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眞夏の夜の夢 : 目次


タイトル:眞夏の夜の夢 (A Midsummer Night's Dream, 1595)

著者:シェークスピヤ (William Shakespeare, 1564-1616)

譯者:坪内逍遥 (1859-1935)

底本:新修シェークスピヤ全集第四卷『眞夏の夜の夢』
出版:中央公論社
履歴:昭和九年八月廿一日印刷,昭和九年九月三日發行


眞夏の夜の夢

シェークスピヤ 著

坪内逍遥 譯



目次

* 登場人物
* 第一幕 第一場
* 第一幕 第二場
* 第二幕 第一場
* 第二幕 第二場
* 第三幕 第一場
* 第三幕 第二場
* 第四幕 第一場
* 第四幕 第二場
* 第五幕 第一場




眞夏の夜の夢 : 登場人物



登場人物

* シーシヤス、アセンズ市の公爵
* イヂーヤス、アセンズ市の貴族にしてハーミヤの父。
* ライサンダー、ディミートリヤス、ハーミヤに戀慕せる青年紳士。
* フィロストレート、シーシヤスに仕ふる宴樂部長
* クヰンス、大工。
* スナッグ、指物師。
* ボットム、織屋。
* フルート、風櫃屋。
* スナウト、鍛冶屋。
* スターヴリング、裁縫師。
* ヒポリタ、シーシヤスに許嫁せる女丈夫國《アマゾン》の女君。
* ハーミヤ、イヂーヤスの女にしてライサンダーと相愛せる娘。
* ヘレナ、ディミートリヤスに戀慕せる娘。
* オービロン、妖精群の雄王。
* チテーニヤ、妖精群の雌王。
* パック、又の名ロビン・グッドフェロー、いたづら者の一妖精。
* 豆の花、蜘蛛の巣、蛾、芥子の實、小妖精。

雄王及び雌王に侍する他の妖精ら。シーシヤス及びヒポリタの侍者ら。

場所  アセンス市及び其附近の森林。


osawa@物語倶楽部 更新日:2004/12/30


眞夏の夜の夢 : 第一幕 第一場



第一幕

第一場 アセンズ。シーシヤス公爵の館《やかた》。



アセンズ市の君シーシヤス、隣國 女丈夫《アマゾン》國と戰つて勝ち、 そこの女君ヒポリタを説いて結婚を承諾させた結果、 近く大祝賀會を催さうとしてゐる。 で、宴樂部長のフィロストレート其 命《めい》を奉ずべく、 他の從者らと共に公の面前に伺候する。

シーシ
なう、ヒポリタどの、わしらの結婚の日は最早《もう》間もない。 嬉しい日が四日經てば、新しい月が來る。あゝ、しかし、此古い月めは、 どうやら虧《か》けるのが緩《のろ》いやうだ。 生《な》さぬ仲の母親や後室が、萎《しな》びるまで遺産を若い者に譲り惜しむやうに、 待ちかねてゐる心を焦《ぢら》せをる。
ヒポリ
四つの晝は最早《もう》直に夜の闇に沈み、四つの夜は最早《もう》直に夢と過ぎて、 やがて大空に、新たに引絞つた銀の弓のやうな月が出て、 わたしら二人の祝典《いはひごと》の夜を照らしませう。
シーシ
やい、フィロストレート、汝《おのし》往つて、アセンズ全市《ぢゆう》の若い者共を浮き立たせ、 陽氣な、快活な、面白をかしい心持にならせて來い。陰氣な憂欝は葬式の方へ廻せ、 蒼白た顏色はわが華かな祝典には相應《ふさは》しうない。……

フィロストレート一揖して入る。

ヒポリタどの、わしは此劍で卿《おまひ》さんを口説いて、大分酷い目に逢はせて諾《うん》と言はせたのだが、 結婚式はそれとは調子を變へて、華美《はで》に、立派に、愉快に、賑《にぎ》やかに行《や》らうと思ふ。

怒氣を帶《お》んだイヂーヤス、興奮し切つてゐる其 女《むすめ》ハーミヤと其情人のライサンダー、 憂欝な顏をしてゐる其競爭者のディミトリヤスが出る。

イヂー
御機嫌よういらせられませ、シーシヤス大公殿下!
シーシ
ありがたう、イヂーヤス。何ぞ變つた事が出來たか?
イヂー
困惑至極な儀がござりまして參上いたしました、我兒《むすめ》ハーミヤめに關するお訴訟《うつたへ》でござります。 ……お出なさい、ディミトリヤス。(ディミトリヤス進む。) 御前、此男は豫《かね》て我兒《むすめ》と結婚すべき承諾を私《てまへ》から得てをりまする。 ……お出なさい、ライサンダー。(ライサンダー進む。)ところが、 此男が我兒《むすめ》の心をば惑しをつたのでござります。…… 卿《おまひ》は、ライサンダー、卿《おまひ》は彼女《あれ》に戀歌《こひか》を遺つたり、 記念品を交換《とりかは》したり、月夜に窓の下で、 切なげに假作《こしら》へた戀の小唄を假聲《こしらへごゑ》で歌つたり何かした、 それから卿《おまひ》の頭髪《かみのけ》で製《こしら》へた腕飾りだの、 指輪だの、一寸した思ひ附きの裝飾品だの、小器用に出來た玩具《もてあそび》だの、 花束だの、菓子だの、純樸《うぶ》な若い者には強い誘惑になるものを贈つて、 いつの間にか彼女《あれ》が胸に深い印形を捺《お》してしまつた。 卿《おまひ》は奸智を以て予《わし》の女《むすめ》の心を盗んで、 温順であつた者を我儘な剛情者にしてしまひをつた。……で、申し上げます、 若し我兒《むすめ》めが御前におきましても、尚ほこのディミトリヤスとの結婚を承諾しませんやうならば、 何卒《どうか》アセンズ古來の特權をお許し下されませ、 我兒《むすめ》でござります以上は、此男に遣《つか》はしますとも、 死刑に處しますとも、此場合にちようど適當した國法に順《したが》ひまして、 私《てまへ》が處分いたします。
シーシ
ハーミヤよ、卿《おまひ》は如何《どう》答へる?よく考へて返辭をしなさい。 阿父《おとッ》さんは卿《おまひ》の爲には神の同樣だ、 其美しい容貌《かほかたち》を造作《こしら》へてくれた人だ。いや、卿《おまひ》は、 阿父《おとッ》さんの手で捺《お》されて[臘,月@虫;u881F]《らふ》の上へ形を現はす人型たるに過ぎないのだから、 今在る形を保存しようと、臺なしにしようと、 それは阿父《おとッ》さんの心のまゝだ。……ディミトリヤスは立派な男だ。
ハーミ
(おめずに)ライサンダーさんとても立派でございます。
シーシ
なるほど、個人としてはだ。が、此事の關係上からいふと、 阿父《おとッ》さんの承諾を得てゐないから、ディミトリヤスの方が優等だと言はんければならん。
ハーミ
父が、わたくしの目で、つい、見てくれたらばと存じます。
シーシ
それよりも卿《おまひ》に阿父《おとッ》さんの分別を持たせるが當然だ。
ハーミ
失禮をお寛恕《ゆるし》下さいませ。わたくしは如何《どう》して斯う大膽になつたのやら、 又、斯ういふ場所で思ふ通りの事をいつては女の謹愼《たしなみ》に背くのやら、 存じませんけれど、申します、若しわたくしがディミトリヤスとの結婚を辭《いな》みましたら、 つまり、如何《どう》いふ御罰を受けるのでございますか、どうぞおつしやつて下さいませ。
シーシ
命を亡するか、で無ければ、世間との交際《まじはり》を絶つのだ。 だから、ハーミヤよ、よく自分の嫩弱《うらわか》い心に問うて、 若し父御の望み通りにしない時は、一生、尼になつて、墨の衣を被《き》て、 永久に薄暗い菴室に閉ぢ籠つて、つれない冷かな月を相手に、 讃美歌を細々と歌つて、空しい尼で終らんければならんが、 さうした辛抱が出來るか出來んか、血の氣の多い若い情《こゝろ》によく訊ねて見るが可い。 情に克つて、淨《きよ》い處女で一生の廻國を終る輩《てあひ》は、 如何にも尊い幸福《しあはせ》な人達である。が、下界の幸福からいふと、 いかにその單獨生活が安樂であらうとも、人に摘まれない荊棘《のばら》で成長し、 生死《いきしに》して、凋《しぼ》んでしまふよりも、 摘み取られて蒸溜鑵《ランビキ》に掛けられる花薔薇《はなしやうび》の方が幸福《しあはせ》だ。
ハーミ
御前、わたくしはいつそ其 荊棘《のばら》のやうに、 獨りッきりで生き、獨りッきりで死にたうございます、 好ましくもない軛《くびき》を掛けられて、 心服してもゐぬ人を夫と崇め、處女の特權を其人に引渡さうとは思ひません。
シーシ
尚ほ篤《とく》と考へて見るが可い。次ぎの新月の日限に…… わしら二人が共白髪の契りを結ぶことになつてゐる其日を日限に ……父御の意志に背いた科《とが》で死ぬ覺悟をするか、 或ひはダイヤナ神の壇前で、獨身 不犯《ふぼん》の誓ひを立てるか、 いづれともよく考へて定《き》めるが可い。 ハーミヤさん、心を取直して下さい。……ライサンダー、 君の要求はわたしの權利の確實なのに比べると、まるで破綻だらけなのだから、 放棄しておしまひなさい。
ライサ
(嘲笑の口吻で)ディミトリヤス、君は彼女《あれ》の親父さんに可愛がられてゐるのだから、 娘の方はわたしに任せといて、君は親父さんと夫婦になつたらよからう。
イヂー
人を馬鹿にする男だ!なるほど、わしはあの男を可愛がつてゐる。 可愛がつてゐるからわしの物は何でもかでもあの男に遺る。 ところで、我兒《むすめ》はわしの有《もの》だ。 だから彼女《あれ》に關するわしの一切の權利はあの男に譲るのだ。
ライサ
御前、私は血統も、身代も、あの男に劣る所はございません。 愛情に至つてはあの男以上でございます。 私の福運は、ディミトリヤスに比べて優つてゐると申さないまでも、 悉く匹敵してゐるのでございます。それに、何よりも第一に誇りと致してをりますことは、 ハーミヤに愛せられてゐることでございます。それゆゑ、 私は結婚を要求する權利があると存じます。ディミトリヤスは…… 彼れの面前で斷言しますが……嘗《かつ》てネダーの女《むすめ》ヘレナに戀をしかけ、 悉く其 情《こゝろ》を得ました。可憐《いぢら》しいヘレナは、 此男を斯様《かやう》な汚はしい薄情者とは知らず、眞實、誠心《まごころ》を傾け、 神を崇《あが》めるやうにして溺愛してをります。
シーシ
わしも、實は、其事を聞いてゐたので、とうに其事でディミトリヤスと相談しようと思つてゐたのだが、 我が事にかまけて忘れてゐた。……が、ディミトリヤスもイヂーヤスも彼方《あツち》へ來てくれ、 卿《おまひ》たち二人に内々言ひきかせることがある。…… 卿《おまひ》は、(と嚴格に)ハーミヤよ、 よく考へて見て阿父《おとッ》さんに順《したが》ふやうにするが可い。 で無いと、アセンズの國法で……わしの力でも決して輕めることの出來ん國法で…… 死刑に處せられるか、一生 不犯《ふぼん》の誓ひをするかせねばならんぞ。 ……(浮かぬ顏をしてゐる妃に)さ、ヒポリタどの。え、どうなすつた? ……ディミトリヤスもイヂーヤスも、さァ/\奥へ。 此度《こんど》の結婚式に就いて吩咐《いひつ》ける用向もあるし、 又、卿《おまひ》たちの身に關したことで話したいこともある。
イヂー
一同喜んで御伴《おんとも》仕《つかまつ》ります。

ライサンダーとハーミヤの他は皆入る。

ライサ
どうしたんです?何故そんな蒼い顏をしてゐるのです? 頬の薔薇が如何して然う急に萎れてしまつたのです。
ハーミ
雨が降らないからでせう。降らせたい大雨をぢッと堪《こら》へて目に溜めてゐるからでせう。
ライサ
嗚呼々々!書《ほん》を讀んでも、話や歴史で聞いたところでも、 眞實《ほんたう》の戀といふものは、決して都合よく行つたことはないらしい。 或ひは、互ひの身分が異《ちが》つてゐるからとか……
ハーミ
あゝ、情けないこと!身分の高い者が身分の低過ぎる者を慕ふなんて!
ライサ
或ひは、年齡《とし》が違ひ過ぎるとか……
ハーミ
あゝ、みじめだこと!年を取過ぎてゐて若い人と關係するなんて!
ライサ
或ひは、親兄の指圖を待たなければならんとか……
ハーミ
おゝ、いやだ!他人の目で戀人を擇ぶなんて!
ライサ
或ひは、よし何もかもよく釣り合つてゐたとしても、戰爭とか、 死とか、病氣とかいふものに襲はれて、聲や影のやうに忽ちに、 又は夢のやうに瞬間に消えてしまふ。石炭のやうな闇を破ッて、 ぱッと天地を見せたかと思ふと、あれ!といふ間もなく暗黒《やみ》に呑まれる電光《いなづま》のやうに、 華かな物は悉皆《みんな》めちや/\になつてしまふ。
ハーミ
若し眞實《ほんたう》の戀人は、昔ッから不幸《ふしあはせ》であつたんなら、 それが宿命てものなんでせうから、お互ひに辛抱しませうよ、 定例《きま》つてる不幸なら爲樣がないわ、心配や夢や歎息や願ひや涙とおなじに、 戀の附物と定《きま》つてるんなら。
ライサ
よくおつしやつた。ぢやァ(と聲をひそめて)ハーミヤさん、 お聽きなさい。わたしに未亡人《やもめ》の伯母がある、 大身代の女主公《をんなあるじ》なんですが、なんですが、 子が無いので、わたしを一人息子のやうに可愛がつてゐます。 伯母の家はアセンズから九里ほどです。 ハーミヤさん、あそこでなら結婚が出來る、 嚴しいアセンズの法律だつて彼處《あそこ》まで追ッ掛けて來ることは出來ない。 だから、わたしを愛して下さるなら、明日の晩 邸《やしき》を脱け出して來て下さい。 市《まち》から一里半の……あれ、その、何時か五月祭をするとて、 ヘレナと一しよに貴女《あんた》に逢つたらう……あの森林《もり》の中で待つてませう。
ハーミ
ライサンダーさん!わたし誓つてよ、 キューピッドさんの最《いツ》ち強い弓と最《いツ》ち上等の金の鏃《やじり》の矢に懸けて、 ヰ゛ーナスさんの彼の無邪氣な鳩に懸けて、 性惡のイニーヤスが乘込んでゐる船を見て焦れ死んだカーセーヂ女王の胸に[火|(ノ/ツ/臼);u7196]《ほむら》を誓ひに懸けて、 女に比べれば何倍となく男は破る、其破つた有ッたけの誓言《せいごん》を誓ひに懸けて、 貴郎《あなた》が定《き》めた其場所で明日きッと會ひませう。
ライサ
ぢや、きッとですよ。……あ、あそこへヘレナさんが來た。

