小懸 ―真田源三郎の休日―




 私は文を眺めながら、思わず肩を揺らして、しかし声に出すことはどうやら堪えて、笑っておりました。
 私の頭の奥には、初めて訪れた萬屋の座敷で、自分の家におられるかのようにくつろいで、文を書いている前田慶次郎殿の姿が浮かんでおりました。
 その傍らにいる萬屋の主が、初めてあった大柄な侍を、まるで十年前からの同居人のようにあしらっている姿も、です。
 慶次郎殿ならば初対面の相手でも気に入れば刎頸の友のように接するに違いなく、萬屋のほうも初めての客であっても「これ」と見込んだ相手なら心を開くはずだ、と思ったからです。
 それから、野山に出て何もしないことを楽しんでおられるような慶次郎殿、欲しいものを見付けて子供のように夢中で眺めている慶次郎殿の姿も、まるで現のように想像できます。
 それと、巨大な黒い馬に打ち跨った慶次郎殿が、今にも庭先にひょっこりと現れる、その光景も、ありありと見える気がしました。
 私は今すぐに筆を取り
『いつ何時でもお越し下さい。門は開け放ち、戸も鍵を開けてお待ちしております』
 と書きたい気分でした。
 その文が先方に届けば、おそらく慶次郎殿は本当に夜半の山道に馬を走らせて、岩櫃のこの山城を訪れてくれることでしょう。
 私はその様子を想像し、楽しさのあまり身震いしました。
 その楽しさを押さえ込むのには大層苦労しました。
 そこへ垂氷は
「御返書は? 若様がお望みでありましたら、今日の内に先方へお届けいたしますよ。わたしは歩くのが得意ですから」
 自信ありげに微笑してみせたのです。私は何故か泣きたい気分になりました。
「その日書いた文の返書がその日の内に届いたら、どうなると、垂氷は思う?」
 こう尋ねると、垂氷は瞬きをしながら小首を傾げました。
 どうやら、自慢の健脚が己自身にとっては当たり前に過ぎるので、その速さが尋常ではない事柄で、ともすれば怪しまれるやも知れぬ代物であることに、思い至らない様子です。
「最初の手紙を持って出た者も、返書を携えて戻ってきた者も、普通の人ではないと思われるぞ」
 私がそう言っても、まだ理解が出来ていない様子でした。
「萬屋には普通でない者が出入りしているとか、その萬屋が真田贔屓だとか、萬屋の主人は店に出入りしているノノウや商人や百姓の格好をした者たちが『草』であることを承知しているだとか、承知しながらそれを滝川様に報告していないとか、そういうことが滝川様のご一門に知れても良いか?」
「そうなるとどうなりますか?」
「こうなる」
 私は自分の首に手刀を当てました。
 垂氷の顔が、僅かに強張った様に見えました。私は薄く笑い、言葉を続けました。
「なにしろ私たちは織田様の家臣になったばかりだ。良い家臣でなければならない。上役に隠し事をすることなどないような、ちゃんとした家来でないとな。でないと私たちだけでなく、お前達ノノウも、それから萬屋も、萬屋に出入りしている者達も全部コレだ」
 私が再び手刀を首元に打ち付けて見せますと、垂氷は首を横に振りました。
「それは困ります。若様はともかくも、千代女様の首が飛んでは、困ります」
 これを真面目な顔で言うのですから参ったものです。
「お前、私を主とも雇い主とも思うておらぬな」
 私は苦笑いするより他にありませんでした。
 結局、私が返書をしたためたのは翌日の昼過ぎで、それを垂氷ではない、繋ぎ役のノノウに託して、萬屋へ届けさせました。
 そして萬屋の者がその又翌日に慶次郎殿の元へ届けてくれるように、と言づてました。
 一瞬、直接前田邸へ届ようとも考えたのです。間に何人もの人手を挟むのがもどかしくてなりませんでした。
 しかし、私の小さい肝がそれを押しとどめさせました。
 私が垂氷に言ったことは、全部私の本心です。
 武田家がノノウを庇護し、彼女らが「信心」を理由に自由に諸国を巡ることが許されていることを利用して「草」として利用していたそのことを、織田様や滝川様、そしてその将である前田慶次郎殿が全く知らぬとは考えられません。
 ノノウの統帥たる千代女殿の婚家「甲賀望月氏」は、甲賀忍びの流れを引いています。
