小懸 ―真田源三郎の休日―【本編】 − 【9】

言わず体中をバタバタと振り揺すり、城内隅々まで聞こえるほどの大声でぎゃぁぎゃぁと喚きました。
 まるで駄々を捏ねる童のようでありました。
 喚き声の主は廊下へ出、出口の側へ曲がり、柱やら壁やらの陰に隠れて、私からは姿が見えなくなりました。その後に及んでもまだ声も床を叩き蹴飛ばす音も聞こえます。
 私は、次第に遠くへ去って小さくなって行くその音に、
「頼んだぞ」
 と声を掛けました。
 思わぬ大声でありました。自分でも驚くほどの声量でした。
 途端、音がぴたりと止みました。
 静寂がありました。息が詰まるかと思ったころ、
「承知いたしました」
 泣き腫らした童めが、掠れた声を張り上げてそう答えてくれました。

 山中では余り多くの兵を引き連れていたところで、かえって身動きが取れなくなりかねません。私は雀の涙ほどの兵を選びました。
 その中に、沼田から「偶然」岩櫃に来ていた矢沢頼綱配下の禰津《ねづ》幸直《ゆきなお》を、無理矢理組み入れました。
 幸直は私と年が近く、何よりこの男の母親が私の乳母であったこともあり、幼い頃は実の弟よりもなお親しくしておりました。
 そのように気心の知れた者を側に置きたい心持ちだったと云うことは、この時の私は相当に気弱になっていたのでありましょう。
 ああ、幸直は本当に「偶然」岩櫃にいたのか、と?
 そうに違いありません。私が幸直に、
「久しぶりに顔を見たい」
 というような文を送ったのは、父が私に碓氷峠へ行くように命じるよりも「ずっと」前のことですから。
 つまりは、私は「ずっと」心細かったと云うことです。
 さても、私が選んだ者達は、精鋭とも云える者達でありました。さりとて、幾ら歴戦の強者そろいであっても、その時私が選び出した人数で、戦が出来るはずもありません。
 それほどの少数でありました。
 精鋭達は口にこそ出さぬものの、その顔に浮かぶ不安を隠しませんでした。
 しかも私はその少数の兵達に、武装ではなく、山がつのさながらの身軽な装いをさせたのです。率いる私も、無論も同様の出で立ちです。
 身支度した私達の姿は、遠目には猟師か農夫のように見えたことでしょう。
 これには動きやすさと、偽装との両方の意味とがありました。
 鎧や刀の類も、できるだけそうと知れぬように偽装させています。鎧櫃《よろいびつ》などではなく、ありきたりの行李に入れるか藁茣蓙《わらござ》の様な物に包み、槍をもっこ棒として、あるいは天秤棒として、運ぶのです。
 それではいざと言うときにすぐに戦えぬ、と、お思いでしょう。兵達もそのように申しました。
「いざ、は、ない」
 私は断言しました。
「もし、山中で誰ぞにであったとして、戦にはならぬ」
 この頃の戦線は、信濃国境より離れたところにありました。
 戦をするつもりの侍が戦場でも戦場への道筋でもない山の中に、武装したまま入ることは有り得ません。
 戦をするつもりのない侍ならば……つまり戦場から逃げ出したただ一個の人間であるならば、鉢合わせしたところで畏れる必要はありません。
 武装して「見せる」必要があるのは、峠に着いてからであう人々です。
「それでは変装する必要も無いのではありますまいか?」
 ぬけぬけと申したのは幸直です。他の者達は口を開きませんでしたが、その顔色を見れば、我が精鋭達が私という将を信用していないことが知れるというものです。
 仕方のないことです。
 私は小倅です。しかも小心者です。
 そのことを隠すつもりはありませんでした。
「私は腰抜けだ」
 むしろ胸張って申しました。
 皆、憮然た


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