小懸 ―真田源三郎の休日―【本編】 − 【9】

る面持ちで私を見ました。
「さりとてそのことで誹《そし》りを受けるのは口惜しい。誰からも『己が身の保身のために、大仰に兵を動かした』と思われたくないのだ。滝川様の側にも、北条殿の側にも。それから、行けと命じた父上にも」
「一番最後が、一番肝心にございますね」
 幸直が笑んでくれた御蔭で、私も、他の兵達も、幾分か心が落ち着いたものでした。
 準備が総て整い、いざ出立というその前に、さらにそれらしく見えるよう顔に泥や煤を塗ることを提案した者がおりました。私はその案を退けました。
「そのようなことをせずとも、そのうちに汗みどろになって汚れ、疲れ果てて人相が変わる」
 私はつい三月ほど前の事を思い起こしておりました。
 甲斐新府の城が、その主たる武田四郎勝頼様の御命令により焼き払われた時のことです。
 私と弟の源二郎、姉妹とまだ小さい弟達、母や叔母、親戚の女子供は、城を出ることを許されました。
 木曽昌義様が逸早く織田様に「付いた《寝返った》」がために、その縁者の方々が首を刎ねられたのは、その更に一月ほど前の事でした。
 我々が命を拾ったのは、父が最後まで武田から離反しなかったためです。厳密に申すならば、離反を宣言しなかったため、かもしれません。
 ともあれ私は、親族と、僅かばかりの女中郎党を率いて新府を出、私達だけの力で父がいる砥石へ向かわねばなりませんでした。
 真田の猛者達は、殆ど父に率いられて砥石に籠もっており、そこから出て来ようがありませんでした。
 武田の兵士は勝頼様に従って敵地へ行くか、武田を見限って各々故郷に行くかしました。
 護衛など、頼みようがありません。
 私達は深い山の中を彷徨いました。食料などを持ち出す暇はありませんでしたから、すぐに空腹に苛まれることになりました。何か採ろうにも地面は雪と枯葉に覆われ山菜の芽も出て居おりません。
 致し方なく、唯一枯れていない物を採って食べました。
 杉の葉です。
 いや、ごもっとも。杉の葉などは線香や狼煙の材料であって、まったく人の食べる物ではありませぬ。
 人ばかりか、獣もあのような物に口を付けるものですか。
 鹿や猿めらが冬の最中の木の実も草もない時に致し方なく杉を喰うなどというときでも、葉ではなく木の皮を剥いで、その内側の柔らかい所を食べるのだと云いますから。
 しかし我らは食べました。
 食べるより他になかった。
 一応、人間らしいことはしてみました。火を熾して、煮てみたのです。いくらかは食べやすくなるかと思いましたが……。
 青臭く、油っぽく、渋く、苦く、固い。
 いや、思い出しただけでも口が曲がります。
 その時も私は曲がった口で私の精鋭達に申しました。
「いざとなったら、アレを喰えばいい。一息に十か二十は歳を取ったような渋い顔に変わる。だから、わざわざ出がけに何か細工をする必要はなかろう」
 皆苦笑いしました。
 武田滅亡の折には、その禄を食んでいた者達の大半が、大なり小なり苦労をしたのです。
 父の下にいた者達は混乱の前に砥石まで引いておりましたから、私ほど酷い目を見なかったやもしれません。
 しかし他の所にいた者達は、あるいは私よりも余程辛い目を見たやもしれません。
 皆、そんな思いは二度としたくないと願い、同時に、またあの苦しみを味わうことになるやも知れぬと畏れました。
 この時に誰ぞがぽつりと零した声が、未だ耳に残っております。
「そんなものでも、喰えば腹は膨れる……」
 誰が申したのか、思い出せません。幸直か、あるいは別の者か。
 存外、私自身が言ったのやもし知れません


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