レオン=クミンとガイア・ファテッド=クミンが案内されたのは、狭く暗い部屋だった。
 ベビーベッドのように小さな寝台が二つようやっと並べられており、それだけで部屋の殆どが占拠されている。
 荷物を置くスペースも、外套やヴェールの類を掛けておくフックもない。
 硬い布団の上に、旅人たちは彼らの旅着と古い地図を広げ、膝をつき合わせた。
「カイトスの都はもっと北の筈ですが」
 レオンの細い指が、現在位置よりも僅かに上の辺りを示す。
「遷都の理由は何であろう?」
 ガイアの視線は現在位置に落ちる。
「フランソワ=ビロトーとやらが、我々に対して大層な警戒心を表し、あまつさえ貴女のことを化け物呼ばわりした所を見ると……」
「まあ、一揆が起きて都が焼き討たれた、という訳ではありますまい」
 二人は顔を見合わせた。
 互いの考えが一致していると言うことが、口に出さずとも判る。
 レオンは唇の端をほんの少し持ち上げた。見知らぬ者であれば、それが彼の笑顔だと気付かないだろう。
「しかし困った事になりました。お殿様があの様子では、情勢を伺うことも叶いません」
「……まあ、どこの支配者も物事を知らないという点では大差ないのだけれど」
 大きなため息を吐きながら、ガイアは右肩口を撫でさすった。
「痛みますか?」
 レオンは妻の傍らに座り直し、彼女の肩にふわりと手を回した。
「痛みではなく……疼くのです。でも心配しないで。いつものことゆえ」
「習慣性の痛みであるから、逆に心配なのです。私は貴女がいないと生きてゆけない情けない男だと……貴女が一番よく知っているでしょう?」
 細い腕に力を込めて、レオンはガイアを抱き寄せた。屈強な女剣士は、その力強い体躯に見合わぬしなやかさで、脆弱ですらある夫の胸に顔を埋めた。
 と。
 ドアの開く音がした。そして小さく
「あ」
 と声がした。
 声の主は慌てて戸を閉めようとしたようだが、むしろ部屋の中の人物達がそれを制した。
「マルカス殿」
 二つの声が小気味よく重なって響いた。
「その、勅書の内容が喜ばしい事柄でしたので、急ぎお知らせした方がよいかと思いまして……。慌てていたもので、ノックもせずに……その、失礼を……」
 中年男は慌てふためいている。どうにも「男女の機微」というヤツを苦手としているらしい。
「では、便りの内容を教えてくださるのですか?」
 レオンがにこやかに笑ってみせる。
 先ほどガイアにのみ見せた笑みの幽かさとは対極にある、はっきりとした表情だ。ところがこちらの笑顔はといえば完全な「作り笑い」だった。
 ガイアは夫のこれを「営業用スマイル」と呼んで嫌っており、それゆえレオン自身もできうる限り彼女の前では作らないよう心がけている。
 とは言うものの、人間関係を円滑にするために必要な表情である。例えば今、彼の作り笑いは恐縮しきりのマルカスの緊張感を解すに役立った。
「ミッド公国をご存じでしょう?」
 マルカスは、レオンとガイアの顔色が一瞬白ばんだことに気付かなかった。
 もっとも彼を責めるのはお門違いであろう。レオンは「営業用スマイル」を崩さずにいたし、ガイアは来客と同時に素早くヴェールの奥へ身を隠している。
「火山が噴火し、国民の過半数と大公ご一家が命を失った。四年ほど前のことですが……。ところが、亡くなったと思われていた姫君が、生きておられる、と」
「それは……正式な発表ですか?」
 笑ったままのレオンの問いに、マルカスは首を横に振った。
「内々のお達しです。公表されるのは、姫君が帝都に到着なさってからだそうです。……なんでもお怪我を召されているとかで、皇弟殿下が御領地のガップで保護なさっているのだと」
「皇弟フレキ殿下が、ミッドのクレール=ハーン姫を……保護?」
 復唱の語尾を上げ、レオンは確認の視線をマルカスへ向ける。今度は首が縦に動く。
「その内々のお達しと言う代物が、なぜこちらのお国に届けられたのでしょう? 大変申し上げにくいのですが、カイトスは帝室と近しい土地柄ではないと認じておりましたが」
「実は、我が主君の甥御たるデートリッヒ=ユリアン卿が、帝都ヨルムンブルグ行政府の末席におりまして」
 マルカスは誇らしげに言った。
 デートリッヒ=ユリアンは、カイトス始まって以来の逸材だそうだ。
 優秀な人材の名は賞賛と妬みをまとって市中に流布するものだ。
 ユリアンなる「カイトス始まって以来の逸材」の名前は、少なくとも、帝国を広く旅して見聞を広げてきた二人の耳には、入ってきていない。
 で、あるから、その逸材とやらが帝都でどんな仕事をしているか……あるいはどんな仕事も与えられていないか……レオンにもガイアにもおおよその想像が付く。
「ではそのユリアン卿が都の様子などをお知らせ下さるのですね。この度の便りも?」
「ええ。もっとも『急に休暇が取れたから里帰りする』というのが手紙の本文だったのですが……。到着日はどうやら今夜か明朝当たりになりそうです」
 マルカスは饒舌になっていて、聞きもしないことまで答えてくれる。
「なるほど……。ああ、一つ伺ってよろしいでしょうか?」
 レオンは笑顔を大きくした。
「ポルトス伯はなぜこの様な僻地の仮宮においでるのですか?」
「それは……」
 マルカスの紅潮した顔が、一気に青黒く変じた。
「都に……天災が……ありまして。致し方なく……」
「左様でしたか。一日も早い復興が成されますよう、お祈りいたいします」
 彫刻のようなレオンの笑みを見ながら、マルカスは脂汗を拭いた。

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