迷走の【吊られた男《ハングドマン》】 − 【5】

たされた。
 鉛ガラスと、木枠と、日干し煉瓦の砕け散るその音。
 湿気たカビの胞子を吐き出す、腐った土をまとったその兵団は、声にならぬ咆吼とともに、壁を、床を、突き破って現れた。
 まだ新しいはずの死体達が、朽ち木のような腕を伸ばし、生きている者達ににじり寄る。
 エルの身が、硬直した。
 予想外だった。彼女は敵が目の前の一体だけだと思いこんでいた。
 今まで、流れるような挑発を紡ぎだしていた唇が、突如として整わない言葉を発し始める。
「何ということを……。司祭殿、あなたはここまで望んだのですか? 死体を【グール】に堕とすなど……冒涜《ぼうとく》です! あなたはっ」
 言葉が、途切れた。
 赤黒い、腐った蛇の一軍が、彼女に襲いかかり、その身体を捕らえ、まとわりつく。

 瞬間のできごとだった。
 紅い剣を降る暇もなかった。
 断ち切った「鞭」が、復元したのか。あるいは、隠し球を繰り出したのかも知れない。
 モルトケ司祭の形をしたモノの肩口から不自然に生えた、幾筋も赤みを帯びた黒い筋が、エルの細く柔らかな身体を締め上げる。
「あっ……ン……ああ、っく」
 苦痛の吐息が漏れる。身をよじり、足掻き、悶える。
 息を呑むほどにおぞましく、息を吐くほどに美しかった。
 その様子を、ブライトは、鼻の下を伸ばして眺めている。
「クレちゃんってば、相変わらずいい声で鳴くねぇ……。できれば俺様のテクで、ああ鳴かせたいんだがなぁ」
 悠長に、まるで危機感無く、むしろ涎を垂らさんばかりに凝視している。
 生ける者の肉を求むる死者の腕が、彼自身の足元にからみついてなお、この男はにやけ顔を崩さなかった。
 司祭を操るモノは、彼の肺腑の内の気体を全て押し出し、高笑いしていた。
『私の言を入れぬ者には、破滅が訪れるぞ。我が不滅の兵団は敵対する者全てから、この国を護ろうぞ』
 エル・クレールの紫に褪せた唇が、笑みを形作った。
 苦しみながら、彼女は言う。
「ふっ……不滅……? あれが、不滅……の兵団だ、と言うの……ですか……?」
 彼女の潤んだ、しかしハッキリとした視線を、よどんだ、しかもどんよりとした視線が追う。
 そこには無数の人影があった。
 大半は床に伏している。
 立っているのはわずか二人。
 ブライト=ソードマンと、尼僧。
「おたくの兵隊さん達、まるで日が経って湿気っちまったバケットみたいだぜ。外はバリバリ、中はグズグズでさぁ」
 ブライトは笑む。不敵に、大胆に。
 尼僧は失神しかけていた。
『何が起きた? 何時の間に、何をした!? まさか【グール】を……素手で屠っただと!?』
 司祭の姿をしたモノは、ピクリとも動かない彼の兵士達を、呆然と見た。
「中途にまじめなヤツは、これだからいけねぇや。自分は完璧だと思い込んで、前にしか進まねぇ」
『莫迦力の下郎が、聞いた口をっ』
 ブライトは手を拱むと、それを前に突き出した。
「莫迦はどっちだ? 俺の腕力で【グール】が倒れたとしか見えない……いや、見ようとしないおまえさんじゃねぇのか?」
『うぬっ!』
 司祭は拳を握った。左のそれの皮膚が、中から持ち上げられたように、もぞっと動いた。
「見つけたっ!!」
 掌に力を入れると、ブライトは叫んだ。
「親友《とも》よ! お前達の赤心《せきしん》、借りるぜ!!」
 拱《く》まれた指の間から、炎のような赤がほとばしった。
『なにっ? まさか貴様も!?』
「正解!」
 結んだ指を解き放つ。
「出よ、【恋人達】《ラヴァーズ》!」
 叫びと共に、腕はこじ開けられたように広がる。
 掌から発す


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