小懸 ―真田源三郎の休日―

この物語はフィクションです。

登場する人物・団体・地名などは、歴史上のそれらとは別物と思ってご覧下さいますよう、お願い申し上げます。

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1011(完結)

連載開始:2011/05/11~
最終更新日:2012/10/21(完結)

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あらすじ

以下の「あらすじ」には物語の核心部分を含みます。
 天正10年(1582年)春――。
 武田家が滅んで、遺臣達が身の置き所を捜している中、真田家は織田に従属する道を選び、関東守護となった滝川一益の配下となった。
 一益主催の茶会に招かれた真田家当主・昌幸とその嫡男・源三郎信幸は、その席での振る舞いから滝川家の面々に気に入られる。
 特に源三郎を気に入ったのが、前田宗兵衛利貞、通称・慶次郎であった。
 昌幸は織田家従属の証人(人質)として次男・源二郎を木曽へ送り、末娘・照を厩橋の一益の元へ置く。そして自身は旧領の砥石城へ、源三郎は信濃と上野の国境にある岩櫃城へと入る。
 昌幸は砥石城に座したまま、ノノウ(歩き巫女)の情報網を使って世の趨勢を探っていた。
 天正十年の夏。
 照姫と一益の嫡孫・一積かずあつとの縁談が持ち上がったり、源三郎が慶次郎に厩での酒宴に招かれたりと、平穏な時が流れていた。
 しかし「本能寺の変」の発生で、事態は急変する。
 織田信長の気に入りであった森長可が、任地松代を「脱出」する途中立ち寄った木曽福島城で一騒動を起こしている間に、源二郎は木曽を脱出。
 父昌幸から、上州と信州の国境である北国街道碓氷峠へ向かうように命ぜられた源三郎は、事態が切迫していると判断。
 飄乎として忍者を自称する出浦盛清と、配下のノノウ・垂氷つららに、厩橋城に人質として留め置かれている妹・照の救出を託し、自らは乳兄弟の祢津幸直らを引き連れ、農民に偽装して碓氷峠へ向かった。
 
 これは、真田信幸による「慌ただしき十六歳の夏」の回述である。
登場人物

真田源三郎信幸
永禄9年(1566年)生まれ。
信州の豪族「真田」の頭領・昌幸の嫡男。
幼年期は武田家に人質として預けられ、上野国で過ごす。
武田勝頼の嫡男・武田信勝と同時に元服。
武田家滅亡後は織田家に従属した父に従い、滝川一益の旗下となり、信濃と上野の境近くにある山城・岩櫃城に入る。
母(山之手殿)の縁者からもらった横笛を大切にしている。
背が高いが、それをある種「劣等感《コンプレックス》」としている。
この物語の語り手。

前田宗兵衛利貞
天文10年(1541年)?生まれ。
織田家家臣。滝川一益の一族衆、且つ、前田利家の「義理の甥」。
実父は滝川一益の甥(あるいは従兄弟)の滝川益氏。養父は前田利家の長兄である前田利久。
一流の武人であり、一流の文人でありながら、一流の悪戯者。
体つきは大柄。
年齢は40代だが、大変若々しく(ある意味で子供っぽく)見える。
源三郎を妙に気に入っている。

真田昌幸
天文16年(1547年)生まれ。
源三郎の父。前名は武藤喜兵衛。幼名は源五郎。
信濃の小豪族・真田家の頭領。
父の代から武田家に仕えていたが、その滅亡後、織田家に従属。
体つきは小柄。その風貌は、まだ30代後半であるにも関わらず老成している。
滝川一益にいたく気に入られている様子。
大層な音痴(音程調整の出来ないタイプの「調子外れ」)。
這い寄る混沌。

真田源二郎
永禄10年(1567年)?生まれ。
源三郎の同腹で年子の弟。(諸説有り)
初名を弁丸。元服後の名は信繁。後の世では幸村と呼ばれる……のだが、武田の滅亡などの煽りを食って、天正10年(1582年)現在まだ正式には元服せず。
体が小さく、父親似の風貌をしている。
織田家従属の証人(人質)として、木曾義昌の元(木曽福島城)へ行くことになった。
実は読書家。

真田照
真田昌幸の五女。源三郎の異腹の妹で、昌幸のお気に入りの娘。
羽柴秀吉配下で石田三成の義弟・宇多頼次との縁談が進んでいる。
織田家従属の証人(人質)として、滝川一益の元(厩橋城)へ行くことになった。
※ちなみに昌幸の正室・山手殿には宇多頼次の伯父である宇多頼忠(元は信濃国守護・小笠原氏の家臣)の娘という説がある。(諸説有)
 また、石田三成の正室(三成から「うた」と呼ばれていた)も宇多頼忠の娘とされる。
 つまり、三成の昌幸は義兄弟という関係にある。
※昌幸五女は「於菊姫」というお名前ですが、この物語では「於照姫」とさせていただいております。

望月千代女
甲賀流忍者上忍「甲賀望月氏」の出身の女忍者・くノー。
望月氏本家当主・望月盛時に嫁した。
盛時死後、ノノウ、信濃巫女などと呼ばれる歩き巫女の頭領となる。
武田家の庇護の元、ノノウを使っての諜報活動を行っていた。
武田家滅亡後、真田と手を組む。

垂氷つらら
13,4歳とおぼしきノノウの娘。
源三郎は、武家の出身と見ている。
自称・千代女の秘蔵っ子。
昌幸と千代女の命令で「源三郎の武運長久を祈祷するため」岩櫃城に入る。
健脚を生かして他のノノウや草(忍者)などとの繋ぎ役をつとめる。
若干腐女子気味。