 そして滝川様ご一門は甲賀発祥だと云います。
 同じ源流を持つ者として、武田の庇護を失った千代女殿達の動向を探っていても、不思議でありますまい。
 彼女たちの「網」は有益なモノです。手に入れたいと思うのが当然でしょう。
 そうであれば――あるいはそうでなかったとしても――父がノノウ達のことを秘匿していることが知れたなら、真田の家にどのような御仕置きがなされるか、考えただけでも小便が漏れそうなほど強烈な震えが来ます。
 ですから、出来るだけ「普通の文のやりとり」に近い速さで事を進めたかったのです。
 私は、友との手紙のやりとりまで心の侭にすることが許せないほどの小心者の己自身が、情けなくてなりませんでした。
 私がため息を吐いている所へ、垂氷が興味津津といった顔つきで、
「それで、その『慶』様には、どのような文を送られたのですか?」
「なんだ、覗き見たのではないのか?」
 封印をしたわけではない、しかも私信でありましたが、垂氷のような「優秀な草」であれば、主人……この「優秀な娘」が私のことをそう思っていてくれるかどうかは別として……と誰がしかが交わした文の内容を確認するのが当然なのではないか――と、私は考えていました。
 ですから垂氷が首を横に振ったことは意外でした。
「見なかったと言うことは、見る必要を感じなかったということだろう? それでいて、内容をお前に言う必要があるというなら、理由を申せ」
 垂氷は笑って、
「文を見なかったのは、火急の用件ではなかったからです。急ぐことであるならば、わたしも文の内容を直ぐに知っているべきで御座いましょうが、そうでないなら後から聞いても間に合いましょう」
「では、もしアレを早馬ででも出していたなら、当然封を開けてじっくり見た、ということか」
「あい」
 垂氷には悪びれた様子など微塵もありませんでしたが、ニコニコとしていた頬の肉を、きゅっと引き締めると、
「で、でございます。よしんば、万一、もしかして、それこそ火急の用件で、件の『慶』の所へ若様の筆跡を真似た贋の文を、わたしが書かなければならなくなったときに、それまでのやりとりが判っておりませんでしたら、辻褄の合わないことを書くやも知れません。ええ、つまり用心のためです。そう、用心の」
 真面目振った顔で言いました。
 一応理に適ってはいます。ですが私にはどうしてもこの娘の目の奥に、仕事への責任感以外の光が見える気がしてなりませんでした。
「さて、先方に贋手紙を渡さねばならないような事が起きなければよいが。なにしろ私は友を作るのが下手だ。せっかく先方から友人扱いしてくれたその人との縁を失うのは嫌だな」
「お任せ下さいませ。垂氷めは持てる力総てを注いで、迫真の贋手紙を書きまする。決して若様と『慶』様との仲が壊れるような事にはさせませぬ」
 この時、この娘には皮肉であるとか湾曲した物言いであるとかいうモノが真っ直ぐには通用しないらしいと気付きました。
 私は贋手紙など出されては困ると遠回しに言ったつもりなのですが、私などが予想できないような返答が、想像していない斜め上の方角から返って来てしまいました。
『まあ、それだけ自分の「草」としての能力に自身があるのだ、と言うことにしておくか』
 私は苦笑しながら腹の奥でため息を吐きました。
「どうあっても、文の中身を知りたいか?」
「あい」
 垂氷の目玉が爛爛と輝きました。
「お前の期待しておるようなことは書かなんだよ。ありきたりな文だ、ありきたりな……」
 私は短い文の内容を殆どそのまま言って聞かせました。

 過日の身に余る送別の茶会の御礼を、今日まで申し上げておりませんなんだ事を、どうかお許し願います。
 今私は切り立った山の上で、日がな一日書物に当たる退屈な日々を送っております。
 と申しましても、この山城の蔵の中には米と味噌と柴以外の物はそれほど多くは入っておりません。遠くない日に読む書物もなくなってしまうのではないかと案じておりましたところへ、先の文を頂戴し、涙を流して喜んでおります。
 何れ近い日に件の馬にて山駆けをなさることでありましょうが、この山家にて精一杯のおもてなしをする所存で御座います。
 
