經てものし給ふ事、極まりたる畏まりを申す。『翁の命けふ明日とも知らぬを、かく宣ふ君達にも、よく思ひ定めて仕うまつれ』と申せば、『深き御心を知らでは』となむ申す。さ申すも理なり。『いづれ劣勝おはしまさねば、ゆかしき物見せ給へらむに、御志の程は見ゆべし。仕うまつらむ事は、それになむ定むべき』といふ。これよき事なり、人の恨もあるまじ」といへば、五人の人々も、「よき事なり」といへば、翁入りていふ。赫映姫、石作皇子には、「天竺に佛の御石の鉢といふ物あり、それをとりて賜へ」といふ。車持皇子には、「東の海に蓬莱といふ山あなり。それに白銀を根とし、黄金を莖とし、白玉を實として立てる木あり。それ一枝折りて賜はらむ」といふ。今一人には、「唐土にある火鼠の裘を賜へ。」大伴大納言には、「龍の首に五色に光る玉あり。それを取りて賜へ。」石上中納言には、「燕の持たる子安貝一つ取りて賜へ」といふ。翁、「難き事どもにこそあめれ。この國にある物にもあらず。斯く難き事をば如何に申さむ」といふ。赫映姫、「何か難からむ」といへば、翁、「とまれかくまれ申さむ」とて、出でて、「斯くなむ。聞ゆるやうに見せ給へ」といへば、皇子達、上達部聞きて、「おいらかに、『邊よりだに、な歩きそ』とやは宣はぬ」といひて、倦じて皆歸りぬ。

佛の御石の鉢

猶この女見では、世にあるまじき心地のしければ、天竺にある物も持て來ぬものかは、と思ひめぐらして、石作皇子は心のしたくみある人にて、天竺に二つと無き鉢を、百千萬里の程行きたりとも、いかでか取るべき、と思ひて、赫映姫の許には、「今日なむ天竺へ石の鉢とりに罷る」と聞かせて、三年ばかり經て、大和國十市郡に、ある山寺に、賓頭盧の前なる鉢の直黒に煤づきたるを取りて、錦の袋に入れて、作花の枝につけて、赫映姫の家に持て來て見せければ、赫映姫怪しがりて見るに、鉢の中に文あり。ひろげて見れば、
海山の路に心を盡くし果て御石の鉢の涙流れき
赫映姫、光やあると見るに、螢ばかりの光だになし。
おく露の光をだにぞやどさまし小倉山にて何もとめけむ
とて、返し出すを、鉢を門に棄てて、この歌の返しをす。
白山に逢へば光の失するかと鉢を棄てても頼まるゝかな
と詠みて入れたり。赫映姫返しもせずなりぬ。耳にも聞き入れざりければ、言ひ煩ひて歸りぬ。かれ鉢を棄てて又いひけるよりぞ、面なき事をば、はぢを棄つとはいひける。

