番外編 舞殿の【女帝】20
日が落ち、宮殿内の燭台総てに灯が点った。
ダンスホールでは一流の楽人達が静かに円舞曲を奏でている。人々の談笑を妨げず、同時に人々のダンスをもり立てる、絶妙な音色だった。
ピエトロは人混みから離れ、ダンスホールの壁際で一人沈み込んでいた。
彼が本来接待するはずだった来賓達には別の……それもすこぶる付きに優秀な……接待役が付いている。エル・クレールとブライトも渋々ながらではあるが「必ず顔を出す」と確約してくれた。
心配することは何もない。
しかし、今日一日の自分を省みれば、反省と落胆以外に彼の心を占めるものがないのは当然だった。
『何か一手柄あげるか、さもなくば無難に立ち振る舞って、あわよくばどこか婿入り先を見つける心づもりだったのに、逆にギネビア様に怒られてしまうなんて。このまま故郷に帰ったら、伝家の宝刀まで託してくれた両親に合わす顔がないよ。僕はなんて不孝不忠者なのだろう』
彼は自身の暗い顔が映る床を眺め、魂まで漏れ出しそうな深いため息を吐きだした。
ダンスホールにいる総ての人々が幸せそうに見えた。不安も心配も落胆もつらさも痛みも、その場にいる総ての人々の知らない感情なのではないかとさえ思える。
こんな気持ちでいるのは自分だけに違いない。ピエトロは底なし沼に落ち込んだ心持ちになった。
居たたまれなくなった彼は、ホールから出る決心をした。
重い足取りで出口に向かった彼は、自分のいた壁際とちょうど反対側の隅に、小さな人影を見つけた。
「パトリシア姫だ」
彼女は昼間出逢ったときと同じ儀礼舞踏用の裾の短いドレスを着ている。
『そう言えば、姫は普段着も舞踏会用のドレスもないとおっしゃっていたな』
見ようによってははしたないほど丈の短いドレスを着た姫に、周りの人々が奇異の目を注いでいる。
姫はその視線に気付いているのかいないのか、身を縮めておどおどと辺りを見回していた。どうやら誰かを捜している様子だった。
不安げな大きな瞳は、やがてピエトロに向けられた。とたん、姫の頬にバラ色の輝きが射した。
「ピエトロ様!」
つま先立ちの小走りで、姫は人並みの中を駆けだした。ピエトロも思わず駆け寄る。
「良かった、もうお目にかかれないかと思っておりました。ピエトロ様にお礼を申し上げなければいけないと言うのに……」
涙ぐむ彼女の言葉に、ピエトロは違和感すら感じた。
「お礼と申されましても、僕のしたことと言えば道案内程度のことですから」
その後に不可抗力ではたらいた犯罪行為のこともあって、彼は素直にパトリシアの謝意を受け入れることができなかった。
「いいえ。確かにそのこともうれしかったのですけれど、もっともっと感謝すべきことがございます。だってピエトロ様は、港からわたくしどもの荷物を盗んで行った盗賊達を捕らえてくださったのですもの」
「盗賊?」
そう言えば昼間の賊共は、大量の女物が入った
行李を漁っていたし、船着き場から荷物を奪ってきたとも言っていた。
『そうか、あの荷物はルッカ・アイランドの……パトリシア姫の持ち物だったのか』
「盗賊達が乱暴に扱ったせいでドレスは汚れてしまって、結局この衣装を着ることになりましたけれど……。でも他の荷物は皆無事に戻って参りました。盗賊達が貴金属を処分する前に捕まえてくださったピエトロ様のおかげですわ」
パトリシアの純粋な喜びのまなざしが、ピエトロの心を益々締め付けた。彼は苦しく息を吐き出し、
「姫、僕は捕縛の現場にいただけで、盗賊達を捕まえた訳ではありません。ですから、姫の感謝を受けるわけにはゆきません」
正直に言った。
すると、パトリシアはにこりと微笑んで、
「ピエトロ様が剣を振るって戦われた訳では無いと言うことは存じておりますわ。そのことは、わたくしの大切なお友達から詳しく聞きましたもの」
ホールの片隅を指さした。
人々の中から、一人の紳士の頭が飛び出していた。相当に背の高いその男性の傍らには、やはりすらりと長身のご婦人が寄り添っている。