キチガイ地獄外道祭文
――一名、狂人の暗黒時代――
墺国理学博士
独国哲学博士 面黒楼万児 作歌
仏国文学博士
▼ああア――アア――あああ。右や左の
御方様へ。旦那
御新造、紳士や淑女、お年寄がた、お若いお方。お立ち会い衆の皆さん諸君。トントその後は御無沙汰ばっかり。なぞと云うたらビックリなさる。なさる筈だよ三千世界が。出来ぬ前から御無沙汰続きじゃ。きょうが初めてこの
道傍に。まかり
出でたるキチガイ坊主……スカラカ、チャカポコ。チャカポコチャカポコ……
……サアサ寄った寄った。寄ってみてくんなれ。聞いてもくんなれ。話の種だよ。お金は要らない。ホンマの無代償だよ。こちらへ寄ったり。押してはいけない。チャカポコチャカポコ……
……サッサ来た来た。来て見てビックリ……スチャラカ、チャカポコ。チャチャラカ、チャカポコ……
▼ア――あ――。まかり出でたるキチガイ坊主じゃ。
背丈が五尺と一寸そこらで。年の頃なら三十五六の。それが頭がクルクル坊主じゃ。眼玉落ち込み歯は総入歯で。
痩せた
肋骨が洗濯板なる。着ている
布子が畑の
案山子よ。足に引きずる
草履と見たれば。泥で固めたカチカチ山だよ。まるで狸の
泥舟まがいじゃ。乞食まがいのケッタイ坊主が。流れ渡って来た国々の。風に
晒され
天日に焼かれて。きょうもおんなじ
青天井だよ。道のほとりに
鞄を拡げて。スカラカ、チャカポコ外聞晒す。
曰く因縁、故事、来歴をば。たたく木魚に尋ねてみたら……スカラカ、チャカポコ。チャカポコチャカポコ……
▼ア――あ。曰く因縁、木魚に聞いたら。親子兄弟、親類
眷族、
嬶も
妾ももちろん持たない。タッタ一人のスカラカチャンだよ。
氏も
素性もスカラカ、チャカポコ。鞄一つが
身上一つじゃ。親は木の股キラクな風の。吹くに任かせた
暢気な身の上。流れ渡った世界の
旅行じゃ。
北京、ハルピン、ペテルスブルグじゃ。赤いモスコー、四角い
伯林、酔うがミュンヘン、歌うが
維納、躍る
巴里や居眠る
倫敦、海を渡れば自由の
亜米利加。女の市場がアノ
紐育じゃ。
桑港の
賭博よ。
市俄古の酒よと。千鳥足まで
米利堅気取りの。阿呆つくした十年がかりじゃ。見たり聞いたりして来た中でも。タッタ一つの
土産というのが。ナント恐ろし地獄の話じゃ……スカラカ、ポクポク。チャチャラカ、ポクポク……
▼あ――ア。さても恐ろし地獄の話じゃ。しかも私の
凹んだこの眼で、チャンと見て来た事実の話じゃ。今日が封切、お金は要らない。要らぬばかりかその聞き賃には、こんな
書物を一冊上げます。私が只今唄うております。歌の文句の活版刷りです。あとで何やらマヤカシ物をば。無理に買わせる
手段じゃないかと。疑うお方があるかも知れぬが。ソンナ心配一切御無用。これは私の道楽仕事じゃ。人類文化の宣伝事業じゃ。何も参考、話の種だよ。サアサ寄ったり、聞いたり見たり……外道――
祭ア――エ――
文。キチガ――ア――イ――
地イ
獄ウ――……スカラカ、チャカポコチャカポコチャカポコチャカポコ……
一
▼あ――ア。外道祭文キチガイ地獄。さても地獄をどこぞと問えば。
娑婆というのがここいらあたりじゃ。ここで作った吾が身の因果が。やがて迎えに来るクル、クルリと。眼玉まわして乗る火の車じゃ。めぐり
廻って落ち行く先だよ。修羅や畜生、餓鬼道越えて。ドンと落ちたが地獄の姿じゃ。針の山から血の池地獄。大寒地獄に焦熱地獄。
剣樹地獄や
石斫地獄。
火煩、熱湯、
倒懸地獄と。数をつくした八万地獄じゃ。娑婆で作った因果の
報いで。切られ、砕かれ、
焙られ、煮られ。
阿鼻や叫喚七転八倒。死ぬに死なれぬ無限の責め苦じゃ。もしもその声、聞いたら最後じゃ。頭張り裂けクタバルなんぞと。高い
処から
和尚の談義じゃ。……スカラカ、チャカポコチャカポコチャカポコチャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。高い
処から和尚のお談義。なれどコイツは当てにはならない。死なにゃ行かれぬ地獄の噂じゃ。生きた坊主の
賽銭集めじゃ。
釈迦も知らない嘘八百だよ。わしが見て来た地獄というのは。ソンナ地獄と
品事かわって。
鉦を叩かず、念仏唱えず。十万億土の汽車賃使わず。そんじょそこらに幾らもあります。生きたながらのこの世の地獄じゃ……チャカポコチャカポコチャカポコチャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。生きたながらのこの世の地獄じゃ。それも貧乏暇なし地獄や。浮いた浮いたの
川竹地獄。義理と
人情のカスガイ地獄。又は犯した悪事のむくいで。御用、
捕ったぞ、キリキリ歩めと。タタキ込まれる有期や、無期の。地獄なんぞと大きな違いじゃ。そんな道理がミジンも通らぬ。息も
吐かれず、日の目も見えぬ。広さ、深さもわからぬ地獄じゃ。そこの
閻魔は医学の博士で。学士連中が
牛頭馬頭どころじゃ。但し地獄で名物道具の。昔の
罪科、見分けて
嗅ぎ出す。見る眼、嗅ぐ鼻、閻魔の帳面。人の心を裏から裏まで。透かし見通す
清浄玻璃の。鏡なんぞは影さえ見えない。罪があろうが、又、無かろうが。本気、狂気の見分けも附けずに。
滅多矢鱈に追い込み蹴込むと。聞いただけでも身の毛が
逆立つ。地獄というのがそこらに在ります。見かけは立派な精神病院。嘘というなら這入って見なされ。責め苦の数々お望み次第じゃ。ナント恐ろしキチガイ地獄……チャカポコチャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。ナント恐ろしキチガイ地獄じゃ。サテモ恐ろし精神病院。なぞと云うても皆様方には。まだまだ
合点が行きかねましょうが。物は順序じゃお聞きなされよ。聞いているうち
如何にも、もっとも、そんな事とは知らずにいたわい。成る程そうかと合点が行きます。合点が行ったら八万四千の。身内の毛穴がゾクゾク
粟立つ。そんじょ、そこらの地獄の話じゃ……チャカポコチャカポコチャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。そんじょ、そこらの地獄の話じゃ。さても
斯様な地獄の起りが。
曰く因縁イロハのイの字の。そもや初めと尋ねるならば。文明開化のお
蔭と御座る。そこで世界の文明開化の。日進月歩の由来と申せば。科学知識の
尊とい
賜物。中に尊といお医者の仕事じゃ。人の病気を
治癒すが役目じゃ……チャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。人の病気を
治癒すが役目じゃ。そこでお医者の仕事の中でも。人の
身体の狂いをなおす。外科や内科の治療の仕方と。人の心の狂いをなおす。精神病院の手当ての仕方と。違うところを比べてみます。アッとビックリ、シャクリが止まるよ。トテも驚く進歩の違いじゃ……チャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。トテモ驚く進歩の違いじゃ。違う筈だよ相手が違う。人の
身体は形が見えます。手足胴体触ればわかるよ。五臓六腑も
解剖けば見えます。打診、聴診、
