小懸 ―真田源三郎の休日―【本編】 − 【10】

、最期に、
「家内安全!」
 と、幸直に、
「訳がわからない」
 と頭を抱え込ませた一言を口にした頃などは、殆ど叫び声に等しいものになっておったのです。
 私はと云えば、名も知らぬ鳥共が一斉に叫び、翼で自分を鞭打つようにして塒《ねぐら》から飛び立ち、森の木々の枝が大風にまかれたかのように揺れ、擦れ合う枝葉の悲鳴があたりに響くに至って、漸く己の失態に気付いたという、情けない次第でありました。
 私は倒れ込むようにして地に伏せました。
 一呼吸の遅れもなく、その場にいた者達総てが、私と同じように身を低くしました。
 その鮮やかな隠れ振りを見た私は、火急の事態の最中であるというのに
『我が家のことであるが、真田家中の者共は、全く良く訓練された者共であることよ』
 などと、いたく感心したものです。
 しかしまあ、その時の皆々の視線の痛いことと云ったらありません。ことさら禰津幸直の眼差しときたら、槍で腑をこね回されているかと思われるほどのものでありました。
 自業自得はあります。それはその時の私にも判っていたことです。それでも、私は恐らく恨みがましい目を幸直に向けていたのでありましょう。幸直はギリリと奥歯を軋ませると、
「お覚悟めされよ」
 と低く唸り、腰の刀の鯉口を切ったのです。
「心得た」
 私は、笑っておりました。作り笑いでも嘘笑いでもなく、本心から笑っておりました。
 幸直が斬り掛かろうとしている相手が、自分ではないと確信していたからです。
 ……主に対して刃を向けかねるからか、とお訊ねか?
 いや、禰津幸直は忠義者ですから、私が主だからと云う理由ぐらいいでは、私を殺さずにおくことはないでしょう。
 お解りになりませぬか?
 例え主人であっても、あるいは親兄弟であっても、言動に謬りがあれば、これを正さねばならぬでしょう。
 涙を呑み、歯を食いしばり、血を吐く思いをしてでも、黒い物は黒いと断じなければならぬのです。
 阿附迎合《あふげいごう》して己の正義を誤魔化すようなことがあれば、元は些細な過ちであっても「二人分」に倍増いたしましょう。その上、回りの者がみな阿諛追従《あゆついしょう》したなら、過ちはたちまち数十、数百、数千に膨れ上がるのです。
 膨れ上がったモノは、針の如き小さな力で突いただけでも容易に弾けてしうものです。
 外から突けば血膿が吹き出し、飛び散ります。あるいは内から突き上げる針のために、骨肉露わになるほど大きく皮が裂けることもある。
 そうなってからでは遅いとは思われませぬか?
 過ちは芽の内に摘み取らねばならぬ。腫れ上がる前に潰さねばならぬ。
 それが小さくとも摘み取れず、潰しきれぬほど、根深く、また取り返しのつかぬ事であるなら、例え主人であろうとも、斬ることもやぶさかでない。
 それこそが真の忠義だと、私は思うのです。
 私ばかりか、真田の家にいる「忠義者」は、大体同じように考えているのではないでしょうか。
 あの時私は、一つ部隊の全員の生き死にに関わる、大層な失敗をしでかしました。これは間違いのないことです。「誅殺」されても文句の付けようがありません。
 それなのに幸直が私を斬ろうとしなかった理由は、忠義だ友情だなどという、謂わば情のゆえの事などではないのです。
 ここでこの莫迦者《わたし》を斬ったなら、こちらの「手駒」が一つ減ってしまうから、です。
 何分にも、この折の我が隊は「少数精鋭」でありました。
 万一戦闘となれば――私は最初からそのようなことはないと踏んでいたのですがそれでも万が一に――全員が兵卒のとして闘うことに


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まろやか連載小説 1.41
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