ヘレナ出る。
(ヘレナとハーミヤは小づくり。作者は俳優の柄に篏《は》めてセリフを書いてゐる。 ヘレナはディミトリヤスに捨てられたが、尚ほ昔の戀を思ひ切りかねてゐる。)

ハーミ
御機嫌よう、美しいヘレナさん!どちらへ?
ヘレナ
美しいとおつしやるの?それは止して下さい。 ディミトリヤスは貴女《あなた》のお美しいのに憧がれてゐます。 あゝ、羨ましい貴女《あなた》の美しさ!貴女《あなた》の目は北極星のやう、 貴女《あなた》の聲の調は、麥が青々と延びて、 山櫨子《さんざし》が咲きはじめる時分に牧羊者《ひつじかひ》の聞く雲雀《ひばり》の聲よりも可愛らしい。 病氣は人に傳染《うつ》るものなら、ハーミヤさん、 わたしお別れをする前に、其お顏を傳染《うつ》して貰ひとござんす。 貴女《あなた》の其聲を、其目を、其可愛らしい舌の音樂を、此耳に、此目に、 此舌に傳染《うつ》して貰ひとござんす。此世界がわたしの物なら、 ディミトリヤスさんだけを取ッといて、其後《あと》は悉皆《みんな》貴女《あなた》にあげますわ、 貴女《あなた》のやうになられさへするのなら。ねえ、 どんな目附をなさりや、ディミトリヤスの心が思ふやうになるんです、 教へて下さい!
ハーミ
わたしや顰面《しかめツつら》をして見せるんですの、けども依然《やツぱり》お愛しなさるのよ。
ヘレナ
あゝ、その貴女《あなた》の顰面《しかめツつら》だけの愛嬌がわたしの笑ひ顏にあつたらねえ!
ハーミ
わたしや彼の方を怒鳴りつけるんですの、けども依然《やツぱり》お愛しなさるのよ。
ヘレナ
あゝ、わたしや祈つたり願つたりしてるのに、些《ちツと》も可愛がつてちやくれない!
ハーミ
嫌へば嫌ふほど附き纒つていらつしやるのよ。
ヘレナ
慕へば慕ふほど、わたしを嫌ひますのよ。
ハーミ
ヘレナさん、あの方がそんな迂愚《うつけ》におなんなすつたのはわたしの科《とが》ぢやなくつてよ。
ヘレナ
只その美しいのが貴女《あなた》の科《とが》よ。あゝ、わたし、さういふ科人《とがにん》になりたい!
ハーミ
御安心なさいな。もうこれからは、わたし、あの方に逢やしません。 ライサンダーさんとわたしは今日駈落するんですのよ。 わたしライサンダーさんに逢ひましたまではアセンズを極樂のやうに思つてましたのに、 それをあの人が地獄にしたのよ、 して見りやわたしの情人《いゝひと》に如何いふ長所《とりえ》があるんでせう!
ライサ
ヘレナさん、わたし共の本心を貴女《あなた》に打明けませう。 明日の晩……嫦娥《フィービ》が其銀色の影を水鏡でながめながら、 草の葉を露の珠で飾り、定《きま》つて落人《おちうど》を隱すやうにしてくれる其時刻に、 わたしたちはそッとアセンズの城門《きど》から脱け出さうといふのです。
ハーミ
さうして、そら、よく貴女《あなた》とわたしとが、白ッちやけた櫻草の花壇に寢轉んで、 懷かしい内密《ないしよ》話をしあつたでせう、あそこで、 わたしライサンダーさんに會ふ筈なの。さうして彼處《あそこ》からアセンズを後に見て、 知らない土地へ往つて、新しい友だちを求めやうといふのです。 さやうなら、幼な友達さん、なつかしいヘレナさん、わたしたちの爲に祈つて下さい、 さうして其功徳で、どうぞディミトリヤスさんにお可愛がられなさるやうに! ……ライサンダーさん、約束を忘れて下さるなよ、お互ひに、明日の夜中までは、 目の戀の糧《かて》を絶たねばならない。

ハーミヤ入る。

ライサ
大丈夫ですよ。……(ヘレナに)ヘレナさん、さやうなら。 どうか貴女《あなた》が思つてるやうにディミトリヤスが貴女《あなた》を思ひますやうに!

ライサンダー入る。

ヘレナ
どうしてまア人によつて、こんなに仕合せが異《ちが》ふだらう! アセンズ全市《ぢゆう》でわたしはあの人に劣らない標到《きりやう》だと思はれてゐたものを。 だつて、それが何にならう?ディミトリヤスさんは然う思はないんだもの。 他人《ひと》は悉皆《みんな》知つてゐることをあの人だけは知らうともしてくれない。 ハーミヤさんの目附に目が眩んでゐるのだ、 ちようどわたしがあの人の器量に溺れてしまつてゐるやうに。 戀は分量といふことを知らないから、どんな粗末な物をも法外な立派なものにしてしまふ。 目で見ないで心で見るのが戀の習ひ。だから戀神《キューピッド》は盲《めくら》に畫《か》いてある。 それから翼《はね》があつて目がないのは、無分別で向う見ずで性急《せツかち》だといふ徴《しるし》。 本體は子供だといふのも道理《もつとも》、思ひ違ひや見ちがひが度々ある。 ちようどいたづらッ子が戯[言|虚;u8B43]《じようだん》に[言|虚;u8B43]《うそ》を吐《つ》くやうに、 戀といふいたづら者も[言|虚;u8B43]《うそ》吐《つ》いてばかりゐる。 現にあのディミトリヤスさん、ハーミヤさんに逢はなかつたうちは、 わたしより外に可愛い者はないといつて、 誓言《せいごん》を霰《あられ》の降るやうにお爲《し》だつたのに、 ハーミヤさんに熱くなるや否《いな》や、心が盪《とろ》け、 誓言《せいごん》の霰雨《あられあめ》もすッかり溶けてしまつた。 ……往つて、ハーミヤさんの駈落の事をあの人に知らせよう。 さうすりや明日の晩きッと後を追ッ掛けて彼の杜へお往きだらう。 此事を知らせて禮をいつて貰つたところで、割のわるい話だけれど、 其往返りに、あの人の顏を見るのが、せめてもの嬉しい骨折料になる。

ヘレナ入る。




眞夏の夜の夢 : 第一幕 第二場



第一幕

第二場 アセンズ市。大工クヰンスの宅。



大工クヰンス、指物師スナッグ、織屋ボトム、風櫃屋《ふいごや》フルート、 鍛冶屋スナウト、裁縫師《したてや》スターヴリング出る。 職人共は公爵の新婚記念の祝賀式に際して餘興の素人演劇を催さうとして騒いでゐるのである。

クヰン
みんな集つたゞかね?
ボトム
書付で以て、一人づつ概括的に呼ばるが可いだよ。
クヰン
こゝに名前書があるだ、この中に、此アセンズ全市《ぢゆう》で、 此度《こんど》の御慶事の晩に、公爵さま御夫婦の前へ出て、 劇《しばゐ》演《し》ること出來るもんの名前が殘らず書いてあるのだ。
ボトム
ピーター・クヰンスさん、まづ、第一に、如何《どう》いふ劇《しばゐ》だてことォいつて、 それから役者の名讀み上げて、それから、その、要點に及ばつせいよ。
クヰン
さァ、其 劇《しばゐ》てのはね……おッそろしく哀れッぽい喜劇だよ、 ピラマスて男とシスビて女がむごたらしくおッ死ぬだ。 そいつァ飛切上等の、しかも面白え劇《しばゐ》だねえ。 ……さァ/\、ピーター・クヰンスさん、其名前書で役者の名呼ばらつせい。 ……さァ、皆なもッとずッとおッぱだかるだ。
クヰン
わし、呼ばるからね、返辭さつせいよ。……織屋《おりや》のニック・ボトムさん。
ボトム
こゝだ。俺何役 演《し》るだか言つておいて、後《あと》ォいはつせい。
クヰン
ニック・ボトムさん、お前はピラマスを演《や》る筈になつてるだ。
ボトム
ピラマスてのは何だね?情夫《いろおとこ》かね?敵役の王さまかね?
クヰン
情夫《いろおとこ》だよ、戀故に、われとわが手で、 見事に自害しておッ死ぬ男だ。
ボトム
そいつァ巧く演《や》らかしやァ涙出させる役だね。 俺が演《や》る日になると、觀者《けんぶつ》ァ眼玉《まなこだま》の用心しねえけりやなんめえ。 俺大あらしをおッぱだかせてくれべい、中々 憫然《びんぜん》に演《や》つてくれべい。 ……さ、他のを……だけんど俺實は惡王の役が柄にあるんだ。 エラクレス(ハーキュリーズ)か、猫ォ打裂《ぶツさ》く役なら、 俺滅法界もなく演《や》つてのけて、皆な土手ッ腹でんぐり返《けへ》らせてくれるだが。

巌々たる巌石に
地獄の閂《かんぬき》がッきと折れ、
錠前碎けて散亂しれば、
遙か向うに大日輪の
光りに刄向ふ惡魔もなく、
あらたかなりける有樣なり。

高尚なもんだつたぜい!……さァ他の役者の名前呼ばらつせいよ。 ……こりやエラクレスの詞《もんく》だ、惡王役の詞《もんく》だ。 情夫《いろおとこ》となると、もうちッと哀れッぽいや。
クヰン
風櫃屋《ふいごや》のフルートさん。
フルー
こゝに居りますだ。
クヰン
シスビてのは何だね?武者修行のお武士《さむらひ》かね?
クヰン
うんにや、娘さんでね、ピラマスがそれに打惚れんけりやァなんねえだよ。
フルー
やァ、どうか、わし女 演《なし》ることァ堪忍してくれつさい。 髭が生えかかつてるだからね。
クヰン
そんなことァかまはねえ。何なら假面《めん》をかぶつて、 さうして出來るだけ小せえ聲で物いへば可いだ。
ボトム
假面《めん》で面隱すこと出來るなら、シスビも俺に演《や》らせてくれさつせいよ、 俺おそろしく細ッこい聲で物いふべいから……ま、こんねえな風に…… 「あゝ、ピラマスさん、わしの大事の/\戀人さん!お前の大事のシスビぢやがな! お前の大事の奥さんぢやがな!」
クヰン
うんにや、お前さんは是非ともピラマスを演《や》るだ、 さうしてフルートさんは是非ともシスビを演《や》んなさるのだ。
ボトム
よし、その後を。
クヰン
裁縫師《したてや》のロビン・スターヴリングさん。
スター
こゝに居りますだ。
クヰン
ロビン・スターヴリングさん、お前さんは是非シスビの母親《おふくろ》を演《や》んなさるだ。 ……鍛冶屋のトム・スナウトさん。
スナウ
こゝに居りますだ。
クヰン
お前さんの役はピラマスの父《とツ》さんだ。わしの役はシスビの父《とツ》さんだ。 ……指物屋のスナッグさん、お前さんは獅子の役だよ。……これで役割は濟んだ筈だ。
スナグ
獅子の役の詞《もんく》は書いてあるだかね?あるなら、渡してくれつさい、 わし諳記《おぼ》えること遲ッこいだから。
クヰン
出たら目にやれば可いだよ、唸るだけだからね。
ボトム
その獅子も俺にやらせてくれさつせいよ、俺誰れが聞いても嬉しがるやうに唸つてくれべいから。 公爵さまが聽いてゝ感心して「もう一度べい唸らせろ、もう一度べい」 といはつせるやうに唸るべいから。
クヰン
あんまり怖《おツかな》く唸つた日にやァ、御臺さまやお姫さまがたが、 ほんとに怖《おツかな》がつて、わめき出さつしやるべい。さうなると絞罪《しばりくび》騒ぎだ。
皆々
そんねえな事があつた日にやァ、皆な絞罪《しばりくび》にされッちまふべい。
ボトム
なるほど、おッかながつてお女中たちが氣が狂ふやうだと見さけひがなくなるだから、 こちとらを絞罪《しばりくび》にするかも知れねえ。 だけんど俺思ひ切り細ッこい聲して乳ィ吸ふ鳩ッ子のやうに唸るべい。 鴬が唸るやうにやるべい。
クヰン
お前さんはピラマスしか演《や》られねえだよ。ピラマスは、お前さん、 綺麗な顏の人だに、立派な人だに、夏の日永《ひなが》にでも見てゐたい人だに。 好いたらしい、お歴々らしい人だに。だからお前さんは是非ピラマスを演《や》んなさいよ。
ボトム
ぢや俺それ演《や》るべい。髭ァどんなのを附けたら可いかね?
クヰン
何でも好きなのを附けさつしやるが可い。
ボトム
藁色の髭で演《や》るべいかな、橙《だい/\》色のにしべいかな、 赤紫色にしべいかな、あの眞黄色のフランス金貨《クラウン》色て奴にしべいかな。
クヰン
フランスの頭《クラウン》(黴毒頭)にや、全然《まるツきし》毛のねえのがあるだから、 いつそ髭なしがよかつぺい。……さァ/\、これで役は定《きま》つたゞ。 で、どうかね、わし頼むだから、お願ひするだから、お請願するだから、 今夜中に暗誦して、市《まち》から一哩《マイル》の、 あの宮殿森へ集つてくれつさい、月があるだから。あそこで稽古すべい。 もし市《まち》中で爲《し》るやうだと、ぞろ/\人が附いて來べいから、 目論見が露顯してしまふべい。わしそれまでに此 劇《しばゐ》に要るだけの小道具しらべしておくべい。
ボトム
集るべい。あそこでなら思ひッきり大膽にも卑陋《びろう》にも稽古しること出來るだ。 骨ェ折つて完全に諳記《おぼ》えさつせえよ。さいなら。
クヰン
公爵槲《とのさまがしは》の處《とこ》だぜえ、出會ふのは。
ボトム
合點だ。弓絃《ゆみづる》が切れようと切れめえと。

みな/\入る。




眞夏の夜の夢 : 第二幕 第一場



第二幕

第一場 アセンズ附近の森林。



左右より、一妖精とパックと出る。月が冴えわたつてゐる。

パック
おや、精靈さん、めづらしいね!どこへ行くんだ?
妖精
どこへでも、どこへでも。

岡へも、谷へも、
薮の中へも、茨《いばら》へも、
園《その》へも、庭へも、
水の中へも、火の中へも、
お月さんより足早に、
ひよつくり/\出かけます。
 お仙女さまの御意《ぎよい》のまゝ、
丘の緑の草の輪に、
露を打つのが吾等《おいら》の役目。
のつぽの/\九輪ざくらは
お仙女さまのお抱へ近眤《きんじゆ》で、
金地《きんぢ》の羽織の斑點《ぼつ/\》は
恩寵の章《しるし》の紅色玉《ルビーだま》、
 いつまでも變らぬ色香の。

