魅惑の【剣の女王】《クイーンオブソード》 − 【剣の女王】《クイーン・オブ・ソード》 【5】 BACK | INDEX | NEXT

2015/01/08 update
 倦怠な時が、どんよりと流れる。
 その間、大勢の女がエルに対してエスコート役の交換を懇願し、何人もの男がブライトに対してダンスパートナーの交代を依頼してきたが、二人は応じなかった。
 断る方法というのは、実に簡単なものだ。
 品定めをするのだ。
 言い寄ってきた女あるいは男の顔と、自分が抱き抱かれている相手の顔とを見比べて、言い寄ってきた方に薄笑いを投げてやればいい。
 それでもだめなら、ブライトがにらみ付ける。
 あざけるようなまなざしに女は渋々あきらめ、射抜くような眼光で男はすごすごと引き下がる。
「現れませんね」
 二刻も踊り続けたころ、エルがぽつりと言った。
 ブライトは時折顔をしかめながら、辺りに気を配っていた。
「奥の部屋にいるのは確かだが……。銘《ナマエ》は……?」
 アームの銘はそのアームの能力を表しているものなのだが、普通の者はもちろん、ハンターにすら戦ってみないことには判別ができない。
 なにしろ一見すると、みな同様の赤い珠なのである。そして取り憑かれた者はみな同様に醜い化け物だ。
 アームの銘は、そのアームと同化した者にしか解らない。それゆえ、銘がそのアームの能力を解き放つキーワードになっている。
 ……のだが、エル・クレール=ノアールは、何故か他人の持つアームの銘を高い確率で見抜くことができた。
 この不可解な能力のおかげで、エルとブライトは他のハンターよりも幾分か「仕事」をはかどらせている。
「【剣の女王】《クイーン・オブ・ソード》……です」
「小さい方《ミヌゥスケェル・アーム》、か」
 アームは大別して2系統の種類がある。違いは、大きさだった。
 大人の拳大の大きさの物は大文字《マジュスケェル》、赤子の拳大の物を小文字《ミヌゥスケェル》と呼ぶ。
 どちらも、人に憑《つ》いてオーガに堕落させ、人を扶《たすけ》てハンターに成させることに変わりはないが、ミヌゥスケェルの方がやや力が弱い……というのが通説である。
 ふと立ち止まり、ブライトは一点を見据えて、言う。
「おまえさんが、やれよ」
 やはり、顔色が悪い。脂汗が額に浮いていた。
 心配の色を濃くしたエルの視線だったが、ブライトが顎で指した方に移った直後、厳しく鋭いモノに変わった。
 どよめきと共に、ドレープとレースを下品に盛り込んだドレスをまとい、目がチカチカするほど濃い化粧を塗りたくった女が一人、三人の仮面をかぶった者を取り巻きにして現れた。
 どよめきは、
「アーデルハイド様よ……」
「ああ、なんて美しいのだろう」
「お側に寄りたいわ」
「私も取り立てていただきたいものだ……」
 などという身勝手な言葉の不共鳴が作り上げたものだった。
 熟れすぎて腐り始めた桃に小蠅がたかるように、人々は主賓の回りに集まり始めた。
 大きな目、通った鼻筋、整った唇。
 柔らかそうな頬、尖った顎、細い首。
 はち切れそうな乳房、折れそうな腰、弾けんばかりの臀部。
 所作自体が官能的で、笑顔は人形のよう、文字通りの猫なで声。
 アーデルハイド夫人は、男の目から見た「良い女」の要素を、すべて足し込んだ容姿をしている。
「たしかに、お美しい方なのですが……」
 エルは、こういった「欠点のない美女」が苦手だった。
「どっちかってーと、父親似だ。あのぽってりとしたスケベったらしい唇が、特に似ている」
「帝室がお嫌いなのに……」
 『ずいぶんと帝室のことに詳しいのですね』と言いかけて、エルは口をつぐんだ。
 ブライトの額からは、脂汗が玉のように吹き出している。
「グールは、あの三匹だけだ。チビ《ミヌゥスケェル》の力で操れる死体は、あの程度だろう」
 頬を引きつらせながら、ブライトはゆっくりと、血を吐くように言った。
「あの女のスケベ面を見たら、血が騒ぎだした。まるで自分がオーガにでも堕ちちまったみたいに、何もかもぶち壊したい衝動が、脳味噌をかき回している」
 両拳の中から赤い光が漏れている。
 ブライトが呼べば、たちまち一対の双剣に転ずる【恋人達】《ラヴァーズ》が、手枷さながらの形で、彼の両手の回りに漂っていた。
『この人は、今朝の帝室に酷い怒りを持っている。でも、憎悪が心を支配するのを、わずかな理性と彼のアームが押さえている』
 エルはブライトの両手を握ると、
「解りました。大丈夫です、私一人で倒しますよ」
 彼と、彼の持つアームにっこりと笑いかけた。
「悪ぃ。頼む」
 唇を引きつらせて笑顔を作り、ブライトは深い息を吐いた。
 エルがうなずいて、アーデルハイド夫人の方を見たその時だった。
 夫人が、奇声を上げた。
 歓喜であった。
 髪を振り乱し人波をかき分けながら、こちらに向かって駆けてくる。
 厚塗りの白粉が音を立てて崩れ、溶岩の固まりに似た皮膚があらわになった。
 濃茶の髪が、十数本の剣のように尖った形状に変わった。