蓬莱の玉の枝

車持皇子は、心たばかりある人にて、公には、「筑紫國に湯あみに罷らむ」とて、暇申して、赫映姫の家には、「玉の枝取りになむ罷る」といはせて下り給ふに、仕うまつるべき人々、皆難波まで御送しけり。皇子、「いと忍びて」と宣はせて、人も數多率ておはしまさず、近う仕うまつる限りして出で給ひぬ。御送の人々見奉り送りて歸りぬ。
おはしましぬと人には見え給ひて、三日許ありて漕ぎ歸り給ひぬ。かねて事皆仰せたりければ、その時一の工匠なりけるうちまろら六人を召し取りて、容易く人寄り來まじき家を作りて、構を三重に仕込めて、工匠等を入れ給ひつゝ、皇子も同じ所に籠り給ひて、知らせ給ひつる限り十六所をかみにくどをあけて、玉の枝を造り給ふ。赫映姫宣ふやうに、違はず造り出でつ。いとかしこくたばかりて、難波に密に持て出でぬ。「船に乘りて歸り來にけり」と殿に告げやりて、いといたく苦しげなる樣して居給へり。迎に人多く參りたり。玉の枝をば長櫃に入れて、物覆ひて持ちて參る。いつか聞きけむ、「車持皇子は、優曇華の花持ちて上り給へり」とのゝしりけり。これを赫映姫聞きて、我はこの皇子に負けぬべし、と胸潰れて思ひけり。
斯かる程に門を叩きて、「車持皇子おはしましたり」と告ぐ。「旅の御姿ながらおはしましたり」といへば、逢ひ奉る。皇子宣はく、「命を捨てて、かの玉の枝持て來たり」とて、「赫映姫に見せ奉り給へ」といへば、翁持ちて入りたり。この玉の枝に文をぞ附けたりける。
徒らに身はなしつとも玉の枝を手折らで更に歸らざらまし
これをも哀れと見て居るに、竹取の翁走り入りていはく、「この皇子に申し給ひし蓬莱の玉の枝を、一つの所もあやしき處なく、あやまたず持ておはしませり。何をもちてか、とかく申すべきにあらず。旅の御姿ながら、我が御家へも寄り給はずしておはしましたり。はやこの皇子に婚ひ仕うまつり給へ」といふに、物もいはず頬杖をつきて、いみじう歎かしげに思ひたり。この皇子、「今さら何かといふべからず」といふまゝに、縁に這ひ上り給ひぬ。翁理に思ふ。「この國に見えぬ玉の枝なり。この度はいかでか辭み申さむ。人ざまもよき人におはす」などいひ居たり。赫映姫のいふやう、「親の宣ふ事を、一向に辭み申さむ事のいとほしさに、得難き物を、ゆかし、とは申しつるを、かく淺ましく持て來る事をなむ、妬く思ひ侍る」といへど、なほ翁は閨の内しつらひなどす。
翁、皇子に申すやう、「いかなる所にか、この木はさぶらひけむ。怪しく麗しくめでたき物にも」と申す。皇子答へて宣はく、「一昨々年の二月の十日比に、難波より船に乘りて、海中に出でて、行かむ方も知らず覺えしかど、思ふ事成らでは、世の中に生きて何かせむ、と思ひしかば、唯空しき風に任せて歩く。命死なば如何はせむ、生きてあらむ限りは斯く歩きて、蓬莱といふらむ山に逢ふや、と浪に漂ひ漕ぎ歩きて、我が國の内を離れて歩き廻りしに、或時は浪荒れつゝ海の底にも入りぬべく、或時には風につけて知らぬ國に吹き寄せられて、鬼のやうなるもの出で來て殺さむとしき。或時には來し方行末も知らず、海に紛れむとしき。或時には粮盡きて、草の根を食物としき。或時にはいはむ方なくむくつけげなるもの來て、食ひかからむとしき。或時には海の貝を取りて命をつぐ。旅の空に助くべき人も無き所に、いろ/\の病をして、行方すらも覺えず。船の行くに任せて、海に漂ひて、五百日といふ辰の時許に、海の中に遙かに山見ゆ。舟の中をなむせめて見る。海の上に漂へる山いと大にてあり。その山の樣高くうるはし。これや我が覓むる山ならむと思へど、流石に恐ろしく覺えて、山の圍を指し廻らして、二三日ばかり見歩くに、天人の粧したる女、山の中より出で來て、銀の金碗をもて水を汲み歩く。これを見て船より下りて、『この山の名を何とか申す』と問ふに、女答へて曰く、『これは蓬莱の山なり』と答ふ。之を聞くに嬉しき事限りなし。この女に、『かく宣ふは誰ぞ』と問ふ。『我が名はほうかむるり』といひて、ふと山の中に入りぬ。その山を見るに、更に登るべきやうなし。その山の岨づらを廻れば、世の中に無き花の木ども立てり。金銀瑠璃色の水流れ出でたり。それにはいろ/\の玉の橋渡せり。その邊に照り輝く木ども立てり。その中に、この取りて持てまうで來たりしは、いと惡かりしかども、宣ひしに違はましかばとて、この花を折りてまうで來たるなり。山は限りなく面白し。世に譬ふべきにあらざりしかど、この枝を折りてしかば、更に心許無くて、船に乘りて追風吹きて、四百餘日になむまうで來にし。大願の力にや、難波より昨日なむ都にまうで來つる。更に潮に濡れたる衣をだに脱ぎ更へなでなむ、此方まうで來つる」と宣へば、翁聞きて、打歎きて詠める、
呉竹のよゝの竹取る野山にもさやは侘しき節をのみ見し
これを皇子聞きて、「こゝらの日比思ひ侘び侍りつる心は、今日なむ落居ぬる」と宣ひて、返し、
我が袂今日乾ければ侘しさの千種の數も忘られぬべし
と宣ふ。
斯かる程に、男ども六人連ねて、庭に出で來たり。一人の男、文挾に文を挾みて申す。「作物所の司の工匠漢部内麿申さく、玉の木を作りて仕う奉りし事、心を碎きて、千餘日に力を盡くしたる事少からず。然るに祿未だ賜はらず、これを賜はりて、分ちて家子に賜はせむ」といひて捧げたり。竹取の翁、この工匠等が申すことは何事ぞ、と傾き居り。皇子は我にもあらぬ氣色にて、肝消えぬべき心地して居給へり。これを赫映姫聞きて、「この奉る文を取れ」といひて見れば、文に申しけるやう、
 皇子君千餘日賤しき工匠等と諸共に、同じ所に隱れ居給ひて、かしこき玉の枝を作らせ給ひて、官も賜はらむと仰せ給ひき。これを、この比案ずるに、御使とおはしますべき赫映姫の要じ給ふべきなりけり、と承りて、「この宮より賜はらむ」と申して賜はるべきなり。
といふを聞きて、赫映姫、暮るゝまゝに思ひ侘びつる心地笑み榮えて、翁を喚び取りていふやう、「眞に蓬莱の木かとこそ思ひつれ。斯くあさましき虚事にてありければ、はや疾く返し給へ」といへば、翁答ふ、「定かに造らせたる物と聞きつれば、返さむ事いと易し」と頷き居り。赫映姫の心ゆき果てて、ありつる歌の返し、
眞かと聞きて見つれば言の葉を飾れる玉の枝にぞありける
といひて、玉の枝も返しつ。竹取の翁然ばかり語らひつるが、流石に覺えて眠り居り。皇子は、立つもはした、居るもはしたにて居給へり。日の暮れぬれば、すべり出で給ひぬ。
かの愁訴せし工匠等をば、赫映姫呼びすゑて、「嬉しき人どもなり」といひて、祿いと多く取らせ給ふ。工匠等いみじく喜びて、「思ひつる樣にもあるかな」といひて、歸る道にて、車持皇子血の流るゝまでちようぜさせ給ふ。祿得し詮もなく、皆取り捨てさせ給ひてければ、逃げ失せにけり。かくて、この皇子、「一生の恥これに過ぐるはあらじ。女を得ずなりぬるのみにあらず、天の下の人の見思はむことの恥かしき事」と宣ひて、唯一所深き山へ入り給ひぬ。宮司侍ふ人々、皆手を分ちて求め奉れども、身まかりもやし給ひけむ、え見つけ奉らずなりぬ。皇子の御供に隱し給はむとて、年比見え給はざりけるなりけり。これをなむ、たまさかるとはいひ始めける。

