付き従いて…… − 【2】

「異義あり!」
 叫び声が議場に響いた。
 ……尤も、声の主には叫んだ気など無いらしい。彼自身は普通に喋っているつもりなのだが、周囲の者には怒声にしか聞こえない。
 それが張飛(ちょうひ)翼徳(よくとく)の声の特徴であり、短所である。
 その声に彼の義兄が即答する。
「却下」
「まだ何も言ってないのにぃ!」
 張飛がごねる。
「おまえの言いたい事など見通せる。大体、おまえが禁酒令に賛同するとは、初手から思っておらん」
 そう言って、義兄・劉備(りゅうび)玄徳(げんとく)はため息を吐いた。
 彼には義弟が本日の議題「禁酒令の発布」を素直に受け入れないであろう事は解っていた。
 強情で一本気で酒好きの張飛をどのように説得するか。劉備は立案された法よりも、そちらに頭を悩ませていた。
 時は建安十五年(西暦二一〇年)初夏の頃であった。
 先の荊州けいしゅう牧(ぼく)・劉表(りゅうひょう)が長子・劉[王奇](りゅうき)の死後、劉備は牧の位を引き継いで長沙に駐留していた。
 そして、積年の策である益州への進軍を、この地を足掛かりに実行に移そうとしていた。
 ただし、表向きは「益州(えきしゅう)牧 劉璋(りゅうしょう)を扶けるため」であるが。
 しかし長く戦禍に晒されてきた荊州では、数十万の兵を送り出すために必要な兵糧を確保するのが難かった。
「ですから、それを備蓄するためにも、向こう一年間は酒造を禁止するのです。稗・粟・麦・米……酒造りに使う穀類を兵糧として供出させるのが目的です」
 軍師将軍・諸葛亮(しょかつりょう)孔明(こうめい)が、法案の骨子を述べる。
 が。
 『酒を糧に動く男』である張飛が、納得しようはずもない。
「ナァ軍師。酒は戦の必需品だぜ。兵共を慰めるには酒が一番だ。それに、戦神を祭るにも御神酒は必要だろ?」
 酒呑みは何かと理由付けをしては呑みたがる。
 どちらかというと議論を疎んずる方である、武偏者の張飛が、こうまで積極果敢に弁ずるのも、単に呑みたいからだろう。
 しかし酒を呑まない者には酒呑みの理論など通用しない。
 それを立証したのが、つい先頃まで「阿花」と呼ばれていた、まだ元服間もない若者、王索寧国であった。
「戦神は出陣するときに祭るもの。慰労は戦が終わってからするもの。今は酒の必要などないでしょう?」
 涼やかな声音が議場を渡たる。
「がっ……?」
 張飛は口をパクリと開けたまま、硬直した。
 王索は、右の頬に五寸ばかりの刀傷がある以外は、十人並み以上の器量を持つ、十六才の娘だ。
 王というのは、彼女の母親の姓である。
 実を言うと彼女は、父親の姓どころか、顔すら覚えていない。母親に尋ねると、ひどく辛そうな顔をするので、聞き出すことも出来ない。
 それもあって彼女は、母親が再婚した相手を「父」と呼んでいる。
 つまり、張飛のもう一人の義兄である関羽(かんう)雲長が、王索の「父」なのだ。
 
 溯ること二年前、劉備軍は長阪の地で、曹操(そうそう)率いる官軍と交戦し、敗走した。
 この戦で王索は顔に傷を得た。
 口には出さぬが、彼女はこれを気に病んでいる。
 それゆえ、良家の子女で有る事を捨て、武家の子息として生きることを決めたのだ。
 さて、劉備はこの『甥』が忠孝厚く知慮深い事を知り、彼女を主簿(しゅぼ:書記官。文書や印受を司る)として取り立てた。
 この特例は彼女の優秀さを表すと同時に、婦女子をも幕下に加えねばならぬほど、劉備配下に人材が不足している事も証している。
 
 話を戻そう。
 張飛の誤算は『甥』の酒量を踏み誤った事に


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