紙切れの姫――青い男と紅い娘2

 それは遠い世界の物語です。
 港の国と山の国、2つの国がありました。
 港の国は貿易が盛んな国で、山の国は学問が盛んな国でした。
 港の国の王様はお年寄りで、同じくお年寄りのお后様と1人の王子様と2人のお姫様の4人で、立派なお城に住んでおりました。
 山の国の王様はまだ若く、お后様は王子様を産まれてすぐに亡くなられたので、たった1人の王子様と2人きりで、小さなお城に住んでおりました。
 山の国の王様はとても立派な方だったので、たくさんの人が「産まれたばかりの王子様にはお母さんが必要ですから、新しくお嫁さんをもらった方がいい」と言いました。
 でも、王様は時が過ぎて16年、ずっとずっとずっと、結婚しませんでした。
 ある日突然、港の国の王様からの手紙が、山の国の王様の元に届きました。
 とても重要な手紙です。
 いえ、手紙の内容はたあいのないものなのです。重要なのは、手紙を運んできた人です。
 港の国の王様の挨拶だけしか書かれていないお手紙は、港の国の王様の一番下のお姫様が手ずから持って来たのです。
 そして。
 港の国のアナ姫様は、それきり山の国の小さなお城に、ずっと泊まり続けています。
 
 さて、さて。そんなある日のこと。
 山の国のお城の一番大きなドアを開けて大広間に入って来たのは、背が低く、肩幅の狭い少年でした。
 綿毛のような真っ白な髪です。秋の昼の空のように深い青のローブを着ています。頬は薔薇色、瞳は黒曜石。
 そして、まあるい額には、赤い大きな石のはまった金の飾りを付けておりました。
「魔王の森の賢者、ウィザード・シグルト。ただいま参上いたしました」
 少年が玉座の前にひざまずくと、広間にいた人たちの間から低いどよめきが起きました。
「リトル・シグではないか……」
「ウイザード・ミーミルではないのか……」
 王様の一粒種・ジークフリード王子、親衛隊長のカイトス将軍、王様のはとこのマニ子爵、王様に信用されているフェフ大臣、大官小吏、お客様から女官の末まで、広間は人で埋め尽くされておりましたが、皆一応に、驚いているようでした。
 そして少年……シグも、驚いていました。
 彼は王様が彼のお師匠様のコトが大好きだと言うことを、よく知っています。
 港の国のアナ姫様が彼のお師匠様のコトを大嫌いだと言うことも、よく知っています。
 ですから「魔王の森の賢者」として師匠ではなくシグが登城したことで、王様が気落ちするだろうと想像していました。
 でもアナ姫様ががっかりして、その上怒り出すとは思ってもおりませんでした。
「私は賢者に用があったのよ。魔王の森の番人、ウイザード・ミーミルに!」
 アナ姫様は金切り声で言いました。
「……ウイザード・ミーミルが『賢者』と承認したこのボクにご不満があると言うことは、ウイザード・ミーミルを『賢者』と承認した王様にアナ姫様はご不満がある、と言うことになりませんか?」
 13.4歳の少年にしか見えないウイザード・シグが、幼い顔をきゅっと引き締めて聞き返しました。的を射た答えです。
 アナ姫様は、美しいけれどいかにも気の強そうな細い眉をぴっと引き上げてシグをにらみ付けました。ですが、隣におられる王様が
「ウイザード・シグ、遠き道のりをご苦労であった」
と、にこやかに仰った途端、急に面相を変え、白い頬をバラ色にして微笑まれました。
「王様にはご機嫌麗しく……」
 シグは小さな頭を深々と下げ、型どおりの挨拶を型どおりにしようとしました。すると、王様は首を小さく横に振られました。
「シグ、その方の師はの叡智は深い。ゆえに弟子であるその方も博識であろう」
「ボクの知識は師の足元にも及びませんが、知りうる総てを王様に捧げます」
 もう一度頭を下げたシグが、そっと頭を上げて見ると、どうやら何かにご立腹らしく眼差しを尖らせているアナ姫様のお隣で、王様がちょっと困ったような顔をなさって言いました。
「夢判断は、できるか?」
 今度はシグがちょっと困った顔をしなければなりませんでした。この小さな賢者は夢判断や夢占いがあまり得意ではないのです。
『仕方がない。助けてもらおう』
 シグは、誰にも聞こえないように口の中でつぶやくと、誰にも見えないようにローブの中で小さな水晶玉を握りしめました。
 水晶玉はぽうっと光り、小さく震えました。
 そして、声がしました。
【おや、もう救難信号?】
シグにしか聞こえない、暖かくて優しい声です。
『夢判断は苦手だよ』
 シグは心の中で言いました。すると、水晶玉から聞こえる声が応えます。
【苦手だからと言って、避けて通ってばかりではいけないのだけれど……。どうやら厄介なお客のようだから】
 優しい声が終わるか終わらないかのうちに、その「厄介なお客」が、また金切り声をあげました。
「人形(ヒトガタ)の夢よ! もう3日も続けて見ている!」
 アナ姫様は、忌々しげに、そして挑みかかるような目で言いました。
「どのような人形ですか?」
 飛んでくる唾をかわしながら、シグが訊ねました。
 アナ姫様は、口を噤みました。手袋に包まれた細くて長くて優雅な爪を噛み、じっとシグをにらみ付けます。
 シグは姫様の少し尖った吊り目を怖く思いましたが、仕方なく姫様を見つめていました。
 沈黙は僅かな時間で終わりました。シグの心臓が5回脈打ったあと、アナ姫様は小さな声で答えてくれたのです。
「白い、紙を切っただけの……。誰にも読めない字が書いてある」
 シグは水晶玉をぎゅっと握ると、姫様の言葉とをなぞって心の中でつぶやきました。
 その後、目を閉じ、ゆっくりと、考えながら言いました。
「食物や花束が、姫様に献上される兆しです。人々は姫様を歓待し、上座に座らせます。敬いと賛美の声が聞こえるでしょう」

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