祭り独特の浮ついた興奮の気配に満ちた老若男女のの群れは、ささざ波立つ海のようであった。その水面が両手持長剣の登場で真っ二つに割れた。現れた乾いた地面の上を、三人連れが悠然と進む。
彼ら――両手持長剣を担うブライト・ソードマン、喧嘩段平を抱えたエル=クレール・ノアール、そして水先案内人のジダヌ――が行き過ぎると、また人の波は寄り集まり、ざわめきながら彼らを取り巻く渦となる。
領主たるパンパリア辺境伯ジロー・ル=ルーが若い頃から武偏者であり、それゆえに武道会が頻繁に行われるというこの土地の人々は、巨大な鉄塊そのものである彼の武器がどのような代物であるのかを知っていた。だからこそ、それを軽々と担う人物の膂力に驚嘆したのだろう。
人波の渦はふくれて行く。両手持長剣を中心とし、その長さをおよその半径とした円形の人垣が、ぞろぞろと進んで行く。
これほどに目立つ一行に、ただの見物人以外の者が目を付けぬはずがない。・無問題の食堂でブライトが「予言」したとおり、幾人かの剣士風の者が『予選』を申し込んで来た。
きちんと名乗りを上げて尋常な勝負を願う者はいない。予選参加の締め切りは近い。参加希望者達はみな血気にはやり、且つ、焦っている。彼らは前日の輩と同様に突然襲いかかって来た。
そしてそういう連中が対戦相手として指名するのは、恐ろしげな鉄塊を持つ見るからに屈強そうなブライトではなく、彼の後を心細げについて歩いているエル=クレールであった。
彼らの相手は実に容易であった。
エル=クレールは前日同様に身をかわしさえすればよい。挑戦者達は前日以上にあっけなく自滅した。
華奢で美しい若者が、無骨な男共に臆することなく対峙し、華麗に身をかわす様と、いなされた連中が無様に転げる様子は、野次馬を大いに喜ばせた。
人は人を呼ぶ。
中心にいる人間達の意向など関係はない。進むほどに二人の新顔の剣士と一人の「隠居」を取り囲む見物人の数はますます増える。円形の人垣は形を崩さずに移動した。
◆◇◆◇
武闘会の会場は、パンパリア盆地の中央部、パンパリア塩湖の傍らに建っている。門が十四もある、たいそう立派な円形闘技場だ。
真西の門には見物客が殺到している。
真東の門の前には、エル=クレールやブライトの眼に見覚えのあるデザインの派手な装束を纏った、屈強そうな男女がびっしりと並んでいた。主催者であるパンパリア辺境伯ル=ルー家関係者専用の入場門は、警備が厳重だ。
闘技場の南側はびっしりと観客席がしつらえられている。
そして北側の円周に沿って等間隔に十二の門があり、十二の門扉にはそれぞれ聖人像が描かれている。
「パンパリアの山際に、ぐるっと十二方向、古くさい神殿というか、ちんけな祠があるのはご存じで?」
ジダヌがエル=クレールとブライトの顔を交互に見た。エル=クレールが白い顔を小さく縦に振り、ブライトは面倒臭げに声を出した。
「そうらしいな。峠からちらりと見えた」
「ここでやる武闘会は、元々は各神殿が信徒や僧兵や騎士団から『教区の勇者』を選んで、中央神殿の神前で武術を競わせる神事、でしてね……」
ジダヌの言葉は歯切れが悪かった。
「……はい?」
エル=クレールが小首をかしげ、ブライトが苦笑いをかみつぶす。
「優勝すれば、領主なり大本山なりからご褒美が出る、微笑ましい運動会か?」
「最初は優勝者が名誉を得るだけだったらしいんですがね。そのうち、優勝者の所属する神殿には社を一つ新しくできるくらいの『副賞』が出るようになりましてね……」
ジダヌが答えたのだが、エル=クレールの首は元に戻らない。
仕方なくブライトが、
「つまりは、どうにかして優勝賞金を分捕りたい強欲生臭莫迦坊主共が、自分の教区以外から強いのを引っ張ってきて戦わせようと浅知恵を働かせたら、あっちもこっちも同じ事を始めたンで、とうとう収拾が付かないほどでかいお祭り騒ぎになった、と云う訳だ」
噛み砕いた上に嫌みをまぶして説明をした。
「剣術好きのル=ルー伯が領主になったってことも相まって、拍車が、こう、ね……」
禿のジダヌは少々気恥ずかしげに微笑すると、居並ぶ十二の門を指した。
「そういう訳で、あの門は各神殿の臨時出張所の入り口なんですよ。出場希望者は、お好きな神殿を選んで神掛けて宣誓の上、神殿騎士団兵の『臨時募集』に応募していただく、いう寸法で」
十二の門それぞれに屈強な剣士騎士達が取り付く様は、遠目に蜜に集る蟻を思わせる。
「神殿対抗戦ってぇ事は代表枠は一つかね? 宣誓一つで予選突破ってのは、とっつぁん、とんだ大ボラだな」
ブライトがちらりとジダヌの禿頭を睨んだ。その眼差しは鋭かったが、悪意も敵意も無い。
「正直に宣誓する者には真っ当にご神託が下るんですよ。神事ですから、一応は」
「一応?」
エル=クレールが小首をかしげ、ジダヌに疑問の視線を投げた。無問題亭の亭主は、少々気恥ずかしげに苦笑いを返す。
「神託の仰ぎ方は神殿によりけりですけどね。神籤を引かせるところが多いようですが……。あとは、選ばれし者は聖なる火に手ぇ突っ込んでも火傷しないとか、放たれた獅子が資格のある者の前で立ち止まるとか、あとはカミサマが教区長の耳元でその名をささやくとか、ね」
この説明を聞いても、エル=クレールの傾いだ首は戻らない。視線をちらりとブライトに振った。彼は小さく肩をすくめる。
