番外編 舞殿の【女帝】11
謁見室のドアをノックしようとしたピエトロは、ふと以前より気にかかっていたことを思いだし、一度手を引いた。
『そういえば、何年か前にギネビア様に縁談が来たって話を聞いたことがあったな。相手はどこかの王様の弟王子だったっけか……』
その縁談は、破談になった。
断ったのはユミル王家の側、厳密に言うとギネビア自身であった。
ギネビアは国家運営に恋をしていると言われるほどに、恋愛に興味を持っていない……と噂されている女性である。
わざわざ訪ねてきたその「どこかの王様の弟王子」に、面と向かって断りを入れたという。
それが外交問題に発展しなかったのは、どうやら件の王弟も「政略結婚」に興味がなかったためであったらしい。
彼は兄王の命令で逢いはしたものの、ギネビアに
「我が夫は我が国より他になし」
と宣言されても、何も答えなかったという。
王弟は反論も同意もせず、ただ晴れ晴れとした笑顔で頭を下げ、そのまま帰国してしまった。
『きっとその王弟は今頃、自分の国でずいぶんと肩身の狭い思いをしているのだろうな』
ピエトロは会ったことのないその王弟に親近感を覚えていた。相続権のない貴族ほど惨めなものはない。……自分も似たような立場だ、と。
『まあ、ギネビア様に堂々と求婚できるくらいの立場だと言うことは、お国の規模は、たぶんボクの所なんかより数十倍は上だろうから、あちら様は僕と違って自分の食い扶持の心配まではしないで済むのだろうけど』
ピエトロは自嘲のため息をはき出すと、襟を正し、改めてドアを叩いた。
『その王弟殿下がどんな人物なのかは知らないけれど……きっと自分の身分を恨んでいるに違いない。政略結婚じゃなかったら、もしかしたらギネビア様も結婚を承知したかも……なんて考えているかも知れない。本当に、ギネビア様も罪作りな方だよな』
自身がギネビアにほのかなあこがれを抱いているピエトロの勝手な妄想ではある。それでも、全くそうではないとは言い切れない。
「お入りなさい」
中から聞こえたギネビアの声が、どこか冷たく感じられた。
促されてドアを開けたピエトロは、玉座のギネビアの微笑に、わずかな疲労を感じた。
「十分にパレスの中を見聞できましたか?」
その問いかけに、彼は
「あまり時間がありませんでしたが、見られる範囲は見て回ったつもりです」
と、答えるより他になかった。
「そうですか。ですが、あなたの言うとおり、時間の猶予はありません。オラン公国よりお客様が到着する時間が近づいています」
「存じ上げております。ですが、少々お伺いしてもよろしいですか?」
おそるおそる声を出したピエトロに、彼女は、
「一言で答えられる問いならば、許可します」
厳格な口調で応じた。
「宮殿の侍女たちからも、オランの姫君と他に二人ほどのご来客の話を聞きましたが、それ以外のお客様のことはまるでわかりませんでした。それで……」
まだ質問の終わらぬうちに、ギネビアは
「担当するお客様の以外のことを知らせていないだけです。これは貴方に対しても当てはまることですよ」
諭すように言う。
詰まるところ、ピエトロがおもてなしをせねばならないのは、オラン公国からの来賓なのだ、と言うことだ。
ギネビアの穏やかな言葉は、有無を言わせぬ迫力がある。
ピエトロの背筋は凍った。
「かしこまりました」
彼は深々と頭を下げた。
厳しい口調で下される命令のほうが、むしろ心臓に良い気がする。
奔馬の勢いで謁見室を出たピエトロは、一刻でも早くエントランスホールへ向かわなければならないという使命感から、
「近道を!」
通ったことのない曲がり角に入っていった。