小さな卓上灯の油壺に、持って来た菜種の油を注ぎ足しました」
「お殿様が、油を?」
イーヴァン少年の声音の裏には、驚きと疑念があった。彼には一城の主がそのような雑用をするということが信じられなかった。
エル・クレールは少しばかり気恥ずかしげに
「君の亡き父上や、あるいは姉上……ヨハンナ=グラーヴ殿であれば、このようなことは決してなさらないでしょうね。しかし、我が家は家格は高くても恐ろしく貧乏だったのです。お恥ずかしい話ですけれども、充分な数の従者を雇う余裕がありませんでした。よって、自分の手の届く範囲のことは、自分で行う。灯明の油が切れかかっているのに気付いたら、例え領主であっても、率先して補充するのが当たり前になっていたのですよ」
エル・クレールが少々憚るように言うと、ブライトが、
「もっとも、流石に『やんごとなき奥方様』には、そんなこたぁさせなかったろうな」
後頭部を掻きながら呟く。エル・クレールは小さく頷いた。口元に笑みが浮かんだが、眼の色は少しばかり曇っている。
「ですから、父は手慣れた手つきで油を注ぎました。油がゆっくりと流れ落ちるのを、父は楽しげに見ておられた……」
「油を差すのが楽しい、ですか? 若先生には申し訳ありませんが、若先生のお父君は変わった御方ですね」
イーヴァンが言い終わるらぬうちに、彼の脳天がゴツリと大きな音を立てた。
『黙れ』を言葉として口から出すよりも、拳に言わせた方が早くて確実だ、と考えるのが、ブライトの思考の基本的な傾向だ。
効果は覿面だった。
イーヴァン少年は黙り込んだ。目に涙を滲ませている。