X光線。ピルケ反応、血液検査と。数をつくした診察道具じゃ。たとい何やら解らぬ病気や。薬ちがいや診察ちがいや。又は手当ての違いで死んでも。あとで
屍体を解剖したなら。どこが悪いと、すぐ
様わかるよ。そこで診察治療の仕方が。日進月歩で開けて行きます。これに引き換え神様とても。人の心は診察出来ない……チャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。人の心は診察出来ない。たとい如何なる名医じゃとても。人の精神、心の狂いの。どこの脈見て、どの舌出させて。どこの苦労に注射をするやら。どこの心配
切解するやら。
癇の虫見る眼鏡も無ければ。あなた恋しで上った熱度が。寒暖計にも上った事かや。
贋のキチガイ
真実のキチガイ。レントゲンでも透かして見えない。声も聞えず姿も見えない。
屁より不思議な心の正体。これがどうして診察されよか。馬鹿に附けよう薬は無いと。昔の
譬えは今でも
真実じゃ。つまるところが精神病は。診察治療が絶対不可能。科学知識で研究出来ない。わけのわからぬ物じゃとわかる……スカラカ、チャカポコ。チャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。わけのわからぬ物じゃと解かると。ここでも一つ理屈のわからぬ。奇妙不思議な事実に気が付く。そもやソモソモ一体全体。人の精神、心の狂いは。診察、治療が出来ぬとなったら。現在世界のどこでもここでも。精神病院、神経治療じゃ。又は
瘋癲、脳病院じゃと。四角四面の看板ひろげて。意匠
凝らした玄関構えじゃ。
高価い診察、治療の
代だよ。入院、看護の料金取り立て。肩で風切る精神病医は。どんな仕事をしているものかや。あれは
詐欺師か掴ませものかと。どなたも御不審なさるであろうが。チョット待ったり話は順序じゃ。世にも馬鹿げた内幕話じゃ。診察治療が出来ないお蔭で。お医者がステキに
儲かる話じゃ。これがホンマの
阿呆陀羅経だよ……スカラカ、チャカポコチャカポコチャカポコチャカポコチャカポコチャカポコ……
二
スカラカ、チャカポコチャカポコチャカポコチャカポコ……
▼あ――ア――ああア。
扨も昔のその又昔。むかし昔のその大昔。科学知識の進まぬ頃では。人の
身体の病気というても。人の心の病気と同様。何が何やら解らぬために。診察治療が当てズッポーだよ。家相、方角、星占いだよ。
何んぞ
彼んぞの
障りというては。祈祷、
禁厭、
御神水じゃ、お
守札じゃ。
御符なんぞを頂戴させて。どうぞ、こうぞで済まして来たが。それじゃ
治療らぬ病気の数々。そこで薬が発見されます。
服めば病気がケロリとよくなる。それをたよりに調べた
揚句が。人の病気は身体の中の。ここが
斯様に狂うが
原因じゃと。わかった理屈が医学のはじまり。今では解剖、生理に病理。医化学、細菌、薬物そのほか。外科じゃ内科じゃ、皮膚科じゃ、耳鼻科じゃ。眼科、整形、婦人や小児と。隅から隅まで手に品かえて。水も洩らさぬ器械やお薬。人の身体の狂いを
治療す。科学知識の大光明が。日々に明るく輝やき渡るよ……スカラカ、チャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。日々に明るく輝やき渡るが。これに引き換え精神病だよ。人の心の狂いを
治癒す。医者の診察、手当ての仕方は。ドンナ進歩をしたかと見ますと。ズント昔は精神病者を。神の心が移ったものと。
畏れ敬い礼拝したり。又は生き霊、死霊の
所業と。物を供えて
大切にかけたが。それはまだしも処によっては。こいつに悪魔が
憑いたというので。その頃お医者と裁判官の。役目をしていた
僧侶や
巫女が。見付け次第の指さし次第に。
槍や
刀剣や、投げ縄、弓矢。
棍棒担いだ役人共が。
片っ
端から頭を砕いて。手足胴体チリチリバラバラ。焼いて棄てたり樹の根に埋めたり。ちょうどこの節お
上でなさる。狂犬退治とおんなじ
仕置きじゃ。これが精神病者に対する。最初の診察最初の治療じゃ。キチガイ地獄のイロハのイの字じゃ……スカラカ、チャカポコチャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。これがキチガイ地獄のはじまり。そこで
斯様に精神病の。
原因が何やら解からぬとこから。出来た迷信邪法を使って。悪い事する奴等が出て来た。しかも余っぽど
怜悧な奴等じゃ。物の
怨みや嫉妬や毛嫌い。又は政敵、商売
讐仇と。道理
外れた憎しみ
猜みで。
彼奴が邪魔じゃと思うた揚句が。何のおぼえもない人間をば。巫女や坊主や役人
輩に。
賄賂使うて引っ
括らせます。
有無を言わさずキチガイ扱い。国の
掟の死刑にさせます。軽いところで牢屋の
住居じゃ……チャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。軽いところで牢屋の住居じゃ。世界の歴史を調べてみますと。高い身分や爵位や名誉や。又は財産、領地の引継ぎ。女出入りや跡取り世取りの。お家騒動、
内輪の
揉めから。邪魔な相手を片付けたさに。こうした手段を使った
実例が。チラリチラリと残っております。ならば今では、どうかと見ますと。おなじ事じゃと云いたいなれども。言えぬどころか、
今少と
非道いよ……スカラカ、チャカポコ。スチャラカ、チャカポコチャカポコチャカポコ……
三
……スカラカ、チャカポコ。チャチャラカ、チャカポコチャカポコチャカポコチャカポコ……
▼あアア――ああ……アアア。今は文明開化の
御代だよ。科学知識の万能時代じゃ。そうしたサナカに精神病だけ。昔のまんまの暗黒時代で。診察治療が出来ないなんぞと。ウッカリ云うたら言い出し
屁コキじゃ。そういう奴こそキチガイだろうと。
仰言るお方が在るかも知れぬが。そういうお方が私は好きだよ。理智と常識、科学の知識を。いつも忘れぬ立派なお方じゃ。そんなお方にお頼みしまする。物は試しじゃお
閑暇の時分に。ちょっとそこらの精神病院。又は学校、図書館あたりで。世界各地の博士や学士が。寄ってたかって研究し出した。キチガイ病気の書物を拡げて。ザット中味を調べて御覧よ。サテモ並んだ病気の名前じゃ。丸い洋文字、四角い漢字と。押し合いヘシ合い何百何千。指を折るさえ難儀な位じゃ。さては今では精神病者も。外科や内科の患者と同様。科学知識の光りに照され。底を見透す診察治療や。道理つくした介抱手当ての。数をつくしてもらっているかと。有難がるのは素人ばかりじゃ……チャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。有難がるのは素人ばっかり。憎まれ口をばたたくじゃないが。お
魂消なさるな西洋日本で。天の
際涯から地のドン底まで。調べ抜いたる科学者連中が。寄ってたかって研究しても。カンジンカナメの一番
大切な。オノレが
頭蓋の
空洞の中に。トグロ巻いてる脳味噌ばかりは。ドンナ作用しているものやら。
真実のところが全くわからぬ。それを
嘘言じゃと思うたお方は。古今東西あらゆる学者が。人の脳髄調べた書物を。読んで御覧になったらわかるよ。これは物事聞いたり見たり。判断して行くところで御座るの。知識、経験、昔の記憶を。保存しておく倉庫で御座るの。何が何して何じゃら