 聞き終わった垂氷の目は、針のように細くなっておりました。
「若様のお腹の黒いこと」
「そうかな」
「そうで御座いますよ。『何もない』と言っておきながら、籠城するに十分な兵糧や、夜襲や火攻めのために要り用な柴がたんと備えてあると言っている。そういったことは普通は秘密にしておきたいことなのに、それをことをポロリと零したフリをして、相手を牽制なさっておられる」
 垂氷は細く閉じた瞼の奥から、私に向けて心の臓をえぐるような尖った眼差しを送っていました。
 私は首を振り、笑いました。
「考えすぎだ。私はそこまで策を弄することができるような小利口者ではない」
 この時の己の顔を、己自身の目で見ることは出来ませんでした。
 ただ、想像は容易に出来ます。
 恐らくは垂氷の言ったとおり、腹の黒い笑顔だったことでしょう。

 時というものは忙しいときほど速く過ぎてゆくものです。
 卯月(四月)の末には、異母妹いもうとの於照が厩橋へ向かってゆきました。
 厩橋の人質屋敷が完成したから……という「催促」が滝川一益様直筆の文を持った御使者が来たのでは、流石の父も於照の引き渡しを拒むことができなくなったのです。
 於照は侍女と共侍を一人ずつ、それから琴を一張携えて、上州へ向かいました。
 木曽へ赴いた源二郎と、矢沢三十郎叔父の文が、砥石を経由して私の所へ届いたのは、皐月(五月)の初め頃だったと記憶しております。
 源二郎の文に書かれていたのは、確か次のようなことでした。
 無事に木曾殿の所へ到着した。
 木曾殿が父に「今までもこれからも『同じ主君に仕える者同士』であることは変わらぬから」と、宜しく伝えて欲しいと仰っていると言うこと。
 織田の大殿様は、木曽にはお寄りにならず、古府から駿河へ出て、東海道で早々に安土城へ戻られたこと。
 その安土では、近々、武田討伐において多大な力を貸してくれた徳川蔵人佐くらんどのすけ家康殿をもてなす宴を開かれるらしいこと。
 云々。
 文末には「他にも色々書きたいことがあるのですが、使者の方がお急ぎのようなので、詳しく書くことが出来ません。源三兄上や六左兄、矢沢の大叔父殿にくれぐれも宜しくお伝え下さいませ」などと書き添えておりました。
「しかし、父はどんな顔をしてこれを読まれたか」
 何分にも、父が嫌っているお二方の事ばかり書かれている文でした。殊更、木曾殿からの言づてなどは心中苦々しげにお読みになったかもしれません。
 ただし、顔色は平静と少しも変わらなかったことでしょう。あるいは薄すらにお笑いになっていたかも知れません。
 三十郎殿からの文は、砥石から木曽への道すがらを短くまとめた旅日記のような物でした。
 もしこの後に私が彼の地に向かうようなときが来たなら、見物して回るのにたいそう役に立つに違いない、と思えるものでした。
 私は文を読み終えると、自分の文……いいえ、何ことはない、只の時節の挨拶です……を添えて沼田の頼綱大叔父へ送りました。
 皐月の間中、私は毎日岩櫃の崖の上に立って、厩橋の方角を眺めておりました。
 その方角から文をが来るのを待っていたのです。
 前田慶次郎殿からの文です。
 最初の突然に送られてきたものから先、皐月の間は一通の便りもありません。このことが寂しく思えてなりませんでした。
「私が送った返事が気にくわなかったかな」
 誰に言うでもなく、ぽつりと口にしたその後で、『しまった』と心中舌打ちをしました。
 間の悪いことに、部屋に垂氷がいたのです。
「だからといって、失敗を取り繕うような文を送ってはなりませんよ。しつこい男は嫌われます。とは申しましても、少しも文を送らぬのでは、先方がこちらを忘れてしまいますが。げに恋文は難しゅうございますれば」
 垂氷ときたら、さても楽しげにニコニコと笑って申すのです。
 この娘は、どうあっても私と慶次郎殿の関わり合いを「念友」であることにしたいようでした。
 男同士の友情の尤も強く固い繋がりが衆道の間柄だ、という方々もおいでです。そういう方々から見たなら、私と慶次郎殿は真の友ではないと言うことになるのやも知れません。
 そう考える方々のお考えはごもっともでありましょうが、私の考えはは違うのです。
