小懸 ―真田源三郎の休日―【本編】 − 【8】

叫んだおつもりであったのでしょう。しかし回りの者共には聞こえなかったやも知れません。
 森長可殿が、
「なんだ、この城にも人がいるではないか! なんとまああっぱれな武者であろうか! さあ、近う寄られよ!」
 と、仰る大層大きな声に、かき消されてしまったに違いないからです。
 少なくとも、その小童には義昌殿の声が届いては居なかったのでしょう。耳に届いた方の声に招かれるまま、すぅっと、長可殿に歩み寄られたのです。
 松丸殿は長可殿の前に大将のように胡座を組み、座りました。胸を張って、
「きそいよのかみがちゃくなん、いわまつまるにござる」
 堂々と名乗られました。ご立派な振る舞いにさしもの鬼武蔵も瞠目したと見えます。居住まいを正して、慇懃に名乗りを返されたのです。
「承った。それがしは森武蔵守長可にござる」
 その名を聞いて、流石に岩松丸殿も驚いたことでありましょうが、森殿が続けて、
「この騒がしき中、なんと堂々たるお振る舞い。この武蔵、感服仕った。先ほど木曽に人無しなど申したが、なんと我が目の暗いことよ! ここにこうして岩松丸殿が居られるではないか。岩松丸殿こそ木曾家随一の武者であられる。見事なり、あっぱれなり」
 などと持ち上げたものですから、悪い気はしなかったのでありましょう。
「ごこうめいなおにむさしどのにおほめいただき、いわまつまるはかほうものにございまする」
 などと回らぬ舌で……少々正直すぎるきらいはありましたが……返答なさいました。
 さすれば森殿はますます感心して、
「おお、なんと賢い子であろう」
 楽しげに笑い、肯き、手を打って岩松丸殿を褒めちぎるのです。
 子を褒められて嬉しくない親がおりましょうか。
 義昌殿の青白い頬に赤みが差しました。ただし、ほんの一瞬のことです。
 義昌殿が何か言おうと口を開き掛けたとき、森武蔵殿はすっくと立ち上がり、
「気に入った! 岩松丸殿を我が猶子としよう!」
 言うが早いか、岩松丸殿を抱きかかえたのです。
 そして、森長可殿は童子を抱いたまま木曾義昌殿の傍らに進み、その真横にドカリと腰を下ろされました。
 よく、「あっと言う間」などと申しますが、この時の義昌殿には「あ」の声を上げる暇すらありませんでした。
 幼い嫡男が退治する《ころす》つもりの鬼《てき》の膝に抱きかかえられています。鬼《てき》はニコニコと笑っております。そればかりか、当の岩松丸殿も笑っておったのです。
 森武蔵守長可という御仁は、その外見だけを見ますれば、それこそ十六の面そのものの美しいお顔立ちで、優しげな方であったと、私めも聞き及んでおります。
 それ故、小さな子供には「鬼」には見えなかったのでありましょう。むしろ自分を褒めてくれた、頼もしい大人に思えたのやもも知れません。
 森長可殿が本心岩松丸殿を買っておられたのか、あるいは、童子の器量など最初から眼中になかったのかは、定かではありません。されどこの時の森殿は、膝に抱いた岩松丸殿の屈託のない笑顔を見るとさも嬉しげに、
「岩松丸はあっぱれな子だ。なんと我はよい子を得たものであろう。イヤ目出度い、目出度い。誰ぞ酒を持て! 肴を持て!」
 まるで自分の屋敷に居られるかのような口ぶりで、他人の家人に物を言い付けられたそうです。
 この振る舞いに、流石に木曾義昌殿も腹を立てたものでありましょう。
「武蔵殿っ……」
 何か言いかけたのですが、次の言葉が出せません。
 森長可殿の膝の上で笑う愛児の首もとで、何かが……鋭い金属の何かが、灯明の光を弾いたのを見た為でありました。
 義昌殿は眼を森


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