彼じゃら。
浪花節なら前置きばっかり。エライ議論が出ておりますけれど。確かな事実は一つもわからん……チャカポコチャカポコチャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。確かな事実は一つもわからぬ。わからぬ筈だよ不思議は御座らぬ。
凡そ天下が広いというても。人の脳髄ホントに調べて。腹の立つほど簡単明瞭。奇妙キテレツ珍妙無類な。脳の作用を
見貫いた者なら。問わず語りで
烏滸がましいが。ここに居ります
私ばっかり。……なぞと云うたら皆さん方は。そういうお前の脳味噌だけが。毎日
天日に焼かれたお蔭で。
性が変って
来ものダンベイ。なぞとお笑いなさるか知らぬが。
真実にそうダンベイかも知れぬが。そこが私の道楽仕事じゃ。世界各地の博士や学者を。アッといわせる研究
仕遂げて。二十億万人類社会の。アタマの入れ換えするのが楽しみ。いずれそのうちその論文なら。或る大学から発表されます。それを御覧になったらわかるよ。ほかのあらゆる世界の学者は。脳の研究しかたを知らない。見当違いの思惑ずくめで。多分だろうと思った位の。
真実めかした
当筒砲だよ。一つの道理は説明出来ても。ほかの事実が解釈出来ない。あちらを立てればこちらが立たない。九尺二間に雨戸が二枚じゃ……スカラカ、チャカポコ。チャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。九尺二間に雨戸が二枚じゃ。まして
況んや朝から晩まで。
走馬燈籠か百色眼鏡か。猫の眼玉じゃ、七面鳥じゃと。泣いて笑いつクルクルチラチラ。千変万化の秘術をつくす。人の心のその正体が。どんな姿の形のものやら。それがどうして狂うたものやら。酒屋の半七さんではないが。どこにどうして御座ろうものやら。ただの一つも解かっていませぬ。それが証拠は何より眼の前。今の精神病科の書物に。並び並んだ病気の名前じゃ。そんな書物を作った学者が。何が何やらわからぬまんまに。ザッと患者の
表面眺めて。身振り素振りを引当て目当てに。つけもつけたり
素人欺瞞しじゃ。
色気狂いが色情狂だよ。人を殺せば殺人狂です。舞踏狂なら踊りを踊るの。放火狂なら
放け
火をするのと。何の科学で調べた事かや。わかり切ったる名前の附け方。医者でなくとも誰でも附けます。
怒り
上戸やアノ泣き上戸。笑い上戸に後引き上戸。
梯子上戸と世間の人が。酔うた姿を見かけの通りに。名前つけるとおんなじ流儀じゃ。これで診察出来るが奇妙じゃ……チャカラカ、チャカポコチャカポコチャカポコ。
▼あ――ア。これで診察出来るが奇妙じゃ。サテモ精神病者を受け持つ。博士、学士の医者様たちは。人の心の狂うた処や。又は狂わぬ確かな証拠を。どこで調べて見分けて行くかと。不思議がるのは又素人だよ。そこは商売、心配無用じゃ……チャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。そこは商売、心配御無用。すべて精神病者と名付けて。遠方はるばるお医者の
玄関へ。連れて来られた人間ならば。誰が見たとて正気に見えない。かなり
嵩じた連中ばかりじゃ。又は見かけが普通と変らぬ。落付き払った病人とても。家族連中や掛りのお医者が。チャントお
上へ手続き済まして。精神病者に相違が御座らぬ。不法監禁お構いなしじゃと。法律ずくめの許可証揃えて。正々堂々連れて来るから。お医者側では手数がかからぬ。家族連中の話の模様や。又は患者の
態度を眺めて。書物拡げて照し合わせて。似合相当の名前を付けたら。それで診察おわりというので。赤い
煉瓦へ
打ち込むだけだよ。中には診察違いの者なぞ。ポツリポツリと居るかも知れぬが。これもやっぱり心配御無用。ほかの種類の病気と違うて。こいつばかりは誤診がわからぬ。一度「キの字」ときまるが最後じゃ。二度と出られぬ煉瓦の地獄じゃ。「違う違う」と云い訳したとて。それが、そのまま「キの字」の証拠と。今も昔も変らぬ
運命じゃ。放火狂じゃと
診察をつけて。八百屋お七を解剖したらば。何ぞ
計らん色情狂だよ。
窃盗狂者の
標本と思って。石川五右衛門入院させたら。誇大妄想狂者とわかった。なぞとお尻がハジケル心配。決してないから気楽なものだよ。テンカラ診察出来ない患者じゃ。何が何やらわからぬ病気じゃ。サテモ気楽なキチガイ医者だよ……スカラカ、チャカポコ。チャチャラカ、チャカポコ。チャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。
扨も気楽な
精神病医者だよ。ならば治療の仕方はどうかと。心配するだけ
野暮天、素人。これも、やっぱり診察同様。
盲目探りの真っ暗闇だよ。すぐに脳天砕かぬところが。開け行く世のお蔭か知らぬが。患者側から云わせて見たなら。どうか解からぬ証拠は眼の前。どこでも構わぬソンジョのそこらの。精神病院
覗いて御覧よ。鉄の格子の牢屋はもちろん。今の
未決監や監獄なぞには。影も見せない道具の数々。鉄の鎖に袖無し
襯衣だよ。
手枷、足枷。
磔刑寝台じゃ。小窓開いた石箱なんぞが。ズラリズラット並んだ
光景。どんな極重悪人とても。五体震わす拷問道具じゃ……チャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。五体震わす拷問道具じゃ。それに引換え入院患者の。心の狂いをホントに
治癒す。薬器械のたぐいというたら。只の一つも見当りませぬ。眠らぬ患者に
麻酔の注射じゃ。騒ぐ者には鎮静剤だよ。物を喰わねば栄養物の。注射、
浣腸ぐらいのものです。下手な内科や外科にも劣る。あとは
治癒ればお医者の手柄で。死ねば運じゃと済ましたもんだよ。アハハのエヘヘの平気の
平左じゃ。サテモ恐ろしキチガイ地獄じゃ……スカラカ、チャカポコチャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。サテモ恐ろしキチガイ地獄じゃ。なれどここらはまだ小手調べじゃ。キチガイ地獄の
三途の川だよ。聞いたばかりで身の毛がザワ付く。八万地獄は愚かな事だよ。阿呆メチャクチャ
出鱈目放題。あらん限りの虐待つづける。この世からなる精神病者の。地獄ゥ――めぐりィ――はァ――サテこれェ――かァ――ら――じゃァ――い……スカラカ、チャカポコ。スカラカ、チャカポコ。チャカポコチャカポコチャカポコチャカポコチャカポコチャカポコ……
四
▼スカラカ、チャカポコチャカポコチャカポコ。あ――ア。なんと皆さん
魂消なさるなよ。これは日本の話じゃ御座らぬ。
唐や
天竺あちらの話じゃ。世界各地の精神病医が。こんな無慈悲な心で建てたる。
外観立派な病院地獄は。こんな愚かな亡者の患者で。一つ残らず満員している。それも道理かその第一には。そんな地獄の
寝台の数をば。今の千倍、万倍したとて。人間世界のそこでもここでも。ヒョクリヒョクリとあらわれ飛び出す。精神病者の数には足りない。しかも一旦入院したなら。
治癒る期間が長いはまだしも。一生出られぬ患者もあるので。