 友には、肌の触れ合いどころか、言葉の交わし合いすら無用である。
 ただ、何処かの空の下に、互いを友と思い合っている者がいる、そう思うことこそが必要であり、その事実が一番大切なことなのではないか。
 私がそういったことを言いますと、垂氷は急に笑顔を引きました。
「そうお想いならば、返事が返ってこないからと言って、焦れたりなさらなくても宜しい。若様が彼の方を友とお思いならば、ただひたすらに厩橋の空の下におられる方のことを思って差し上げなさいませ」
 真正面の正論が返ってきました。
 このような大上段の攻めを受けた時、私のような小心者に、
「まあ、確かに、その通り、だ、な」
 と口ごもるより他に手立てがあるでしょうか。
 その様子を見た垂氷は、どうやら私が、
『生まれ故郷から引き離され、このような山奥の断崖の上に押し込められたために、懐かしい空の下にいる人々のことを思い出しては、酷く落ち込んでいる』
 のだと思ったようです。本当のところは判りませんが、恐らくそうだったでしょう。
「若様、わたしはノノウでございますよ。他人様ひとさまの悩み事を聞いて、それの助けになるようなことを言って差し上げるのが、わたしの仕事でございますから、何ぞ心に架かることがございましたなら、何なりとお申し付け下さいませ」
 この時、胸の前で手を合わせ瞑目して言う垂氷が、白衣観音菩薩の化身のように見えたのは、今から考えますれば、実際私の心が重く塞いでいたからやもしれません。

 沼田の矢沢頼綱大叔父が岩櫃に来られたのは、皐月(五月)も末のことだったと記憶しています。
 その日私は、運良く……いや運悪しく、やもしれません……出城の「天狗丸」におりました。天狗丸は岩櫃の本丸の北東にあり、普段は兵や草達が詰めている場所です。出城の南側の山下には街道が通っております。
 その道を、三騎の騎馬が疾駆してこちらへ向かって来るのが見えたのです。
 街道の見張番をしていた目の良い者が、少々困ったような顔をして、
「沼田の矢沢様です」
 と報告してくれました。
 大叔父本人がわざわざ出向いてくるとは、余程のことに違いありません。張番が困惑顔をしたのも、そのためでしょう。
 確かに先頭の馬には、大層不機嫌な顔をした矢沢頼綱の姿がありました。
 大叔父は私の姿を見付けると、下馬しながら、
「丁度良い。砥石だ。急ぐ。換え馬」
 必要最低限の言葉だけを発しました。
 沼田から駆けに駆けて来たと見えて、さしもの大叔父も、肩を大きく揺すって荒い息を吐いておりました。差し出された水をゆっくりと飲み干すと、大叔父は私の首根を掴んで、
「大事だ」
 引かれてきた馬の一頭に、私をほとんど無理矢理に乗せたのです。さながら、荷物を載せるように、強引に、です。
 私は大いに慌てました。大叔父が、私がまだ鞍に尻を乗せきらぬうちに、私の乗った馬の尻に向けて鞭を振り上げたのが見えたのです。
 危ういところで私の馬が切り立った山道で奔走せずに済んだのは、大叔父の前に馬が引かれてきたためでした。矢沢の大叔父が私を蹴り出すよりもご自分が馬に乗ることを優先した御蔭で、私は危うく寿命が縮むような想いをせずに済んだのです。
 無言で馬に跨る大叔父に、
「いったい何のご用件ですか?」
 と問うてみました。
 返事は簡潔なものでした。
「火急だ」
 それだけ言うと、馬は猛烈な勢いで駆け出ました。そのまま、後ろを振り返ることもなく、砥石目指して真っ直ぐに駆けていったのです。
 大叔父が行ってしまった頃、沼田から引き連れてきた家臣達は、ようやく馬から滑り落ちるように下りました。
 察するに、余程に苛烈な強行軍であったのでしょう。この者達は地面にへたり込んでしまい、換え馬が用意されても乗り換えることが困難でした。
 私は、
「二人ほど参れ。馬の巧い者なら誰でも良い」
 と怒鳴るように命じて、馬を走らせようとしました。
 そこへ垂氷が飛び出してきたのです。結び文を頭上に掲げておりました。
「若様、砥石の殿様より文が……」
 私は文を受け取るのがもどかしく思えました。大叔父が遙か先を駆けているのです。
「読め」
