先祖伝来の家宝などに、小指の先ほどの未練もお持ちではなかった。そんな物はむしろ捨ててしまいたいと思っておられた。
殿様にとって、都そのものが悲しい思い出の器に他なりません。景色の何処を見ても、妻を、息子たちを、彼等の哀れで無惨な亡骸を、ありありと思い出してしまうのです。
領地替えの前には、殿様は大変気落ちなさっておいででした。都を離れたい、家族のいるところへ行きたいと、主上に訴えたこともあったそうです。
ですが遠回しな死への願いは叶えられませんでした。
なぜって? そんなことをしたら、彼の一族に起きた不幸は、主上が謀ってしたことだなどという「下らぬ流言」が飛ぶに違いないではありませんか。
ですから主上は殿様の寿命が短くなるような願いはお聞き入れにならなず、もう一つの方の願いのみを聞き入れた。
そうですよ。殿様が全部を召し上げられ、新しい土地へ行くことになったのは、全部殿様のご希望です。殿様が主上に願い出て、それが適ったのです。
他の者がなんと言おうとも、それが真実です。
ですから、殿様は都を離れることに何の不満も抱いておられなかった。むしろ遠くへ離れられることを喜んでさえおられた。
ただ、主上の養女を後妻にあてがわれたことには、少しばかり不満があったのかもしれません。
若い奥方は殿様の亡くなられたご長男と同じ年頃でした。
そのうら若い娘子が、親ほども年齢の離れた年寄りの所に嫁がされた上に、故郷を離れた遠い田舎に押し込められるなど、哀れでならない。……例え彼女が養父から与えられた「監視役」の職務を忠実にこなしているだけだとしても、殿様は奥方を本当に可哀相に思っておいででした。