意外な話 或いは、雄弁な【正義】 − 【5】 BACK | INDEX | NEXT

2015/07/28 update
 都から殿様に従ってきた数少ないご家来衆の中には、あまりにみすぼらしい離宮の様子を見て涙を流した者もいたと言います。
 殿様の都のお住まいは、壮大荘厳、優美華麗、光り輝くようなお城でしたから。ご家来衆もそれを誇りに思っておいでだったのです。気落ちするのも無理はない。
 尤も、当の殿様はその小さな屋形を大変お気に召されました。
 筆頭の御家老が「あまりに狭い」と嘆かれるのを聞いて、殿様は「その小ささが良い」と仰ったのです。
 立派なお城や御屋敷という物は、内装も装飾も大層美しいものです。しかし美しく広い部屋は実のところ薄暗く寒々しいのですよ。
 豪奢な燭台に幾十もの蝋燭を立ても、お部屋を明るく照らすことができません。炉で火を焚いても、その熱気は上座にまで届かぬことがああります。
 格式を重んじる家人たちの言葉は堅苦しく、誰と語っても気の休まることはない。
 一方で、小さな屋形の小さな部屋は内装も装飾も寂しいほどに質素でしたが、手を伸ばせば火桶の熾火の暖かさに届きました。小さな蝋燭一つで部屋中が明るく照らされます。
 当地で雇い入れた使用人たちは、さすがに最初は都人の前で堅苦しく振る舞っておりましたが、しばらくすると生来の田舎者の気安さが見え隠れするようになりました。
 ご家族を失い、お心寂しく過ごされていた殿様にとって、この狭さ、気安さは、何よりも嬉しいことでした。
 だから都から付き従ってきた忠実無比の家臣が、土地の者から聞き込んだ「幽霊屋敷」の噂を殿様のお耳に入れても、一笑に付したそうです。
 若い妻とその周囲には聞こえぬように、
「大事ない。都の方が人でないモノの方が多く住んでいる」
 と囁かれたと……ああ、これは噂です。他人の口から出た言葉ですよ。
 兎も角も、殿様が屋形に暮らしている間、殿様御自身は実際に「何か」を見たり「何か」を聞いたりはなさいませんでした。若い後添えの奥方様も、その目で見たり聞いたりなさらなかった。
 ところが家人の内には「見たという者の話」をする者がいました。怪しげな音や声を「聞いたという噂」をする者もいました。
 殿様はそういった「報告」もまた、一笑に付されました。ご自分が見聞きしなかったのですから、当然といえば当然です。
 ところが奥方は信じてしまわれた。……奥方様は何分にもお若く、真面目で、それに信心深い方でしたから、他人の話を素直にお聞きになってしまわれる。
 ええ。信心深いのならば、神ならぬものの怪異などむしろ信じなくても良さそうなものなのです。でも、怪力乱神というものは、そういう「神学的に正しい信心」とは無関係な存在のようです。
 目に見えず耳に聞こえぬ存在の、何とはなしに感じる恐ろしさに、奥方は大変お心を乱された。
 信心深い御方ですから、当然ご自身で熱心に祈りを捧げられました。ですが、不安は晴れなかった。
 奥方は、屋形からそう遠くないところにある古い神殿から神官を及びになられました。土地の者が、その神殿が一番由緒があると言ったのを信用されてのことでした。
 ただし、彼の神殿というのは、子宝祈願の霊験高いと評判の告知天使の神殿でした。子授けの祈祷は得意でも厄除けや悪霊払いは本職ではないのです。実際、神官たちはその手の祈祷を本格的にはしたことがありませんでした。
 それでも若く美しい奥方様から直接、是非にと乞われたなら、できぬと言うわけにもゆきません。
 神官たちは、聖典の今まで開いたことのない頁を繰り捲り、全霊を傾けて有難い御言葉を詠唱しました。今まで焚いたことのない調合の紫色の香の煙を屋形に充満させました。
 するとどうでしょう。
 たちまちのうちに、今まで「見た」と言わなかった者達と、「聞いた」と言わなかった者達が、「見た」「聞いた」と騒ぎ出したのです。
 君、今嗤いましたね? 確かにおかしな話でしょう。ですが、当人たちにとっては笑い話ではありませんよ。
 祈祷が失敗した形になった件の神官たちは、震え上がりました。
 奥方様は大層お怒りでしたから、殿様のお執り成しがなければ、神官たちがどのような目に遭ったか解りません。
 暫く後のことですが、彼等は「本来の霊験」の方での祈祷を、それこそ命がけで行いました。これが「効いた」ということで、奥方様のお怒りもどうやら収まったらしいのです。
 何分にも今となっては皆故人となっているものですから、本当のところがどうであったのかは、どうやっても確かめようがありませんけれども。
 兎も角も、ご自身が見たわけではないものの、奥方は得体の知れないモノに大変な恐怖を抱かれました。
 殿様の膝に縋って
「こんな恐ろしいところには住めない」
 と、お泣きになられました。
 若い女性の涙ほど強いものはないといいます。殿様は新しい「小さな御屋敷」を建てて、古い離宮から出ることになさいました。