火鼠の裘

右大臣阿倍御主人は、財豐に家廣き人にぞおはしける。その年渡りける唐土船の王卿といふ者の許に、文を書きて、「火鼠の裘といふなるもの買ひておこせよ」とて、仕う奉る人の中に、心確なるを選びて、小野房守といふ人を附けて遣はす。持て到りて、かの浦に居る王卿に金を取らす。王卿文をひろげて見て、返事書く。
 火鼠の裘、我が國に無き物なり。音には聞けども、未だ見ぬ物なり。世にある物ならば、この國にも持てまうで來なまし。いと難き商なり。然れども、若し天竺に邂逅に持て渡りなば、もし長者の邊に訪らひ求めむに、無き物ならば、使に添へて金をば返し奉らむ。
といへり。かの唐土船來けり。小野房守まうで來てまう上る、といふことを聞きて、歩み疾うする馬をもちて、走らせ迎へさせ給ふ時に、馬に乘りて筑紫より唯七日に上りまうで來たり。文を見るに、いはく、
 火鼠の裘、辛うじて、人を出して求めて奉る。今の世にも昔の世にも、この皮は容易く無き物なりけり。昔賢き天竺の聖、この國に持て渡りて侍りける、西の山寺にあり、と聞き及びて、公に申して、辛うじて買ひ取りて奉る。價の金少し、と國司使に申ししかば、王卿が物加へて買ひたり。今金五十兩賜はるべし。船の歸らむにつけて賜び送れ。もし金賜はぬものならば、裘の質返したべ。
といへる事を見て、「何思す。いま金少しの事にこそあなれ。必ず送るべき物にこそあなれ。嬉しくして遣せたる哉」とて、唐土の方に向ひて伏し拜み給ふ。
この裘入れたる箱を見れば、種々のうるはしき瑠璃を綺へて作れり。裘を見れば紺青の色なり。毛の末には金の光輝きたり。げに寶と見え、うるはしき事比ぶべき物なし、火に燒けぬ事よりも、清らなる事比なし。「うべ、赫映姫の好もしがり給ふにこそありけれ」と宣ひて、「あなかしこ」とて、箱に入れ給ひて、物の枝につけて、御身の化粧いといたくして、やがて泊りなむものぞ、と思して、歌詠み加へて持ちていましたり。その歌は、
限りなき思ひに燒けぬ裘袂乾きて今日こそは見め
といへり。家の門に持て到りて立てり。竹取出で來て取り入れて、赫映姫に見す。赫映姫、かの裘を見ていはく、「うるはしき皮なめり。わきて眞の皮ならむとも知らず」。竹取答へていはく、「とまれかくまれ、先づ請じ入れ奉らむ。世の中に見えぬ裘の樣なれば、これを眞と思ひ給ひね。人ないたく侘びさせ奉らせ給ひそ」といひて、呼びすゑ奉れり。
斯く呼びすゑて、この度は必ず婚はむ、と嫗の心にも思ひ居り。この翁は、赫映姫の寡なるを歡かしければ、よき人に婚はせむと思ひはかれども、切に否といふことなれば、え強ひぬは理なり。赫映姫、翁にいはく、「この裘は、火に燒かむに、燒けずはこそ眞ならむと思ひて、人の言ふことにも負けめ。世に無き物なれば、それを眞と疑なく思はむと宣へ。猶これを燒きて見む」といふ。翁、「それ然も言はれたり」といひて、大臣に「斯くなむ申す」といふ。大臣答へていはく、「この皮は唐土にも無かりけるを、辛うじて覓め尋ね得たるなり。何の疑かあらむ。」「然は申すとも、早燒きて見給へ」といへば、火の中にうちくべて燒かせ給ふに、めら/\と燒けぬ。「さればこそ異物の皮なりけり」といふ。大臣これを見給ひて、御顏は草の葉の色して居給へり。赫映姫は、あな嬉しと喜びて居たり。かの詠み給ひける歌の返し、箱に入れて返す。
名殘なく燃ゆと知りせばかは衣おもひの外に置きて見ましを
とぞありける。されば歸りいましにけり。世の人々、「安倍大臣は、火鼠の裘を持ていまして、赫映姫に住み給ふとな。此處にやいます」など問ふ。或人のいはく、「裘は火にくべて燒きたりしかば、めら/\と燒けにしかば、赫映姫婚ひ給はず」といひければ、これを聞きてぞ、利氣なきものをば、あへなしとはいひける。

