「それじゃ、あの夢判断は、全部カンニングだったのかい!?」
 魔王の森の番人の家で、王様の一人息子のジークフリード王子が呆れ声をあげました。
「仮にもウイザードの免許をもらった君が、そんな狡をするなんて!」
 小さなテーブルの反対側で、シグは唇を尖らせています。
「じゃあジーク。もし君がみんなの前でケーキを作ることになったらどうする? きっと、卵の入った籠の影に、お師匠様に頼んで書いてもらったレシピのメモを挟むだろう?」
「うーん」
 王子は妙に納得しました。人には得手と不得手があるものです。
 その時、奥の部屋から暖かくて優しい声がしました。
「良い言い訳だこと」
 ふわっとしたよい香りをともなって、奥の部屋から出てきたのは、赤いローブを着たそう若くはない……ジークフリード王子が「母上」と呼んでも可笑しくないくらいの年頃の……女の人でした。
 綿毛のような真っ白な髪です。秋の夕の空のように深い赤のローブを着ています。頬は薔薇色、瞳は琥珀。そして、まあるい額には青い大きな石のはまった金の飾りを付けておりました。
 魔王の森の番人、ウィザード・ミーミルは、焼きたての団栗クッキーを山盛りにした大皿を、シグとジークの前に置きました。

 魔王の森というのは、山の国の北の外れにある深い森の呼び名です。
 15年ほど前。
 この森の奥にある古いお城に、1人のウォーロック……魔法使い……が住み着いて、いろいろな悪さをしていました。
 濃紺のローブを着たこの魔法使いを、やがて深紅のローブを着たウィザードが命がけで封印しました。
 それでも、あまりに強かったウォーロックを恐れた人々は、森から悪いモノが出ないように、森に誰かが入らないように、森を見張る事にしました。
 その仕事を引き受けたのがウィザード・ミーミルと弟子のシグでした。2人は森の出入り口に小屋を建て、そこで静かに暮らしています。
 王様は勇気と知恵にあふれた……古い知恵の男神の名を持つ……女ウィザードと、幼さの向こう側に聡明さを見え隠れさせる……息子とよく似た名前の……幼い弟子を、とてもとても信頼しておりました。
 何か難しい事が起こったり、あるいは何も起こらなかったりしたときに、王様は僅かばかりの家来を連れて、あるいは独りきりで、森番の粗末な小屋を訪問します。
 ミーミルと話をして、シグとお茶を飲む僅かな時間が、王様の一番安心できる時間なのでした。
 ですが王様はこの所、森番の小屋を訪れることができません。港の国のお姫様という国賓がお城にいるのです。主の王様がお城を空けるわけには生きませんから。
 代わりと言っては何ですが、ジークフリード王子はここ数日、殆ど毎日森番の小屋にやってきていました。
 まぁ、王子の「森通い」も今に始まったことではないのですが……。
 なにしろ王様は、家来を連れてこない時とお独りで参られない時以外は、必ず一人息子と二人連れで森へ行かれるのです。
 
「しかるに、殿下。私の夢判断は、どうやら当たったようですが?」
 ミーミルはシグの綿毛頭をくしゃくしゃに撫でながら、にっこりと笑いました。
 ジークフリード王子も応えてにっこり笑いました。
「ええ。アナ姫はマニ子爵の婚礼に招待されたんです」
「ああ、あの変わり者のヴァイオリン弾き?」
 シグが団栗クッキーをほおばりながら言います。
 王様のはとこに当たるマニ子爵は、確かに変わった人でした。芸術をこよなく愛しておられ、そのためそれ以外の事柄には全く興味を示されないのです。
「そう、そのマニ子爵さ。本人は『私は貴族ではなく芸術家だ』と称しておられるけれど」
 王子は苦笑いしながら続けます。
「その結婚式には『芸術家』しか招待されなかった。僕も父上も、残念ながら子爵のお眼鏡には叶わなかったよ。ところがアナ姫は招待された……。姫は相当の腕前のピアニストだからね」

 結婚式は盛大に執り行われました。
 会場には芸術的な装飾が施され、芸術的な音楽が流れ、芸術的な料理が振る舞われました。
(招かれなかった芸術家以外の者達はこのパーティの事を「散らかった部屋でうるさく騒ぎ食べ散らかすだけの乱痴気騒ぎ」と思っているようですが)
 この席でアナ姫様は皆の喝采を受けました。
 いえ、始めから拍手を持って迎えられたわけではありません。なにしろ姫は最初ご機嫌が悪かったようで、ずっとお酒ばかり呑んでおられました。
 宴もたけなわの頃、誰かが姫にピアノを弾いてくれるよう頼みました。
 お酒をしたたかに呑んだ姫は、酔っぱらった千鳥足で金ぴかのピアノに張り付きました。
 楽譜なんかありません。姫は指先が赤ワイン色に変じた手袋の手を、バンと鍵盤の上に叩き付けました。
 そのあとも、姫は髪も衣服も振り乱し、鍵盤を出鱈目に叩き続けました。その激しい姿、激しい節が、満座の「芸術家」達の胸を大いに打ったそうです。
 長い一曲を弾き上げたアナ姫様は、眉根を寄せて、眉間に深いシワを刻んで、真っ青な顔で席に戻ろうとしました。
 ところが感激した聴衆は姫様を新郎新婦よりも高い席に導いたのです。
 そして大きな拍手の中、立派ないすに座らされたアナ姫様は、そのまま椅子ごとばったりと真後ろに倒れ込んだのでした。

