幻惑の【聖杯の三】 − 【4】


「どうやら、そうらしい」
 それは三町先でも聞き取れそうな、あまりにもハッキリとした大きな声だったので、エル・クレールはずいぶんと肝を冷やした。
 ギュネイ朝の帝室侮辱罪は、すこぶる重い。
 彼女はおそるおそるシィバ老人を見た。
 この老人は、軍とつながっていると明言しているのだ。ブライトを…自分も一緒に…憲兵に突き出すやもしれない。
「ふん」
 老人の鼻笑いには、軽蔑と同意と、ある種の羨望が混じっていた。
「若さというのは、実に良い物じゃの。命よりも魂を優先できるのは、若い独り者の特権よな」
「はぐらかすなよ、じいさん」
「はぐらかしてなどおらんよ。わしもおぬしのようにハッキリと拒絶ができればハンター探しなどせん、ということじゃ」
「けっ!」
 ブライトは空になった茶器をテーブルに放り投げた。弧を描いて転がるそれは、天板の端でエル・クレールに取り押さえられた。
「相当嫌いなようじゃな」
「軍だ国家だ役人だ朝廷だなんてのを聞くと、頭痛と吐き気が一遍に来る体質でね」
「オーガハンターとして登録し、実際にオーガを倒してアームを提出すれば、報奨金が出る。関所という関所を素通りできる通行手形もくれるそうな」
「金なんぞ…」
 喚きかけて、ブライトは口をつぐんだ。
 エル・クレールの目が輝いている。
「通行手形というのは、事実ですか?」
「ほう、そっちの方が気になるか?」
 鼻先に革張りの頭蓋骨がニタリと笑ったようなシィバ老人の顔を突きつけられたエル・クレールだが、
「はい」
 真っ直ぐな答えを返した。老人は穏やかな瞳でうなずいた。
「ゲニック准将はそう言っておった」
「あの見栄っ張りエロオヤジの言うことなんざ、輪ぁかけて信用できねぇ!」
 また大声を出したブライトの、その刺々しい言葉の後に、エル・クレールが、
「同意します」
 力を込めて付け足した。
「ほほう。嫌い嫌いと言いながら、軍の人材には詳しいな」
「詳しいから嫌いになる」
 ブライトは椅子を蹴り倒しながら立ち上がった。
 手袋もどきがワラワラと彼の足元に集まり、あっという間に倒れた椅子を起こす。奇妙な擬似生命体の主はその様に笑みを浮かべつつ、言った。
「ではこれは知っておるかな? ゲニックの十何番目かの倅で、ずぅっと養子に行きおくれておったカリストという小僧の縁談が、ようやくまとまったそうな。相手というのが、なんとこの郷の庄屋の一人娘のハンナでな。今夜が婿入りの宴ときている」
 ブライトは眉間にしわを寄せ、エル・クレールの顔を見た。
 ずいぶんと驚いている。彼女は首を大きく左右に振り、つぶやいた。
「それは、存じ上げませんでした……全く聞いていない……」
 ブライトの眉間のしわが深くなった。
 このあたりは、ギリギリでミッド公国の領地なのだ。領内で貴族が婚姻を結ぶというハナシが、領主の跡取り娘にまるで伝わっていないと言うのが、少々腑に落ちない。
「このあたりは、見かけに依らず土地が肥えておるでな。庄屋も小銭を貯め込んでおる。じゃから、方々の貧乏貴族から縁を求められておった。その中からゲニックの倅が選ばれた理由は、わしにはわからんがね」
 老人の言葉に、エル・クレールの肩がビクリと揺れた。
「エル坊、もしかして、おぬしはゲニックの倅の知り合いかね? それとも庄屋の娘の方を知っておるか?」
 うつむいた彼女の顔を覗き込む老人の襟首を、ブライトが掴んで引き上げた。そして不機嫌声をエル・クレールにあびせた。
「どっちだ?」
「両方、です。もっとも、代官扱いの庄屋の息女は『ちらっと顔を見ただけ』で、カリ


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