彼方《あッち》へも、此方《こッち》へも、わたしは露を探しに行つて、 どの九輪ざくらの耳朶《みゝたぶ》へも眞珠玉を掛けてやらにやァならない。 さよなら、武骨者《ぶきッちよ》さん、あばよ。お仙女さまも、 お附の妖精《すだま》たちも、もう直に此處へ來るのよ。
パック
今夜は此處でオビロンさまが底抜騒ぎをさつしやる筈だ。 お仙女さんは、うつかり其鼻の先きへござらんはうが可からう、 王さんは怖ろしく機嫌がわるくッて、氣が荒いから。 といふ仔細《わけ》は、此間お仙女さんが、 つひぞ手に入つたこともないやうな可愛い取換ッ子を印度の王さんの許《とこ》から盗んで來てお小姓にしてござるのを、 オビロンさんが羨ましがつて、森を廻る時の伴侍士《ともざむらひ》にしたいから譲つてくれろッて強請《ねだ》つたんだけれど、 お仙女さんが聽かないで、其可愛い小僧に花冠なんかを被せて、いとしがつてゐる、 だから此頃は二人が面《かほ》さへ合せりや、杜であらうと、草場であらうと、清水の傍でも、 金砂子の星月夜でも、口論の始らない時はない。其度に、小妖精《こびッちよ》どもは怖《おッかな》がつて、 みんな橡實《どんぐり》の中へ這摺り込んで隱れてゐらァ。
妖精
あんたは、見ちがへてゐるんでなけりや、 あのロビン・グッドフェローといふ惡戯者《いたづらもの》の精靈さんだらう? 村の娘ッ子を脅すのはあんたぢやなくッて?乳汁《ちゝ》の上皮を抄《すく》つて取つたり、 とんでもない時分に石臼をごろつかせたり、牛酪《バタ》を製《つく》る女房《かみさん》の邪魔をして 空汗《むだあせ》を流させたり、手製酒《てづくりざけ》の醗酵を止めて見たり、 夜路《よみち》に人を迷はせたりして、面白がつて笑つてゐるのはあんたぢやなくッて? 人によつてはあんたの事をホブ・ゴブリンだの、パックちやんだのと呼んでゐる、 すると、あんたは然ういふ人間にやァいろんな善い事を爲《し》てやつてませう? え、そのパックさんぢやなくッて?
パック
あゝ、君のいふ通りだ。僕が其陽氣な、夜の地廻《ぢまはり》だよ。 僕はオビロンさんにだつて戯《ふざ》けて、肥つて盛り切つてゐる馬めを誑《だま》す爲に、 牝馬に化けてヒヽン/\と嘶《な》くといふと、オビロンさんだつて笑ひ出さァね。 時によつちや焼林檎に化けて、饒舌《おしやべり》婆さんの麥醪椀《どぶろくわん》の中に隱れてゐて、 婆さんが飲まうとすると、脣頭《くちもと》まで跳ね上つて、 萎びた胸の垂肉の上へ麥醪《どぶろく》をぶッかけてくれる。 仔細らしい顔の小母《をんばア》が、大眞面目な話をするとて、 折々僕を三脚床《こしかけ》と間違へて、太尻《おいど》を載ッけようとする、 と僕がひよいと脱ける、婆さん顛倒《ひつくらかへ》つて「畜生ッ」て怒鳴つて、 コン/\コン/\と咳き込む、すると皆が腹を抱へて笑ひ出す、 面白がつて鼻をシュー/\言はせて、曾《つひ》ぞ如是《こんな》をかしいことァなかつたと言はァね。 ……が、そこを退《ど》きたまへ!オビロンさんが來たよ。
妖精
さうして、此方《こッち》からはお仙女さまが。 あゝ、オビロンさんが早く去《い》ッちまひなさると可いがねえ!

一方より妖精群の雄王オビロン其從者ら(大抵は翼《はね》の生えてゐる小妖精)を伴れて出で來る。 と他方より同じく妖精群の雌王チテーニヤ其從者の妖精共を伴れて出る。

オビロ
尊大家《けんしきや》さん、わるい處で逢つたねえ月夜に。
チテー
何ですッて、嫉妬家《やきもちや》さん!……妖精《すだま》ら、さッサとお跳び。 わたしやァあの人とは決して一しよに臥《ね》たり遊んだりはしない筈だから。
オビロ
待ちな、向う見ずの淫蕩者《いたづらもの》、俺はお前の殿さまぢやないか?
チテー
ぢや、わたしはあんたの奥さまでなくッちやならない譯だけれど、 わたしやあんたが妖精《すだま》國からそッと脱け出して、 コリンといふ牧羊者《ひつじかひ》に化けて、麥藁笛を吹いて、日がな一日《ひとひ》、 あの色ッぽいフィリダを戀歌で口説いてゐたのを知つてゐるよ。 何の爲にあんたは此處へ歸つて來たらう、印度のあの遠い高嶺《たかね》から? あの長靴を穿《は》いた、體格《づうたい》の大きい女丈夫《アマゾン》どのを、 あんたの好きな女武者の情婦《いろをんな》どのをシーシヤスの許《とこ》へ嫁入させる爲でなけりや。 あんたは二人《ふたアり》の結婚を祝福しよう爲に歸つて來たんだらう?
オビロ
チテーニヤよ、よし俺がヒポリタに可愛がられてゐたからつて、 お前どうしてそんな譏刺《あてこすり》が言へる、シーシヤスとの内密《ないしよ》事を俺に知られてゐながら? お前はシーシヤスを彼男《あのをとこ》がが手籠にしてまで可愛がつてゐたペリグーナ(ペリヂーニヤ)から引離して、 薄明りの夜半夜《よるよなか》、あッちこッちと伴れ廻つたぢやないか? それから、女神のイーグリーとの約束をも破らせたぢやないか? アリヤドニー姫との約束をも、アンタイオーパとの約束をも?
チテー
そりや悉皆《みんな》嫉妬《やツかみ》根性が虚構《こしら》へた根なし事よ。 此中夏の初めからは、何處で顔を見合せても、岡でも、谷でも、森でも、牧でも、 石を敷いた泉、藺《ゐ》の茂る小川、濱べの砂原、 何處でゝも逢ひさへすりや囂々《がみ/\゛》とお言ひなので、 折角、風の笛に合せて例《いつも》の輪踊りをさせようと思つても、 慰みがめりや/\になつてしまふ。だから、空笛《むだぶえ》を吹かされた風めが、 返報《しかへし》半分に、海から毒靄《どくもや》を吸ひ上げたわね、 それが雨になつて降りはじめ、小さい川まで膨脹《ふくれあが》つて濫《あふ》れ出した。 牛も軛《くびき》を働かせたのが無效《むだ》になり、 農夫《ひやくしやう》も汗を流したのが何にもならず、 麥はまだ鬚も生えぬ青二才の間に腐る、圃《はたけ》は泥沼のやうになつて、 羊小屋は空洞《がらんどう》、病死した家畜で鴉《からす》ばかりが肥る。 「九人 戯《あそび》」も泥に埋れ、草原《くさッぱら》の妙な迷路《メイヅ》も、 蹈手がないので、見分られなくなつてしまふ。 人間界に冬の慰樂《なぐさみ》といふものが更になく、夜になつても、 讃美歌も祝ひの歌も聞えない。だから、海の支配者のお月どのが、 腹を立てゝ蒼白《まつさを》になつて、四方八方を水氣だらけにして、 濕氣の病ひを流行らせる。それから、此亂脈が因《もと》で、 現に季候までが狂つてゐる。眞紅《まッか》な、 今咲いたばかりの薔薇の花瓣《はなびら》の中へ眞白な霜が置く、 嚴冬《ハイエム》の冷い禿頭の上へ、好い香りの、 夏の可愛らしい花の冠冕《かんむり》が、 まるで馬鹿にしたやうに載けられる。春も、夏も、實る秋も、 荒れる冬も、例《いつも》とは異《ちが》つた行裝《なりふり》をして出て來るので、 其産物だけでは、どれがどれやら見分けられない。 かういふ不祥事《いけないこと》が幾らも/\起るのは、 悉皆《みんな》お互ひの喧嘩口論が因《もと》なのよ、 わたしたちが其親であり、源《もと》でもあるのよ。
オビロ
ぢや、あんたが改《なほ》すがいゝ。あんた次第なんだ。 なぜチテーニヤは夫たるオビロンに逆《さから》ふんです? わたしは只小ちやい取換ッ子の童《こぞう》を小姓に呉れるッてるばかりぢやないか?
チテー
お諦めなさいよ、あの兒は妖精《すだま》國 全部《そつくり》とだつても取換へないのよ。 彼兒《あれ》の母はわたしの信者で、あの香料の匂ひの滿ちた印度の空の下で、 折々、夜中に、わたしの傍へ來てお喋説《しやべり》をしたり、 大海原《ネプチューン》の、あの黄ばんだ砂ッ原で、 わたしと一しよに蹲踞《しやが》んで、 商人船《あきんどぶね》の幾つも幾つも沖へ出て行くのを算《かぞ》へたりして、 帆が多情《いたづら》な風に孕《はら》ませられて脹腹《ぼてれん》となるのを見ては笑つたわね。 其帆の後をば彼の女が……ちようど其時分は、お肚《なか》に彼の小童《ちびすけ》を有つてゐたので ……可愛らしい、泳ぐやうな腰附をして、追ッ掛け/\、 わたしが小石か何かと遠くへ抛《な》げると、砂ッ原を帆の眞似をして走つて行つて、 それを取つて歸つて來たのよ、どつさり商品を積み込んで航海から歸りでもするやうに。 けれども、人間だから、彼兒《あのこ》の故《せゐ》で死んでしまつた。 彼女《あれ》の爲にとて育てた子供だから、わたし如何《どう》しても手離せないの。
オビロ
いつまでも此 森林《もり》の中にゐる積りだい?
チテー
シーシヤスの婚禮が濟む時分まではゐませうよ。 おとなしくして輪踊の仲間へ入つて、わたしたちの月夜遊びを見物する氣なら、 一しよに來ても可いわ、けども、さうでなきや彼方《あッち》へいらつしやい、 わたしもあんたの方へは行かないから。
オビロ
あの童《こぞう》をくださいよ、さうすりや一しよに行くから。
チテー
妖精國《すだまこく》を悉皆《みんな》貰つても否《いや》よ。……妖精《すだま》ら、 さァ/\。此上こゝにゐると喧嘩をはじめなけりやならない。

チテーニヤ其從者の妖精どもを引きつれて入る。

オビロ
勝手にせい。此杜を出しやないぞ、此返報をするまでは。…… おい、パックや、こゝへ來な。記《おぼ》えてるだらう、いつゥか、俺が、 或岬に腰を掛けてゐて、海豚《いるか》の背に乘かつてゐる人魚が、綺麗な聲で唄を歌ふのを聽いてゐると、 荒海さへも其聲《それ》を聽いて穩順《おとなし》くなり、 大空の星があの海處女《うみをとめ》の音樂に聽き惚れて、氣が狂つて、 幾つも幾つも圓座から射るやうに辷《すべ》り落ちたのを。
パック
記《おぼ》えてゐます。
オビロ
あの時に俺が見た……汝《きさま》にや見えなかつただらうが……清淨《しやうじやう》な月と地球との間に、 例の弓矢を取揃へてゐるキューピッドの姿を見た。 彼れはちようど其時、西方に近い高御座《たかみくら》に腰掛けてゐた一人の尼姫君に覘《ねらひ》を附けて、 戀の征矢《そや》をよッぴいて、千萬の心臟をも射貫《いとほ》しさうに飄《へう》と放つた。 けれども其キューピッドの炎の征矢《そや》も、氷の月の淨《きよ》い光りに消されたらしく、 其氣高い尼君は、浮いた戀の氣振もなく、不穢《ふゑ》童貞の想ひに默して、 其場を通り過ぎてしまはれた。が、其キューピッドの放した矢は、西國の或小さい草の花に落ちて中《あた》り、 乳白であつた其花が、それからは、戀の負傷《てきず》の爲に、赤紫色になつたんで、 娘共は彼《あの》草の事を「懶惰《ぶしやう》な戀草」と呼んでゐる。 あの草の花を……先だつて教へておいた筈だ……取つて來てくれ。 あの花の液《しる》を眠てゐる者の瞼《まぶた》に塗ると、男でも、女でも、 必ず目の開いた其途端に見た物に見さかひもなく惚れッちまふ。 あの草を取つて、さうして直ぐ戻つて來な、鯨が一里半とは泳がないうちに。
パック
四十分で地球に帶をさせて御覽に入れます。

パック飛ぶやうにして入る。

オビロ
あの液《しる》が手に入つたら、眠《ね》てゐる時分に、チテーニヤの目へ注《さ》してやらう。 さうすりや覺めた途端に見る者に惚れ込んで、それを一生懸命に追廻すだらう、 獅子、野牛、熊、狼、いたづらな猿、せはしない尾なし猿、何であらうと。 それから、其まじなひを彼女《あれ》の目から消す前に……他の草を使やァ直ぐ消される…… あの美兒《ちご》を渡させてしまはう。……が、だれか來る?俺の姿は見えないのだから、 こゝで立聞きしてやらう。

駈落ちしたライサンダーとハーミヤの後を追つてディミトリヤス出る。 と、直ぐ其後からヘレナがディミトリヤスを追掛けて出る。

ディミ
(うるささうに見返つて)從《つ》いて來ちやいけませんよ、 わたしァ貴女《あんた》を愛しちやゐないんだから。…… ライサンダーやハーミヤは何處へゐるか?男は殺しッちまはうと思つてるんだが、 女にや此方《こッち》が殺されッちまふ。此森へ逃げ込んだと貴女《あんた》が言つたから、 やつて來たんだけれど、氣が氣ぢやァない、木の中にゐたつて、 ハーミヤに逢へないから。……えィ、去ッちまつて下さい、もう從《つ》いて來ちやいけない。
ヘレナ
だつて、貴郎《あなた》が惹くんですもの、磁石男、酷《むご》い/\頑石男《ぐわんせきをとこ》。 貴郎《あなた》に惹かれたつて、わたし鐵ぢやァないことよ、忠實な鋼《はがね》よ。 貴郎《あなた》さへ惹かなけりや、わたし從《つ》いて行かうたッて行かれやしないわ。
ディミ
おや、わたしが貴女《あんた》を誘引《ひッぱ》るッて? 艶辭《きやすめ》でも言つたことがあるかい?頭から、露骨《あけすけ》に、 貴女《あんた》は好かない、好くことは出來ないといつてるぢやないかね?
ヘレナ
さういはれたつて尚ほとわたし貴郎《あなた》が好きよ。 わたしは貴郎《あなた》の狆《スパニエル》よ、だから、撲《ぶ》たれゝば撲《ぶ》たれるほど、 尚ほと尾を揮《ふ》つて附き纒ふのよ。狆《スパニエル》のやうに扱つて下さい、 蹴飛ばして下さい、撲《ぶ》つて下さい、かまはないどいで下さい、 放棄《うッちや》ッといて下さい。只、ねえ、やくざ者ですけれど、 從《つ》いて行かせて下さいよ。犬扱ひで可いから可愛がつて下さいといふ位ゐ低いお願ひはないでせう? でも、わたしに取つては、それが大變に結構な位置なのよ。
ディミ
あんまり戯《ふざ》けた眞似をなさると、眞底から憎みますぞ。 何故ッて、わたしは貴女《あんた》の面《かほ》を見ると病氣になッちまふ。
ヘレナ
わたしァまた貴郎《あなた》の面《かほ》を見ないと病氣になッちまふ。
ディミ
貴女《あんた》は非常に女の謹愼《たしなみ》に背いた不都合な振舞ひをしておいでなさるよ。 市《まち》を離れて、貴女《あんた》を愛してもゐない者の手に一身を委ねるなんて。 油斷のならない夜中に、邪念を起させ易い森林《もり》の中へ、 處女性といふ寶物《たからもの》を持つてうか/\やつて來るなんて。
ヘレナ
貴郎《あなた》の人格が然うしても大丈夫だといふわたしの保證よ。 貴郎《あなた》の面《かほ》さへ見りやわたし非常に明いやうに思ふから、 今も夜だとは思ひませんし、此森の中にゐたつても、決して浮世を離れたとも何とも思ひませんの、 わたしに取つては貴郎《あなた》が全世界だもの、前に世界ぢゆうの人がゐるも同樣だもの、 淋しい筈はないぢやなくつて?
ディミ
わたしや逃げるよ、さうして薮か何かの中へ隱れッちまつて、貴女《あんた》を荒熊や狼の勝手にさせるよ。
ヘレナ
荒熊だつて貴郎《あなた》ほど殘忍ぢやなくつてよ。逃げるならお逃げなさい、 昔話を顛倒返《ひつくりかへ》しにしなけりやならんばかしよ。 アポローが逃げると、ダフニが追ッ掛ける。麒麟と鳩が、虎を孱弱《かよわ》い牝鹿が捉まへようとするの。 無效《むだ》な骨折だわ、弱い者が追ッ掛けて、強い者が逃げるんだもの。
ディミ
わたしや貴女《あんた》と問答なんかしちや居られない。行かせて下さい。 強ひて從《つ》いて來ると、森林《もり》の中で如何《どん》な酷い目に逢はせるか知れないよ。
ヘレナ
えゝ、貴郎《あなた》は始終《しよッちゆう》わたしを酷い目にお逢はせなさるのよ、 お堂でゝも、市《まち》でゝも、原でゝも。あんまりだわ、貴郎《あなた》は! 貴郎《あなた》の爲向《しむ》けは女性全體の侮辱です。 わたしらは男のやうに力づくで戀をすることは出來ない。 女は爲掛けられるやうに出來てゐて、爲掛けるやうにや出來てゐないから。……