否が応でも大入満員。そこでお医者が威張るわ威張るわ。どんな事でも患者に仕向けて。面倒臭いか納める金が。すこし渋るかするその時は。直ぐにドシドシ退院させます。自宅治療のお許し附きで。無事に出て来る患者もあれば。ほかの病気の
診断書付きで。棺に這入って出るのも在るが。後の代りはアトカラアトカラ。押すな押すなの改札口だよ……チャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。押すな押すなの改札口だよ。なれどソイツは話が
怪訝しい。奇妙、不思議じゃ一体全体。そんな処へお金を出して。何がためなら入院させるか。なぞと御不審なされるお方は。われと身内に精神病者が。出来た経験持たない方だよ。まずはゆっくりお聞きなされませ。モット驚く話がこれから。チャカラカ、チャカポコ飛び出しまする。私ゃ知らんが木魚が知っとる。……チャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。わたしゃ知らんが木魚が知っとる。もっと驚く事実があります。しかもどこでも共通平等。精神病院関係者ならば。云わず語りで誰でも知っとる。極秘親展正直正銘。ここを限りの話というたら。ちょっと
辻褄合わぬか知らぬが。チャント合うのが木魚の話じゃ。すべてキチガイ患者を連れて。赤い煉瓦のお
玄関先へ。お辞儀しに来る連中の中でも。親や兄弟、
妻子やなんぞは。どうか
治癒して下さりませと。涙流して溜息ついて。頼み入るのが少くないが。そんな
骨肉の連中の中でも。ホンニ
心から
真情籠めて。
治療すつもりで介抱するのは。実のところが母親ばっかり。それも真実わが腹痛めた。息子か娘が患者の場合じゃ。ほかの
骨肉の連中と来たなら。同じ血分けた
父兄弟でも。実に冷淡無情なものだよ。
殊にお若い妻君なんぞは。
申訳だけ二三日位は。側で溜息
吐くかと思えば。里の方から迎えに来るのを。待っていたようにハイチャイ
極め込む。それもまだまだ最極上だよ。医者に患者を渡すと間もなく。部屋がどこやら
決定りもせぬうち。電話かけにか便所に行くのか。帯の間の鏡を覗いて。鼻のアタマをパタパタやるうち。スラリと姿を消したが別れじゃ。二度と姿を見せないものだよ……チャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。二度と姿を見せぬが普通じゃ。ドウセ
治癒らぬ病気と
決定れば。医師に見せるは体裁だけだよ。棄てに来るのが本当の腹だよ。生きて生き甲斐ないこの病気。どうぞよろしく頼みますると。頼む挨拶ウラから聞くと。もしも
治癒れば迷惑千万。なろう事なら殺して欲しいと。云わぬ心がハッキリ見え透く。ここが患者の生死の境いで。医者が大いに儲かるところじゃ。……オットそんなに眼の色かえて。そんな事が……とお
白眼みなさるな。現にこの眼で見て来た事です。但し日本の事では御座らぬ。
唐や
天竺、
西洋の事だよ。耳も無ければ眼玉も持たない。物も云わない木魚の話じゃ。……スカラカ、チャカポコチャカポコチャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。物を云わない木魚の話じゃ。唐や天竺あちらの話じゃ。男、女の区別を問わない。一度発狂した人間なら。ドンナ平気な顔しておっても。思いがけなく乱暴したり。人を斬ったり
放火をしたり。嫌な気持やオカシナ
所業を。あたり八方ひろげてサラゲル。人の姿の犬畜生だよ。人間扱いするには及ばぬ。ドンナ
手酷い仕置きをするとも。石や
瓦の投げ撃ちしても。罪にゃならない相手も
記憶えぬ。たとい立派に
治癒ったようでも。いつが
何時、再発するやら。油断がならぬと今の世までも。昔ながらにいうその上に。あれは
血統じゃ
扨おそろしやの。何の
崇りじゃ
応酬じゃなんどと。
眼指し指さしするのが世間じゃ。そんなサナカに自分の身内に。思いがけない精神病者が。ヒョイと出て来るサア一大事じゃ……チャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。ヒョイと出て来るサア大変だよ。それも上流、金持ち社会で。ものに不自由せぬ
家だったら。座敷牢でも作れば片付く。
治癒る当てどもない病院へ。入れる必要あるまいなんぞと。アッサリ云うのは上流社会の。つらいところを知らない人だよ。すこし世間に知られた一家で。一度キの字を出したら最後じゃ。
万劫末代
血統に
障る。早い話が
忰や娘の。縁があぶなくなるその上に。近所隣りの目下の連中に。あれは
非道なお金の崇りよ。無理な出世の
報いよなんどと。白い眼をされ舌さし出され。うしろ指をば
指さるる
辛らさ。御門構えの
估券にかかわる。そこで情実、
権柄ずくだの。縁故
辿った手数をつくして。赤い煉瓦へコッソリ入れます。もしも満員している時は。もっと届いた手数をつくして。無理な都合を院長に頼む。とかくこの世はお金の沙汰だよ。
況してキチガイ地獄の沙汰だよ。
閻魔面した院長さんでも。すぐに地蔵の笑顔に変って。慈悲の
御手で迎える代りに。ほかの患者を極楽まわしじゃ。金があってもまずこの通りじゃ……チャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。金があってもまずこの通りじゃ。身分家柄、名誉や地位なぞ。あれば在るほど精神病者の。自宅治療はいよいよ困難。赤い煉瓦へ人目を忍んで。封じておかねば安心出来ない。ところが中流社会となったら。きまり切ったる月給年俸。細い収入
生命の綱ぞと。頼む主人や家族の中で。だれか一人が発狂しますと。借家だったら追い立て喰います。座敷牢なぞ思いも寄らない。すこし患者に手数がかかると。貯金、恩給、忽ち煙じゃ。しかもその上介抱人が。主人だったら
出勤が
叶わず。奥さんだったら仕事が出来ない。又は子供が学校に行けば。あれは「キの字」の卵よなんどと。寄って
集って嘲弄されます。云うに云われぬ切なさ
辛らさが。たった一度に皆落ちかかるよ。残る一つの頼みの綱なら。赤い煉瓦の院長様よと。出来ぬ算段して来て見れば。どこへ行っても満員ばかりじゃ……チャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。どこへ行っても満員ばっかり。しかもコイツが一段落ちて。その日暮しのシガナイ稼ぎじゃ。
嬶は内職、娘は
工場。なぞというような一家となったら。
酷さ
悲惨さ話にならない。介抱どころか、お薬どころか。すぐにそのまま一家が揃うて。
顎を天井に吊るさにゃならぬ。いっそ狂うて死んでもくれたら。まだも増しよと
怨んでみても。当の本人キチガイ殿は。死ぬるどころか大飯喰ろうて。
治癒る
当て
途もない顔つきだよ……チャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。
治癒る当てどもない顔付きだよ。こんな調子で人間世界に。麦の黒穂か菜種の馬か。花や野菜の狂いと同様。わけもわからず理屈も立てずに。ヒョクリヒョクリと現われ飛び出す。数え切れない精神病者を。
