いにしえの【世界】 − 朝ぼらけ 【17】

ほうをちらりとご覧になったところまでは……。そこから先のことは良く思い出せません。目がチクチク痛んだことぐらいです」
 木戸番の両の目は、酷く充血していた。
 座長フレイドマルは、小太りの体をガタガタと震わせつつ、役人の問いに神妙に答えた。
「確かにお屋敷から小屋へご案内いたしました。途中、呑み喰い屋に? ええ、寄りました。店の中を覗き込んだとき、埃が酷くて目がチクチクしました。閣下は私を気遣ってくださいましたよ。小屋についてすぐ、私は用があって舞台裏に参りまして……戻ってきたときにはもうお姿はなく、奇妙な、真っ黒い化け物が暴れておりました」
 座長は顔中を包帯で覆い隠していた。
「目玉が落ちた……らしいんで。ええ、覚えておりません、なにも。どこかで怪我をしたのか、化け物に喰われたのか、何なのかさっぱり」
 団員達のほとんどは楽屋裏におり、皆、客席の側で何が起きたのか判らないと言う。
 客席の側に居たのは指揮者一人と楽隊員五名、そして戯作者だった。
 楽隊員達は異口同音に
「グラーヴ卿が化け物になった」
 と証言した。
 ところが、同じ場所にいた戯作者がそれを否定した。
「最初から化け物でしたよ。少なくとも、劇場にやって来たヨハネス=グラーヴらしいものは、人間の服を着て人間のふりをした化け物でした。……いつから本物と化け物が入れ替わってかなんて、それは私《あたし》の知ったことじゃありませんよ」
 村役人は、ヨハネス=グラーヴを「生死不明、行き方知れず」と断じ、報告書に記録した。
 呑み喰い屋の外で農夫達を殺した犯人として真っ先に嫌疑をかけられたのは、身元のはっきりしない余所者《よそもの》である、エル・クレール=ノアールとブライト=ソードマンだった。
 取り調べはブライト一人が受けた。
 彼は役人にエル・クレールは重傷を負い伏せっていると告げると、あとは何も言わず、自分の腰の物と「主人」のそれとを役人に提出した。
 古びた長剣と真っ二つに折れた細身の剣は、持ち主にかけられていた疑いをすぐに晴らしてくれた。
 樫の木を削りだした模造刀では、人を「斬り殺す」ことは到底できない。
「俺達は……特にウチのかわいい姫若様は……人を傷付ける道具が大の嫌いでね」
 律儀な村役人は、ブライトの不可解な物言いも一字一句違えることなく書類に書き記した。
 次に疑われたのは片耳を削がれた勅使の衛兵だった。大柄な剣術使いの剣には、脂による曇りがこびり付いていた。
 決定的といえる証拠があったにも関わらず、村役人は彼を捕縛することができなかった。
 衛兵は件の長剣の切っ先を自分の喉元に向けると、勢いよく大地へ倒れ込んだ。
 この「十人目の死者」が出たのは、夜明けの鶏が鳴く直前だった。
 村役人は夜なべで書類を書き上げた。
 正体不明のものが、屋敷の下男下女を殺害。
 勅使ヨハネス=グラーヴになりすましてグラーヴの家臣を欺して農夫達を殺害させた。
 人々が集まるであろう芝居小屋に赴き、人々に害なそうとして、家臣達を死傷させた上、逃走した。
 そういった事件の概要を書きまとめると、彼らは何故かその書類を、ブライトの所へ持ってきた。
「貴公のご主君は……」
 若い地方官は恐る恐る切り出した。
「ウチの姫若様が、何だって?」
 ブライトは不機嫌を丸出しにして彼を睨み付けた。
 利き腕の骨を折られ、全身を強く打ったエル・クレールは、村の宿屋の一室で手当を受けている。その「病室」に、彼は入ることを許されていないのだ。
 宿屋の亭主に言わせれば「宿で一番上等」だという部屋の、立て付けの悪


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