小懸 ―真田源三郎の休日―【本編】 − 【7】

化身のように申したと聞こえたぞ?」
「そのことでござるか。なに、当家は諏訪の神《ジン》氏の末でござりますれば、信濃巫女の内には、当家を頼って来る者も希に居るのでござるよ……何分にも、諏訪の大宮までは遠うございますれば、な」
「そうか、ご老体は諏訪神氏か……」
 滝川儀太夫様は細い息を絞るように吐き出されました。この時ちらりと顔を上げた垂氷には、儀太夫様が、
「困り果て、精根尽きて、祈祷を頼みに来た水飲み百姓の顔をしていおいでる」
 ように見えたそうです。ですから儀太夫様が矢沢の大叔父に向かって、
「では儂もご老体にご祈祷を願おうか……」
 と力なく仰せになったのを見ても、何の不思議も感じなかったというのです。
 すると大叔父は喜色満面、
「ではそれがしが護符を書き付ける間、そこのノノウに神楽舞をさせましょう。それ娘、舞え! すぐに舞え、ここで舞え!」
 大いに笑ったのです。
「怒る鬼より笑う鬼の方が恐ろしゅうございます」
 垂氷は力なく申しました。
「たっぷり二時辰《とき》、休み無しに神楽舞をさせられました。謡いもわたしがやるのですよ、舞いながら! その上……」
 矢沢頼綱大叔父は、垂氷が舞い謡う間に数十枚の「護符」を書き上げました。
 内、一枚は五助に授け、一枚は滝川儀太夫様に献じ、残りを束にして、
「これを、城下に住まう諏訪大社の氏子に配って歩け」
 垂氷に持たせたのです。
「そう言われれば、『これこそ草やノノウが待ち望むような密書の類に違いない』と思いますでしょう? ところが、でございますよ!!」
 垂氷は紙切れを一枚差し出しました。
 質のよい真っ白な細長い紙でした。上半分に、四字絶句のような文字の列が書かれております。

 業盡有情《ごうじんのうじょう》
 雖放未生《はなつといえどもいきず》
 故宿人身《ゆえにじんしんにやどりて》
 同証佛果《おなじくぶっかをしょうせよ》

「鹿食之免、か。確かにお諏訪様の御札だな」
 腑に落ちる、というのはこのことです。大叔父は時に狩猟もするであろう山がつに「諏訪明神の御札」と乞われて、それに相応しい御札をくれてやったのです。
 何の間違いもありません。しかし垂氷にはこの真っ当な御札が気にくわなかった様子です。
「ええ、本当に本当の御札でございますよ。透かしてみても、水に浸してみても、火にかざしてみても、細かい端々まで目を皿にして眺め回しても、なんのお指図も書かれていないのですよ!」
 今にも泣きそうな声音で申しました。
 そもそも鹿食之免と申しますのは、諏訪大社が猟師を始めとする氏子達に出す形式的な「狩猟許可書」です。
 殺生を禁ずる仏教の教えに従えば、獣を狩ってそれを食することは大罪にほかならない。しかし、飢餓の冬などには獣を喰わねば人が死んでしまう。そこで、獣を捕らえ喰うことに、
「前世の因縁で宿業の尽きた獣たちは、今放してやっても生きながらえない。それ故、人間の身に宿す、つまり食べてやることによって、人と同化させ、人として成仏させてやるのだ」
 と理由を付けて、神仏の名において正しいこととして許しをあたえる。
 それが鹿食之免です。
 神罰仏罰を恐れ、来世の幸福を願いながら、現世で生きることもまた願う、そんな人々の心に、僅かな安堵を与えるための方便が、この文言なのです。
 私は大叔父が贋とはいえ護符を書くに当たってこの文言を選んだことに、妙に納得したものです。
 私たち武家の者は、多くの敵兵を殺し、あるいは兵ではない人々からも血を流させ、それを「国家安寧のためやむなし」などと称して生きているの


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まろやか連載小説 1.41
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