此うちにディミトリヤスは逃げて入る。

從《つ》いて行きますよ、戀しい人の手にかゝつて死ぬのなら、 地獄の苦しみも天堂の幸福《しあはせ》なんだから。

ヘレナも追つて入る。

オビロ
さやうならよ、女神さん。今に、此杜を離れない間《うち》に、 お前が逃げて、あの男が追ッ掛けるやうになるだらう。……

此時パック飛ぶやうにして出て來る。

花を取つて來たかい?御苦労々々々。
パック
はい、これです。
オビロ
さ、呉れ。……(花を受取りて)此杜の中に野生の麝香草の咲き亂れてゐる堤《どて》がるが、 あそこには九輪草も咲いてをれば、菫《すみれ》もはいちやいをしてをり、 青々と滋る忍冬《すひかづら》や、美い香りの麝香薔薇や、野茨《のいばら》が其上を掩つて、 自然の天蓋が出來てゐる。チテーニヤは、夜の時々、 あの花の中で面白い踊に慰められて眠入ッてまふ。と小蛇が、琺瑯《はうらう》のやうに光る皮を脱いで、 其腰へ被《き》せかけるが、小仙女の掻卷《かいまき》にやそれがちようど好い大きさだ。 俺は此草の液《しる》を彼女《あれ》の目へ塗り附けて、汚い、 厭《いや》ァな空想を起させよう。汝《きさま》も此 液《しる》を幾らか持つてつて、 森の中を歩き廻つて……アセンズの或美人が或若い男に惚れてゐるが、 男は女を見下げきつてゐるんだ……その男を探して、そいつの目に塗つてやれ。 だが、目を開くや否《いな》や、其 婦人《をんな》を見附けるやうにしなくッちやいけないぞ。 アセンズ服を被《き》てゐる男だ。いゝか、よく注意して、 女よりも男の方がずッと夢中になるやうにな。 そして一番鷄の啼《な》く前に俺の許《もと》へ戻つて來るんだ。
パック
お氣づかひなさいますな。きッと旨く爲《し》おほせます。

左右へ別れて入る。




眞夏の夜の夢 : 第二幕 第二場



第二幕

第二場 森林の他の方面。



チテーニヤが其從者の妖精群と共に冴えた月の下で享樂してゐる。

チテー
さァ/\、輪踊をお始め、妖精節《すだまぶし》をお歌ひ。 それが濟んだら、二十秒《セコンド》ばかしの間 爲事《しごと》に行ッといで。 誰れかは麝香薔薇の螟蛉《むし》を取つておやり。 誰れかは蝙蝠《かうもり》退治に行つて、 彼奴《あいつ》の柔革《なめしがは》のやうな翼《はね》を取つて來とくれ、 豆妖精《まめすだま》共の服を製《こしら》へてやりたいから。それから、 誰れか往つて彼の喧《やかま》しい梟《ふくろふ》めを逐《ぼ》ッとくれ、 毎晩フー/\ホー/\いつて、我家《うち》の小奴《ちび》共を嚇《おどか》していけないから。 さァ、わたしが眠附くまで唄を歌つて、それから爲事《しごと》をおし。 さうしてわたしを休ませとくれ。

此間に妖精らの舞踊があつて、それが濟むと第一の妖精が音頭を取りて下《しも》の歌を唄ふ、 其一部は獨唱、其他は妖精群全體の齊唱。 チテーニヤは四方《あたり》の美しき種々《いろ/\》の草が咲き亂れ、 忍冬《にんどう》などが纒ひつきて、 おのづからなる四阿《あづまや》をなしてゐる小高き處の花土手に凭《もた》れかゝりて、 徐《しづ》かに眠りに就かうとする。

(唄)
妖の一


ぽつ/\模樣の、舌が二つのお蛇さん、
刺々《とげ/\》だかれの蝟《はりねずみ》、來るな/\。
蠑[虫|原;u8788]《ゐもり》よ/\、足なし蜥蜴《とかげ》よ、惡戯《わるさ》すな。
來るなよ/\、お仙女さまのお傍へは。

(齊唱)

妙音鳥《フィロメル》よ、節《ふし》面白く、
歌へ/\、ねんねこ唄を。
ラヽ、ラヽ、ラヽビー!
 ラヽ、ラヽ、ラヽビー!
此方《こッち》の大切《だいじ》なお仙女さまにや
恙《つゝが》も、障りも、魔も附かぬ。
 そんなら御寢《ぎよしん》なれ、ねんねこせい。

妖の二


巣造り蜘蛛めら、こゝへは來るな。
脚長蜘蛛めよ、彼方《あッち》行け、彼方《あッち》行け。
黒甲蟲《くろかぶとむし》、傍へも寄るな。
毛蟲も、蛞蝓《なめくじ》も、惡戯《わるさ》すな。

(齊唱)

妙音鳥《フィロメル》よ、節《ふし》面白く、(以下同前)

妖の一
さァ/\、彼方《あッち》へ/\!もうこれで可いの。 一人だけ離れて見張をするんだ。

妖精《すだま》ら皆々入る。チテーニヤ眠る。
とオビロンが抜足《ぬきあし》して出て來て、チテーニヤの傍へ立寄る。

オビロ
何でも目の覺めた時に見る物を(と言ひつゝ花の液《しる》をチテーニヤの瞼《まぶた》へ絞りかけて) 眞實《ほんと》に戀しいと思ひ込むんだよ、一生懸命にそれに戀ひ焦れるんだよ。 豹でも、山猫でも、熊でも、野猪でも、何でもかでも、 目の覺めた途端に見りや可愛く見えるんだぜ。何か汚らしいものが來た時に起きろ。

オビロン木かげへ入る。
ライサンダーとハーミヤが森林《もり》の中で、すつかり路に迷ひ、疲れはてゝ出る。

ライサ
ハーミヤさん、森林《もり》の中でうろついたので、 貴女《あなた》ァ大變切なさうですねえ。實は、わたし、 路を忘れッちまつたのです。ねえ、貴女《あなた》がよけりや、 こゝで休んで、夜の明けるのを待ちませうよ。
ハーミ
さうしませう。貴郎《あなた》も寢處《ねどこ》をお捜しなさい、 わたしは此土手を枕にしますから。
ライサ
それを二人分の枕にしませうよ。ね、心臟も一つ、寢床も一つ、 胸も一つ、誓約も一つ。
ハーミ
いゝえ、いけません。どうぞ、後生ですから、もッと其方《そッち》で臥《ね》て下さい、 そんなに近いとこで臥《ね》りやいけません。
ライサ
おや、如何《どう》しようといふのでもないんですよ! 愛《ラヴ》の相語るや、互ひに能く相解す、ですよ。 わたしは只二人の心臟と心臟とは縫ひ合されてゐる、二人の胸は一つの誓ひで繋ぎ合されてゐる、 だから、胸は二つで誓約は一つといつたんですよ。だから、 貴女《あんた》の傍で横にならせて下さいよ。傍で横になつたからつて、 横しまなことなんかしやしません。
ハーミ
巧いことをおつしやるわねえ。 わたしが貴郎《あなた》を假にも横しまを働く人だといはうとしたのであつたら、 わたしの無禮不作法をどんなにも叱つて下さい。けども、ねえ、貴郎《あなた》、 眞個《ほんと》にわたしを愛して下さるのなら、もつと離れて臥《ね》て頂戴。 愼みとしては、誰れに見られたつて差支へないほど離れて臥《ね》るのが、 正しい獨り身の男女にふさはしいことでせう?……えゝ、その位ゐ離れて。 ……さやうなら、お寢《やす》みなさい。生きておいでの間《うち》は、 必ず變つて下さいますな!
ライサ
何卒《どうぞ》、其當然な祈[しめすへん|壽;u79B1]《いのり》の通りに。 わたしが誠實を失する時は、此命をも失する時であるやうに! わたしはこゝで寢よう。眠りの神よ、どうか十分の安眠を此婦人に與へて下さい!
ハーミ
祈つてくれる人へも、何卒《どうぞ》、その半分だけを!

二人、位置を隔てゝ、芝土手に凭《もた》れて眠る。
とパック出る。

パック


森の中ぢゆう探したけれど、
アセンズ人には一人も逢はない、
惚れる藥の此花の液《しる》を、
そいつの瞼《まぶた》に塗らうと思ふが。
眞暗がりで寂しいなァ!や、だれだ?
アセンズ人の服裝《みなり》をしてゐる。
これだな、檀那のさういつたのは、
アセンズ娘につんけんするのは。
さうして娘も、こゝに眠《ね》てらァ、
濕《しめ》つた、穢《きたな》い地面《ぢべた》の上に、
情け知らずの、戀知らずめに、
憫然《かはい》さうによ、添寢もしないで。
やい、武骨者、汝《きさま》の目玉へ……

といひつゝ花の液《しる》をライサンダーの瞼《まぶた》へ絞りかける。

懸けるぞ藥を、有りたけ藥を。
覺めたら戀氣だ、眠氣はさらばだ。
俺《おい》らが去《い》つたら目《めイ》めを覺しな、
これから俺《おい》らはオビロンさん許《とこ》へ。

パック入る。
ディミトリヤス走つて出る。とヘレナが直ぐ追ッ掛けて出る。

ヘレナ
ディミトリヤスさん、殺されてもいゝから、待つて下さい。
ディミ
去《い》ッちまひなさい、そんなに附き纒つちやいけない。
ヘレナ
まァ、貴郎《あなた》はわたしを暗闇の中に棄てゝ行くの? ねえ、伴れてつて下さい。
ディミ
(こはい目をして)從《つ》いて來ると危險ですぞ。わたしやァ獨り行くんです。

突放しておいて、ディミトリヤス入る。

ヘレナ
あゝ、わたし息が切れる、馬鹿な追ッ掛くらをしたもんだから! お祈[しめすへん|壽;u79B1]《いのり》をすればする程、お惠みは少いんだもの。 ハーミヤさんは、今頃は何處に臥《ね》てるのか知らないが、幸福《しあはせ》な人! あの人は、けつこうな愛嬌のある目を有つてるんだから。あの人の目は、 如何してあゝ冴えてるだらう?涙の故《せゐ》ぢやない。其 故《せゐ》なら、 わたしの目はもッと涙で洗つてるんだもの。駄目々々。わたしは荒熊よりも見ッともないんだわ、 獣類《けだもの》でさへわたしに逢ふと怖がつて逃げるやうに逃げて行くのも不思議はない。 あの鏡めは……わたしの目をあのハーミヤさんの星のやうな目と比べさせようとした鏡めは…… 何て性惡な僞善者《しらばッくれ》だらう!……おや、だれか居るわ! ライサンダーさんだ!地面《ぢべた》に!死んでるのか!眠《ね》てるのか? 血は見えない、傷もない。……ライサンダーさん、もし/\、生きていらつしやるなら、 お起きなさい。
ライサ
(尚ほ夢心地の體《てい》で)えゝ/\、火の中へでも入りますよ、 貴女《あんた》の爲になら。……

と目を覺して、ヘレナを見て恍惚となる。

あゝ、水晶のやうなヘレナさん!自然の妙工とは是れだ、 貴女《あんた》の胸元が透き徹つて美しい貴女《あんた》の心が見える! ……ディミトリヤスめは何處にゐます?あの汚はしい名前は、 當然わたしの劍に貫かれて死すべきです!
ヘレナ
(驚いて)ライサンダーさん、そんなにおつしやるなよ、そんなに。 よしんば彼の人が貴郎《あなた》のハーミヤさんを戀ひ慕つてゐるからつて。 戀ひ慕つて可いぢやないこと?ハーミヤさんの心は變らないんだから。 安心していらつしやい。
ライサ
安心してゐろッて、ハーミヤだけで以て!いゝえ、後悔千萬です、 あんな女と何時間も詰らない話をしてゐたかと思ふと。 わたしの可愛いと思ふのは、ハーミヤではなくッて、ヘレナです。 誰れだつて、鴉《からす》は止して鳩の方を取りますよ。 男の心は理性に支配されるもんです、ところで、理性は貴女《あんた》の方がずッと立派だといひます。 凡て物は、其季節が來ないうちは熟さないものです、わたしも若いので、 今日までは、まだ理性式には熟してゐなかつたんですが、 やつと今人智の頂に觸れかけたので、理性が意志を率るやうになつて、 貴女《あんた》の其目を見させたのです。で其けつこうな愛の寶卷《ほうくわん》の中に、 眞愛の聖書《おふみさま》の書いてあるのを讀んだんです。
ヘレナ
(怒つて)如何いふ因果でわたしは如是《こんな》に酷く嘲弄されるんだらう? 何時、わたしが貴郎《あなた》に如是《こんな》にされるやうな事をしました? わたしはディミトリヤスさんに一寸でも優しい目附で見て貰ふことさへも出來なかつた、 今だつて、將來《これから》だつて出來やしない、といふ事だけで以て、 それでもう澤山ぢやなくつて?え、澤山ぢやなくつて? 尚ほ其上に不束《ふつゝか》なわたしを嘲弄しなくッちやならないんですか? ほんとに貴郎《あなた》は酷いよ、ほんとに酷いわ、 そんな風に馬鹿にすてお口説きなさるのは。……けれど、さやうなら。 わたし據《よんどこ》ろなく言はんけりやならない、 貴郎《あなた》は如是《こんな》方だとは夢にも思つてゐなかつたのに。 あゝ、あゝ、一人の人に嫌れた上に、それを又他の人にさん/\゛嘲弄されなけりやならないといふは!

