見込んでいる」
学問では弟に引けを取ることのない孟高だが、膂力では到底叶わない。それ故父親は跡継ぎである彼ではなく、弟に家名を上げる望みを掛けている。
孟高は口惜しかった。弟が愛されていることが、己が不甲斐ないことが、口惜しくてならなかった。腹の中で渦巻く口惜しさが、語気を更に強めた。
「父上はお前の立身出世を望まれておられる! それをお前ときたら、与えられた役務を投げ出し、こんな蛮族どもと遊ぶばかりで!」
「蛮族!? はっ!!」
卓の日に灼けた顔が、ぬっと、兄の青白い顔の前に突き出された。赤銅色をした顔は、怒っているようでもあり、嗤っているようでもある。
孟高はたじろぎ、数歩後ずさった。
「こいつら羌族・胡族が蛮人ならば兄上などは何だと言うのだ!? 他人を蹴落として出世するために、学問とやらにすがりつく兄上等は、一体何だ!!」
孟高は答えられなかった。答える間もなかったのだ。
卓は兄の返答を待っていない。彼は足元の友人に何か声をかけた。孟高の知らない言語だった。
友人が頷くのを見て取ると、卓は横目で兄を睨み、
「兄上が羌・胡を蛮族と呼ぶならば、俺は役人・官吏を蛮族と呼ぼう!! その蛮族に、兄上が学問で成ろうというのなら、俺はコレで蛮王と成ってやる!!」
孟高の耳元で大気が鳴った。
弓の弦が弾ける音だった。
直後、後方で、地面を叩く軽い音がした。
振り向くと、十歩ばかり後方の大地の上で、一羽の雁が翼をばたつかせていた。
雁の胴には朱塗りの矢箭が深々と突き刺さり、背へと突き抜けている。
今一度振り返った孟高の鼻先で、弟はニヤと笑んでいた。
右手には、強弓が握られている。
孟高は目を見開いて弟の顔を見た。
……いや、見たのではない。ほんの一瞬も瞼を閉じること許されず見開かされた瞳のその中に、弟の姿が入り込んできているだけであった。
卓は笑っていた。人懐こい笑顔だった。誰もが魅了される、愛される笑顔だった。
「兄上、父上によろしゅうお伝え下され。卓は至極真面目に働いておると。その内に天蓋の馬車でお迎えに上がる、と!」
呆然と立ち尽くす兄の横を通り抜け、異国の男達を引き連れて、卓は歩を進めた。
そして繋いであった彼等の馬の、鞍もない裸の背に跨ると、高らかな豪笑を残して、遥か西の地平の果てへと駆けて行った。
もうもうと立ち昇る砂塵を、孟高はただ見送った。乾ききったその唇からは、嘆きにも似た呟きが漏れた。
「確かに、確かにあれは武によって身を立てるに違いない。だが、あの眼光は……あの逆巻く火炎は……」
孟高の口元にも、弟のそれに似た笑みが浮かんでいた。
これよりおよそ二十有余年の後、董擢とうてき孟高の実弟・董卓とうたく仲穎ちゅうえいは、自身の言葉通り武によって身を立て、それにより董家は栄華を極めることとなった。
しかしその手段の如何を、そしてその結果の如何を、兄が見る事はなかった。
史書にはただ、「董擢孟高は、若死にした」とのみ記されている。