龍の首の珠

大伴御行の大納言は、我が家にありとある人を召し集めて、宣はく、「龍の首に五色の光ある玉あなり。それを取りて奉りたらむ人には、願はむ事を叶へむ」と宣ふ。男ども仰の事を承りて申さく、「仰の事はいとも尊し。但しこの玉容易くえ取らじを、况や龍の首の玉は如何取らむ」と申し合へり。大納言宣ふ、「君の使といはむものは、命を捨てても、己が君の仰言をば叶へむとこそ思ふべけれ。この國に無き天竺唐土の物にもあらず。この國の海山より龍は下り上るものなり。如何に思ひてか、汝等難き物と申すべき」。男ども申すやう、「さらば如何はせむ。難き物なりとも、仰言に從ひて求めに罷らむ」と申す。大納言見笑ひて、「汝等君の使と名を流しつ。君の仰言をば如何は背くべき」と宣ひて、龍の首の玉取りにとて、出し立て給ふ。この人々の道の糧食物に、殿の内の絹、綿、錢など、ある限り取り出でて添へて遣はす。「この人々ども、歸るまで齋をして我は居らむ。この玉取り得では家に歸り來な」と宣はせけり。おのおの仰承りて罷り出でぬ。「龍の首の玉取り得ずば歸り來な」と宣へば、いづちも/\足の向きたらむ方へいなむとす。斯かる好事をし給ふ事、と謗り合へり。賜はせたる物はおのおの分けつゝ取り、或は己が家に籠り居、或はおのが行かまほしき所へいぬ。親君と申すとも、斯くつきなき事を仰せ給ふ事、と、事ゆかぬもの故、大納言を謗り合ひたり。「赫映姫すゑむには、例のやうには見にくし」と宣ひて、麗しき屋を造り給ひて、漆を塗り、蒔繪をし、綺へし給ひて、屋の上には糸を染めて、いろ/\に葺かせて、内々のしつらひには、いふべくもあらぬ綾織物に繪を畫きて、間毎に張りたり。もとの妻どもは皆追ひ拂ひて、赫映姫を必ず婚はむ設して獨り明し暮し給ふ。
遣しし人は、夜晝待ち給ふに、年越ゆるまで音もせず。心許無がりて、いと忍びて、唯舍人二人召繼として、窶れ給ひて、難波の邊におはしまして、問ひ給ふことは、「大伴大納言の人や、船に乘りて龍殺して、そが首の玉取れるとや聞く」と問はするに、船人答へていはく、「怪しき事かな」と笑ひて、「然る業する船もなし」と答ふるに、をぢなきことする船人にもあるかな。え知らでかくいふ、と思して、「我が弓の力は、龍あらば、ふと射殺して首の玉は取りてむ。遲く來る奴原を待たじ」と宣ひて、船に乘りて、海毎に歩き給ふに、いと遠くて、筑紫の方の海に漕ぎ出で給ひぬ。如何しけむ、疾き風吹きて、世界闇がりて、船を吹きもて歩く。いづれの方とも知らず、船を海中に罷り出でぬべく吹き廻して、浪は船に打掛けつゝ卷き入れ、雷は落ちかゝるやうに閃きかゝるに、大納言は惑ひて、「まだ斯かる侘しき目は見ず。如何ならむとするぞ」と宣ふ。楫取答へて申す、「こゝら船に乘りて罷り歩くに、まだ斯く侘しき目を見ず。御船海の底に入らずば雷落ちかゝりぬべし。若し幸ひに神の助あらば、南海に吹かれおはしぬべし。うたてある主の御許に仕へ奉りて、すずろなる死をすべかめるかな」とて、楫取泣く。大納言これを聞きて宣はく、「船に乘りては楫取の申すことをこそ、高き山とも頼め。など斯く頼もしげなきことを申すぞ」と青反吐を吐きて宣ふ。楫取答へて申す、「神ならねば何業をか仕らむ。風吹き浪烈しけれども、雷さへ頂に落ちかゝるやうなるは、龍を殺さむと求め給ひ候へば、斯くあなり。疾風も龍の吹かするなり。はや神に祈り給へ」といへば、「よき事なり」とて、「楫取の御神聞しめせ。をぢなく心幼く龍を殺さむと思ひけり。今より後は毛の末一筋をだに動かし奉らじ」と、祝詞を放ちて立居、泣く泣く呼ばひ給ふこと、千度ばかり申し給ふけにやあらむ、やうやう雷鳴り止みぬ。少し明りて、風は猶早く吹く。楫取のいはく、「これは龍の仕業にこそありけれ。この吹く風はよき方の風なり。惡しき方の風にはあらず。よき方に赴きて吹くなり」といへども、大納言は、これを聞き入れ給はず。
三四日ありて吹き返し寄せたり。濱を見れば、播磨の明石の濱なりけり。大納言、南海の濱に吹き寄せられたるにやあらむと思ひて、息づき臥し給へり。船に在る男ども國に告げたれば、國の司まうで訪らふにも、え起き上り給はで、船底に臥し給へり。松原に御筵敷きて下し奉る。その時にぞ、南海にあらざりけりと思ひて、辛うじて起き上り給へるを見れば、風いと重き人にて、腹いと脹れ、此方彼方の目には、李を二つ附けたるやうなり。これを見奉りてぞ、國の司も微笑みたる。國に仰せ給ひて、腰輿作らせ給ひて、によぶ/\荷はれて家に入り給ひぬるを、いかでか聞きけむ、遣はしし男ども參りて申すやう、「龍の首の玉をえ取らざりしかばなむ、殿へもえ參らざりし。玉の取り難かりし事を知り給へればなむ、勘當あらじとて參りつる」と申す。大納言起き出でて宣はく、「汝等よく持て來ずなりぬ。龍は鳴神の類にてこそありけれ。それが玉を取らむとて、そこらの人々の害せられなむとしけり。まして龍を捕へたらましかば、又事も無く、我は害せられなまし。よく捕へずなりにけり。赫映姫てふ大盜人の奴が、人を殺さむとするなりけり。家の邊だに今は通らじ。男どももな歩きそ」とて、家に少し殘りたりける物どもは、龍の玉取らぬ者どもに賜びつ。これを聞きて、離れ給ひし本の上は、腹をきりて笑ひ給ふ。糸を葺かせて造りし屋は、鳶烏の巣に皆咋ひもていにけり。世界の人のいひけるは、「大伴大納言は、龍の首の玉や取りておはしたる」。「否さもあらず。御眼二つに李の樣なる玉をぞ添へていましたる」といひければ、「あな堪へ難」といひけるよりぞ、世にあはぬ事をば、あなたへがたとはいひ始めける。