無料で引受け入院させるは。広い世間に大学ばっかり。それも寝台が何百あろうか。しかも慈善でするのじゃ御座らぬ。学生教授の研究材料。生きた標本講義の参考に。都合よいのを
選り取り見取りで。アトは要らぬと玄関払いじゃ。ならば私立はどうかと見ますと。これは何しろ商売本位じゃ。みんな金ずく
権柄ずくめの。オエライ患者で超満員だよ……チャカラカ、チャカポコ……
▼あ――ア。エライ患者の大入満員。さても
斯様に持て余されたる。数も知れない狂人たちは。どこでどうして片付けられるか。さても不思議と
審べてみたれば。サアサこれから又聞き事だよ。耳も聞こえず眼玉も見えない。口も動かぬ
片輪の木魚が。見たり聞いたりして来た話が。腹は
空ッポ公平無私だよ。タタキ出します
阿呆陀羅経だよ。地獄めぐりのチョンガレ文句が。ドンと一段、深みへ落ちます。……サアサ寄った寄った話の種だよ。お金は要らない。聞いたら
ビックリ……スカラカ、チャカポコチャカポコ。チャチャラカ、チャカポコチャカポコチャカポコチャカポコチャカポコ……
五
▼スカラカ、チャカポコチャカポコチャカポコチャカポコ。あ――ア――あア――ア。エ――エ。さても皆さん
斯様な次第で。一人のキチガイ患者が出ますと。ほかの病気と
品事かわって。あとに残った正気の家族が。あるにあられぬ責め苦を受けます。トテモこうして
自宅へは置けない。どうかせねばと思案をしても。どうも仕様が見当りませぬ。とかくするうち無理算段した。金は無くなる、仕事は出来ない。やがて一家が
干乾しは眼の前。さても切なや、悲しや、
辛らや……チャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。さても切なや、悲しや、辛らや、それも吾身は露いとわねど、お年寄られた親様はじめ。可愛い
吾児の行末までも。生きて甲斐ない一人のために。棄てて介抱するのが道理か。人に迷惑かけないうちに。患者もろとも首でも
縊って。一家揃うて死ぬのが道かや。何の因果で
斯様な
憂き目と泣いて怨めど肝腎カナメの。当の患者はアラレヌ眼付きで。キョロリキョロリとしているばっかり……チャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。キョロリキョロリとしているばかりじゃ。もとの姿は残っていても。元の心は
藻抜けの殻だよ。人の形をしているだけに。犬や猫より始末が悪いよ。情ないとも何とも
彼とも。なろう事なら代ろうものをと。歎き
悶えた
揚句の果てが。
切羽、詰まった大罪犯す……スカラカ、チャカポコ。チャカポコチャカポコ……。
▼あ――ア。切羽詰まった大罪犯す。どこか
遠国へ
移転すふりや。知らぬ処の病院さして。入れに行く振り人には見せて。又と帰らぬ野山の涯へ。泣きの涙で患者を棄てます。なれどコイツは
捨児と違うて。拾い育てる仏は居ませぬ。居らぬどころか行く先々では。打たれたたかれ追いこくられます。飢えて
凍えてたおれた処の。木の根、草の根、肥やすか知れない。それを承知で見棄てる鬼をば。キョロリキョロリと探して見まわす。憐れな患者の名残りの姿を。はるか離れた物蔭、木蔭で。両手合わせる千万無量……チャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。両手合わせる千万無量じゃ。古い伝えは
延喜の昔に。あのや
蝉丸、
逆髪様が。何の因果か二人も揃うて。
盲人と狂女のあられぬ姿じゃ。父の
御門に棄てられ給い。花の都をあとはるばると。知らぬ憂目に
逢坂山の。お物語りは
勿体ないが。
斯様な浮世のせつない
慣わし。切羽詰まった秘密の
処分は。古今東西いずくを問わない。金の有る無し身分の上下。是非と道理を問わないものだよ……チャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。是非と道理がいえないものだよ。そんな事情で野山の涯に。迷う憐れな患者の中でも。すこし正気の残った者なら。他所の
掃溜あさってみたり。物を貰うて又生き延びるよ。そのうち正気に帰るにしても。そこでこの世の悲しさ辛らさが。
遣瀬ないほど身に
沁み渡る。又は吾身の姿に恥じて。残る家族のためぞと思い。人を諦らめ世を諦らめて。流す涙が乞食の姿じゃ。三日続けば止められないと。聞いた気楽な世界に落ち込む。それがそこらの名物乞食じゃ。又は
野臥り
山窩にまじって。寺の門前。鎮守の森蔭。橋の
袂の
蒲鉾小舎で。
虱取り取り暮しているのを。一人二人と集めてみたなら。
迚も大した
人数になります。しかも左様なミジメな姿は。みんなこうした地獄のあわれを。知らぬ顔する国家や社会が。いっそ死ねよといわないばかりの。冷めたい仕打ちに消え行く数の。千か万かの一人か二人じゃ……チャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。千か万かの一人か二人じゃ。なんと皆さん
如何で御座る。これが普通の病気であったら。達者な者より
大切にされて。医者よ薬よ看護婦さんだよ。
柔い寝床じゃ、良い喰べ物じゃと。あるが上にもお見舞受けます。人間ばかりか犬畜生でも。小鳥、金魚も場合によっては。
後生大切に介抱されます。それに引換え精神病者は。病気の正体わからぬお蔭で。赤い煉瓦か野山の涯か。いずれ
免れぬ地獄の責め苦じゃ……チャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。いずれのがれぬ地獄の責め苦じゃ。なれど皆さんお聞きなされませ。私が今まで木魚をチャカポコ。たたき出したる地獄のお話。病院地獄と野山の地獄は。正直正銘、
金箔付きの。精神病者が落ち行く地獄じゃ。尋常普通のキチガイ地獄じゃ。さてもこれから今
一と
馬力と。親に不孝な馬鹿声張り上げ。弁じ上げます地獄の話は。それにも一つ
噛ませた。スゴイ、ドエライ地獄の話じゃ。罪も
報いも何にも知らない。正気狂わぬ普通の男女が。チャント物事
弁えながらに。不意に手足の自由を奪われ。声も出されぬ無理
往生だよ。無理や無体に引擦り込まれて。タタキ込まれるキチガイ地獄じゃ。しかもよくよく調べてみますと。
唐や
天竺、西洋あたりに。ズラリ並んだ大建築だよ。チャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。とても立派な大建築だよ。磨き立てたる金看板にも。新聞紙上の大広告にも、何々病院何々治療と。四角四面の
能書ばっかり。別に地獄と書いてはないが。警察新聞探偵社なぞが。チャント中味を知り抜き
乍らに。知らぬ顔する不思議な商売。天下御免の扉の内側へ。ウカと片足入れたが最後じゃ。泣けど叫べど狂えど
藻掻けど。二度と出られぬ暗黒世界じゃ。そんな処が在るとも知らずに。二十世紀の文化の世界じゃ。科学知識の万能時代じゃ。法律道徳礼儀の世界と。威張り腐って歩るけたものだよ。
明日は自分が落ちるか知れない。キチガイ地獄のドン底地獄じゃ……スカラカ、チャカポコチャカポコチャカポコ……
六
▼チャカポコチャカポコ。チャカラカチャカポコ。あ――ア。よもや日本にゃ無いとは思うが。人を殺すにゃ短刀ピストル。
麻酔薬、毒薬、
