虚実篇 第六 − 【虚実篇 第六】読み下し文 【2】

凡そ先に戦地に処りて敵を待つ者は佚し、後れて戦地に処りて戦いに趨く者は労す。ゆえに善く戦う者は、人を致して人に致されず。
よく敵人をしてみずから至しむるは、これを利すればなり。
よく敵人をして至るを得ざらしむるは、これを害すればなり。
故に敵佚すればよくこれを労し、飽けばよくこれを饑えしめ、安ければよくこれを動かす。

其の必ず趨く所に出で、其の意わざる所に趨き、千里を行いて労れざるは、無人の地を行けばなり。
攻めて必ず取るは、その守らざる所を攻むればなり。
守りて必ず固きは、その攻めざる所を守ればなり。
故に善く攻むる者には、敵、その守る所を知らず。
善く守る者には、敵、その攻むる所を知らず。

微なるかな微なるかな、無形に至る。
神なるかな神なるかな、無声に至る。

故によく敵の司命をなす。

進みて禦ぐべからざるはその虚を衝けばなり。
退きて追うべからざるは、速かにして及ぶべからざればなり。
故にわれ戦わんと欲すれば、敵、塁を高くし溝を深くすといえども、われと戦わざるを得ざるは、その必ず救う所を攻むればなり。
われ戦いを欲せざれば、地を画してこれを守るも、敵、われと戦うを得ざるは、その之く所に乖けばなり。

故に人を形せしめて我に形なければ、すなわち我は専まりて敵は分かる。
我は専まりて一となり、敵は分かれて十とならば、これ十をもってその一を攻むるなり。
則ち我は衆くして敵は寡し。
よく衆をもって寡を撃たば、則ち我のともに戦うところの者は約なり。
我のともに戦うところの地は知るべからず。
知るべからざれば、則ち敵の備うるところの者多し。
敵の備うるところの者多ければ、すなわち我のともに戦うところの者は寡し。
ゆえに前に備うれば則ち後寡く、後に備うれば則ち前寡く、左に備うれば則ち右寡く、右に備うれば則ち左寡く、備えざるところなければ則ち寡からざるところなし。
寡きは人に備うるものなり。衆き者は人をして己に備えしむるものなり。

故に戦いの地を知り、戦いの日を知れば、則ち千里にして会戦すべし。
戦いの地を知らず、戦いの日を知らざれば、則ち左は右を救うことあたわず、右は左を救うことあたわず、前は後を救うことあたわず、後は前を救うことあたわず。
しかるをいわんや遠きは数十里、近きは数里なるをや。
吾をもってこれを度るに、越人の兵は多しといえども、またなんぞ勝敗に益せんや。
故に曰く、勝はなすべきなり。敵は衆しといえども、闘うことなからしむべし。

故にこれを策りて得失の計を知り、これを作して動静の理を知り、これを形して死生の地を知り、これに角れて有余不足のところを知る。

故に兵を形すの極は無形に至る。
無形なれば、則ち深間も窺うことあたわず、智者も謀ることあたわず。
形に因りて勝を錯くも、衆は知ることあたわず。
人みなわが勝つゆえんの形を知るも、わが勝を制するゆえんの形を知ることなし。
ゆえにその戦い勝つや復さずして、形に無窮に応ず。


それ兵の形は水に象る。水の形は高きを避けて下きに趨く。
兵の形は実を避けて虚を撃つ。
水は地に因りて流れを制し、兵は敵に因りて勝ちを制す。
故に兵に常勢なく、水に常形なし。
よく敵に因りて変化して勝を取る者、これを神と謂う。
故に五行に常勝なく、四時に常位なく、日に短長あり、月に死生あり。



2019/04/10update

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