序章 − 幻覚 【3】 BACK | INDEX | NEXT

2014/09/20 update
 そこは戦場だった。
 大地は赤く染まっている。
 それは倒れた兵の流す血の赤であり、若き王の軍旗の赤であった。
 立つ者は皆、一様に黒装束だった。
 鼻も口も耳すらもないつるんとした顔の、本来なら目のあって然るべき場所を青い目隠しで被っている。
 背には、飛ぶにはまるで役立たない小さな羽根が張り付いていた。
 数を数えることができない。地の果てからワラワラと湧き起こってくるようだ。まるで蟻の大群だ。
『古き神々の子らよ、お前達の往生際の悪さは称賛に値する』
 黒い群の中央から、その声はした。
 それは奇怪で美しい一人の女だった。
 磨いた貝殻のを思わせる真っ白ですべらかな顔。深い闇のような黒い瞳。雪を頂く険しい山脈のごとき鼻筋と、地の果てを想像させる裂けた唇。枯れてなお壁にしがみつく蔦に似た髪が、朽ちかけた流木風の痩せた身体にまとわりついている。
 幾人かの大柄な「兵隊蟻」を足下にかしずかせ、悠然と振る舞う黒衣の人物…さながら女王蟻のごとき…であった。
 彼女は、じっと正面を見据えていた。視線の先には、今まさに彼女が滅ぼさんとしている小さな国家の、偉大な、しかし若すぎる王がいる。
 若い王もまた、じっと女王蟻を見ていた。
 元より赤い絢爛な衣装は、破れ、割け、自身の血で更に赤さを増している。
 装束を鱗のように被っていた王の権威を示す「磨かれた鏡」の飾りも、ちりぢりになって大地に撒かれていた。
 正しく「敗軍の将」であった。
『新しき魔王とその僕共よ』
 若き王は荒い息の中で弱々しく、それでいて良く通る声を発した。
『確かに、お前達の勝ちだ』
 若き王の統べる国土は、消滅していた。
 山は崩れ、川は枯れ、田畑も家屋も区別なく焼け野原と化していた。人も家畜も穀物も雑草の一芽に至るまで、およそ命という命が全てたたれている。
 この後何年、何十年、何百何千の年月を経ても、ここに再び文明の栄えることはあり得ないだろう。
 それほどの破壊だった。しかも、その破壊がいかにして行われたのかが、誰にも判らないのだ。
 雷のような閃光と地震のような揺れ。わき出る敵兵には剣も歯が立たず、放たれる魔法の光(それ以外言いようがない)の前にはどのような防具も役立たない。ただその事実以外は、理解も推測もできはしない。
 王の軍勢は体制を整えるまもなく敗走した。
 近衛の兵も皆倒れ、王の周囲には人影一つない。
 刃こぼれした長剣を杖にすがり、ようやく立っている若き王は、それでも全身から威厳を発している。
 女王蟻は顔をしかめた。瀕死の小倅の口元に浮かぶ、かすかな笑みが気に入らない。
『負けを認めるならば、それらしく振る舞ったならどうだえ?』
 女王蟻は王を指さした。その赤く尖った爪の先から、目もくらむ禍々しい光が放たれた。
光は王の胸を貫き、王を吹き飛ばし、地に倒せしめた。
 しめった土煙が上がった。鏡の小片が光を弾きながら宙を舞う。
 そう、光を弾きながら。禍々しい光を反射しながら鏡は飛び散る
 右へ左へ、上へ下へ。縦横無尽に光が飛び交っている。まき散らされた小さな鏡の間を、邪悪な光が跳ねている。
 弾かれて、跳ねて、はじき返されて、飛び散っていた光は、次第につい先ほどまでの禍々しさを失っていった。
 それはやがて一点に集まり、さらに慈雨のように仰向けに倒れ込んだ王の胸元へ注ぎ込まれた。
 そしてまた弾かれた。むしろ神々しさすら放つ光線の帯となって、元来た方へ突き進む。
 だが。
 女王蟻はいとも簡単にその光の帯を払い除けた。
『小癪な真似を!』
 確かに簡単ではあった。しかし無傷では済まされなかった。光を払った右の手は鼻を突く異臭を発し、どろりと溶けた。
『暁の太陽を思わせる汝の美しさに免じて、殺すは心のみに止め、身体には妾の慰み者の役を与えんと思ったが…。 愚かな王よ、汝の存在を我らの新しき大地にハリの先ほどの痕跡をも遺させるわけには行かぬ!』
 女王蟻は黒い風となって、倒れ込む王の元へ駆けた。
 あっという間に目標にたどり着いた女王蟻は、間髪を入れず倒れたままの若き王の喉元に赤黒い鈎爪を突き立てた。
 手応えがない。爪は、乾いた大地に突き刺さった。
『うぬ、虚像か!?』
 顔を上げ、辺りを見回した。
 大地のそこかしこで、赤い光が瞬いている。何かが、規則正しくキラキラと小さな光を発しているらしい。
