※読者諸兄へ
この物語に、歴史的矛盾があることは、筆者も充分知っている。
ゆえに、寛大な読者のみなさまにおかれては、なにとぞ重箱の角をつつかないようにお願いしたい。
1.神川合戦のおよそ二ヶ月前に、真田幸村は上杉家の証人となっており、上田にはいない筈。
(ただし、資料によっては「参戦した」となっている物もある)
2.「鬨の声を上げ、鉄砲を撃ち、轟音で脅す」作戦の立案者は信幸ではなく、家臣の水出大蔵。
3.杉原四郎兵衛は地侍ではなく、室賀信俊の残党。同調したのは塩田衆(村上義清の残党など)の武士。
4.杉原たちが立てこもった城は「鳥屋城」(鳥帽子城、依田城、首切城、大年寺城、等の呼び名もあり)であるという説もある。