ヘレナ泣きながら入る。

ライサ
ハーミヤのゐるのに氣が附かなかつたらしい。……ねえ、ハーミヤ、そこに眠《ね》てゐな。 ライサンダーの傍へは最早《もう》決して來なくても可いよ! 一番 美味《うま》い物の食傷が最も可厭《いや》な感じを胃に覺えさせるやうに、 又、邪宗門が其迷信から醒めた者に最も激しく嫌はれるやうに、お前は俺の食傷でもあり、 邪宗門でもあるから、人に嫌がられるんだ!あゝ、俺の有る限りの力よ、 愛をも力をも傾けてヘレンさんを尊敬しろ、ヘレンさんの家來になれ!

ライサンダー急いでヘレナの後を追ッて入る。

ハーミ
(夢を見て魘《うなさ》れた體にて)あれい!ライサンダーさん、あれい! 早く取つて頂戴よ胸の上を這つてる蛇を!……(目を覺して)あゝ、情けない! 何てま夢だつたらう!ライサンダーさん、ほら、わたし如是《こんな》に慄《ふる》へてゝよ、 怖くつて。蛇がね、わたしの心臟をずん/\喰べてるの、それだのに、 貴郎《あなた》はそれを笑つて見てるの。……ライサンダーさん! おや、何處かへ往つて?……ライサンダーさん!貴郎《あなた》! おや、聞える處に居ない?去《い》ッちまつて?音も聲もしない? あら、何處へ往つたの?返辭して下さい、聞えたら。 後生ですから、何とかいつて下さい!あゝ、怖くなつて氣絶しさうだ。 聞えないの?ぢや、近くにはゐないんだ。……死神にか、貴郎《あなた》にか、 どちらかに直ぐ逢はう。

ハーミヤ泣く/\入る。




眞夏の夜の夢 : 第三幕 第一場



第三幕

第一場 森林。チテーニヤの寢所前。



前幕の通りチテーニヤ舞臺のずッと奥の天然の四阿《あづまや》の裡《なか》に眠つてゐる。 それを背《うしろ》にして、舞臺前面へ、大工クヰンス、指物屋スナッグ、織屋《おりや》ボトム、 風櫃屋《ふいごや》フルート、鍛冶屋スナウト、裁縫師《したてや》スターヴリング出る。 いよ/\素人芝居の稽古を始めようとするのである。

ボトム
みんな集つたゞかね?
クヰン
ちようど/\。此處は稽古をしるにや持つて來いといふ滅法界もねえ處だ。 此草ッ原を舞臺にして、此 山櫨子《さんざし》の薮ッ蔭を樂屋にして、 さうして所作《しぐさ》ァして稽古しべい、公爵さまも前でしる通りに。
ボトム
ピーター・クヰンスさん、……
クヰン
何だね、ボトムの大將?
ボトム
ピラマスとシスビの此喜劇にや如何もそのお氣に入るめえと思ふことがあるだがね。 先づ、第一、ピラマスが己《うぬ》を殺さうッて劍を引ッこ拔くだが、 お姫さま達それ能《よ》う忍耐《がまん》しめえ思ふだが、どうだね?
スナウ
成程こりやどうもとんでもねえこッたねえ。
スター
わし思ふに、こりやその殺すちふことを是非その止さんけりやなるめえよ、 つまり、その。
ボトム
何、そんなことが。おれ巧くやつてのける工夫《たくらみ》があるだ。 先づ口上書を作《こさ》へて、さうして其口上で、劍は使ふけんど、 怪我させるやうなことァ決してねえッて、それから、 ピラマスは眞個《ほんと》に殺されるんぢやねえッて言はせるだ。 それから、尚ほ安心させべい爲に、かう斷らせるだ、 おれピラマスだけんど、ピラマスぢやァねえ、實は織屋《おりや》のボトムだァ言はせるだ。 さうしりや怖《おッかな》がるやうなことァあんめえ。
クヰン
うん、さういふ口上をいはせることにしべい。その詞《もんく》は八六で書くだね。
ボトム
うんにや、もう二つ倍加《ふや》して、八八で書かすべいよ。
スナウ
お女中さまたちは獅子を怖《おッかな》がりやしねえかね?
スター
怖《おッかな》がるべいよ、きッと。
ボトム
皆の衆、こいつァうんと相談ぶたなくッちやなんねえこんだね。 お女中樣たちの裡《なか》へ獅子ィ引ッ張り込むてのは怖《おッかな》ねえこんだからねえ。 何故ッてお前《めへ》、生きた獅子よりも怖《おッかな》ねえ鳥類なんてものはあるもんでねえからね。 だから、こりや注意しなけりやなんねえ。
スナウ
だからね、もう一通口上書 作《こさ》へさせて、おれ獅子でねえッて斷るだね。
ボトム
うんにや、名前《なめへ》も名宣《なの》らせなくちやなんめえ、 それから面《つら》も半分だけ獅子の頸根ッこから見えるやうにせにやなんめえ。 さうして是非 己《うぬ》が口で口上を言はせるだね、ま如是《こんな》鹽梅《あんべい》式にいふだ、 ……「えゝ、お女中さまがたに……でなけりや御婦人さまがたに…… お願ひ申し上げるでがすが……といふかね、いや、お請願しまするでがすが…… といふかね、でなけりや、御要求しまするでがすが……どうか、 その怖《おッかな》がらねえで下せえまし、大丈夫《でえぢやうぶ》でがすから。 わしを眞個《ほんと》に獅子だ思はつしやりますやうだと、 わし情けねえでがす、わしそんなものでありましねえだから、うんね、 わしァ他《ほか》の人間と變りッこのねえ男でがす」……斯う言つて、 それから己《うぬ》が名前《なめへ》名宣《なの》るだ。 有體《ありてい》に指物屋のスナッグだ言ッちまふだ。
クヰン
あゝ、さうしべいよ。だがね、こゝに二つむづかしいことがあるだよ。 外ぢやねえがね、お廣間の中へ如何してお月さんを持つて行《く》べいか? 知つてる通り、ピラマスとシスビは月夜に出會しるだ。
スナウ
こちとらが劇《しばゐ》しる晩にやお月さま出ねえかね?
ボトム
暦《こよみ》だ、暦《こよみ》だ!暦《こよみ》で以て、 月夜を探さつせいよ、月夜を。
クヰン
うん、月があるだよ、其晩は。
ボトム
それだら、劇《しばゐ》をしる其大廣間の窓ン戸を開ッぱなしとくだね、 さうしりやお月さんが照り込むべい。
クヰン
さ、さうしるか、でなくば、だれか一人 荊棘《いばら》一束と挑灯《ちやうちん》とを持つて出て行つて、 おれお月さまの役しるでがす、と斷るだね。それから、まだ一つあるだ。 其大廣間に是非 石墻《いしがけ》がなくッちやなんねえ。 何故ッてね、ピラマスとシスビは石墻《いしがけ》の隙間《すきま》から話しあつたいふだからね。
スナグ
どうしたつて石墻《いしがけ》持込むことァ出來なかつぺい。 どうだね、ボトムさん?
ボトム
だれか一人 石墻《いしがけ》にならんあけりやなんめえ。さうして漆喰《しッくひ》か、 粘土《ねばつち》か、砂混りかで身體中を塗りこくるだね、石墻《いしがけ》に見えるやうに。 さうして指《いび》をこんな鹽梅《あんべい》式にしてるだね、しると、 其 間《えひだ》からピラマスとシスビが内密《ないしよ》話しることになるだ。
クヰン
それで可いてことになりやァ、もう悉皆《みんな》可いだ。…… さ、皆な腰ィかけてめい/\役割を稽古さつしやい。ピラマスさんから始めさつしやい。 白《もんく》言つちまつたら、あの薮ン中へ入らつしやいよ。 さういふ風に、めい/\きッかけを忘れねえでね。

此時、パック一同の背後《うしろ》へ出る。

パック
(傍白)お仙女さんが眠《ね》てござるのに、何だ、此 手織木綿めらは? 直ぐ傍で叫《がな》り散らしてゐやがる。何だと、劇《しばゐ》が始る? 俺が見物人になつてやらう、事によると、一役勤めてやるぞ。
クヰン
さ、ピラマスさん、白《もんく》だ。シスビさん、出て來るだよ。
ボトム
「シスビどのよ、いかゞはしく愛《えい》らしき花の香り、……」
クヰン
「かぐはしく」だよ、「かぐはしく」だよ。
ボトム
「……かぐはしく、愛《えい》らしき花の香り。 御事《おんこと》の息が正《まさ》しくそれぢや、なつかしき、いとしきシスビどのよ。 や、人聲がする!御事《おんこと》は暫《しば》しの間《えいだ》この處にて待つてゐて下されかし、 やんがて又お目にかかりまする。」

ボトム入る。

パック
(傍白)さうよ、前例のない珍型ピラマスてのをお目に掛けるだらう!

パック入る。

フルー
こんどはわしかねえ?
クヰン
うん、さうだ、おめへさんだ。いゝかね、今 彼人《あのひと》は、つい何か音がしたんで、 ちよッくら樣子見に往つたゞからね、又すぐと戻つて來ることになつてるだよ。
フルー
「あゝ、こちの光る君のピラマスどの、百合の花よりも色が白うて、 目ざましう咲き誇る野茨《のいばら》の蕾よりも色が紅うて、 いとゞしう可憐《いと》しい若人《わかうど》どの、いとゞしう勇ましいユダヤ人どの、 曾《つひ》ぞ疲れぬ駿馬《ときうま》の忠實《まめやか》さにも劣らぬ殿御。 あゝ、ピラマスどの、さらばやんがてニンニの墓地《ぼッち》で會ひませう。」
クヰン
「ナイナスの墓地」いふだよ。あれ!そえまだいふでねえだに。 それピラマスに返答ぶつ時にいふだによ。お前《めへ》さん悉皆《みんな》一しよくたに言ッちまつたゞ、 きつかけも、何もかも。ピラマスが出る、しると、 お前《めへ》さんのきつかけは絶《き》れるだァよ。 「劣らぬ殿御」てとこがきつかけだに。
フルー
あゝ、さうかね。……

「曾《つひ》ぞ疲れぬ駿馬《ときうま》の忠實《まめやか》さにも劣らぬ殿御。」

パック又出る。其後から、ボトム、驢馬《ろば》の巨大な首切を、パックの爲に、 すつぽり頭へ冠《かぶ》せられたのを少しも心附かぬらしく、 白《せりふ》をいひながら出て來る。

ボトム


「忠實《まめやか》なのが定《ぢやう》ならば、只 御事《おんこと》にこそ忠實《まめやか》に。」

一同ボトムの顔を見て大いに驚く。

クヰン
うわァ、こりやどうだ!こりや不思議だ!魔に魅《つ》かれたゞ。 お祈[しめすへん|壽;u79B1]《いのり》さつしやい/\!逃げろ/\! 助けてくれ!

クヰンス、スナッグ、フルート、スナウト及びスターヴリング、 こけつまろびつして逃げ入る。パック腹を抱へて、踊り廻りて喜ぶ。

パック


おッかけ、ぼッかけ、汝《きさま》らに、
ぐる/\踊はさせてくりよ、
沼でも、川でも、小薮でも
茨《いばら》ッ原でも關《かま》ふこたない。
豚にも、犬にも、首無し熊にも、火玉にも、
化けたけりやヒン/\、ワン/\、グー/\、
吠えたり、燃えたり、取ッ換へ、引ッ換へ、
おッかけ、ぼッかけ、
ぐる/\踊をさせてくりよ。

ボトム
何だつて奴ら逃げて行《く》だか?こりや必定《きッと》、 俺を怖がらせべい思つて惡戯《わるさ》ァするだな。

スナウト又ひそかに出て來る。

スナウ
あれ!ボトムさん、お前さん、ま、變ッちまつたゞねえ! 何て頭だねそりやァ?
ボトム
何て頭だつて?へん、お前《めへ》のに似て驢馬《ろば》頭かも知んねえ!

クヰンス又うかゞひ/\出る。

クヰン
はれ、まァ、ボトムさん!はれ、まァ!お前《めへ》さん、變ッてまつただねえ!

クヰンスもスナウトも逃げて入る。

ボトム
奴ら惡計《わるだくみ》してるだ。俺も驢馬《ろば》にしべいちふだ。 巧くいきや俺を嚇《おどか》さうちふだ。だが、俺こゝ動くこんぢやァねえ。 奴らァ何しやがつたッて。こけえら彼方《あッち》此方《こッち》歩き廻つて、 唄ァ歌つてくれべい、怖がつちやゐねえッて知らせに。

(歌ふ。)
「色の眞黒けな河鴉《かはがらす》、
其 嘴《はし》や朽葉《くちば》色、
調子の狂はぬ大鶫《おほつぐみ》、
笛を吹くよな鷦鷯《みそさゞい》。」

此唄の間にチテーニヤ目を覺しかける。

チテー
おや、花の中に眠《ね》てゐたら、天人が來て起すのか知らん?

チテーニヤ訝《いぶか》しげに四方《あたり》を見廻してゐる。

ボトム


(歌ふ)
「鷽《うそ》に雀ッ子に雲雀《ひばり》ッ子、
平ッ調子の郭公鳥、
宿六ァ馬鹿だと啼《な》くけんど、
だァれも、否《うんにや》と言ひ得ない。」

何故ッて、だれだッてあんな馬鹿鳥と論判ぶつ者はねえだからな。 だれが畜類相手に喧嘩なんかしるもんか、何度「馬ッ鹿ァ」と啼《な》きァがつたからッて?

チテーニヤ此間ボトムに見惚《みと》れてゐる。

チテー
ねえ、お前、人間さん、どうぞもう一編歌ッとくれな、 わたしの耳はお前の聲に聞き惚れッちまつたの、 目もお前の容姿《すがた》に見とれッちまつたの。 初めて逢つたばかしだけれど、お前があんまり堅人《かたじん》だもんだから、 つい、わたしの方から好いたといはなけりやならないやうになッちまふわ。
ボトム
奥さん、どうもお前《めへ》さまはあんまり正氣ぢやねえやうだねえ。 だけんど、今日びァ打惚れたちふと、大概正氣ィ亡くするのが定《きま》りだがね。 正氣ィ亡くしねえで打惚れたらよかつぺいに、氣の毒なこんだよ。 わしこれでも即席に洒落言ふこと出來るだ。
チテー
美《い》い男の上に聰明《りこう》なのね、お前は。
ボトム
さうでもねえだ。若しか此森ン中から脱け出すだけの智慧がありやァ、 今うんと役に立つだけんど。
チテー
此 森林《もり》から出たがつちやいけないのよ。お前は此處にゐるの、 好きでも、否《いや》でも。わたしは竝《なみ》大抵の精靈ぢやァないことよ、 夏の神なんかは常住《しよッちゆう》わたしに奉公してるの、 そのわたしがお前の惚れたの。だから、一しよにおいでよ。 妖精《すだま》らに吩咐《いひつ》けて、何でもお前の御用をさせますよ。 寶玉《はうぎよく》を取つて來いといへば、海の底から取つて來ます。 それから、花の中でお前が眠《ね》てゐりや、唄を歌ひます。 わたしお前のその汚れた人間性を淨《きよ》めてあげませう、 精靈とおンなじにふはァり/\と歩かれるやうに。 ……(聲を高めて)豆の花や!蜘蛛の巣や!蛾《ひとりむし》や!…… それから、芥子《けし》の種や!