 垂氷は一瞬驚いたように目を見開きましたが、直ぐに薄い紙を広げ、見開いた目玉をその中へ落としました。そして一言、
「火急」
 とだけ申しました。
「全く、我が一族は性急せっかちな者ばかりだ」
 私は大息を吐きました。しかし、私もその一族の端くれです。垂氷が何か言おうとしているのに構わずに、馬腹を蹴ったのです。

 砥石に着くと、父はいつもの渋皮顔を崩さずに我らを迎えました。ただ、私と大叔父一緒にいることには少々驚いた様子でした。
「叔父御は……儂が呼んだから来た、と言うのではなさそうだな」
「使者なら岩櫃ですれ違うたわい」
 矢沢の大叔父はドカリと座ると、長大息して、
「滝川彦右衛門から厄介ごとを頼まれてな」
 父がきな臭気な顔をしました。
 滝川彦右衛門、即ち滝川一益様は、我らから見れば上官です。必要であれば命令を下す筈です。ところが
「滝川殿が、頼む、とな?」
 父も私も不可解に感じ、二人して大叔父の顔を見つめたのです。
「それがあの男の面白いところぞ。それに相当に面倒なところでもある。こういったことは、むしろ命令であった方が、ずっと気が楽なのだがな」
 大叔父は何やら歯切れ悪く言いました。しかも、歯切れの悪い上に肝心なことは一言も言いません。
 父は珍しく苛ついた様子で、眉根を寄せて、
「で?」
 と催促をました。
 大叔父はもう一度息を吐いてから、
「照を、嫁に、欲しい、と」
「何と!?」
 父と私は、異口同音に声を上げました。
「誰を誰の嫁に、だと?」
 父は脇息を跳ね飛ばし、身を乗り出しました。大叔父はきわめて冷静な口ぶりで、
「お主の娘の於照を、滝川殿のご嫡男一時かずとき殿の長子の三九郎さんくろう一積かずあつ殿の嫁にしたい、と」
 私はこの時、生まれて初めて、そしてこの後の生涯に二度と見ないものを見たのです。
 目を見開いて、口をぽかりと開けたまま、声も出せずに、へたり込むように座って、ただ肩を振るわせるばかりの、真田昌幸です。
 と言っても、その阿呆面を我々に曝していたのは、どれ程の間もありませんでした。
「源五郎にも驚くことがあると見ゆるわ」
 大叔父に幼名で呼ばれた上、部屋どころか城中が揺れるのではないかと思えるほどの勢いで文字通りに破笑されると、父は途端にだらしなく落ちた下顎を上顎にぴたりと填め込むと、目を針のように細くして、いつも通りの渋皮面に戻してしまいました。
 そして、私ならきっとするであろう、己の瞬時の痴態を取り繕ったりするようなこともせず、
「さて、考え物よな」
 何事も起きなかったかのように、腕を拱いて我らの顔を見回しました。大叔父はいぶかしげに父をにらみ返して、一言、
「考えるまでもない」
 その後に何の言葉も継ぎませんでしたが、父にも私にも『喜んで承れ』の意であることが判りました。
 この頃の矢沢頼綱はすっかり滝川様贔屓になっていました。
 大叔父殿自身が武勇に優れた方であったというのが、一番の理由です。「先陣も殿軍も滝川」と称される戦上手の滝川一益様を、大層好ましく思ったのでありましょう。
 於照が三九郎殿と妻夫となったなら、当家は滝川様の御嫡男筋と血縁を結ぶことになるのです。織田の大殿様の覚えも目出度い、仮にも関東管領の、滝川家と、です。
 私も大叔父同様に滝川様が好きです。確証は持てませんが、恐らく父もそうでしょう。
 ですが父は、見るからにこの縁談に前向きではありません。
 それは、男親としての歪んだ情のために、可愛い於照を嫁がせたくないだけ、が理由ではないようでした。
「まず、石田方に断りを入れていない」
 確かに、武田滅亡からこちら、直接石田様並びに義弟の宇多頼次様とは連絡つなぎを取っておりません。いえ、取れていない、と言い表した方がよいでしょう。
 その時、石田様御一党は主である羽柴筑前様と共に、遠く備中国におられたからです。
 滝川左近将監一益様に「武田征伐」を命じた織田の大殿様は、殆ど同時期に、羽柴筑前守秀吉様に「毛利討伐」をお命じになっていました。石田様宇多様はこの遠征に付き従って行かれたのです。
「主は滝川殿と小猿の尻の下の小童とを天秤にかけて、釣り合うと思うておるのかや?」
 大叔父の言葉には憤りと疑念が多分に含まれておりました。
