小懸 ―真田源三郎の休日―【本編】 − 【6】

し訳なく、それを詫びに行こうとか取り繕おうとかするために身を起こす心持ちになれないことが不甲斐なく、どす黒い吐き気と頭痛とを取り払うことも出来ず、怠惰に悶々と布団の中に居る己に、不機嫌を募らせていました。
 ですから、素直に笑ってやることも、素直に無視してやることも出来なかったのです。
「『おもてなし』と『面なし』を掛詞にしたか。面白い、面白い。笑うた、笑うた」
 私は野茨の棘の如くささくれ立った言葉を垂氷に投げつけると、掻巻を頭まで被りました。
 薄い真綿の向こうで、垂氷は笑っておりました。
「面白うございましたか? 頂上、頂上」
 悪念も邪心も感じられない、穏やかで、心底楽しげな声でした。
 私は己の惨めさに打ちのめされたものでした。

 お恥ずかしい話ではありますが、この後数日の間、私は長々と「不機嫌」で居続けました。
 何事も起きなければ、もっと長く不機嫌の侭であったやも知れません。
 手水を使う以外には布団から出ず、食事も粥の類を布団の中ですすり、書も読まずに、
「不快」
 を言い訳にゴロゴロするだけの日々を、数日どころか一月も二月も過ごしていたに違いありません。

 そうです。何事もなければ。

 その日の朝、一人の「百姓」が砥石へ駆け込みました。直後に一人の「山がつ」が砥石から駆け出しました。
 その者は、人の通わぬ、道とは到底思えぬ木々の間、岩の影を風のように駆け、岩櫃の山城の木塀の間に消え入ったのです。
 老爺でありました。顔には深い皺が刻まれ、手足の皮膚の肌理の奥まで土が染み込んでおります。
 汗と埃の臭気が、汚れた衣服から沸き立っていました。
 砥石から岩櫃まで一息に駆けたその『草』は五助と名乗りました。
 頭を下げると同時に一通の書状、というよりは折りたたんだ紙切れを差し出したのです。
『水無月二日 本能寺にて御生害 惟任日向』
 書いた者は、相当に慌てていたのでしょう。文字は乱れ、読み取るのに難儀しました。
 内容は簡潔にして要領を得ません。
 そのまま読めば、惟任日向という人物が本能寺で死んだかのように取れるかもしれません。
 しかしそれは全くの逆でした。

 本能寺で殺したのです。明智日向守光秀が、織田上総介信長を――。

 不思議なもので、私はその意を汲み取った瞬間、奇妙な……安堵としか云い様のない感覚を覚えました。
 まるで、そのことをずっと待ち続けていた「起こるべき事」がようやく起き、中々に決まらなかった事がとうとう決まった、といった、安堵の心地です。
「沼田へは?」
 五助が父から、「この事」を矢沢頼綱大叔父へ「どのように知らせる」べく命を受けているのか、確かめる必要がありました。それによって、私が取るべき行動が決まって参ります。
「速やかに、そっと、お知らせするように、と」
「ふむ……。では、お前自身、沼田に伝手があるか? 縁者が居るとか……」
「は?」
「恐らくは、滝川様方にも織田上総介様御生害の報は届いておろう。さすれば、街道の役人の詮議もやかましくなっている筈。縁がある者が沼田に居れば、咎められだてすることなく城下出入りできよう」
「『道』は、弁えておりますれば」
 五助は手捻りの土雛の様な顔で申しました。
 私のような若造よりも、余程に人に知られぬ――それはすなわち、滝川様の御陣営の人々、という意味ですが――手段を持っている、と言いたいのでしょう。
『草』には『草』の自負があるものです。
「こちらにて充分に休みました故、これより直ちに走り出しますれば、今日の内には沼田の御城内へ入り込めましょう」
 


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