燕の子安貝

中納言石上麻呂は、家に使はるゝ男どもの許に、「燕の巣くひたらば告げよ」と宣ふを、承りて、「何の料にかあらむ」と申す。答へて宣ふやう、「燕の持たる子安貝取らむ料なり」と宣ふ。男ども答へて申す、「燕を數多殺して見るにだにも、腹に無き物なり。但し子産む時なむ、いかでか出すらむ。はら/\と、人だに見れば失せぬ」と申す。又人の申すやう、「大炊寮の飯炊ぐ屋の棟のつくの穴毎に、燕は巣くひ侍り。それに實ならむ男どもをゐて罷りて、あぐらを結ひて上げて窺はせむに、そこらの燕子産まざらむやは。さてこそ取らしめ給はめ」と申す。中納言喜び給ひて、「をかしき事にもあるかな。もともえ知らざりけり。興ある事申したり」と宣ひて、實なる男ども二十人ばかり遣はして、あななひに上げすゑられたり。
殿より使隙なく賜はせて、「子安貝取りたるか」と問はせ給ふ。燕も人の數多上り居たるに懼ぢて、巣に上り來ず。斯かる由の御返事を申しければ、聞き給ひて、如何すべきと思しめし煩ふに、かの寮の官人くらつ麿と申す翁申すやう、「子安貝取らむと思しめさば、たばかり申さむ」とて御前に參りたれば、中納言額を合はせて對ひ給へり。くらつ麿が申すやう、「この燕の子安貝は、惡しくたばかりて取らせ給ふなり。さてはえ取らせ給はじ。あななひにおどろ/\しく二十人の人の上りて侍れば、あれて寄りまうで來ずなむ。せさせ給ふべきやうは、このあななひを毀ちて、人皆退きて、實ならむ人一人を荒籠に載せすゑて、綱を構へて、鳥の子産まむ間に綱を釣り上げさせて、ふと子安貝を取らせ給はむなむよかるべき」と申す。中納言宣ふやう、「いとよき事なり」とて、あななひを毀ちて、人皆歸りまうで來ぬ。
中納言、くらつ麿に宣はく、「燕はいかなる時にか子を産むと知りて、人をば上ぐべき」と宣ふ。くらつ麿申すやう、「燕は子産まむとする時は、尾をさゝげて、七度廻りてなむ、産み落すめる。さて七度廻らむ折引上げて、その折子安貝は取らせ給へ」と申す。中納言喜び給ひて、萬づの人にも知らせ給はで、密に寮にいまして、男どもの中に交りて、夜を晝になして取らしめ給ふ。くらつ麿斯く申すを、いといたく喜び給ひて宣ふ、「こゝに使はるゝ人にもなきに、願を叶ふる事の嬉しさ」と宣ひて、御衣脱ぎて被け給ひつ。「更に夜さりこの寮にまうで來」と宣ひて遣はしつ。
日暮れぬれば、かの寮におはして見給ふに、誠に燕巣作れり。くらつ麿申すやうに、尾をさゝげて廻るに、荒籠に人を載せて釣り上げさせて、燕の巣に手をさし入れさせて探るに、「物も無し」と申すに、中納言、「惡しく探れば無きなり」と腹立ちて、「誰ばかりおぼえむに」とて、「我登りて探らむ」と宣ひて、籠に乗りて釣られ登りて窺ひ給へるに、燕尾をさゝげていたく廻るに合はせて、手を捧げて探り給ふに、手に平める物觸る時に、「我物握りたり。今は下してよ。翁しえたり」と宣ひて、集りて疾く下さむとて、綱を引過ぐして、綱絶ゆる即ち、八島の鼎の上に仰樣に落ち給へり。人人あさましがりて、寄りて抱へ奉れり。御目は白眼にて臥し給へり。人々御口に水を掬ひ入れ奉る。辛うじて息出で給へるに、又鼎の上より、手とり足とりしてさげ下し奉る。辛うじて、「御心地は如何思さるゝ」と問へば、息の下にて、「ものは少し覺ゆれど、腰なむ動かれぬ。されど子安貝をふと握り持たれば、嬉しく覺ゆるなり。先づ脂燭さして來。この貝顏見む」と、御ぐし擡げて御手をひろげ給へるに、燕のまり置ける古糞を握り給へるなりけり。それを見給ひて、「あな詮なの業や」と宣ひけるよりぞ、思ふに違ふ事をば、かひなしとはいひける。
貝にもあらず、と見給ひけるに、御心地も違ひて、唐櫃の蓋に入れられ給ふべくもあらず。御腰は折れにけり。中納言は、幼稚たる業して病むことを、人に聞かせじとし給ひけれど、それを病にていと弱くなり給ひにけり。貝をえ取らずなりにけるよりも、人の聞き笑はむことを、日に添へて思ひ給ひければ、ただに病み死ぬるよりも、人聞き恥かしく覺え給ふなりけり。これを赫映姫、聞きて訪らひに遣はしける歌、
年を經て浪立ち寄らぬ住のえのまつかひなしと聞くは眞か
とあるを讀みて聞かす。いと弱き心地に頭擡げて、人に紙を持たせて、苦しき心地に辛うじて書き給ふ。
かひは斯くありけるものを侘び果てて死ぬる命を救ひやはせぬ
と書き果つると絶え入り給ひぬ。これを聞きて、赫映姫少し哀れと思しけり。それよりなむ、少し嬉しき事をば、かひありとはいひける。