 あっという間の出来事だ。
 しかも狭いプチ・メゾンの小さなホールである。
 エルは【正義】《ラ・ジュスティス》を呼び出すこともできず、オーガ【剣の女王】に突き飛ばされた。
《見つけた! 見つけたわ!!》
 それは、ナイフ状に尖った爪を生やした両手を大きく広げ、ブライトに飛び付いた。
 ブライトは、動かなかった。石柱のように突っ立ったまま、歯を食いしばっている。
 【剣の女王】の髪が、彼にまとわりついた。
 剣の鋭さを持った髪が、身体を覆い、肉に喰い込みむ
《ずっと、ずっと、捜していたの。だって、貴方じゃなきゃダメなんですもの!》
 瞬く間に彼の長身が、うごめくサーベルに覆われてしまった。わずかに、亜麻色の髪が覗いている。
 エルは、突然の凶事に逃げ惑う人々の中から、ようやく身を起こすと、叫んだ。
「……! ブライトぉ!!」
 自らの武器【正義】を呼ぶ方が、ハンターとしては正しい選択のはずだ。
 その一言が、エルにはできなかった。
 正直、考えも付かなかったのである。
《嫌よ》
 【剣の女王】が、首を回した。赤くよどんだ目で、エルをにらみ付けた。
《私の物。誰にも渡さない。私だけの物にするの》
 【剣の女王】は、腕と“髪”とに力を込め、締め付けた。
 と。
「離れろぉ!」
 大喝と共に“髪”は内側から弾けた。
 ブライトは、まだ立ち尽くしていた。両腕、両拳が左右に大きく突き出されている。
 肩で息をしていた。目の焦点が合っていない。
 武器を失った【剣の女王】だったが、なおも笑いながらブライトにすり寄る。
「寄るな!」
 まるきり、子供のケンカだ。ブライトは両手を突き出した。
 それは怯えた人間の本能的な行動であり、オーガと対峙しているハンターの所行とは思えない。
 当然、そんな攻撃がオーガに効くはずがない。
 【剣の女王】はなおもブライトに抱きつこうとする。
《離れない。ずっと、一緒。子供の時から、そう願っていたのだもの》
 ブライトは動けなかった。
 恐怖という感情だけで彼が動くことを、彼のアームが望んでいないのだ。
 【恋人達】は主の両腕に鎖の形で巻き付いていた。
『助けたい』
 エル・クレールは思った。
 義務感などではない。切望だ。
 エルはブライトからオーガを引き離す術を必死で考えた。
 そして、この時ようやく「自分が、何であるか」を思い出した。
「エゴイスト!」
 叫ぶと、再び【剣の女王】の首がぐるりと回り、見開かれた眼がエルに向けられた。
《エゴ……? 誰のこと?》
「あなた以外に誰がいますか、【剣の女王】!?」
《ナゼ? 私がエゴイストだなんて言うの? ナゼ? 私の銘を知っているの?》
 【剣の女王】はずるりと動いた。
 彼女が受けたのは、オーガを滅するアームによる攻撃ではなかった。抜けた髪は容易に再生した。
 その尖った蛇を、エルに向けてのばした。
「彼は、あなたを拒絶している。あなたは彼を傷つけている」
《でも私は好きなの。この人でないとダメ。この人は、私の物》
 尖った爪が、エルの頬に触れた。
「人は、物ではありません。誰も他人を『所有』する事などできない!」
《あなた、気に入らない。この人とずっと踊っていた。楽しそうにしていた。あなた、要らない》
 手が開いた。エルの小振りな頭を鷲掴みにしようとする。
 一瞬早くエルは後ろに飛び退いた。
 追いかけて来る。
 前からはオーガが、そして後ろからグールが。
《サンドイッチよ! あなた嫌いだから、私は食べない。お前達にあげるわ》
 グール達は、付けていた美しい面をはずし、涎を流しながらエルに襲いかかった。
 身をかわす。しかし、ドレスの裾を踏んでしまった。その場に尻餅を付く。
 三匹のグールが牙を剥いて殺到した。
 衣服に爪を立て、スカートを引き裂いた。
「畜生! クレールっ!」
 ブライトが動こうとした。全身から血が噴き出す。足がもつれ、倒れた。
 と。
 裂かれたスカートの中から、ヒールのない靴と、折り目のきれいに付いたズボンをはいた脚が振り上げられた。
 あっという間に三発、不利な体勢からではあったが、奇襲の蹴りは見事にグール共のこめかみや眉間に当たった。
 目くらましに過ぎない。
 エルはグールがふらついている間に素早く立ち上がると、裂かれたドレスを自ら破り、脱ぎ捨てて、唱えた。
「我が愛する正義の士よ。赫き力となりて我を護りたまえ」
 エルの腰から、紅い輝きがほとばしった。光は一振りの剣の形を成した。
「【正義】《ラ・ジュスティス》!!」
 コルセットにズボンという出で立ちである。
 大上段に剣を構え、振り下ろす。
「惑うた魂よ、煉獄に戻れ!」
《あああああ》
 真っ向両断。【剣の女王】は左右二つに裂け、どう、と倒れた。

《……大好きな……お兄さま》
 【剣の女王】の、そしてアーデルハイド・ギュネイ=ダヴランシュ伯爵夫人の、最期の言葉は、肉体の蒸発する薄気味悪い音にかき消された。
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