 突然、悲鳴がした。女王蟻は後ろ、つまり彼女が元いた場所を返り見た。
 5色の光が錯綜していた。
 激しい青、素早い緑、力強い黄、柔軟な桃、そして鋭い漆黒。
 光をあびた兵卒が、次々に糸を切られた操り人形のさまで倒れてゆく。
『何事か!?』
 辺りを見回す女王蟻は、さらに2色の光を感じた。何ものにも染まらぬ純白の光。冷ややかに輝く透明な光。
 2つの光は互いに絡み合いながら、天空より放射線状に大地に降り注いでいる。そして、その光によって自分が鳥籠の鳥と化していることが、すぐに知れた。
『おのれ! 謀りおったな!』
 女王蟻は金切り声と同時に全身から赤黒い波動を発した。
 波動は大地を削り、倒れた兵とまだ立っている兵を吹き飛ばし、錯綜する5色の光を墜落させた。
 5色の光は、歪みながらゆっくりと人の形に変わっていった。
 澄んだ水面のようなローブを着た男、若草色の一重を着た少年、山吹色の鎧をまとった男、珊瑚色の法衣を身に着けた娘、墨を流したような僧衣の男。
 5人は荒れ果てた大地の上で、苦しみ、藻掻いていた。
『小賢しい青二才共め』
 女王蟻は肩で息をしつつも、勝利を確信してニッと笑んだ。
 が。
 笑んでいるのは彼女だけではなかった。血を吐いて倒れている青いローブの男は、己が決して負けないと言うことを確信した笑みを浮かべているのだ。
『気に喰わん。敗者が笑みを浮かべるなど』
『我々は貴様達に勝てるとは思っていない』
 青ローブの男は弱々しい声で応えた。黒僧衣の男が身を起こしながら続ける。
『ただ負けると思っていないだけだ』
『何ぃ!?』
 辺りが赤い光に満ちた。
 年初の朝焼けのまぶしさだった。
『新しき魔王よ!』
 声がした。力強い声がした。東の方より、まぶしい光を伴った声がした。
『我に与えられし称号「トラトラウキ・テスカトリポカ」の名に懸けて、我が命により汝を封印せん!!』
 女王蟻が気付いたときには、すでに透明な鉱石のナイフが彼女の胸に深々と突き刺さっていた。
 柄を握っていたのは、若き王であった。
『命で…封印!?』
 燃えさかる炎が体内に流れ込んでくるような痛みだった。そして上から下から横から前から、総ての方角から強い圧力を感じる。
『身体が、縮むっ?』
 それが女王蟻の最期の言葉だった。
 そして言葉の通りに女王蟻の身体は圧縮され、やがて鉱石のナイフの刃に同化して、消えた。
 透明だったナイフは、静脈から溢れ出た血の色のに染まっていた。
 若き王はしばらくの間、ナイフを握って立っていたが、天を見上げ大きく息を吐いた途端、ガクリと膝を落とした。
『我が君…』
『カマシュトリ様!』
 天から声がした。2種類の白い光の固まりが発した声だった。
 純白の光と透明な光は、大地に降り立つと白い祭服を身につけた2人の女性の姿を取った。トラゾルテオトルとテテオ・インナンはしかし、長くは立っていられなかった。互いにかばい合いながらも、どうっと倒れ込んだ。
 王の回りには彼の臣達がわずか7名、皆力尽き、倒れている。
『皆、済まない。予は力無き王であった。国土を守ることができなかった』
 王は両手に大地を握りしめ、疲れ果てた笑顔を天へもたげると、静かに微笑んだ。
『しかし、悪魔は倒れました』
 澄んだ水面のようなローブを着た男、トラロクが言う。
 若草色の一重を着た少年、マクイルチョチトルが続ける。
『シロネンが人々を導き、ヒロテ洞窟神殿向かいました。これにより命を長らえた民も多くおります』
 山吹色の鎧をまとった男、ウィツィロポチトリが後を接いで、
『国の礎は人。人がおればまた国が興ります』
 珊瑚色の法衣を身に着けた娘、ショチケツァルは声をあげることができない。ただ涙を流している。
『王よ、心安らかに…』
 墨を流したような僧衣の男、パテカトルが深淵を渡る風のような声音で言う。
『うむ。安らかに、逝くとするか…』
 暖かい風が吹いた。王の身体はかすかな風に煽られると、さらさらと音を立てて崩れはじめた。
 直前まで、若きトラスカラ王・カマシュトリであったモノは、燃える日輪の色をした小さな石の固まりを残して、消滅した。
『王よ、我らも今…』
 7人の身体もまた、崩れ落ちた。
 荒涼たる大地のうえに、悪しき赤玉と、清き8つの宝石だけが残った。 
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