御狩のみゆき

さて、赫映姫容貌世に似ずめでたきことを、帝聞しめして、内侍中臣のふさ子に宣ふ、「多くの人の身を徒らになして婚はざなる赫映姫は、いかばかりの女ぞと罷りて見て參れ」と宣ふ。ふさ子、承りて罷れり。竹取の家に畏まりて請じ入れて逢へり。嫗に内侍宣ふ、「仰言に、赫映姫の容貌優におはすとなり。よく見て參るべきよし宣はせつるになむ參りつる」といへば、「さらば斯くと申し侍らむ」といひて入りぬ。赫映姫に、「はやかの御使に對面し給へ」といへば、赫映姫、「よき容貌にもあらず。いかでか見ゆべき」といへば、「うたても宣ふかな。帝の御使をばいかでか疎かにせむ」といへば、赫映姫答ふるやう、「帝の召して宣はむこと、畏しとも思はず」といひて、更に見ゆべくもあらず。産める子のやうにはあれど、いと心恥かしげに、疎かなるやうにいひければ、心のまゝにもえ責めず。嫗、内侍の許に歸り出でて、「口惜しくこの幼き者は、強く侍る者にて、對面すまじきと申す」。内侍、「必ず見奉りて參れ、と仰言ありつるものを、見奉らではいかでか歸り參らむ。國王の仰言を、まさに世に住み給はむ人の、承り給はではありなむや。いはれぬ事なし給ひそ」と、詞恥かしくいひければ、これを聞きて、まして赫映姫聞くべくもあらず。「國王の仰言を背かば、はや殺し給ひてよかし」といふ。
この内侍歸り參りて、このよしを奏す。帝聞しめして、「多くの人を殺してける心ぞかし」と宣ひて、止みにけれど、猶思しめしおはしまして、この女の謀にや負けむと思しめして、竹取の翁を召して仰せ給ふ、「汝が持て侍る赫映姫奉れ。顏貌よしと聞しめして、御使を賜びしかど、詮なく見えずなりにけり。斯くたい%\しくやは慣らはすべき」と仰せらる。翁畏まりて御返事申すやう、「この女の童は、絶えて宮仕つかうまつるべくもあらず侍るを、もて煩ひ侍り。さりとも罷りて仰せ賜はむ」と奏す。これを聞しめして仰せ給ふやう、「などか翁の手におほし立てたらむものを、心に任せざらむ。この女もし奉りたるものならば、翁に冠をなどか賜ばせざらむ」。翁喜びて家に歸りて、赫映姫に談らふやう、「斯くなむ帝の仰せ給へる。猶やは仕う奉り給はぬ」といへば、赫映姫答へて曰く、「もはら然樣の宮仕つかう奉らじと思ふを、強ひて仕う奉らせ給はば、消え失せなむず。御官冠つかう奉りて死ぬばかりなり」。翁答ふるやう、「なし給ひそ。官冠も、我が子を見奉らでは何にかはせむ。さはありとも、などか宮仕をし給はざらむ。死に給ふやうやはあるべき」といふ。「猶虚言かと、仕う奉らせて、死なずやあると見給へ。數多の人の志疎かならざりしを、空しくなしてしこそあれ。昨日今日帝の宣はむ事につかむ、人聞やさし」といへば、翁答へて曰く、「天の下の事はとありともかゝりとも、御命の危きこそ大なる障なれ。猶仕う奉るまじき事を、參りて申さむ」とて、參りて申すやう、「仰の事の畏さに、かの童を參らせむとて仕う奉れば、『宮仕に出し立てなば死ぬべし』と申す。造麿が手に産ませたる子にてもあらず。昔山にて見つけたる。斯かれば心ばせも世の人に似ずぞ侍る」と奏せさす。
帝仰せ給はく、「造麿が家は山本近かなり。御狩の行幸し給はむやうにて見てむや」と宣はす。造麿が申すやう、「いとよき事なり。何か心もなくて侍らむに、ふと行幸して御覽ぜられなむ」と奏すれば、帝俄に日を定めて、御狩に出で給ひて、赫映姫の家に入り給ひて見給ふに、光滿ちて清らにて居たる人あり。これならむと思して近く寄らせ給ふに、逃げて入る袖を捉へ給へば、面を塞ぎて候へど、初よく御覽じつれば、類なくめでたく覺えさせ給ひて、許さじとすとて、率ておはしまさむとするに、赫映姫答へて奏す、「おのが身は、この國に生まれて侍らばこそ使ひ給はめ。いと率ておはし難くや侍らむ」と奏す。帝、「などか然あらむ、猶率ておはしまさむ」とて、御輿を寄せ給ふに、この赫映姫、きと影になりぬ。果敢なく口惜しと思して、實にたゞ人にはあらざりけり、と思して、「さらば御供には率ていかじ。もとの御形となり給ひね。それを見てだに歸りなむ」と仰せらるれば、赫映姫もとの形になりぬ。帝、猶めでたく思しめさるゝ事堰きとめ難し。斯く見せつる造麿を悦び給ふ。さて仕うまつる百官の人々に、饗應嚴しう仕う奉る。帝、赫映姫を留めて歸り給はむ事を、飽かず口惜しく思しけれど、魂を留めたる心地してなむ、歸らせ給ひける。御輿に奉りて後に、赫映姫に、
歸るさのみゆき物うく思ほえて背きて留まるかぐや姫ゆゑ
御返事を、
葎はふ下にも年は經ぬる身の何かは玉の臺をも見む
これを帝御覽じて、いとど歸り給はむ空もなく思さる。御心は更に立ち歸るべくも思されざりけれど、さりとて夜を明し給ふべきにもあらねば、還らせ給ひぬ。常に仕う奉る人を見給ふに、赫映姫の傍らに寄るべくだにあらざりけり。他人よりは清らなりと思しける人の、かれに思し合はすれば人にもあらず、赫映姫のみ御心に懸かりて、唯一人過し給ふ。よしなくて御方々にも渡り給はず。赫映姫の御許にぞ、御文を書きて通はさせ給ふ。御返事流石に憎からず聞え交し給ひて、面白き木草につけても、御歌を詠みて遣はす。

