小懸 ―真田源三郎の休日―【本編】 − 【7】

との事であるが、どれ程の時を慎めと仰せだったか?」
 心の臓は踊るのを止めませんでしたが、それでも私は、精一杯落ち着いたふりをして申しました。
 丸山土佐守は小さな目玉を見開いて、
「矢沢右馬助様のご采配を確かめつつ」
「成る程、大叔父殿からの指示を待て……ではないのだな?」
「左様で」
 土佐の口元に、僅かな笑みが浮かびました。
 私自身も笑っていた気がします。
 父が、ここから先は己自身で考えよ、と言っている――。そのことが恐ろしくてなりませんでした。

 日が暮れ、夜が更けました。
 こうなりますと、夜になったからと云って眠れるものではありません。恥ずかしい話ではありますが、私は小具足姿のままで、引き伸べられた布団の上に古座して、悶々と夜明けを待っていました。
 沼田の方からの知らせが来たのは、子の三つを過ぎた辺りだったでありましょうか。
 垂氷《つらら》はげっそりと疲れ果てた顔をしておりました。
「やっぱり沼田のお爺さんは、鬼でございますよ」
 半べそをかきながら申したのは、大凡次のようなことです。
 歩き巫女の垂氷と山がつの五助が、沼田に矢沢頼綱を訪ねると、折悪しく滝川儀太夫益重様がご同席でありました。
 儀太夫様は甚だ顔色悪く、大きな体を縮こまらせておいでだったそうです。
 五助は恐縮しきった風に額を地面にすりつけて、
「矢沢の殿様に有難い御札を頂戴できると聞いて、まくろけぇしてやって参りましやした。どうかオラをすけてやってくださいませ」
 と申すのを聞いた滝川儀太夫様が、
「御札、とな?」
 と、何故か垂氷に向かってお訊ねになりました。
 垂氷は五助同様ひれ伏したまま、
「せんどな、この五助のおっしゃんのとこの一等上の倅が急におっ死んでまいまして、かぁやんがそれはもう泣いて泣いて、とうとう寝付いて起きらんねくなっちまいまして。あんまりおやげねぇんで、オラとが神様にお伺いたてましたら、ぞうさもねぇ、矢沢のお殿様には諏訪の御社宮司《ミジャグジ》様の神様がへぇっておられるから、お殿様から御札を頂ければ、たちまち治るでごわしょうと仰せになられました。そいで、矢沢のお殿様をさがねたら、こちらにおいでるというので、まくろけぇして参りましたでございます。オラとの神様の言うことに間違いはごぜません。殿様、一枚こさえてくださいませ」
 そう言って、しわくちゃになった「神籤」を差し出しました。
 神籤は薄汚れた紙切れで、確かに何か書かれているのですが、それはミミズをどっぷり墨に浸して、それを紙の上に放って這い回らせた跡にしか見えないものでした。
「また酷い神託よな」
 矢沢の大叔父は眉間に皺を寄せてミミズを睨み付け、それを儀太夫殿にも示して見せました。
 恐らくわざわざそうして見せたのでしょう。つまり、矢沢頼綱は滝川様に対して何も隠しておらず、真田家は織田家に対して二心を抱いていないということを、ごく自然な行いでわかっていただくために、です。
 儀太夫殿は紙切れと大叔父の顔をチラチラと見比べると、
「それでご老体、この娘は何と申した?」
 垂氷めは、内心「しめた」と小躍りしたと申します。わざわざ酷く訛ってみせて、ただの田舎娘と思われようと策を練ってやったことが、まんまと図に当たったと云うのです。
 大叔父殿はからからと笑って、
「過日このノノウが神降ろしをしたところ、五助爺さんの女房の病は、諏訪大社の建御名方神に祈願して護符を頂けばたちまちに治るいう神託が下ったとのことでござる」
「成る程事情は解った。ではその先だ。それがしには、この娘めがご老体を神の


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