矢沢右馬助頼綱
薩摩守と称する。
昌幸の叔父(父の弟)、源三郎の大叔父にあたる。
老いてなお盛んな猛将。柄物は長槍「小松明」。
滝川益氏の与力として沼田に入る。

矢沢三十郎頼康
頼綱の嫡子。昌幸の従兄で、源三郎にとっては従兄伯父いとこおじにあたる。
一見すると線の細い優男だが、じつは父に似た豪の者。柄物は三尺三寸五分の野太刀。
木曾義昌の証人となった源二郎に従って、木曽へ赴く。

出浦対馬守盛清
もとは北信濃の豪族で、信濃の支配が武田家であった頃はその配下に入っていた。
武田滅亡後は織田に従属し、森長可旗下に。

禰津(祢津)幸直
通称名(?)式部。後に助右衛門尉、志摩守と称する。
真田信幸の乳兄弟。矢沢頼綱配下。後年、矢沢頼康の娘を妻としたので、信幸にとっては「義理の又従兄弟」でもある。
滅多に我が侭を言わない信幸の、滅多に言わない我が侭の最大の犠牲者。

織田上総介信長
天文3年(1534年)生まれ。数えて49歳。
第六天魔王を自称する、戦国の覇者。
宿敵であった武田を滅亡させ、その支配地を関東まで広げる。
武田討伐後、関東・信濃の運営を家臣達に任せ、本領である安土に戻る。
中国討伐に出ている羽柴秀吉から援軍要請を受けると、惟任光秀に出兵を命じた。

滝川左近将監一益
大永5年(1525年)生まれ。
織田信長の寵臣。「先陣も殿軍も一益」と称されるほどの猛将で、鉄砲の達人。
武田家滅亡後、その支配地であった上州を領すこととなり、厩橋城に入る。
昌幸を気に入り、「鉄兵衛」というあだ名を付ける。

滝川儀太夫益氏
大永7年(1527年)生まれ。
滝川一門の武将。一益の甥、あるいは従兄弟とされている。
前田利貞の実父。(利貞の実父とされる人物には諸説あり)
武田家滅亡後、沼田城に入る。

滝川三九郎一積
滝川一益の長男一忠の嫡男。

木曾伊予守義昌
天文9年(1540年)生まれ。
南信濃の豪族。居城は木曽福島城。
武田信玄の娘・真理姫を正室に迎えることによって、武田家の一族衆となる。
信玄の死後、武田勝頼に反旗を翻して織田信長に付く。
この時、証人に取られていた母親と子供たちを処刑されている。

森武蔵守長可
永禄元年(1558年)生まれ。
織田信長の寵臣。
苛烈な武者振りから「鬼武蔵」と呼ばれ、畏れられている。
武田滅亡後は北信濃を領することとなり、海津城(後の松代城)を居城とする。
成利(蘭丸)、長隆(坊丸)、長氏(力丸)、忠政(千丸)、という弟がいる。

北条氏政
天文7年(1538年)生まれ。
後北条氏当主。正室は武田信玄の娘・黄梅院。
当初武田家とは同盟しており、信玄存命中は両家の関係は良好であった。
しかしその死後、織田信長が武田領攻略に乗り出すと、これに呼応して武田領に侵攻。
武田家滅亡に多大な影響力を及ぼすものの、これに対する織田からの報奨が無いに等しく、不満を抱えている。

徳川三河守家康
天文11年(1543年)生まれ。
三河の豪族・松平氏の出身。(良く調べたら、天正10年あたりの官位は「右近衛少将」だったんらしいですが、とりあえず「三河殿」で統一します)
織田信長と同盟を結んで(事実上は客将として仕えて)おり、「共同」で武田攻めを行う。
武田の親族衆であった穴山信君を調略して謀反させるなどして、武田に多大な損害を与える。
武田滅亡後、駿河国を拝領。甲斐の仕置を終えて安土城へ戻る途中の信長を駿府で接待する。
信長はこの接待の返礼として、家康と穴山信君を安土城へ呼び、京・大坂への遊山に誘った。

惟任日向守光秀
享禄元年(1528年)? あるいは永正12年(1515年)? 生まれ。(どちらにせよ、信長よりも年上)
もとは源氏の流れを組む土岐氏の一族である明智氏。通称は十兵衛。
天正3年(1575年)、朝廷より日向守の官職と惟任の氏を賜って以降、惟任日向守を名乗る。
織田信長の重臣で、主に山陰・畿内の支配を行う。
戦上手であり、また築城の名手でもある。
武田討伐後、信長に従い安土へ戻り家康を饗応。饗応役の任を解かれた後に本拠地滋賀坂本城に戻っていた。
なお、信長が付けた仇名の「キンカ頭(禿)」は光秀の漢字を分解し、秀の冠と光の足を重ねると「禿」になる、という高度で遠回しなシャレという説がある。

羽柴筑前守秀吉
天文6年(1537年)生まれ。
始めは木下姓を名乗る。
通称名は藤吉郎。仇名は猿。信長からは「禿鼠」とも呼ばれる。
織田信長の寵臣。
自出は謎に包まれているが、身一つで成り上がった、たぐいまれな才覚の持ち主。
城攻めの名手。
信長の命で中国討伐に出ているが、苦戦しているとして援軍を要請する。

石田三成
永禄3年(1560年)生まれ。
幼名は佐吉。
近江国の土豪の出身で、羽柴秀吉の子飼いの家臣。
妻は宇多頼忠の娘であり、一説に真田昌幸正室の妹とされる。
従ってその説を取れば、源三郎達にとって三成は叔父ということになる。


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