を、訪れた場所を、数え切ることは、そう簡単なことではなかろう。
I氏は決して食通とは言えぬが、食道楽ではあった。
値の高低には頓着がない。和、洋、中の別はもとより、飯でも蕎麦でも菓子でも酒でも、旨いと聞けば、躊躇なく口にした。珍しいと聞けば、予定を変更して脚を伸ばしもした。
そういった訳であるから、街のちょっとした食物屋には、大抵はI氏の痕跡が残されている。
壁にはサインの類が、飾られて久しく、黄色く変色している。書棚には手摺れのした単行本や文庫が、ぞろぞろと並べられてあった。
M氏からすれば、そんな物は、
「見るも嫌だ」
で、ある。
「そうさ、あの時だって、締め切りのことなど考えもせず、蕎麦を手繰りに来ようという迷惑な道程で、輪をかけて迷惑千万なことをしでかしたのだ。いや、そうに違いない。畜生、あのことの元となったような店などに、金輪際近づくものか」
そういう理屈をこねつけて、自然とそれらのある小店には、たとえ昔馴染んだ、味の好みの合う店であっても、顔を出さなくなった。
かくて、今では、街のどこの飯屋にも行けなくなっている。
そうやって、努めてI氏の痕跡や「匂い」じみたものから遠ざかろう、距離を置こうとしているM氏ではあるが、それでも、ただ一つ、遠ざけがたいものがあった。
それは、今まさに、M氏の目の前にいる。
誰あろうか、細君その人であった。
細君は、押し掛け女房である。
M氏の父親が、急な病に倒れた折りに、大振りのトートバッグに数日分の着替えと、十冊余の文庫本だけを詰めて、ほとんど無理矢理に、この家へ上がり込んだ。
ちなみに言えば、M氏の母親という人は、M氏が若い頃……特急列車での件と前後して……亡くなっていた。
もともと、二人は幼なじみの間柄であって、年齢は大分に離れていたが、そのために、細君はM氏を、
「兄様」
などと呼んでいて、今でもたまさかに、その呼び名が口をついて出ることがある。
M氏と細君は、二人で父親を介護し、看取り、送り、そしてそのまま細君が、
「居着いて……」
しまった。
だから祝言じみたものは挙げていない。
葬式と四十九日の法要が済んでから、茶色い紙切れに各々名前を書き、判をついて、役場へ提出した。
ただそれだけだったが、それでも大切な記念の夜に、M氏は細君の顔をまじまじと見て、
「いいか、俺はIが嫌いなんだ」
と言ったのが、初めてだった。
細君の持ち込んだ僅かな「私物」のうちの、半分ほどは、I氏の著作であった。
以来、細君はその数冊を、自分用にあてがわれた古ダンスの、あまり開け閉てのない引き出しの奥深くに、しまい込んでいる。
これを捨ててしまうことは、出来なかった。
「いいか、俺はIが大嫌いなんだ」
M氏は鼻の穴から煙を吹き出した。今日だけで同じことを十遍は言っている。
リトルシガーの箱も、もう二つばかり空になっていた。
M氏は煙草の空箱を乱暴に放って、ちらりと食卓の脇を見やった。
立派な水引と、のし紙の付いた一升瓶が、桜色の風呂敷に包まれている。
これを、届けねばならぬ。
役人を辞め、亡父の小商いを嗣ぐことになったM氏が、迷惑をかけ、世話を受けた大恩人の所へ、行かねばならぬ。
その人も、役人であった。
現場主義の人で、出世は最初からあきらめていた風であった。
それでも永年勤続だということもあったものか、定年を少しばかり前にして、栄転が決まった。
この街で一番新しい、公営の観光施設の館長職である。
I氏が急逝した後に、その遺品のいくつかの寄付を