「お城に戻ってきたとき、姫のドレスにはたくさんの花が縫いつけられていました。……こぼれたお酒やソースの染みを隠すためにね」
「なかなかに、芸術的な粗隠しだこと」
 ミーミルが実に楽しそうに笑いましたので、王子はびっくりしました。師はきっときっと鼻で笑うだろうと思っていたからです。
 正直に申しますと、ジークフリード王子はアナ姫様が嫌いなのです。
 確かに美しい方です。とても賢い方です。ダンスが上手で、ピアノの名手で、ドレスの見立てもセンスの良い方です。
 でも、好きになれないのです。その理由の解らないことが一番困るのですが、兎も角、ダメなものはダメなのです。
 自分の嫌いな人を、自分の好きな人が好きになるとは思えませんから、王子はミーミルもアナ姫様を嫌いなのだと思いこんでおりました。
(ミーミルの弟子である親友のシグルトも、どうやらアナ姫様のことを得意としていないようでしたから、なおさらです)
 それなのに、賞賛されて帰ってきたアナ姫様のことを、偉大な賢者は決して悪し様に言わないのです。
「どうしてですか……」
 と、王子が聞きかけたときです。木のドアの向こうで、がたがたと音がしました。
 赤いローブの賢者は、ドアににんまりとした笑顔を向けました。
「一歩後ろに下がってください。でないとそのお美しい鼻が曲がってしまいますよ」
 ミーミルは自分の言葉が終わる前に、その古ぼけたドアを指さしました。指の先からほんわかした光が飛び出して、ドアノブの中に消えました。
 バン、とドアが開き、その直後、ガンという大きな音がしました。
 開いたドアの向こうには、確かに誰かがいるらしいのですが、その「誰か」は番小屋に入ってこようとはしませんでした。
 業を煮やしたのか、あるいは最初から予想していたのか、ミーミルはにこにこ笑いながら呼びかけます。
「アナ様ご遠慮は要りません、お入り下さい。……もっとも、姫様には我が家はむさ苦し過ぎましょうから、お入りになられたくないと申されるなら、それはそれで一向に構いませぬが」
 それでもしばらく「誰か」は動こうとしませんでした。それでも5分も経つと、小屋の中の6つの目が全部自分に向けられているのに耐えられなくなりました。
 真っ赤に腫れた鼻の頭をレースのハンカチで押さえて、ドアの内側に立たれたのです。
「どうぞ、姫様。タンポポのコーヒーと団栗の菓子がお嫌いでなければ……」
 ミーミルがにっこりと笑いかけましたが、アナ姫様は、
「要らないわ!」
と冷たく言って、顔を背けました。
「そうですか」
 ミーミルは相変わらずにっこり笑ったまま、準備しかけたティカップを片づけました。
「ウイザード・ミーミル! 話があります!」
 金切り声をあげると、アナ姫様は、眉毛を逆さ八の字にしました。
「はい、どうぞ」
 手を休め、アナ姫様の方に振り返ったミーミルは、まだまだにこにこしています。
「呼んでも来ないから私が自ら来てやったのよ。さあ今すぐ夢判断をなさい!」
「夢判断なら過日このシグルトが行ったはずですが?」
「それはそれ。これはこれ。新しい夢判断をなさい。……それとも、弟子にできたことが師匠にはできないとでも?」
 アナ姫様はミーミルのちょっと困ったような顔をにらみ付けました。
 ちょっと肩をすぼめたミーミルですが、
「新たに夢を見られ、それについて断ぜよと仰るのなら」
と答え、アナ姫様を真っ直ぐ見つめました。
 アナ姫様は薄い唇の両端を、キュッと上に引っ張り上げて言いました。
「人形の夢よ! 白い、紙を切っただけの! 誰にも読めない字が書いてある!」
『この間とまるきり同じじゃないか』
 シグルトとジークフリード王子は、お互いの顔を見ながら、殆ど同時に殆ど同じ事を考えていました。
『お師匠様は何と言うだろう?』
 4つの瞳が、ウイザード・ミーミルに移りました。
 少年達の師匠は、ついに笑顔を隠しました。
「お気を付けなさいませ。決して船には乗られませぬように。落ちて流され怪我をなさるやも知れませぬゆえ」
 ミーミルは真っ直ぐにアナ姫様の目を見、落ち着いた、少々暗い声音で言ったのでした。

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