絹紐、ハンカチ。数を尽くした
瓦落多道具が。あるが中にも文明国では。一と呼ばれるホントウ国だよ。そこの
首都のタマゲタ
市で。わしが見て来た新式手段が。意気で
高尚でハイカラ道具は。昼の日中に公々然と。巡査お医者を立会いさせて。血潮残さず指紋も止めない。ドンナ検事や探偵連中が。不審抱いて調べて見たとて。指もさされぬステキナ手段じゃ。但しお金が少々かかるが。かかる代りに
利益が大きい。とかくこの世はお金が
讐敵じゃ……チャカポコチャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。とかくこの世はお金が讐敵じゃ。まずは財産相続事件じゃ。政治、外交、軍機の秘密と。何か
素敵な大金儲けで。
彼奴が邪魔じゃと思うた一念。
狙う相手が一人で歩るく。
情婦の
棲家か
賭博の打場か。又は秘密の相談場所だの。ソッと入込む息抜き場所に。近いあたりの道筋突き止め。かねて雇うた精神病医の。慾の深いを同伴させて。ソンジョそこらの巡査に頼む。実は私の親友ですが。すこし精神異状を呈し。家に帰らず淋しい処を。ブラリブラリと歩くが病い。そこでお医者に見せたいなれど。俺は何ともないなぞいうて。
得物振り立て暴れまするで。止むを得ませぬ非常の手段。いつもここらを通るとわかり。取って押えに張り込みまする。そこでお仲間両三人の。お手が拝借願えましょうか。なぞと云ううちお金をいくらか。医師の口添え右から左と。思う通りに手順を運んで。ドンと落せばドンデン返し。狙う相手は
千仞奈落。生きて出られぬキチガイ地獄じゃ……スカラカ、チャカポコチャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。出るに出られぬキチガイ地獄じゃ。これがお家の騒動なんかで。狙う相手がまだウラ若い。息子か娘と来ているならば。もっと気取った手段があります。殊に近代思想にカブレた。頭の過敏の連中だったら。ズット手数が省ける訳だよ。すこし皮肉に取扱ったり。又は立場をコミ入らせると。すぐに神経衰弱式だよ。頬が青褪め眼玉がキラキラ。
挙動言語が変って来まする。これをシコタマ掴んだお医者に。
診せてしまえばこっちのものだよ。静養させるは
表面の口実。花の
蕾が開かぬまんまに。あわれ落ち行く
無間の地獄じゃ……チャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。あわれ落ち行く無間の地獄じゃ。こんな患者を専門にして。やって行くのがホントウ国でも。音に名高いマッタク博士じゃ。それも初めは普通のお医者で。やっていたのがこの種の患者は。貰う謝礼がステキに大きい。そこでだんだんそちらの専門。今じゃ
大入大繁昌だよ。ナント
吃驚タマゲタ
市に。善美つくした病院構えて。中に並ぶが現代文化の。
粋を揃えた拷問道具に。息も洩らさぬ殺人設備じゃ。一眼見たらば真夏の土用も。零下何度の大寒地獄じゃ。それに引換え表の通りは。光り輝やく玄関構えに。並ぶ自動車その数知れない。しかも富豪や名士の家庭の。秘密握っているのが強味じゃ。
強請次第にお金が取れます。もしもその手が利かない時には。当の本人、秘密の正体。無理に作った正気の患者を。誤診だったと発表するぞよ。すぐに全快退院させるぞ。又は患者の味方となって。そちらの秘密を世間へ
発くぞ。なんぞかんぞと絞った
揚句に。ゆする相手が破産をしたり。こちらの不正が
曝れると見込めば。当の秘密の入院患者に。注射一本、水薬ポッタリ。あとで解剖してみるとても。そんな薬を使わにゃならぬ。ほどに暴れた患者かどうだか。今の医学の力じゃわからぬ。そこがマッタク博士の附け目じゃ。精神病医の手品の
種だよ……スカラカ、チャカポコ。チャカポコチャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。精神病医の手品の種だよ。しかもまだまだ不思議の数々。
流石キチガイ地獄の本場じゃ。ホントウ国でもタマゲタ
市で。マッタク博士が大胆不敵に。そんな商売しておりながら。同じ仲間の地道なお医者に。指を一本指されぬばかりか。文句云われず批難を受けない。政府、警察、新聞記者まで。鳴りを静めて見ているばっかり……スチャラカ、チャカポコ。チャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。鳴りを静めて見ているばかりじゃ。つづく不思議がホントウ国の。機密費用の大
弗箱だよ。そこを洩れ出す巨万のお金が。マッタク博士のポケットの中へ。ソロリソロリと音さえ立てない。それかばかりかマッタク博士の。広い肩幅大きな胸には。並ぶメタルや勲章の数々。それも国家に偉大な功労。捧げた文官武官の連中が。
滅多に貰えぬドエライ奴だよ。
独逸、
仏蘭西、
英吉利、
露西亜。日本なんぞは無かったようだが。それにつけてもマッタク博士が。そんな世界の強国相手に。ドンナ偉大な功労つくせば。コンナ勲章貰えたものかや。これはドウジャと
魂消るばっかり……スカラカ、チャカポコ。チャカポコチャカポコ……
七
▼スカラカ、チャカポコ。チャカポコチャカポコ。あ――ア。さても皆さん退屈様とは。思いますれどここらで止めては。仏作って魂入れずじゃ。破れカブレの
封切序に。並べ上げたる不思議の数々。眼にも止まらず耳にも聞こえぬ。科学文化の地獄の正体。底のドン底のドンドコドンまで。タタキ破って
曝らげて拡ろげて。これはホントにタマゲタ話じゃ。マッタク
凄いよ成る程そうかと。お立会い
衆が
合点の行くまで。ザット御機嫌伺いまする。又と聞かれぬ地獄のチョンガレ。世にも不思議な木魚の話じゃ……スカラカ、チャカポコチャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。又と聞かれぬ地獄のチョンガレ。
聾唖の木魚の阿呆陀羅経だよ。さても
然るにスカラカ、チャカポコ。そもやホントウ民衆国は。表向きでは世界の強国。世界一ならお国の自慢じゃ。自由正義の本場ときまった。民権本位の理想の国じゃと。呼ばれまするが日本と違うて。国の元首に誰でもなれます。お金本位の勢力本位じゃ。忠義という字も言葉も無いから。一から十までお金が物言う。正義、法律、お金で買えます。良心、貞操、むろんの事だよ。自由民権手段を撰ばず。掴んで離さぬ
熊鷹根性の。億万長者の一流どころが。国の利益は自分の利益と。
盤石動かぬ
算盤ずくめで。政治の実権握っているから。いくら政府が交代したとて。億万長者の威光は変らぬ。上は大臣、議員をはじめて。下は巡査や兵隊たちまで。国の繁昌一手に握った。一流どころの億万長者の。お金儲けの番頭手先じゃ。法律正義の仮面を
冠って。弱い正しい人間たちの。自由、道徳、義理人情をば。
片っ
端から踏み付けまわる。そこで
斯様な富豪たちの。非道な栄華を
心から憎しむ。正義の味方の学者や牧師が。言論自由の権利の下に。富豪いじめの演説はじめる。又は書物に書いたりしますと。エライエライと皆
賞め立てます。下層社会の人気が集まる。資本家倒せの