 滝川様は織田家の直臣。羽柴様御配下である宇多様は陪臣というお立場になります。当たり前に考えれば、天秤棒は滝川様の方に傾くこととなりましょう。
「まあ、釣り合うまいな」
「ならば答えは一つであろう」
 大叔父が膝を進めると、父は腕組みのまま、右の一の腕だけを持ち上げで、顎の辺りをぞろりと撫でました。
「さて、釣り合いはせぬのは確かだが……」
 父が薄く笑いました。
 大叔父は……そして私も……怪訝顔で真田昌幸を見ました。次の言葉を待つその僅かな時間が、随分と長く思えたものです。
 やがて大叔父殿は焦れて、
「主は何を考えておる?」
 少々強めに問いました。途端、父の面から薄笑いが消えました。
「傾く側が決まり切っているとは、どうやら限らない様子でな」
「何のことだ?」
惟任これとう日向守のことよ」
「惟任?」
 眉間の皺を深くしした大叔父は、疑問の色濃い視線を、何故か私の側へ向けました。
 私が記憶の糸をどうにかたぐり寄せて、
「あ、織田様ご家中の明智十兵衛光秀様です。随分以前に惟任のかばねと日向守の御官職と御官位を……たしか従五位の下だったかを、賜られたので」
 申し上げますと、大叔父は、
「そんな奴は知らん」
 不機嫌そうに言い捨て、直ぐに視線を父に戻しました。
「それで、そのキンカン頭がどうしたと?」
 私は「惟任様の仇名まで知っておられるではないか」と言いたいのをどうにか堪えて、大叔父殿同様に父の顔を見つめました。
「中国討伐の後詰を口実に、兵を集めている」
「口実? 中国討伐は大殿のご命令であろうに」
「羽柴の猿殿が三万の兵を率いて行ったそうだが、苦戦しているという話は聞こえてこぬ。幾ら相手が戦上手の毛利とは言え、猿殿が援軍を本心欲しがっているとは思えぬな。まあ、今からでも叔父御が槍をひっさげて毛利に荷担なさると言うならば、倍の援軍を貰っても足らぬだろうが」
「面白くもない冗談だ」
 そう言いながらも、大叔父殿はニンマリと笑っておいででした。
 私は笑う気にはなりませんでした。何やらどす黒い澱のような物が、腹の奥に淀み溜まっている、そんな心持ちになってきたからです。
「父上、つまりはどういうことでありましょうか?」
 何も判らぬような口ぶりで、尋ねてみました。
 父は答えてくれませんでした。それが答えでした。
 父が無言でいるということは、私が「惟任日向様と羽柴筑前様が、何か『良くない事』を起こそうとしている」と考えたそのことと同じ、あるいはそれ以上に大きな何かがおきるだろうと、父も考えているに違いないのです。
 しばしの沈黙の後、父は天井を見上げて、
「出来るだけ幸せになれる方に嫁がせたいからな」
 ぼそりと言ったものでした。
 私も大叔父も、暫くは口が利けませんでした。
 織田様ご家中で実力者である惟任様と羽柴様が何か「事」を起こせば、例えその「事」自体は小さいものであったとしても、ご家中に大波として波及するに違いありません。
 あるいはその「事」が「大事」であったなら、波の大きさがどれ程になるのか。
 我らはその波に如何に堪え、如何に乗り越えればよいのか。
 考えるだけで恐ろしくなります。
 ええ、そうです。その時の我ら三名にとって、その波に押し流され、家名が潰えてしまう可能性などは慮外でした。
 この中の誰か、あるいは、この場にいない一族の誰かが死ぬことは有り得ても、真田の家が消えて無くなるとは考えなかったものです。
 尤も、私は死ぬが怖くてならない臆病者です。脳漿の奥の奥では、自分はどうやって生き延びてくれようかと、少しばかりは考えておりました。
 兎も角、男三人、暫し膝突き付けあって黙り込んおりました。ですがそれほど長い時間ではありません。
 何分にも、我が一族は性急な者ばかりです。
 暫くすると、三名の中で特に一番の急っ勝ちが、とうとう堪えきれなくなって、
「それで、主は何故我らを呼びつけた?」
 と唸るように言いました。
 父が僅かに――父のことを良く知らぬ者ならそうと気付かぬほどの小さな――苦笑を口端に浮かべて、発言の主、すなわち矢沢頼綱を見やって、