天の羽衣

かやうにて、御心を互に慰め給ふ程に、三年ばかりありて、春の初より、赫映姫、月の面白う出でたるを見て、常よりも物思ひたる樣なり。或人の、「月の顏見るは忌む事」と制しけれども、ともすれば人間には月を見ていみじく泣き給ふ。七月の望の月に出で居て、切に物思へる氣色なり。近く使はるゝ人々、竹取の翁に告げていはく、「赫映姫例も月を哀れがり給ひけれども、この比となりては、たゞ事にも侍らざめり。いみじく思し歎く事あるべし。よくよく見奉らせ給へ」といふを聞きて、赫映姫にいふやう、「なでふ心地すれば、斯く物を思ひたる樣にて月を見給ふぞ、うましき世に」といふ。赫映姫、「月を見れば、世の中心細く哀れに侍り。なでふ物をか歎き侍るべき」といふ。赫映姫のある所にいたりて見れば、猶物思へる氣色なり。これを見て、「あが佛何事を思ひ給ふぞ。思すらむこと何事ぞ」といへば、「思ふことも無し。物なむ心細く覺ゆる」といへば、翁、「月な見給ひそ。これを見給へば、物思す氣色はあるぞ」といへば、「いかでか月を見ずてはあらむ」とて、猶、月出づれば、出で居つゝ歎き思へり。夕暗には物思はぬ氣色なり。月の程になりぬれば、猶時々は打歎き泣きなどす。これを、使ふ者ども、「猶物思す事あるべし」と私言けど、親を始めて何事とも知らず。
八月の望ばかりの月に出で居て、赫映姫いといたく泣き給ふ。人目も今はつゝみ給はず泣き給ふ。これを見て、親どもも、「何事ぞ」と問ひ騷ぐ。赫映姫泣く泣くいふ、「さきざきも申さむと思ひしかども、必ず心惑はし給はむものぞと思ひて、今まで過し侍りつるなり。さのみやはとて、打出で侍りぬるぞ。己が身は、この國の人にもあらず、月の都の人なり。それを昔の契りありけるによりてなむ、この世界にはまうで來たりける。今は歸るべきになりにければ、この月の望に、かの本の國より迎に人々まうで來むず。さらず罷りぬべければ、思し歎かむが悲しきことを、この春より思ひ歎き侍るなり」といひて、いみじう泣く。翁、「こはなでふ事を宣ふぞ。竹の中より見つけ聞えたりしかど、菜種の大さおはせしを、我が丈立ち竝ぶまで養ひ奉りたる我が子を、何人か迎へ聞えむ。まさに許さむや」といひて、「我こそ死なめ」とて、泣きのゝしることいと堪へ難げなり。赫映姫のいはく、「月の都の人にて父母あり。片時の間とてかの國よりまうで來しかども、斯くこの國には、數多の年を經ぬるになむありける。かの國の父母の事も覺えず。此處には斯く久しく遊び聞えて馴らひ奉れり。いみじからむ心地もせず、悲しくのみなむある。されど己が心ならず罷りなむとする」といひて、諸共にいみじう泣く。使はるゝ人々も、年比馴らひて、立ち別れなむことを、心ばへなどあてやかに美しかりつることを見慣らひて、戀しからむことの堪へ難く、湯水も飮まれず、同じ心に歎かしがりけり。
この事を帝きこしめして、竹取が家に御使遣はさせ給ふ。御使に竹取出で逢ひて、泣くこと限りなし。この事を歎くに、髮も白く、腰も屈り、目も爛れにけり。翁今年は五十許なりけれども、物思には片時になむ老になりにけると見ゆ。御使、仰言とて翁にいはく、「いと心苦しく物思ふなるは、眞にか」と仰せ給ふ。竹取泣く/\申す、「この望になむ、月の都より赫映姫の迎にまうで來なる。尊く問はせ給ふ。この望には人々賜はりて、月の都の人まうで來ば、捉へさせむ」と申す。御使歸り參りて、翁の有樣申して、奏しつる事ども申すを、聞しめして宣ふ。「一目見給ひし御心にだに忘れ給はぬに、明暮見馴れたる赫映姫をやりては、如何思ふべき」。かの十五日、司々に仰せて、勅使には少將高野大國といふ人を差して、六衞の司合はせて、二千人の人を竹取が家に遣はす。家に罷りて築地の上に千人、屋の上に千人、家の人々いと多かりけるに合はせて、あける隙もなく守らす。この守る人々も弓箭を帶して居り。母屋の内には女共を番に居ゑて守らす。嫗、塗籠の内に赫映姫を抱かへて居り。翁も塗籠の戸を鎖して戸口に居り。翁のいはく、「斯ばかり守る所に、天の人にも負けむや」といひて、屋の上に居る人々にいはく、「つゆも物空に翔らば、ふと射殺し給へ」。守る人々のいはく、「斯ばかりして守る所に、蝙蝠一つだにあらば、まづ射殺して外に晒さむと思ひ侍る」といふ。翁これを聞きて、頼もしがり居り。
これを聞きて、赫映姫は、「鎖し籠めて守り戰ふべきしたくみをしたりとも、あの國の人をえ戰はぬなり。弓箭して射られじ。斯く鎖し籠めてありとも、かの國の人來ば皆開きなむとす。相戰はむとすとも、かの國の人來なば、猛き心つかふ人よもあらじ」。翁のいふやう、「御迎に來む人をば、長き爪して眼を掴み潰さむ。さが髮を取りてかなぐり落さん。さが尻を掻き出でて、許多のおほやけ人に見せて恥見せむ」と腹立ち居り。赫映姫いはく、「聲高にな宣ひそ。屋の上に居る人どもの聞くに、いとまさなし。いますかりつる志どもを思ひも知らで、罷りなむずることの口惜しう侍りけり。長き契りの無かりければ、程なく罷りぬべきなめりと思ふが、悲しく侍るなり。親達の顧みを聊かだに仕う奉らで、罷らむ道も安くもあるまじきに、月比も出で居て、今年ばかりの暇を申しつれど、更に許されぬによりてなむ、斯く思ひ歎き侍る。御心をのみ惑はして去りなむ事の、悲しく堪へ難く侍るなり。かの都の人はいと清らにて、老いもせずなむ、思ふことも無く侍るなり。然る所へ罷らむずるも、いみじくも侍らず、老い衰へ給へる樣を見奉らざらむこそ戀しからめ」といひて泣く。翁、「胸痛き事なし給ひそ。麗しき姿したる使にも障らじ」と妬み居り。