 そうは言いましてもあまり豊かでない国の、まるきり豊かではない貧乏殿様のご普請です。
 ええ、都におられた頃の資産はほとんど没収されていました。それは平民の方と比べれば、幾分か持っている部類に入りましょうけれど、元の暮らしから考えればほとんど無一文と言っていい。
 だからといって、今の主上に縁があると思うと、奥方の化粧領に手を出すことは、さすがに憚られましたからね。
 どう足掻いても立派なお城など建つわけがありません。
 土地の頭領が縄張りをし、土地にある石材を使うことになさいました。内装も土地の樹木で土地の指物師が作り、土地の織り子が土地の山毛玉牛の毛と山蚕の糸で敷物や掛物を織ることになりました。
 まず第一に、奥方様の為の仮のご寝所が建てられました。奥方様が一日も早く古い屋形を出たいと仰ったからです。
 真新しい小屋ができ、真新しい寝台が組み上がり、真新しい寝具ができると、すぐに奥方はそのご寝所にお移りになりました。
 殿様は古いお屋形に残られました。
 何故、と? 建てられた仮のご寝所は狭く、仮の寝台も小さく、奥方一人が休むのが精一杯だったからですよ。……そういう寝所を作れと命ぜられたのは、殿様ご自身でしたが。
 それから、形ばかりの塀と門が作られて、浅い空堀が掘られて、形だけで跳ね上がらない跳ね橋が架けられました。
 家臣たちが控える部屋ができ、奥方様の衣裳部屋ができ、形ばかりの物見櫓ができました。奥方の仮でないご寝所が建てられ、殿様の御座所も完成しました。
 最後に手頃な広間のある天守が建ちました。
 それは殿様が昔住んでいた「都のお城」の十分の一すらもない小さな御屋敷でしたけれども、それでも、殿様が考えていた以上に立派で素晴らしい出来栄えでした。
 大工たちの普請が終わると、指物師たちが大いに仕事をしました。あっという間に家具調度が御屋敷の中一杯にできあがりました。
 それは殿様が昔住んでいた「都のお城」の調度品と比べたら、小振りで質素なものでしたけれども、それでも、殿様が考えていた以上に立派で素晴らしい出来映えでした。
 指物師たちの仕事が終わると、次に織り子たちが大いに仕事をしました。ふわふわの敷物が床と廊下の隅々まで敷かれ、ふわふわの掛け物が窓と壁とを覆いました。
 それは殿様が昔住んでいた「都のお城」の床や壁と比べたら……ああ、何度も同じことをしつこく言い過ぎですか? これは申し訳ない。
 ともかく、手頃な広さで、質素で、それでいて思いの外立派な御屋敷ができあがって、殿様は大変お慶びになったのです。
 総てができあがると、最初に立てられた奥方様の「仮のご寝所」が取り壊されました。
 殿様は初め、この建物を何か別の用途に使おうとお考えだったようですが、奥方様が、できあがった御屋敷と見比べると、あまりにみすぼらしいと仰ったので、勿体なくお思いになられながらも、大工たちに命じて解体させました。
 そんな次第でしたから、奥方は最初にお住まいになった古い「幽霊屋敷」も当然取り壊すものだと思っておられた。
 ところが殿様は仰せになったのです。
「あれは残さなければならない」
 奥方様の驚かれたことといったら! 青いきれいな瞳の目玉が、溢れて落ちてしまうのではないかというくらいに大きく目をお開きになって、
「あんな恐ろしい魔物の棲む場所を、お残しになられると!?」
 大きな声で仰せになられました。
 奥方様の言われるのは当然のことでしょう。あの建物が恐ろしすぎるから、と、新しい家を建てたのですから。
 すると殿様は娘のように若い奥方に微笑みかけておっしゃいました。
「あの場所を壊せば、奥の言う『恐ろしい魔物』が住処をなくして、外に出てくるやも知れぬぞ」
 奥方様は息を飲み込まれ、少しばかりお震えにななられました。
 殿様は続けて、
「万一、住処を失った『恐ろしい魔物』が、この新しい家に住み着いたなら、奥はどうするのだね? 立派なお城が建ったと領民たちが大喜びしているこの建物を、また取り壊すかね?」
 奥方の震えはガタガタと音がするほどに大きかったと聞きます。震えながらうなずかれて、古い屋形を残すことにご同意なさいました。
 とはいうものの、奥方様は余程に「人ならぬモノ」が恐ろしかったと見えます。以降、ご自身は件の建物ばかりか、ちらとでもその建物が見える場所には、決して近づこうとなさらりませんでした。
 一方で殿様は、都から持ってきた家財のうち特に「思い入れ」のある物を、その小さな離宮に押し込めました。
 その後、扉という扉から「引手」を総て取ってしまわれました。
 中に収めた物を、外に出したくなかったのでしょう。奥方は、年老いた夫が、忌まわしい物を総てあの建物の中に封じ込めてしまおうとしている、と思われたようです。
 総てが済んでから、殿様はご家中に命じました。
「あの建物に近寄ってはならない」
 と。
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