「滝川方の様子を良く見聞していただきたい。どうやら叔父御も源三も、滝川様御一族、殊更、義太夫殿親子に気に入られているようであるから」
 大叔父が砥石まで出向くことを、沼田城代の滝川義太夫益氏様がお許しになったということは、益氏様が大叔父を信頼していると言うことの証でありましょう。
 そして、私のことを「友」と呼んでくださった前田慶次郎殿の実の父親は、益氏殿でした。
 ――益氏殿のお歳を考えますと、慶次郎殿は益氏殿が随分とお若い時分に生まれたお子と見えます。
「気に入られているという点では、主が一番であろうがな」
 大叔父殿はそう言って笑いました。
 滝川一益様に気に入られ、信頼されているからこそ、父は本領安堵された上に砥石に住むことが許されているのです。
「あの仁は、実に面白い。実に珍しい生き物だ」
 父も笑っていました。
 これを聞いた大叔父は、
「何を抜かす。向こうもお主をそう思うておろうよ」
 大笑しました。
 一頻りお笑いになると、大叔父はは急にお顔の色を険しくなさいました。
「儂は人の胸の内を探ったり内密に調べたりなどというのは苦手だ。故に、義太夫殿と当たり前に付き合うことにする。当たり前に付き合うて、当たり前に知れることを知る。面白きことがあれば、主に知らせる。それで良いな?」
「構いませぬ」
 父はにこやかに答えました。
 これを聞いて大叔父は肯き、立ち上がり、そのまま出て行こうとなさりました。……が、二・三歩歩んだところでふと立ち止まり、父に背を向けたまま問いました。
「於照が事は、如何にする?」
 父の笑顔は途端に消えました。
「厄介ごとを思い出させてくれますな」
「忘れたで済む事でははないぞえ。主は正式な返答を後日送れば良かろうが、儂は帰れば直ぐに義太夫殿に復命せねばなぬでな」
 振り返りもしない大叔父の背を睨み、父は口をとがらせて言いました。
「今於照が三九郎殿に嫁せば、降将が命惜しさのために娘を贄にしたように見る者もおるだろうから、今暫くはお待ちいただきたい、と」
「ふん。で、石田の方へは?」
「この度の事により未だ家内が落ち着かぬ故、輿入れの義はお待ちいただきたい、とでも文を出す」
「そうやって天秤の傾きを見極める、か。比興ひきょうなり、比興ひきょうなり」
 大叔父はカラカラと笑い、歩幅大きく出て行かれました。
 その時私には、苦笑いして大叔父を送り出す父の目が、少しばかり曇っているように見えました。
 不安であるとか、心配であるとか、そう言った心持ちのために生じた曇りではない。何かを隠しておいでるのではないか。何か重要な事柄を、大叔父にも私にも言わずにおられるのではないか――私はそう思うて父の顔を見ておりました。
 父の目を見ることで、何かを読み取れるかも知れない、と思ってのことです。
 そのような私の浅はかな考えなど、直ぐに父に知られてしまいました。
 父は瞼を閉じてしまったのです。そうして、
源三げんざ
 低く私を呼ばわりました。
 身が縮む思いがしましたが、しかしどうやら平静を保ち、
「はい」
 と小さく返答いたしますと、父は小さな声で言いました。
「織田様の使い……いや、織田様の身辺からの正規の使いが重要な知らせを持って滝川様の元へ走り込むのと、ノノウや草達がそれを持ってここへ走り込んでくるのと、お前はどちらが速いと思う?」
 私は暫し考えました。
 父のことですから、本当にどちらが速いかを尋ねているのでは無い、というのは間違いないでしょう。私に聞くまでもなく、父の方が良く知っているはずなのです。
 ではなぜそのようなことを聞くのか。
 父の意向が図りかねました。
 となれば、正直に答えるより他に術がありましょうか。
「どちらとも申し上げかねます」
「小狡い答えだな」
「そう仰せになられましても、私には『場合によると』しか返答できませぬ」
「場合、とは?」
「使者そのものの力量です。岩櫃におります垂氷と申しますノノウの足の速さには大変驚かされました。ノノウ達がみなあれほどに足早で、しかもその網が強く強固であるのなら……当たり前の連絡つなぎであれば、ノノウ達の方が恐らく速いでしょう。されど、事の大きさによれば、正規の御使者が死に物狂いで馬を走らせましょうから」