斯かる程に宵打過ぎて、子の時ばかりに、家の邊晝の明さにも過ぎて光りたり。望月の明さを十合はせたるばかりにて、在る人の毛の孔さへ見ゆる程なり。大空より人雲に乘りて下り來て、地より五尺ばかりあがりたる程に立ち連ねたり。これを見て、内外なる人の心ども、物に魘るゝやうにて、相戰はむ心も無かりけり。辛うじて思ひ起して、弓箭を取り立てむとすれども、手に力も無くなりて、痿え屈りたる中に、心さかしき者、念じて射むとすれども、外ざまへ往きければ、荒れも戰はで、心地唯癡れに癡れてまもり合へり。立てる人どもは、裝束の清らなること物にも似ず。飛車一つ具したり。羅蓋差したり。その中に王と覺しき人、「家に造麿まうで來」といふに、猛く思ひつる造麿も、物に醉ひたる心地して俯しに伏せり。いはく、「汝、をさなき人、聊かなる功徳を翁作りけるによりて、汝が助にとて片時の程とて降ししを、そこらの年比そこらの金賜ひて、身を更へたるが如くなりにたり。赫映姫は、罪を作り給へりければ、斯く賤しきおのれが許に暫しおはしつるなり。罪の限りはてぬれば、斯く迎ふるを、翁は泣き歎く、能はぬ事なり。はや返し奉れ」といふ。翁答へて申す、「赫映姫を養ひ奉ること、二十年餘りになりぬ。片時と宣ふに、怪しくなり侍りぬ。又他處に赫映姫と申す人ぞ、おはしますらむ」といふ。「此處に御座する赫映姫は、重き病をし給へば、え出でおはしますまじ」と申せば、その返事は無くて、屋の上に飛車を寄せて、「いざ赫映姫、穢き所にいかで久しくおはせむ」といふ。立て籠めたる所の戸、即ちたゞ開きに開きぬ。格子どもも人は無くして開きぬ。嫗抱きて居たる赫映姫外に出でぬ。え留むまじければ、唯さし仰ぎて泣き居り。竹取心惑ひて泣き伏せる所に寄りて、赫映姫いふ、「こゝにも心にもあらで斯く罷るに、昇らむをだに見送り給へ」といへども、「何しに悲しきに見送り奉らむ。我をば如何にせよとて、棄てては昇り給ふぞ。具して率ておはせね」と泣きて伏せれば、御心惑ひぬ。「文を書き置きて罷らむ。戀しからむ折々、取り出でて見給へ」とて、打泣きて書くことは、
 この國に生まれぬるとならば、歎かせ奉らぬ程まで侍るべきを、侍らで過ぎ別れぬること、返す%\本意なくこそ覺え侍れ。脱ぎおく衣を形見と見給へ。月の出でたらむ夜は見おこせ給へ。見棄て奉りて罷る空よりも落ちぬべき心地す。
と、書き置く。
天人の中に持たせたる筥あり、天の羽衣入れり。又あるは不死の藥入れり。一人の天人いふ、「壺なる御藥奉れ。穢き所の物食しめしたれば、御心地惡しからむものぞ」とて、持てよりたれば、聊か嘗め給ひて、少し形見とて、脱ぎ置く衣に包まむとすれば、ある天人包ませず、御衣を取り出でて著せむとす。その時に赫映姫、「暫し待て」といひて、「衣著つる人は心異になるなり。物一言いひ置くべき事あり」といひて文書く。天人遲しと心許無がり給ふ。赫映姫、「物知らぬ事な宣ひそ」とて、いみじく靜かに、朝廷に御文奉り給ふ。周章てぬ樣なり。
 斯く數多の人を賜ひて留めさせ給へど、許さぬ迎まうで來て、取り率て罷りぬれば、口惜しく悲しきこと。宮仕つかう奉らずなりぬるも、斯く煩はしき身にて侍れば、心得ず思しめしつらめども、心強く承らずなりにし事、無禮げなるものに思しめし止められぬるなむ、心に留まり侍りぬる。
とて、
今はとて天の羽衣著るをりぞ君を哀れと思ひ出でぬる
とて、壺の藥添へて、頭中將を呼び寄せて奉らす。中將に天人取りて傳ふ。中將取りつれば、ふと天の羽衣打著せ奉りつれば、翁をいとほし悲しと思しつることも失せぬ。この衣著つる人は、物思も無くなりにければ、車に乘りて百人許天人具して昇りぬ。その後翁嫗、血の涙を流して惑へど詮なし。あの書き置きし文を讀みて聞かせけれど、「何せむにか命も惜しからむ。誰が爲にか何事も益もなし」とて、藥も食はず、やがて起きも上らず病み臥せり。中將人々を引具して歸り參りて、赫映姫をえ戰ひ留めずなりぬる事を細々と奏す。藥の壺に御文添へて參らす。展げて御覽じて、いといたく哀れがらせ給ひて、物も食しめさず、御遊なども無かりけり、大臣、上達部を召して、「何れの山か天に近き」と問はせ給ふに、或人奏す、「駿河の國にある山なむ、この都も近く、天も近く侍る」と奏す。これを聞かせ給ひて、
逢ふことも涙に浮ぶ我が身には死なぬ藥も何にかはせむ
かの奉れる不死の藥の壺に、御文具して御使に賜はす。勅使には、調の岩笠といふ人を召して、駿河の國にあなる山の頂に持て行くべきよし仰せ給ふ。嶺にてすべきやう教へさせ給ふ。御文不死の藥の壺竝べて、火をつけてもやすべきよし仰せ給ふ。そのよし承りて、兵士ども數多具して山へ登りけるよりなむ、その山をばふじの山とは名づけける。その煙、未だ雲の中へ立ち昇るとぞいひ傳へたる。



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