輿論が高まる……スカラカ、チャカポコチャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。富豪倒せの輿論が高まる。そこで富豪が
厄鬼となります。そんな主張や輿論を掲げた。雑誌新聞デスクに投げ出し。これをどうしてくれるかなんどと。葉巻片手に政府を責めます。そこで政府は大いに困る。困る筈だよ政府の連中は。そんな富豪の番頭さんなら。御機嫌取らなきゃ立場があぶない。次の選挙の費用が貰えぬ。なれど個人の自由は自由じゃ。国の掟にちっとも触れない。筋道通った立派な人物。正義の味方の学者や牧師を。まさか追立て喰わせもならず。
況して牢屋へ入れたりしたらば。エライ輿論の反対受けます。そこで思案に詰まった揚句が。裏の裏行くキチガイ地獄じゃ。そんな学者や牧師の中でも。首領株だけ眼星をつけて。お手の物なら刑事を使って。狙うているとは
夢露知らずに。タッタ一人で淋しい処を。歩く後から足音忍ばせ。アットいう間に引ずり倒して。精神病者を押えた
形式で。大きな手錠と足錠かけます。顔に当てがう
麻酔薬のハンカチ。蔭に待たせたマッタク博士の。病院自動車眼がけて投込む。あとは皆まで云わずとわかる……チャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。あとは皆まで云わずとわかるよ。これを感付く文明諸国じゃ。国家個人の区別を問わない。わるい思案に詰まった連中が。こんな便利な手段は無いぞと。われもわれもと
秘密の頼みじゃ。這入る患者は政治家、学者。軍事探偵、大発明家。富豪、名家の跡取り世取り。又は名優スターの類だよ。他人の野心や不正の利得や。又は秘密の計画事業の。邪魔をする程手腕があったか。エライ立場におったが因果じゃ。予審、公判、宣告無しの。無期や有期の徒刑は勿論。電気椅子より手軽い死刑も。註文次第の何やら次第じゃ。ほんにこれこそ地獄の沙汰だよ……チャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。ホンニこれこそ地獄の沙汰だよ。そこに落ち行く患者の中には。無論、狂人、
瘋癲病者も。
申訳だけ居るには居るが。中に
交った優れた人物。英雄、豪傑、天才なんどを。白い服着た
鹿爪らしい。キチガイ地獄の
牛頭馬頭どもが。手取り足取りして行くあとから。金や勲章の
山築く上から。ニヤリ見送るマッタク博士じゃ……チャチャラカ、チャカポコ。スチャラカ、チャカポコチャカポコチャカポコ……
八
▼チャチャラカ、チャカポコチャカポコチャカポコ。あ――ア。ナント皆さん紳士や淑女よ。お立ち会い
衆の大勢さまよ。これが私の洋行
土産じゃ。現代文化の
影身に付添う。この世からなる地獄の話じゃ。鳥が
囀り木の葉が茂り。花に
紅葉に極楽浄土の。中にさまよう精神病者じゃ。身寄りたよりに突きはなされて。罪も報いも泣こうに泣かれぬ。キチガイ乞食のあわれな姿じゃ。ここの村里、
彼処の町で。
夜毎日毎に追いまくられては。石や瓦の投げ打ちされては。雨にたたかれ風に
晒され。雪や氷に消え入るばっかり。そんな地獄をこの世に作った。丸い明るい天道様まで。クルリクルリと顔をば
背向けて。俺は知らぬと云うたか云わぬか。ピカリピカリと笑って御座るよ……チャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。ピカリピカリと笑って御座るが。それはまだしも気楽な地獄じゃ。昼夜不断の電燈
瓦斯燈。唯物科学の文化の光りが。明るく光れば光って来るだけ。暗くなるのが精神文化じゃ。金じゃ女じゃ。権利じゃ義務じゃと。手段撰ばぬ悪智慧比べじゃ。道理外れた生存競争。電車自動車ソラ飛行機じゃと。縦横無尽に行き
交い飛び交う。人の運命一寸先だよ。暗に隠るる秘密の扉じゃ。連れて来られた老若男女は。狂気本気の区別を問わない。馬鹿も
怜悧も一列平等。ドンと
蹴込んでピタリと閉じたら。タッタ一呑み文句を云わせぬ。音も
香もなく落ち行く先だよ。
娑婆の道理や人情の光りが。影も
映さない暗黒世界じゃ。鉄筋煉瓦やセメント造りの。科学知識のこの世の地獄じゃ。中に重なるキチガイ地獄の。上に在るのが親切地獄で。次が軽蔑、冷笑地獄じゃ。下は
虐待、暗殺地獄の。底は何やらわからぬ地獄じゃ……チャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。あとは何やらわからぬ地獄の。次に並ぶはモ
一つスゴイよ。これは何でもわかった地獄じゃ。おのれ
彼奴が正気の俺をば。こんな処へ投げ込みおるかと。歯噛み、身もだえ、
地団駄、踏んでも。踏めば踏む程、親切地獄じゃ。それでも
止めねば虐待地獄じゃ。あとは無念の白骨地獄で。化けても出られぬ奈落へ抜けます……チャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。化けて出られぬ奈落へ抜けるよ。そんな危い地獄の扉が。もしも
本当にそこいら中に。あるとなったらさてどうなるか。お立会い衆は無論の事だよ。政府当局、天下の学者。知識階級の誰かれ問わない。血あり涙のある方々が。知らぬ顔して捨ててはおけまい。古い川柳に座敷の牢屋で。薬飲むにも油断がされぬと。(註に
曰く――座敷牢薬をのむに油断せず――
柳樽――)御座りまするはお江戸の昔じゃ。
況して
況んや近代文化の。科学知識の進歩の中でも。人の脳髄、心の正体。何が何やらわからぬために。精神病学研究し方が。八方
塞がり昔のままだよ。
贋のキチガイ
真実のキチガイ。ハッキリ区別も出来ない癖に。ほかの医学の体裁真似して。治療診察なんどというては。四角四面の病院作って。器械標本、薬に書物と。並べ飾って威張っているなら。こんな地獄が出来るは当然。これを防ぐが目下の急務じゃ。そんな病院見当り次第に。タタキ潰すが何より急務じゃ……スカラカ、チャカポコ、チャカラカ、チャカポコ。チャカポコチャカポコチャカポコチャカポコ……
九
▼チャチャラカ、ポコポコ。スカラカ、ポコポコ……
扨も左様なイカサマ病院。キチガイ地獄が出来ないように。防ぐ工夫があるかというたら。タッタ一つの手段があります。しかもなかなか大きな仕事じゃ。どこか気候と景色のよろしい。交通便利な離れた島へ。ザット一千万円かけて。かくいう私が新案工夫の。デッカイ精神病院建てます。そこへ研究試験所つけます。患者を無料で入院させます。地獄なんぞが出来ないように。解放治療というのをやります。これも私の新案工夫じゃ。すなわち正しい精神科学の。正しいキチガイ病気の治療じゃ。薬使わず手術もしませぬ。鉄の鎖や、石箱、鉄箱。
袖無襯衣なぞ一切使わず。ありとあらゆる精神病者を。広い処へ追い放しにして。一番自然な正しい治療を。しようというのが解放治療じゃ。いわば精神病者の
牧場じゃ。キチガイ患者の極楽世界じゃ。奇妙キテレツ珍妙無類の。世界初めの精神病院。むろん誰でも参観随意じゃ。ドンナ素敵な
観物になるかは。
蓋を開けねば私もわからぬ。何から何まで新発明だよ。スカラカ、チャカポコ。スカラカ、チャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。何から何まで新発明だよ。いずれその