「事の、大きさ、か」
 父は言葉の一つ一つを、それぞれ絞り出すようにして言い、瞑目したまま天を仰ぎました。
 このような勿体振った有様を見せつけられますれば、幾ら鈍い私でも、父の所に来た連絡つなぎの内容が、実は相当な「大事」であったのだろうと察することが出来ます。
 己が頼みとする叔父に総てを開かすことができず、不肖の倅にもそのまま告げることが出来ないような「大事」です。
「速く届いた知らせが、必ずしも正しい知らせとは限らないのではありますまいか?」
 そのようなことなど父は重々承知でしょう。それでも私は言わずにおれませんでした。
「正しくなければよいが、な」
 父は大きく息を吐き出すと、眼を見開き、天井を睨みました。
 私は不安に駆られました。そして何故か、このまま父を沈黙させてはならない、そんな気がしたのです。
「正しい、と、ご判断なさるに足る知らせで御座いますか?」
「むしろ、有り得ぬ知らせだな」
「ならばそれほど御懸念なさらずとも宜しいのでは?」
「ここが、な……」
 つい先ほど、顎の辺りを撫でた右手の、骨太な親指が、胸板の真ん中当たりを突き刺すようにして指し示しました。
 父の唇の端がくっと持ち上がりました。楽しげに笑っているようです。
 しかし、目は、眼は、暗い色をしておりました。
 いいえ、決して落ち沈んでいたのではありません。
 遠い暗雲の中の雷光のような、暗い、恐ろしい光を放っていたのです。
 心の大半では、大事が起きるのを楽しみに待っている。そして残った僅かなところで、平穏無事を願っている。
 人の心という物は、なんとも複雑な代物です。
 私は父の前に膝行し、その暗く光る眼を見つめ、思い切って尋ねました。
「どのような知らせで?」
「儂がこの『面白き事』を、人に開かすと思うか?」
 父は弾けるように笑いました。
「独り占めになさりまするか?」
 私が拗ねた声で重ね尋ねますと、父は笑声をぴたりと止め、
「照の嫁ぎ先を決めたなら、真っ先にお前に教える」
 渋皮を貼ったような顔で言ったものです。

 私が岩櫃に戻りますと、垂氷つららが出迎えてくれました。
 その時の私といえば、情けなくも、できれば直ぐにでも寝てしまいたいと弱気になるほどに疲れ切っておったのです。ところが、垂氷は私の都合など知らぬ顔で、
「矢沢のお年寄りは、血の氷った鬼のような方ですね」
 口を尖らせました。
「大叔父殿が、なにかなされたか?」
 垂氷の顔には、そう尋ねろ、と、書かれておりました。
「戻ってお見えになるなり、
『沼田だ。急ぐ。換え馬』
 で御座いますよ。それで、沼田からお連れになって、ここで御休息なされていたご家来衆の襟首を掴んで、まるで荷物のように無理矢理馬に乗せて……」
「先刻私にそうされたように、か?」
「はい、先刻若様にそうなされたように、です」
 私の疲れ切った脳漿でも、大叔父のなさりようが、ありありと想像できました。
「それは……可哀相に」
 呟いたその直ぐ後を追って、大きな欠伸が腹の底から湧き出て参りました。
「本当にお可哀相でしたよ。丁度お茶を点じて差し上げた所でしたのに。まだ口も付けないうちに、あの方達は、首根を掴まれて引きずって行かれて。本当に酷いお年寄りです」
 垂氷のむくれた声が、なにやら遠くにから聞こえるような気がしました。
 私は首を横にして、
「違う、あの者達ではなく、大叔父殿だ。父上から厄介ごとを頼まれて、その頼まれごとに急かされている大叔父殿が可哀相だと言ったのだ……」
 と言いました。
 いえ、正しくは「言ったつもり」でありました。
 情けないことに、首を横に振ったその途端に、耐え難い眠気に襲われて、途端、バタリとうつ伏し、そのまま夜が明けるまで、前後不覚に眠ってしまったのです。
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 六左兄
 小山田茂誠(通称:六左衛門)のこと。  源三郎、源二郎の一番上の姉・於国(後の村松殿、落飾して宝寿院)の夫。

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