小懸 ―真田源三郎の休日―【本編】 − 【5】

造で、垂氷の年は確か十三、四でした。
 年頃の娘を連れ歩く様子を慶次郎殿に見咎められ、
「子供のようだ」
 と莫迦にされるのは嫌でしたし、妙に勘違いされて、
「色気付いた」
 と冷やかされるのも嫌でした。
「ノノウが草の役をしていることがあからさまになっては不味い」
 私は漸くひねり出したこの言い訳を、「我ながら良い言い訳だ。反論の余地もあるまい」と自信満々に思ったものですが、垂氷には全く通じませんでした。
「わたしはノノウの頭の千代女様の秘蔵っ子で御座いますよ? 正体が知れるような鈍重《どぢ》をするものですか」
 胸を張って言ったものです。
 私は何故か米咬みの辺りにキリキリとした痛みを覚えましたので、その辺りを指で押さえながら、
「滝川左近将監様ご自身は伊勢志摩のお生まれらしいが、滝川家というのは、元を辿れば甲賀の出だそうだ。高名な甲賀衆の、だ」
「わたし共も元を辿れば甲賀流ですよ」
 ノノウの総帥である千代女殿は、甲賀望月家から、遠く縁続きで同族の信濃望月家へと嫁いで来られた方です。ご実家は甲賀五十三家と呼ばれる忍びの衆の筆頭格でありました。
「だから、だ。同じ流派であれば、その所作で相手が何者かを察するに容易であろう」
 垂氷めは、
「つまり若様は、わたしが鈍重を踏むと仰るのでしょう?」
 童女のように口を尖らせて申しました。
 米咬みだけでなく、胃の腑の辺りまでキリで突き通すような痛みを覚えました。
「万々が一にも、鈍重を踏んでもらっては困る、と言っているのだ」
「判りました。ようございます。わたしは出掛けません」
 ようやっと、その場にすとんと座りますと、三つ指をついて平伏し、
「行ってらっしゃいませ。ああ、若様がこれほどおつむの堅い方だとは思わなんだ」
 館中に響くほどの大声で言ったものです。
 まあとにかくも、私は独り……といっても、馬丁を一人連れておりましたが……厩橋の前田屋敷へ向かったわけです。

 門前で取り次ぎを頼みますと、ご家人が、
「主が、真田様がお越しになったら、厩へお連れするようにと……」
 困ったような、申し訳なさそうな微笑を浮かべて、私を厩へ案内してくれました。
 その厩で、前田慶次郎殿が四尺九寸の黒鹿毛をほれぼれとして眺めておいでたという次第です。
「良い馬だ。実によい馬だ。しかも馬銜《はみ》の跡も鞍の跡もない、全くの野生馬だ。これほどの馬を野に放っておいて、しかもあれほどの騎馬軍を養っていたと云うから、全く甲斐いい上野といい、武田は恐ろしい土地を領していたものだ」
 慶次郎殿は満面に笑みを湛えて、黒鹿毛の首を抱いて頬をすり寄せました。
 馬の方はと云うと、何とも面倒くさそうに鼻をブルッと鳴らしはしましたが、されるがままにしておりました。
 私には馬の心持ちなどは判りませんが、どうやらベタベタとまとわりつかれるのに辟易とし、しかし拒絶するのを諦めている……そのように見えました。
 一頻り馬自慢をなさった後、慶次郎殿は敷き藁を高く積んだ物を床几《しょうぎ》代わりに座られました。そして大きな瓢《ひさご》と朱塗りの大盃を取り出されたのです。並のかわらけの五倍はありそうな大杯でした。
 これを私に示した後、慶次郎殿は傍らの敷き藁の山を顎で指されました。そうして、私の胸元に盃を突き付けたのです。
 受け取らないわけには行きませんでした。
 私は厩で酒宴を張ったのはこの時が初めてでした。無論、この後にも一度とてありません。
「樽や銚子から呑むも良いが、やはり冷や酒は瓢で呑むに限る。よく冷えて、味が締まる」
 そう仰って、


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まろやか連載小説 1.41
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