小さい翼《はね》の生えた四妖精が、呼ぶ聲に應じて、順々に、 跳びはねつゝ出て來る。

妖の一
唯々《はい/\》。
妖の二
唯々《はい/\》。
妖の三
唯々《はい/\》。
妖の四
何處へ參るんです?
チテー
此方に善くお仕へするんだよ。お出掛の時には、 先きに立つて、跳ね廻つてお目にかけるのよ。食《あが》り物には、 杏《あんず》や木苺や紫色の葡萄や緑色の無花果《いちじく》や桑の實を取ッといで。 あのブン/\蜂からは蜜嚢《みつぶくろ》を盗んで來な、 さうして彼奴《あいつ》らの[臘,月@虫;u881F]《らふ》塗《まぶ》れの股《もゝ》を切つて來て、 [臘,月@虫;u881F]燭《らふそく》を製《こしら》へて、螢の火で點火《とも》して、 お臥床《とこ》出入の御案内をしな。それから五色蝶の翼《はね》を抜いて來て、 扇を製《こしら》へて、眠《ね》ておいでなさる顔へ月の射すのを掃《はら》つておあげ。 ……さ、皆なお腰を屈めて御挨拶をするの。
妖の一
萬歳、人間さま!
妖の二
萬歳!
妖の三
萬歳!
妖の四
萬歳!
ボトム
(會釋を返して)こりやァどうも御免なせえまし、眞平。 お前《めへ》さまは何方《どなた》かね?
蜘蛛
蜘蛛の巣です。
ボトム
どうぞねぇ、蜘蛛の巣さん、これからお心易くして下せえまし。 指切つた時分にや御遠慮なしに御無心しますだからね。 ……お武家さま、お前《めへ》さまは?
豆の花
豆の花です。
ボトム
どうぞねぇ、お母御《ふくろ》さんの柔莢《やはざや》さんとお爺《とッ》さんの堅莢《かたざや》さんによろしくいつて下せえまし。 豆の花の檀那、お心易くして下せえまし。……へい、もし、お前《めへ》さまは何方《どなた》だね?
芥子種
芥子《けし》の種です。
ボトム
芥子《けし》ッ種の檀那、お前《めへ》さまの忍耐《しんばう》強いのはわしよく知つてますだ。 あの體格《づうてえ》の大《でッ》かい臆病者の牛肉《ビーフ》野郎め、 お前《めへ》さまのお宅《うち》の方ァ夥多《いかいこと》喰らやァがりましたゞ。 わしお前《めへ》さまの御親類衆のお庇《かげ》で眞個《ほんと》に何度も泣きましたゞよ。 芥子《けし》ッ種の檀那、どうぞこれからお心易くねえ。
チテー
(妖精らに)さァ/\、お傍仕へをして、わたしの亭《ちん》へ御案内をしな。 ……お月さんが何だか涙ぐんでるやうね。お月さんが……生娘《きむすめ》が手籠に逢つたのを悲しがつて ……泣くと、小ちやい花が皆な泣くのよ。……さ、わたしの最愛《だいじ》の人に物を言はせないやうにして、 そッと伴れといで。

みな/\入る。




眞夏の夜の夢 : 第三幕 第二場



第三幕

第二場 森林の他の方面。



オビロン出て來る。

オビロ
チテーニヤは目を覺したか知らん。覺めた途端に目に入つたものを夢中になつて戀ひ慕ふ筈なのだが、 何を見たか知らん。……

パック出る。

使ひ番が來た。……やい、どうした、阿狂《おきち》? 何か面白い事が始つたか、此人臭い杜《もり》の中で?
パック
お仙女さんが化物に惚れました。先刻《さつき》、うと/\眠《ね》てござるといふと、 あの内密《ないしよ》の、大切な亭《ちん》の傍へ、補綴布子《はぎ/\ぬのこ》を被《き》た ……アセンズの店で麺麭《パン》を宛に爲事《しごと》をする…… 亂暴《がさつ》な職人共が集つて、シーシヤスさんの結婚式の餘興に劇《しばゐ》をやるんだつて、 下稽古を始めたんです。其 鈍物《あんだら》共の中でも第一等の虚氣者《うつけもの》が、 ピラマスの役をして、段取の具合で一旦薮蔭へ入りましたから、 好都合だと思つて、其奴《そいつ》の頭へ驢馬《ろば》の首ッ玉を被せてやりました。 すると、シスビの白《せりふ》があつて、其道外の出になるのです。 他の奴らめ其れを見るといふと、まるで雁《がん》が忍び寄る捕鳥師《とりさし》を見つけて、 又は灰色頭の燕烏《こくまがらす》が、鐡砲の音でぱッと起つて、 カァ/\啼いて、滅多無性に空を八方へ散るやうに、仲間の奴らそれを一目見ると逃げ出しました。 さうして、一つの木の根に躓《けつまづ》いて、おッかさなつて轉つて、 人殺しと叫《わめ》く奴もありやァ、助けてくれとアセンズの方へ向いて呼ぶ奴もあり、 怖さ恐ろしさに、全然《から》夢中になつてゐるんで、茨《いばら》や、 荊棘《おどろ》までが惡戯《わるさ》をはじめて、 衣服《きもの》を握《つか》むやら、而も苦もなく何もかも奪《と》ッちまふんで、 いよ/\怖がつて、狂人のやうになつてる奴等を皆な外へ誘《おび》き出し、 化けた好男《いろおとこ》のピラマスだけを杜《もり》の中へ殘して來ました。 と、ちようど其途端に、チテーニヤさんがお起きなすつたんで、忽ち驢馬《ろば》に惚れッちまつたんです。
オビロ
思つたよりも巧くいつた。だが、汝《きさま》、アセンズの男の目に藥を塗つたか、 吩咐《いひつ》けておいた通りに?
パック
へい、それも濟しました、アセンズの娘てのを傍において眠《ね》てるところを。 目を醒ましや、きッと彼の娘を見るに相違ありません。

此途端にディミトリヤスとハーミヤと出る。

オビロ
靜かにしろ。あれが其アセンズ人だ。
パック
あれが其娘です、けれども男の方は異《ちが》つてます。

オビロンとパックとは一隅に潜む。

ディミ
あゝ、これほど貴女《あんた》を思つてる者を、何故わるくおつしやるのです? そんな酷いことは、酷いことでもする奴におつしやい。
ハーミ
今はまだ叱つてゐるだけですけれど、わたしもッと酷く貴郎《あなた》を取扱ふかも知れない。 何故なら、どうも貴郎《あなた》は、わたしに呪はれる理由が有りさうで/\ならないもの。 もしも貴郎《あなた》がライサンダーを眠《ね》てる中に殺したのであるなら、 もう血の河へ靴を蹈み入れたんだから、いつそ膝まで入つて、わたしをも殺して下さい。 ……太陽だつて、あの人がわたしに忠實であつた程には、 晝の時間に對して忠實ぢやなかつたんだものを。 ハーミヤが眠《ね》てる間《うち》にそッと去《い》ッちまふなんてことがある筈はない! そんな事があるやうなら、此堅固な地球が掘抜《ほりぬき》になつて、月が反對側へ通り抜けて、 ちようど對蹠《たいせき》人種に眞晝間を見せてゐるお兄さんの太陽を怒らせるやうなことが起ります。 貴郎《あなた》があの人を殺したに違ひない。殺したから、 そんな死んだやうな、凄い顔をしてるんでせう?
ディミ
いゝえ、殺された者こそ死んだやうな顔をしてゐるべきです。 わたしが即ちそれです。殘酷な貴女《あんた》に心臟の眞直中《まつたゞなか》を貫かれてゐるんです。 けれども殺人者《ころして》の貴女《あんた》は、あの燦爛《きら/\》してる金星のやうに冴え返つて、 綺麗です、うつくしいです。
ハーミ
そんな事はライサンダーに關係のないことです。 あの人は何處にゐます?どうぞあの人を渡して下さい。
ディミ
貴女《あんた》に渡すよりか、犬にでもくれてやらァ、あんな奴の死骸は。
ハーミ
畜生!畜生!もう/\わたし堪忍がならない。ぢや、いよ/\殺したんだね? もう/\お前《まひ》は人間の數の中へは入らないんだぞ! さ、直ぐに白状なさい、白状して下さい敵《かたき》同士だつて、頼むんだもの。 起きてりや迚《とて》も面と對《むか》ふことさへも爲得《しえ》ないンだらうに、 眠《ね》てゐたから欺《だま》し討にしたんだね?あゝ、お立派なお手柄ですよ! 蛇にだつて、蝮《まむし》にだつて、其位ゐの事が出來なくつてさ。 さうだ、蝮《まむし》に殺されたのだ。お前《まひ》は蝮《まむし》だ。 二枚舌で人を殺したんだ。
ディミ
貴女《あんた》はとんだ思ひ違へをして怒つてゐるのです。 わたしはライサンダーの血を流した覺えなんかありません。 いや、わたしにやあの男死んだなんぞとはどうしても思はれない。
ハーミ
ぢや、どうぞ無事でゐるといつて下さい。
ディミ
假に然うわたしが保證し得たとして、其報酬に何を下さる?
ハーミ
二度とわたしの顔を見ないといふ特權を獻《あ》げます。 可厭《いやァ》な貴郎《あなた》には、これでお別れします。 もうわたしに逢つて下さるな、あの人が生きてゐようと、ゐなからうと。

ハーミヤ入る。

ディミ
斯ういふ權幕の時に從《つ》いて往つて見たところで爲樣もあるまい。 だから、暫《しば》らく此處に止まつてゐよう。 眠りが支拂停止になると、悲しい事の負擔《ふたん》が一段重く感ぜられる、 憂愁《かなしみ》からの借財が増えるばかりだから。 多分、その借を幾らか支拂つてくれるだらう、こゝで斯うして待つてゐたら。

横になつて眠《ね》る。

オビロ
(パックに)汝《きさま》はとんだことをしてしまつた。 まるで人違へをして、眞實な男の目に戀慕液を塗つたんだ。 其間違の必然の結果として、不眞實な男が眞實になつたのではなく、 ある眞實な男が心變りをしてしまつたんだ。
パック
ぢや、運命めが優手《うはて》をやるんだ。だから、 眞實男一人に對して性惡が百萬人だ、どの誓言《せいごん》も、 どの誓言《せいごん》もめちや/\だ。
オビロ
森林《もり》の中を風よりも速く駈け廻つてアセンズのヘレナて娘を捜して來い。 彼女《あれ》は戀わづらひをして、 顔の色も蒼ざめて、歎息《ためいき》ばかりして、大切な生血を減してゐる。 何か幻影《まぼろし》を見せて、彼女《あれ》をこゝへ伴れて來い。 俺は彼女《あれ》の來るのを見かけて、此男の目をまじなつておくから。
パック
はい/\承知しました。ね、此通りです。 韃靼《ダッタン》人の矢よりも速いや。

パック飛ぶが如くに入る。

オビロ
(ディミトリヤスの瞼《まぶた》に液を注ぎながら)

戀神《キューピッド》の矢に射貫れたる
この紫の草の液よ、
この男の瞳に沁みよ。
醒めてヘレナの面《おもて》を見ば、
彼の女を金星の如く
美しく見よ、愛《めで》たく見よ。
醒めて後は、只頼めヘレナを。

パック又出る。

パック
お大將《かしら》に申し上げます、ヘレナは今直ぐに參ります。 先刻《さつき》わッしが間違へた若い男が、 今頻りと戀の報酬を強請《ねだ》つてゐる處です。 奴たの馬鹿なお祭騒ぎを此處にゐて見ませうかね? 殿さま、人間て者は、ま、何としふ馬鹿でせう!
オビロ
傍《わき》へ寄つてゐろ。そいつらの聲でディミトリヤスが目を覺すだらうから。
パック
さうすりや二人で以て一人を口説くことになるだらう。 こいつは面白いや、すてきに面白いや。 おれは理窟に合はない事が好きだ、途轍法《とてつぱふ》もない事が一番好きだ。

オビロンとパックと物蔭へ忍ぶ。
ライサンダーとヘレナと出る。ライサンダーは、魔藥の效目《きゝめ》で、 ヘレナに戀慕して熱心に口説く。ヘレナは一圖に嘲弄されてゐるとばかり思ふ。

ライサ
どうして貴女《あんた》はわたしの口説くのを馬鹿にしてるのだとおつしやるんです? 馬鹿にしたり嘲弄したりするのに涙を流す者はありません。 これ此通りわたしは泣いてゐます。涙の中で生れた誓言《せいごん》は、 其生れ方が其誠實を保證してゐます。どうしてこれが貴女《あなた》には嘲弄と見えるんです、 [言|虚;u8B43]《うそ》でない證據にこんな誠實の紋章《もんじるし》まで附けてるのに?
ヘレナ
いよ/\種々《いろん》な謀計をお運《めぐ》らしなさるのね。 誠實が二つあつて殺し合ひをするんだとすると、それは神聖な戰ひといつて可いやら、 極惡非道といつて可いやら!貴郎《あなた》の其 誓言《せいごん》はハーミヤさんの爲なんでせう? 貴郎《あなた》はあの人を棄てる積り? ハーミヤさんへの誓言《せいごん》とわたしへの誓言《せいごん》とを二つ秤皿《はかりざら》に載せて權《はか》つて御覽なさい、 兩方が五分々々で、兩方とも空ッ話のやうに輕いでせう。
ライサ
彼女《あれ》に彼れ此れいつてた時分は、全く無分別だつたんです。
ヘレナ
いゝえ、あの人をお棄てなさる今こそ無分別だとわたしは思ひます。
ライサ
彼の女はディミトリヤスが愛してゐます。が、あの男は貴女《あんた》を愛しちやゐませんよ。