中発表しますが。世界の学者が一人も知らない。キチガイ病気の出て来る原理じゃ。しかも
頗る簡単明瞭。ステキ滅法愉快な学理を。そこで実地の試験にかけます。診察予防が絶対不可能。薬も無ければ手術も出来ない。キチガイ病気の正体調べて。診察治療が出来るとなったら。トテモ評判大したものだよ。世界に人種が数ある中で。日本人種は見上げたものだよ。正義人道
尊ぶ国だよ。精神科学の先進国だと。云わせたいのが私の願いじゃ……チャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。云わせたいのが私の願いじゃ。なれど何しろ一千万の。金というたら大したもんだよ。私が親から引譲られた。
田地田畑、貯金や証文。古い
褌お金に換えても。やっと半分そこらのものだよ。あとは政府のお助け仰いで。それにも一つ皆様方の。清い
尊いお志を。たより
縋りに
遣りたい考え。五厘一銭、
藁一筋でも。
多寡は
厭わぬ願人坊主じゃ。頭たたいて頂きまする……チャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。アタマたたいて頂戴しまする。なれど、そういう願人坊主が。やはり「キの字」の
片割らしいぞ。眼付き
風付き何やらおかしい。非人乞食に劣らぬ姿で。道のほとりに
鞄を投げ出し。
駄声はり上げ木魚をチャカポコ。昼の
日中に外聞
晒す。しかも文句が常識外れた。世界文化の千万円じゃの。耳に聞こえず眼にさえ見せない。人の心の狂いを直すの。古今独歩の研究なんどと。途方
途轍もない事並べて。寄附を集めるイカサマ坊主じゃ。そんな古手にかかると思うか。要らぬ処で道草喰うたぞ。早く行こうと
仰言るならば。これは
如何さま
尤も千万。道理至極じゃスカラカ、チャカポコ。頭たたいてお詫びをしまする……チャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。頭たたいてお詫びをしまする。そもやそもそも一体全体。こんなスカラカ、チャカポコ頭が。身の程知らない木魚をたたいて。頼み手も無い金にもならない。要らぬ赤恥、
天日にさらげる。事の起りはキチガイ地獄じゃ。文明社会の裏面に拡がる。無茶と野蛮の底抜け地獄じゃ。筆も言葉も木魚も及ばぬ。むごさ、せつなさ、悲しさ
辛らさを。底の底まで見て来たお蔭で。こちらの頭が少々変テコ。これをこのまま棄ててはおけぬと。思い込んだが因果のはじまり。これを助ける方法手段を。あれよこれよと思案のあげくが。精神病者を無料で預る。デカイ病院建てるが第一。それを建てるにゃ皆様方の。輿論のお力借りねばならぬ。又は一厘一銭たりとも。無駄に使わぬ思案の果だよ。思い付いたる乞食の姿が。お眼に障わったお詫びの印じゃ。今のキチガイ地獄の歌をば。
印刷に起した
斯様な書物を。お立ち会い衆へお
頒ちしまする。お金は要らないお願いしまする。持って帰ってお読みなされて。これはどうやら
真実らしいぞ。寄附をしようかと思うたお方や。
扨は私の一生仕事の。狂人救済事業の中味を。もっと詳しく調べてみたい。又は世界の漫遊みやげの。眼先変ったキチガイ話や。家の
崇りや
血統の
障りや。生霊、死霊の怨みやなんぞが。人の心を狂わせ惑わす。スゴイ因果の因縁話を。聞いてみようかそれとも又は。何か大勢集まる場所で。そんな話をやらせて見たらば。奇抜な余興になるかも知れぬと。
思召したらお手数ながら。ここに挟んだ葉書が一枚。これにお名前お所番地。それとこれなる
頁の終りに。止めましたる宛名を書いて。ぽんとポストにお願いしまする。願うところはこの世の中に。こんな事実があります事を。向う三軒両お隣りや。どなたこなたの噂の種に。語り伝えて下さりませよ。すれば今云うキチガイ地獄や。人類文化の裏面の秘密が。
否が応でも世間へ広まる。悪い事する精神病院。キチガイ地獄を片端なぐりに。タタキ潰せと輿論が高まる……チャカポコチャカポコ……
▼そこで政府も黙っておれない。棄てておけない重大問題。社会事業の急務というので。私が投げ出す財産全部の。五百余万のお金を基本に。精神病者を無料で預かる。国立精神病院建てます。到る処の精神病者の。生産過剰の緩和を初める……チャカポコチャカポコ……
▼人に忘られ世に忘られて。狂い
藻掻いて
生命を終る。あわれな精神病者が助かる……ポコチャカポコチャカ……
▼それかばかりかその病院で。研究し出したキチガイ病気の。治療のし方が世間に広まる。世界各地のキチガイ地獄が。一つ残らず引っくり返って。ありとあらゆる精神病者の。
嬲り殺しが止みますならば。こんな本懐
至極は御座らぬ……ポコポコチャカチャカ……
▼あ――ア。こんな本懐至極は御座らぬ。そこで成る程貴様の仕事は。実に
道理千万至極じゃ。奇特、感心、立派な
了簡。俺が付いてる心配するなよ。ウント踏張り勉強やらかせ。狂人地獄をスカラカ、チャンまで。タタキ潰せよフレ――やフレーと。お賞めなされて下さるならば。私の喜び天井知らずじゃ……チャカチャカポコポコポコポコチャカチャカポコポコ……
十
▼スチャラカ、チャカポコ。チャチャラカ、チャカポコ。あ――ア。さても皆さん相済みませぬ。御用、お急ぎ、散歩の足をば。変な姿や奇妙な文句で。お引止めして気の毒千万。なれどつらつらおもんみまするに。三千世界を流るる時間が。何万、何億、何兆年とも。知れぬ無限の時間の
中なら。五十、七十、百まで生きても。アッという間の一生涯だよ。何が何やらわからぬまんまに。会うて別れて生まれて死に行く。数え切れない
人数の中だよ。今日が只今この
道傍で。お眼にかかるも何かの御縁じゃ。お許しなされて下さりませよ。よしやこのままお別れしても。残る名残りがスカラカチャカポコ。もしもこの
後世間の噂や。雑誌新聞、小説なんぞで。キチガイ話を御覧になったり。又はホンマの精神病者を。通り
縋りに御覧になったら。思い出しても下されませよ。月の光りや太陽の輝やき。星の光りも掻き消すばかりに。
眼眩めくモダーン文化や。又は博愛仁慈の光明。正義道理のサーチライトも。昔ながらに照らさぬ世界じゃ。地獄以上のキチガイ地獄に。音も
香もなく消え行く先だよ。広さ深さも無限の
暗の。底に青ずみ漂う血の海。上にさまよう
陰火の焔は。罪も報いも無いまま死に行く。精神病者の無念の思いじゃ。聞いて聞こえぬ怨みの数々。聞いた心がクドキの文句じゃ。念仏代りの
阿呆陀羅経だよ。無調法なる木魚に合わせて。チョット御機嫌伺いまする。げどう――さア――えエ――もオ――んンン。キチガイ――イ――地獄ウ。
――ヘイ。御退屈様――
◆葉書は左記へお出し下さい。
┌────────────────────┐
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│ 九州帝国大学医学部精神病学教授 │
│ 斎藤寿八氏自室気付 │
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│ 面黒楼万児宛 │
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