「判るヤツには当たりがどれか一目瞭然な籤に、派手に燃えているように見える火力が調節できる聖火台に、飼い主の指示に忠実な良く調教された獅子に、常習的鼻薬中毒の教区長、か」
ブライトの口元には、嘲りに幾分かの同情とが混じった薄い笑みが浮かんでいる。
「それはつまり、不正が横行しているという事ですか?」
天から落ちる水は土埃を身に纏う。湧き出でた清水が泥を生む。清と濁は入り交じる。濁った水は乾いた大地を潤し、人の世を栄えさせる。
頭の中では判っている。だがエル=クレールはブライトのように諦観を持つことができなかった。神事の名に隠れて不正が行われているというそのことが、どうあっても許容できない。
彼女は己の顔があからさまな不機嫌の色に覆われている事に気づいていたが、それを隠せなかったし、隠す努力もしなかった。融通の利かない、聞き分けのない子供扱いされるであろう事を承知で言った。
「行きましょう。神の名を汚す不正試合など御免蒙ります」
ブライトが意地悪い――それでいて心底嬉しそうな笑みを返した。
「出るのは俺様で、お前様じゃない」
「あなたの手が欺瞞で汚されては困ります」
拗ねた眼差しで彼を睨んだ。その瞳の前にブライトの左の掌が突き出される。使い込んだ皮の指無手袋がギシリと音を立てた。
「この手のどこに、これ以上汚れて困るところがあるって言うンだ?」
ブライトは少しばかりわざとらしく、声を出して笑った。自分に道化の役を振らなければ、指のわずかな隙のからまっすぐに突き刺さる澄んだ瞳の鋭さに耐える事ができない。
それにおそらくは、
『実際、俺の手は相当血塗れている』
と、彼は確信していた。エル=クレールと出会うより以前の自分については、すっかり忘れきっているというのに、である。
理由は単純だった。
『技術が「型」からはみ出している。何かしら修行をした後でそれをぶちこわすだけの実戦経験を積んでいるか、まるきり正式な訓練を受けていないか、どちらかだ』
その上で、後者では無いと確信している。
しっかりとした基盤があるからこそ、同様に基礎を固めた真っ当な剣術使いの攻撃を予測し、小馬鹿にした態度であしらうことができるのだ。
彼は冷静に自分という一個の剣士を分析していた。殺めた人間の数がどれほどであるのか迄は判然としないが、いずれ一人や二人ではあるまい。
「汚れ仕事は俺様の役目さね」
ブライトの方から両手持長剣が下ろされる。取り巻いていた野次馬達がざわつき、一斉に数歩後ずさった。
切っ先が地面に触れたかと思うと、自重で一指尺あまりも地中へめり込んだ。
ブライトが柄頭に手を置くと、刃のめり込みは“肘一つ分”を超えた。並の人間では、彼の顔色と所作から彼がそれ相応な力を加えたことを見て取ることは難しいだろう。
柄頭を掌で包むように押さえ、その上に顎を載せると、ブライトは彼方を見やった。
「ジダヌのとっつぁんよ、一番奥の……眼ン玉印の本から翼が生えてる紋章の神殿は、やけにゴツイのが集ってるじゃねぇか」
エル=クレールが背伸びをして人垣の隙間からその方向を見れば、確かにその門前には剛の者と呼ぶにふさわしい者達が数名集まっっている。門扉の紋章はブライトの言うとおり、二対の翼を持つ眼球の描かれた書物だ。
彼女はその紋章を知っている。
その紋章で表される守護天使は「イジュラエル」と呼ばれる。その語義は「神は救い賜う」である。
「旦那、目が利きますねぇ」
ジダヌが感嘆する。
「あそこはガチな予選をやるんで、ああいう命知らずが集まるんですよ」
「ガチな予選?」
ブライトはイジュラエル宮の方角に視線を注いだまま、ジダヌの言を反復して尋ねる。
「ええ、ガチです。文字通りの真剣勝負ですよ。木刀なんて柔なモノは使わない。一応刃は落とすことになってますがね」
「そいつは酔狂な」
ブライトの声音は、新しい遊びを聞き込んだ子供のような調子であった。エル=クレールがちらりと彼の顔を見やると、実際彼はにんまりと笑っていた。
「何しろあそこの守護天使のイジュラエルてぇ方は、人を苦界から救い出して極楽往生させるのがお役目の御使いですからね。手にした帳面には生きた人間の名前だけが書かれてるんだそうですよ。つまり、名前載ってないヤツは死人ってことで……有り体に言えば、死神みてぇな方だ。そういうお方の目ん玉の前じゃあ、下手な事はやれません」
「信心深いことだな」
ブライトの肩が嘲笑に揺れる。
「信心深いのは良いことではありませんか」
エル=クレールはジダヌを振り返り見て微笑した。小さく首をかしげ、同意を求める。
頬を朱に染めたジダヌだったが、同時に眉間に浅い皺を刻んでいる。
「あ、あそこになさるんで?」
声がうわずっている。ブライトは柄頭から首を持ち上げると、少しばかり怒気を帯びた眼差しで彼を睨んだ。
「ウチの姫若様は信心深いお人だからな」
不機嫌そうに微笑する大男と、いくらか不機嫌が直ってきた様子の歳若い貴族の微笑を交互に見たジダヌは、すっと背筋を伸ばして、
「判りました。参りましょう。実のところ、あそこはあっしの檀那寺でしてね。もっとも、十年の上は顔一つ出していませんけども」
二人に先立って、真っ二つに割れた人波の中をまっすぐに歩んでいった。
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