此途端にディミトリヤス目を覺す。

ディミ
(ヘレナを見附け、惚々としたる體《てい》にて)あゝ、ヘレンさん、女神さん、 圓萬完全な、神々しい!戀人さん、貴女《あんた》の其目を何に喩へよう? 水晶なんかは濁つてゐる。あゝ、貴女《あんた》の其脣の…… よく熟した櫻桃《さくらんぼ》が接吻《キッス》してゐるやうな…… 人を唆《そゝ》る其色!あのトーラス山の、東風に扇がれてゐる高嶺《たかみね》の雪だつても、 若し貴女《あんた》が其手を擧げたら、忽ち鴉《からす》のやうに見えるでせう。 あゝ、其純白の女王を、其天福の證印をわたしに接吻《キッス》させて下さい!
ヘレナ
あゝ/\、悔しい!情けない!解りました、貴郎《あなた》がたは皆な一味《ぐる》になつて、 わたしを馬鹿にして、慰みにするんですね。作法も禮儀も知らないのですか? でなけりや、まさか如是《こんな》にわたしを侮辱なさることもあるまい。 憎まれてるのは分つてるけれど、如是《こんな》に寄つて集《たか》つて嘲弄しなくつても、 憎むことは出來さうなもんぢやありませんか?貴郎《あなた》がたが若し男なら、…… 見たところは男なんだ……よもや孱弱《かよわ》い者を如是《こんな》風に扱ひはなさるまい、 おそろしく憎んでゐなさるのは善く分つてるのに、種々《いろん》な誓言《せいごん》をしたり、 わたしを稱《ほ》めて見たり、貴郎《あなた》がたはハーミヤさんの愛の競爭者だのに、 今日はヘレナを馬鹿にする競爭者になつたんですか?男らしいお立派なお手柄よ、 憫然《かはい》さうな女をさん/\゛馬鹿にして泣かせるなんか! 人格の高い人なら、娯樂《なぐさみ》に娘をいぢめて、堪忍袋の緒を斷《き》らすやうな、 そんな酷《むご》いことはしないだらうに。

ヘレナくやしがつて泣く。

ライサ
(ディミトリヤスに)ディミトリヤス、君はあんまり不深切ですよ。 よしたまへよ。君はハーミヤさんを愛してるぢやないか? わたしがそれを知つてるのを君は知つてる筈だ。 わたしは、今日、全く好意を以て、眞實、眞底からハーミヤに對するわたしの要求を棄權して、 それを悉く君に譲る。だから、ヘレナを愛してるんです、 さうして死ぬまで渝《かは》らない積りです。
ヘレナ
いかに人を馬鹿にするんだつて、これほどの出放題をいつたものは昔ッからありやァしまい。
ディミ
ライサンダー、ハーミヤを君の方へ取ッときたまへ。 僕も嘗《かつ》ては惚れてゐたけれども、そりやもう過ぎ去ッちまつた。 ハーミヤに對する僕の戀は、言はゞお客に行つてたといふ格だよ、 もう今は本宅のヘレナへ歸つて來ッちまつた、そこに永住の決心で。
ライサ
ヘレナさん、ありや[言|虚;u8B43]《うそ》ですよ。
ディミ
眞實の何たるかを知りもしない癖に、人の惡口《あくこう》なんか言はんが可い、 でないと、如何いふ危險な應報が君の身に及ぶかも知れないぜ。 ……あ、あそこへ君の戀人が來た。あ、あそこへ。

ハーミヤ又出る。

ハーミ
闇の夜で目は利かなくなつたけれど、耳は常よりも善く聞える。 視る方で損しても、聽く方が倍になつたので償はれる。…… (ライサンダーを見附けて)ライサンダーさん、 此目が貴郎《あなた》を見附けらんぢやありませんよ、 耳が伴れて來てくれましたの、貴郎《あなた》の聲を聞き分けて。 それはさうと、何故 貴郎《あなた》はわたしを打棄《うッちや》つてッたの?酷いわ。
ライサ
どうして、ぢッとしてゐられるものかね、人が戀しくて堪らない時分に?
ハーミ
ま、わたしを打棄《うッちや》つておしまひなさるほどに戀しい人ッて誰れ?
ライサ
ヘレナさんといふ美人が俺をぢッとさせちや置かないのさ。 ヘレナさんは、あゝして彼處《あそこ》に光つてゐる在りとあらゆる星よりも、 綺羅星よりも一層夜を飾る美人なのだ。何故お前を打棄《うッちや》つたといふのか? 斯ういつてもまだ分らないか?お前《まひ》が嫌《いや》になつたからさ。
ハーミ
[言|虚;u8B43]《うそ》でせう、そりや?そんな筈はないもの。
ヘレナ
(ハーミヤを尻目に掛けて)あら、あの人も一味《ぐる》なんだわ! いよ/\解つた、三人とも合體の上で、此人の惡い狂言を爲組《しく》んだんだ、 わたしをいぢめるために。……まァ意地惡のハーミヤさん! 眞個《ほんと》に義理知らずよ貴女《あんた》は!貴女《あんた》も一味なの、 貴女《あんた》までが同類《ぐる》になつてわたしを窘《いぢ》める爲に、 如是《こんな》卑劣な嘲弄をするんですか?姉妹《きやうだい》のやうに仲よくして、 何をするにも一しよに、どんな内密《ないしよ》話をも打明け合つて、 何時間となく過したことや、其時間の經つのが速いからッて、 「時」の歩みの怱忙《せはしな》いのを叱つたことやを?まァ! みんな忘れたのですか?仲好の學校時代や無邪氣な子供でゐた時分の事を悉皆《みんな》? ハーミヤさん、貴女《あんた》とわたしとは、細工好の神さまでゝもあるやうに、 針で以て二人がかりで、同《おンな》じ一つの花を製《こさ》へました、 同《おンな》じ稽古縫をするとて、同《おンな》じ蒲團《クッション》に坐つて、 同《おンな》じ調子で同《おンな》じ歌を唄つてさ、 手も身體も聲も心に悉皆《みんな》絡み合つてゐたかのやうに。 さうして一しよに成長《そだ》つたのでした、双子の櫻桃《さくらんぼ》が、 二箇《ふたつ》の可愛らしい苺のやうに。さういふ風に、身體は二つでも心は一つ…… 二つ有つたッても、夫婦の紋所のやうに、つまりは、一つなのだから、 表紋《おもてもん》は一つきり……であつたのに。 さういふ情誼《よしみ》も何もかもめちや/\にして、 男たちと一しよになつて、不幸《みじめ》な昔の友達を馬鹿にしようといふのですか? そりやあんまりよ、酷いわ。わたしと一しよになつて、 女といふもの全體が貴女《あんた》の此 擧動《しうち》を罵《のゝし》りますよ、 害を受けたのはわたし一人だけれど。
ハーミ
わたし驚いちまふわ、貴女《あんた》がそんなに眞面目《むき》になつてお怒りなさるから。 わたし貴女《あんた》を馬鹿になんかしやしない。 貴女《あんた》がわたしを馬鹿になさるんでせう。
ヘレナ
貴女《あんた》はライサンダーさんに勸めて、わたしを馬鹿にするために追ッ掛けさせて、 わたしの目や顔を稱《ほ》めさせたでせう?それから、貴女《あんた》のもう一人の情人《いゝひと》に、 わたしをつい先刻《さつき》まで足蹴《あしげ》にしてゐたディミトリヤスさんに、 わたしを女神さまだの、圓滿完全だの、神々しいだの、天人だのと、 貴女《あんた》が言はせたのでせう?嫌ひぬいてゐるあの人がそんなことをいふ筈ァないぢやないの? 一生懸命に貴女《あんた》を大切《だいじ》にしてる人が、 貴女《あんた》を止してわたしを眞個《ほんと》に可愛がるなんてことがあらう筈ァないぢやないの? 貴女《あんた》がさせなけりや、貴女《あんた》の承諾の上でなけりや? よしんばわたしが貴女《あんた》のやうに幸福でないからッて、 運がよくないからッて、片思ひばかりしてゐる不幸《みじめ》な情けない身だからッて? (泣き出して)それは憫《あはれ》んで下さるのが當然だわ、馬鹿になさるよりやァ。
ハーミ
わたし分らないわ、何をおつしやるんだか。
ヘレナ
はい、たんと然うなさい、根氣に眞面目な顔をお續けなさい、 わたしが彼方《あッち》を向いた時に舌をお出しなさい、 お互ひに目まぜをなさい。面白いお遊びをお續けなさいまし。 此お慰みは巧くいつたら、記録に遺《のこ》るでせう。 貴女《あんた》は少しでも慈悲心か美徳か禮儀かゞありや、 わたしを如是《こんな》笑ひ種にはなさらなかつたでせう。 ……けれど、さやうなら。半分はわたしが惡いのです。 それも死んじまふか、居なくなりさへすりや直ぐ治ッちまふでせう。

ヘレナ泣く/\去らうとする。

ライサ
お待ちなさい、ヘレナさん。分疏《いひわけ》を聞いて下さい。 戀よ、命よ、魂よ、ヘレナさんよ!
ヘレナ
巧いことね!
ハーミ
(ライサンダーに)ねえ、貴郎《あなた》、そんなにあの方をお輕蔑《さげすみ》なさるなよ。
ディミ
(ライサンダーに聞えよがしに)ハーミヤさんが頼んでも聽かんやうなら、 わたしが無理やりに止めさせて見せる。
ライサ
君の無理やりは彼の女の頼むのと同格だ。 君の恐嚇《おどかし》はあの女の歎願以上の力は有つて居らんよ。 ……ヘレナさん、わたしは貴女《あんた》を愛してゐます、えゝ、全く命を懸けてゞす。 わたしは貴女《あんた》の爲なら命も惜まない、其命を誓ひに懸けて、 わたしはあの男は虚言者《うそつき》だてことを證據立てます、 あの男はわたしは貴女《あんた》を愛しちやゐないなんて言ふんです。
ディミ
(ヘレナに)ねえ、わたしが貴女《あんた》を愛してるのは、彼奴《あいつ》の比ぢやありません。
ライサ
(ディミトリヤスに)汝《きさま》然ういふことをいふなら、 さ、別の處へ往つて、其證據を見せろ。
ディミ
うん、直ぐに來い、さ!

二人は氣色《けしき》ばみて出掛けようとする。

ハーミ
(驚いて止めて)ライサンダーさん、ま、どうしようといふんです?
ライサ
えィ、彼方《あッち》往け、黒人女《くろんぼ》め!
ハーミ
いゝえ/\、あの方は……

抱き止めて往かせまいとする。ライサンダーそれを振拂はうとする。

ディミ
(ライサンダーに)振拂つてやつて來るらしく見せかけるが可い。 怒つて追ッ掛けて來るらしく見せかけるが可い。が能《え》ィ來やしない。 汝《きさま》は臆病もんだ、馬鹿ッ!
ライサ
(ハーミヤに)えィ、離せ、うぬ、猫、牛蒡《ごぼう》の刺《とげ》め! 可厭《いや》な奴め、えィ、離せ。離さないと、たゝき落すぞ、蛇のやうに。
ハーミ
どうしてそんなに亂暴におなりなすつたの?ま、どうしたといふの?よう貴郎《あなた》?
ライサ
よう貴郎《あなた》だ?うぬ、赤鳶色《あかとびいろ》の韃靼《ダッタン》人め、畜生! うぬ、たまらない臭藥《くさぐすり》め!不厭《いや》な/\苦藥め、去《い》ッちまへ!
ハーミ
戯談《じやうだん》でせう?
ヘレナ
さうとも、戯談《じやうだん》ですとも。貴女《あんた》だつて然うよ。
ライサ
ディミトリヤス、約束はきッと守るぞ。
ディミ
あんまり守られさうにもないね、弱いお守紐《まもりひも》が止めてゐるから。 君のいふことは當にならんよ。
ライサ
何だと?此女を撲《ぶ》て、殺せといふのかい? 憎いとは思つてゐるけれど、まさかそんなにしようとは思はない。
ハーミ
え、わたしを憎む?それよりも酷い事が出來て?わたしを憎むッて? 如何いふ理由で?まァ!如何したといふの?わたしハーミヤぢやなくつて? 貴郎《あなた》はライサンダーさんでせう?わたしの標到《きりやう》は前を變りやしますまい? 昨夜《ゆうべ》は貴郎《あなた》わたしを愛してゐたのに、 昨夜《ゆうべ》の中に貴郎《あなた》はわたしを棄てッちまつた。 ぢや、貴郎《あなた》はわたしを棄てたのね、あゝ、鶴龜々々!…… え、眞面目で然う言はなけりやならないの?
ライサ
うん、全く其通りだ。もう二度と汝《きさま》の顔は見まいと思つたのだ。 だから、もう絶望的に、問題外的に、疑ひもなく、 確定した事だと思ふが可い、これほど確かなことは無いのだ。 決して戯談《じやうだん》ぢやァないぞ、汝《きさま》は嫌ひだ、 ヘレナさんは好きだ。

ハーミヤ驚き呆《あき》れる。

ハーミ
(ヘレナに)まァ!詐騙者《てじなつかひ》よ貴女《あんた》は! 戀窃盗《こひどろばう》よ貴女《あんた》は! まァ、貴女《あんた》は夜中にやつて來て、 いつの間にかわたしの大切《だいじ》の人の心臟を盗んでしまつたのね?
ヘレナ
お上手ね、眞個《ほんと》に! 貴女《あんた》は遠慮も愼みも娘らしい廉恥心も恥かしいといふ氣さへもないのですか? え、貴女《あんた》はわたしに疳癪を起させて、 亂暴な返辭をしなけりやならないやうにしようとするの? 酷いわ!酷いわ!虚言者《うそつき》、操り人形!
ハーミ
操り人形?……(ぐつと胸に徹《こた》へて)然う。 成程、然ういふことが御趣意なのね。解りました、 ぢやァ貴女《あんた》はわたしに比べると丈《せい》が高いといふのを規模に、 其 體樣《からだつき》を、其すらりとした高い姿を武器にして、 あの人を迷はしたのですね。……それでもつてお高く止まるのですか、 わたしが如是《こんな》小びッちよで、さうして矮《せびく》だから? え、わたしが如何《どん》なに低くッて、塗りこくつた五月竿さん? え、如何《どん》なに低くッて、低いかも知れないけれども、 此爪で以て、隨分、貴女《あんた》の目を引ッ掻くぐらゐのことは出來てよ。
ヘレナ
(ライサンダーとディミトリヤスに)ねえ、貴郎《あなた》がた、 わたしを馬鹿になさるにしても、何卒《どうぞ》あの方に亂暴をさせないやうにして下さい。 わたしは曾《つひ》ぞ惡體《あくたい》を吐《つ》いたことはありませんの。 然ういふ方の天分は少しも無いのです。全くの生娘《きむすめ》のやうに臆病なの。 あの方にわたしを撲《ぶ》たせないで下さい。 あの方はわたしよりも丈《せい》が低いから、 わたしが敵手《あひて》になり得るだらうとお思ひになるかも知れないけれど。
ハーミ
あら、また、低いッて!
ヘレナ
ハーミヤさん、そんなにわたしを酷くしないでも可いでせう。 わたしや始終 貴女《あんた》を愛してゐたし、内密事《ないしよごと》も善く守つたし、 曾《つひ》ぞ貴女《あんた》に害をしたことはなかつた、 只ディミトリヤスさん戀ひしさの爲に、貴女《あんた》が此森へお逃げになつたことを話したばかし。 あの人は貴女《あんた》を追ッ掛けました、わたしも戀故にあの人を追ッ掛けました。 けれどもあの人はわたしを叱つて、歸らなけりや撲《なぐ》るぞ、蹴飛ばすぞ、 殺しッちまふかも知れんぞと威嚇《おどか》しましたの。 さういふ譯ですから、若し靜かに行かせて下さりや、わたしはアセンズへ此 恥辱《はぢ》を抱いて歸り、 もう貴下《あなた》がたの後を追ひません。歸らせて下さい。 わたしは眞個《ほんと》に愚かな、馬鹿ァな者なんです。
ハーミ
さァさ、お歸りなさいね。それとも誰れか止めるものがあつて?
ヘレナ
愚な心が後に殘つて。
ハーミ
え、ライサンダーさんに?
ヘレナ
ディミトリヤスさんに。
ライサ
(ヘレナに)心配しなくとも可うござんす。ヘレナさん、 彼女《あれ》は貴女《あんた》を如何もしやしませんよ。
ディミ
(ライサンダーに)如何もしやしないとも。 よしんば君がヘレナさんの肩を持つたりなんか餘計なことをすればからつて。
ヘレナ
ハーミヤさんは怒つたりいふと、怖ろしく口が惡いのです。 學校へ行つてた時分に既《も》う囂々屋《がみ/\゛や》でしたのよ。 小ちやいけれど、氣が強いの。
ハーミ
また、小ちやいッて!低いとか小ちやいとかばッかし! (ライサンダーに)何故 貴郎《あなた》はあんなことを言はせて平氣でゐるの? わたし行ッつけてやらなくッちや。

