愛の顔つきで、紅いトネリコを慕い、守ろうとしている。
男は、根元から数m離れ、紅いトネリコの周囲を回った。
亡骸の数は15。
「いや、16か? 幹の中に……女がいる……」
真紅のトネリコの幹から、18,9歳とおぼしき女性の、白い上半身だけが浮き出ていた。
しなやかな肉体を無骨な幹につなぎ止めているのは、赤黒い鎖だった。
まるで足の甲に浮き出る血管のように、その女性の下半身を覆い、捕らえ、締め付けている。
その様を例えるなら、囚われし乙女のレリーフ。
悲しげで、苦しげな眉。
強い決心と、その決心に対する不安に満ちた口元。
穏やかに、焦燥する、閉ざされた瞼。
「俺は、お前さんに似た女(ヒト)を、知っている。残念なことに、それが誰なのかは覚えちゃいないが」
脳漿が沸騰するような痛みに耐えながら、男は樹の中に身を埋める女性に近付いた。
「彼女は、運命に逆らわない女だった。良く言えば従順、悪く言うと無自我」
女性の瞼が、かすかに動いた。
「だが、お前さんは違うようだ。少なくとも、何かをしなければならないと思っている。……違うかい?」
「父の仇を討ちたい。母を助け出したい。この国を護りたい」
女性が、静かに語った。
「でも私にはその力がない。だからその力が欲しい。でもそのためにどうすれば良いのか、解らない」
「そうやって悩んでる内に、人外に堕ちたって訳だ」
「人……外……? 私が、人でなくなった?」
「足下、見てみな。お前さんの『力が欲しい』と言う欲望のために、犠牲になった者達の骸が、ゴロゴロしてる」
目が、見開かれた。
翡翠色の瞳から、驚きと悲しみの涙があふれた。
「私は……みなを犠牲にしてまで強くなりたいなんて……」
「……連中が、お前さんに強くなって欲しかった、のかも知れんがね。あるいは、あんたにだけは、ここに留まって欲しいと願ったか」
男は、握り締めていた掌を、ゆっくりと広げた。
小さな珠が、紅く輝いた。
「現に、こいつはあんたのことをえらく心配していたぜ……クレール=ハーン姫よ」
口をついて出てきた名前に、男自身が驚いていた。
世が世なら「クラウン・プリンセス」であったかもしれない、ジオ3世の一人娘は、まだ確か13歳のはずだ。
しかし目の前の女性は、それより5歳は年かさに見える。
だが、彼女の心は今だ13歳の童女のままらしい。
「私のために人が死ぬのは、もうたくさん。誰も傷付けたくない。誰にも傷付いて欲しくない。でも……私は、どうしたら良いの?」
不安をあらわに、泣きじゃくる。
「少なくとも、ここに根を張るのは、間違いじゃねえのかな」
男は、親衛隊員の「魂(アーム)」を、クレール=ハーンの足下に投げ捨てた。
両の掌が、熱い。頭の奥で、声がする。
[主公よ。我らの力を解き放ちたまえ]
男の両掌が、互いを引き寄せ合っている。
拱まれた掌を、当たり前の所作のように、胸の前へ掲げた。
重なり合った掌底に、力が、他人の力と、自分の力が、集まってくる。
『強い。「これ」は、どんな武器よりも強い』
男は、みなぎってくる力に震えた。
この力があれば、何でもできるかもしれない。例えば……。
「この禍々しい樹を、伐(き)る」
言い終わると同時に、両手は反発する磁石のように弾け広がった。
紅蓮の光が二筋、掌からあふれ、一対の剣の形を為した。
袈裟懸けに一閃。
赤い剣は紅いトネリコと白い人型とを両断した。
塩水が蒸発するような光景だった。
巨大なトネリコと、15の亡骸と、1つの小さな珠は、赤い閃光となる