子壇嶺城戦記 − 【3】

「父上、お願いがございます」
 日頃おっとりとおとなしい源三郎信之が、珍しく強い口調で言う。
「言え」
 上田城内……この日も昌幸は碁に興じていた。
 相手は源二郎信繁である。
「信之にも手柄を立てさせてくださいませ」
「手柄? 源三(げんざ)、七千を三千で蹴散らしたのは、手柄の内に入らぬか?」
「先陣の誉は、源二でした」
 源三郎、この年二十歳。体躯は立派ながら、顔立ちは幼い。
 その幼顔が、口をとがらせていた。
 碁盤を囲む父と、ことさら弟は、困惑して
「源三どの、あれは先陣とはもうせますまいて。なにぶん、逃げただけにござれば」
 頭を掻いた。
 源二郎は、源三郎と一つ違いの十九。父に似て矮躯の上、老成した顔かたちをしている。
「それでも、この戦を始めたは源二。ならば、この戦を終わらす役目、信之にお任せくだされませ」
 源三郎は「この」という語に力をいれて言った。
 真田と徳川の争いごとは長引く。……真田の家中の者は、みなそれに気づいている。
「何が望みか?」
 昌幸が立ち上がった。
「子壇嶺の、一揆の始末」
「任す」
「ありがたく、承ります」
 深々と頭を下げる源三郎に、昌幸は続けて
「何が要る?」
 と尋ねた。
「大砲(おおづつ)、十門」
 源三郎は顔を上げ、にこりと笑った。
 
 翌朝。
 騎兵二。あとは足軽が二十ほど。
 荷駄は大砲のみ。行厨(弁当)は各人握り飯二つずつ。
 それが、真田源三郎信之の「軍」であった。
 なお、抱え大筒とは大型の火縄銃のことである。別名を大鉄砲ともいい、巨大な銃身と凄まじい火力を持つ攻城戦用の火器である。火縄銃の形をしたバズーカ砲を想像していただければよいだろう。
「なにゆえ付いて来るか?」
 馬上で源三郎は訊いた。返ってくる答えは、おおよそ見当が付いている。
「面白そうだから、ではいけませぬか?」
 馬首を並べる源二郎が答えた。源三郎の見当どおりの言葉だった。
「手出しはいたしませぬよ。なにしろこれは、源三どのの戦にございますれば。それに、後で文句を言われるもかないませぬし」
「なんだ。手伝わせようと思ったにな」
「やらせてくれますか?」
 嬉々とした声を上げる弟を、源三郎は笑いながら眺めた。
「大砲の討ち手が足らんからな」
「最初から足らぬように数えてきたのでしょう?」
 行軍は、半日に満たなかった。 
「それで、策は」
 子壇嶺岳の麓で握り飯を喰いながら、源二郎が訊ねる。
 源三郎も、握り飯をほおばりながら、
「挟撃だ。お主に大砲と兵を半分預けるから、山の裏手に回って大砲で威嚇しろ。できるだけ大きな音を立て続けるんだぞ。山を登るのは源二だけでよい。……わしは正面から行く。こちらも、鐘太鼓を打ち鳴らし、鬨の声を上げ、多勢と思わせる」
「承知!」
 小気味よく答えると、源二郎は射手をまとめ、山の裏手に回る道へ進む。
 その背に源三郎が声を掛けた。
「源二、人死にが出ぬようにせよ」
「にわか仕立ての似非侍に倒されるような脆弱者が、真田の家中にいるはずもなし」
 からからと笑い振り向いた源二郎に、源三郎は言った。
「味方に、ではない。その似非侍に、だ」
 風のない、暑い一日が始まった。


 杉原四郎兵衛とその徒党二十余名は、ことごとく捕縛された。
 数珠繋ぎに縛り上げられ、上田城まで連行された彼らを見て、真田昌幸は完爾と笑ったという。
「杉原の家は、あの辺りでは名家ゆえな」
 そうして縄目を解かせ、さらに彼らを臣に加えた。


 その後「彼ら」がどうなったか?
 寡聞ゆえ、筆者は知らない。



2014/09/20update

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