小懸 ―真田源三郎の休日―【本編】 − 【10】

なります。例え大将格であっても、指揮を執りながら歩行兵《かち》と同じ闘い振りをせねばならぬのです。
 ここで一つでも駒が落ちたならどうなることか、想像に硬くないでしょう。
 禰津幸直は、私のような鈍遅《ドヂ》とはちがって、すこぶる良くできた男です。自分の手で自分の部隊を弱らせる真似が出来ようはずがありません。
 これでも一応は王将の役を負っている駒なのですから、なおさらです。いや、飛車角金銀、あるいは歩の一枚であっても、落とすことが出来ましょうか。
 幸直にはそれが判っている。そのことが私にも判っている。
 それ故、私は笑ったのです。
 申し訳なく、心苦しく、情けない、自嘲の笑みです。
 真の本心からのモノでありましたが、強張った笑顔であった感は否めません。
 己の頬骨の上に本心からの笑顔の皮が貼り付いた、そんな心持ちです。
 私の――作り物じみていながらも命のある、さながら名人の打った猿楽の面のような――奇妙な顔を見て、幸直めは今にも泣き出しそうな顔で、唇を噛みました。
 それきり、誰も動かず、誰も物を言いません。
 私の所為で一羽の鳥もいなくなった森の中は、木々のざわめきさえも消え去り、静まりかえりました。私に聞こえたのは、私自身の心の臓の音、幸直の抑え込んだ息づかいばかりでした。
 実際には、それほど時が過ぎたわけではありませんでしたが、あの場では長い時のように感じられたのです。
 あるいは日も月も止まってしまったのではないかとさえ思われました。
 私はすっと体を起こしました。
 その時の一同の顔を、私は忘れることが出来ません。
 目を見開いて驚愕する者がおりました。覚えず頭を抱えた者もおりました。皆一様に驚いていたのです。
 数名の体の動きは、しかし、私が目を配るとぴたりと止み、皆はまた背を低く伏せた形で岩のように固まりました。
 ただ一つ、無駄に高い上背の私の頭がのみが、灌木の茂みから突き出た格好となりました。
 相変わらずの濃霧の中に、私の目にもその形が認められるほどに近付いてきている一つの騎馬の影があります。
 それが霧に映り込んで大きく膨れた幻影《まぼろし》でないとするならば、その馬は大層な肥馬であり、打ち跨る人もまた堂々たる恰幅の武者でありました。
 一見すると甲冑は纏っていない様子でしたが、先ほど「耳効き」が、
「鎧武者三騎」
 と申しておったことを疑いなく信用した私には、着物の下に胴鎧か鎖帷子を着込んでいるのだと思われました。
 時折チラチラと鋼が陽を弾く閃光が見えましたので、何か抜き身の武器を携えているに違いありません。
 しかしその光は鋭いとはいえ小さいものでした。さすれば太刀ではなく、槍の穂先でありましょう。
 太刀であれ槍であれ、抜き身を持っているとあらば、あちらの方は当方と闘う意思をお持ちだと云うことになります。……無論、こちらを「敵」と判断なさったその時には、でありますが。
 こちらには目利き耳効きがいてくれた御蔭であちらの人数がはっきりと知れましたが、あちらの方にこちらの伏勢の数がはっきりと判っているとは到底思えません。
 潜んでいるモノがナニであるのか――鼻の効く武将であれば、火縄の臭いをさせていない我々から銃撃される可能性が無いことは判っているでしょうが――正体が殆ど掴めていないものと思われました。
 正体不明のモノが、正体不明の大声を立て、ている。そこに乗り込んでこようという彼の騎馬武者の胸には、一騎当千の自信が満ちているに相違ありません。
 そんな方が、一戦交えてでも守ろうとしているからには、駕籠の中に


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