とヘレナに飛びかゝらうとする。

ライサ
(それを止めて)去《い》ッちまへ、小びッちよ。 丈縮《せいちぢ》ませの[艸|扁;u8439]蓄《にはやなぎ》で出來た微分子女め。 南京玉め、橡實《どんぐり》め。
ディミ
君は餘計なお世話ですよ、ヘレナさんは君に骨折つて貰ふにや及ばないてッてます。 放擲《うッちや》ッときたまへ。ヘレナさんの事は言はないでおいて貰はう。 肩なんか持つことはならん。些少《ちよッぴり》とでも色男ぶつたりすると承知しないぞ。

と劍を拔く。ライサンダーも拔く。

ライサ
さ、もう女が止めないから、從《つ》いて來い、勇氣があるなら。 汝《きさま》か、俺か、どッちにヘレナに對する實權があるか、試驗しよう。
ディミ
從《つ》いて來い?いゝや、竝《なら》んで行かう、くッつきあつて。

ライサンダーとディミトリヤスと、ぶッつかるやうに竝《なら》んで、一しよに入る。

ハーミ
貴女《あんた》、此騒ぎは悉皆《みんな》貴女《あんた》の故《せゐ》よ。 ……いゝえ、逃げなくッたつて可いわ。
ヘレナ
何をなされるか知れないもの、それに最早《もう》わたし貴女《あんた》のやうな口の惡い人とは一しよにゐたかァないの。 手は貴女《あんた》の方が鬪爭《けんくわ》ッ早いけれど、 逃げるにや、わたしは脚は長いから、速いわ。

ヘレナ急いで逃げて入る。

ハーミ
ま、駭《おどろ》いた。呆れッちまつた。

ゆるい足どりでハーミヤも入る。
オビロン木蔭から出る。パックも出る。

オビロ
(パックに)こりや汝《きさま》の不注意から起つたことだ。 汝《きさま》は始終何か間違をしなけりや何か惡戯《いたづら》をする。
パック
全く、その、間違へたんです。アセンズ人の服を被《き》てゐる男だとおつしやつたでせう? だから、全然《まるッきり》間違つたのぢやないんです、 アセンズ人の目へ塗り附けたにや違ひないんですから。…… 此 爭論《いざこざ》は、よッぽど面白くなりさうだから、俺ァ嬉しくッてたまらないや。
オビロ
今聞いてゐた通り、あの二人の男は、決鬪する場所を捜してるんだ、 ロビンよ、汝《きさま》往つて闇の夜にしッちまへ。 星の出てゐる空を、地獄のアケロン河のやうな眞黒な深靄《ふかもや》で掩ッちまつて、 あの啀《いが》み合つてゐる二人を、どうしても邂逅《めぐりあ》ふことが出來ないやうに、路に迷はせろ。 先づ、ライサンダーの假聲《こわいろ》を使つてさん/\゛にディミトリヤスを惡口《あくこう》しといて、 次囘《こんど》はディミトリヤスの聲でライサンダーを怒らせて、 引廻し、さうして雙方を隔たらせてしまふやうにしろ。 其中には彼奴《あいつ》らの瞼《まぶた》の上へ、死んでるのかと思ふやうな深い眠りが鉛の脚を運び、 蝙蝠然《かうもりぜん》たる翼《はね》を擴げて忍び寄つて來よう。 其時此草をライサンダーの目の中へ絞り込むんだ。 此 液《しる》には強い效能があつて、目の迷ひを悉く除き去つて、 平生《つね》の通りに物を見させるやうにする。で、彼等が其次ぎに目を覺すと、 總《すべ》て此阿呆騒ぎが夢のやうに空《くう》な幻影《まぼろし》のやうにも思はれるだらう。 さうして彼等は死も尚ほ絶ち得ない莫逆《ばくぎやく》の契りを締《むす》んで、 アセンズへ歸つて行くだらう。汝《きさま》に此事をさせておく間に、 俺は女王の處へ往つて、ある印度童《インドこぞう》を譲らせて、 それから呪《まじな》ひを釋《と》いて、彼女《あれ》の目を化物から放免しよう。 さうすりや何もかもめでたし/\だ。
パック
王さま、こりや急いでしなけりやなりませんよ。何故なら、夜の神の龍の車が、 ずん/\雲を突ッ切りますから。あれ、もう曙神《あけぼの》さんの前驅《さきがけ》が光りはじめてゐます。 彼れがやつて來ると、あッちこッちを徘徊《うろつ》いてゐた幽靈どもが、 ぞろ/\と墓の方へ歸つて行きます。十字路や海河へ埋葬された罰當り共の精靈も、 疾《と》うに其 蛆蟲《うじむし》だらけの寢床ン中へ歸りました。 奴等は恥かしい姿態《かッかう》を見られまい爲に、 わざッと日光を避けて、永久に黒ッ面の夜とばかし交つてゐまさァ。
オビロ
ところが、吾等《こちとら》は、それとは類の異《ちが》つた精靈なのだ。 俺は朝の神の戀人と度々遊んだこともある。さうして森林《もり》の中を、 林務官のやうに、東の天門が全然《まるで》火のやうに眞紅《まつか》に押開かれて、 綺麗な、有りがたい日光が大海原の上を照らして、其緑色の潮流に變らせる時刻までも、 歩いてゐることが出來る。……けれども、今夜は急げ。 ぐづ/\してゐるな。明けない間《うち》に尚《まだ》行《や》れさうだ。

オビロン入る。

パック


彼方《あッち》へ、此方《こッち》へ呼んでくりよ。
此方《こッち》や、彼方《あッち》へ誘《そび》き出せ。
市《まち》でも怖がりや野中でも、
怖いが名代《なだい》の、おい、茶目公《ゴブリン》、
さァ/\奴らを誘《そび》き出せ。

あそこへ一人來た。

ライサンダー拔劍を携へて出て來る。此うちに、 四方《あたり》眞暗闇になりて、文目《あやめ》も分らぬ體《てい》。

ライサ
やい、ディミトリヤス、何處にゐるんだ?やい、返辭をしろ。
パック
(假聲にて)こゝにゐらい、野郎。ちやんと拔いて待つてら。 汝《きさま》は何處にゐるんだ?
ライサ
今直ぐに往くぞ。
パック
ぢや、從《つ》いて來い、もつと足場の好い處へ。

其聲を尾《した》つてライサンダー入る。
と反對の方角からディミトリヤス、これも拔いた劍を提《ひつさ》げて出て來る。

ディミ
やい、ライサンダー!返辭をしろ、逃げたな、臆病者め、 逃げやがつたな?物を言へ!何處かの薮の中にゐるのか? 何處へ頭を隠したんだ?
パック
(假聲にて)やい、臆病者、汝《きさま》は星に對《むか》つて高言を吐いてるのか? これから大戰《おほいくさ》を行《や》るんだと薮に話をしてゐるのか? それでゐて、來得ないのだな?さァ來て見ろ、弱蟲。やい、嬰兒《あかんぼ》。 躾棒《しつけぼう》で撲《なぐ》り附けてやらう。 汝《きさま》のやうな奴に劍を拔くのは手の汚れだ。
ディミ
可《よ》し、うぬ、そこにゐるな?
パック
俺の聲に尾《つ》いて來い。こんな處ぢや勝負したくない。

ディミトリヤス聲を尾《した》つて入る。
と反對の方角からライサンダーが又出て來る。

ライサ
前へ行つては、絶えず喧嘩を吹ッ掛けて、聲のする處へ行くと、 去ッちまふ。奴め、脚が俺よりもずッと速い。足早に追ッ掛けたんだけれども、 追ッ附くことが出來ない。いつの間にか如是《こんな》眞暗な凸凹路へ來ッちまつた。 まァこゝで一休みしよう。……さ、さ、晝よ、やつて來てくれ! (横になりて)汝《おまひ》がつい一寸白みかけてさへくれりや、 忽ちディミトリヤスめを見附けて、此侮辱の返報をすることが出來るから。

ライサンダー眠る。
パック又出る。其後からディミトリヤスも又出る。

パック
ほゝほゝほ!ほゝほゝほ!臆病者、何故來ないのだ?
ディミ
待て、勇氣があるなら。汝《きさま》は始終居どこを變へて、 前《さき》へ/\と逃げて行くばかりで、待つてゐないぢやないか? おれと面《かほ》を合はせ得ないぢやないか?今何處にゐる?
パック
こゝへ來い。こゝにゐらァ。
ディミ
ぢや、汝《きさま》は俺を弄《なぶ》つてるんだな。 覺えてろ、今に夜が明けると酷い目に合せてやるから。さ、勝手にしろ。 疲勞《くたび》れて、眠くてたまらないから、暫《しばら》く此冷い寢床へ横にならう。 明けるとやッつけるから、然う思つてろ。

ディミトリヤス横になつて眠る。
此途端に、ヘレナ又出て來る。

ヘレナ
あゝ/\、退屈な、長ッららしい、飽々する可厭《いやァ》な夜! 夜よ、もッと時間を縮めとくれ!心を慰める朝日よ、出とくれ、 明くなりさへすりや、つれない、酷《むご》い、あの人たちに別れて、 わたしアセンズへ歸られるから。それから眠りよ、悲しみの目と閉ぢてくれる眠りよ、 ちつとの間そッとわたしをわたしでない處で伴れてッとくれ。

ヘレナも横になりて眠る。

パック
まだ三人きりだな?もう一人で四人《よッたり》だ。

男も二人《ふたァり》、女も二人《ふたァり》。
そりやこそ來た/\、あの女、
ぷり/\怒つて、澁面作つて。
戀の神めは惡戯者《いたづらもの》だな、
憫然《かはい》さうに女を氣狂ひにしてしまはァ。

ハーミヤ又出て來る。

ハーミ
くたびれもしたし、情けなくもあるし、露にやびしよ濡になるし、 茨《いばら》にや引ッ掻れるし、ほんとに、もう這ふことも、 歩くことも出來やしない。歩かうと思つたつて、脚がいふことを聞きやァしない。 こゝで夜明《よあけ》まで休んでゐよう。……神々さま、どうぞライサンダーをお護り下さいまし、 決鬪をしますやうなら!

ハーミヤも横になつて眠る。

パック


こゝの地面《ぢべた》で
 よく眠《ね》ろよ。
塗つてやるぞよ
 目の藥、
好男子《いろおとこ》

と言ひながらライサンダーの目へ草の液《しる》を絞りかける。

此次《こんど》覺めると、
 舊《もと》の女が
綺麗に見える。
 それが正當《ほんと》だよ。
そこでおぬしが目を開くと、
めい/\各自《てんで》に己《うぬ》がのを
取るちふ下世話の定式《ぢやうしき》通り、
  太郎がお松を伴れて行く、
  一切萬端故障なし。
牡馬が牝馬を取戻しや、萬事、めでたし/\だ。

パック踊りつゝ入る。
四人は尚ほよく眠《ね》てゐる。




眞夏の夜の夢 : 第四幕 第一場



第四幕

第一場 同じ森林。



ライサンダー、ディミトリヤス、ヘレナ及びハーミヤ尚ほ眠てゐる。
チテーニヤとボトムと出て來る。豆の花、蜘蛛の巣、蛾《ひとりむし》、 芥子《けし》の種及び他の小妖精ら侍してゐる。 オビロン後れて出で、隱形《おんぎやう》の體《てい》にて、背後《うしろ》の一隅に立つてゐる。

チテー
さァさ、此 花床《はなどこ》へお掛けなさいね、 さうだとわたしお前さんの其好いたらしい頬を撫でてあげたり、 其 滑々《すべ/\》したお頭《つむ》に麝香薔薇を刺してあげたり、 其大きな耳を接吻《キッス》してあげたりするわ、嬉しい、好きな人。

よくある畫面の通り、凭《もた》れかゝりてしなだれる。

ボトム
豆の花はゐるだかね?
豆の花
はい。
ボトム
豆の花さん、頭掻いてくんなさい。蜘蛛の巣さんゐるだかね?
蜘蛛
はい。
ボトム
や、蜘蛛の巣さん、どうか、お前《めへ》さま、武器持つてつて、 薊《あざみ》の素頂邊《すてッぺん》に止まつてゐる赤ッ尻《けつ》の蜜蜂ィ殺して來てくんなせえまし。 さうして、奴の蜜嚢《みつぶくろ》を取つて來てくんなせえまし。 お前《めへ》さま、あんまり威勢よく跳ね廻らつしやると、いけましねえだよ。 蜜嚢《みつぶくろ》を破かねえやう氣ィ附けさつせまし。蜜が嚢《ふくろ》から打溢《ぶッこぼ》れて、 もしかお前《めへ》さまが押潰されちや大變事だからね。…… 芥子《けし》ッ種さんはゐるだかね?
芥子
はい。
ボトム
芥子《けし》ッ種さん、手ェ貸してくんなせえまし。 どうかねえ、もうその、禮儀てえことァ止してくんなせえまし。
芥子
御用は何です?
ボトム
只ね、蜘蛛の巣さん手傳つて、わしの頭掻いてくんなせえまし。 わし理髪師《とこや》へ往かにやァなりましねえだよ。 面《つら》のまはりが怖ろしく毛むくじやらになつてるやうだからね。 俺、つい、一寸《ちよッくら》、うぬが毛に觸られても、 掻かねえぢやゐられねえ位ゐ感じッ早い驢馬《ろば》だからね。
チテー
え、お前さん、ねえ、可愛い人、何か音樂をやらせませうかねえ!
ボトム
わし音樂にや中々善い耳有つてるだよ。 鐵火箸《かなひばし》と曝《しや》れッ骨が可いだよ。
チテー
でなきや……ねえ、可愛い人、何か喰べたか無くつて?
ボトム
食ひてねえ、秣《かひば》を五升ばかし。上等 燕麥《からすむぎ》の乾した奴なら、 俺もり/\とやらかさァね。枯草の大束てのを食つて見てえやうだねえ。 枯草の上等と來ちや、美味い奴と來ちや、類なしだからね。
チテー
わたしの許《とこ》には、大膽な妖精《すだま》が一頭《ぴき》ゐるから、 其奴《そいつ》が栗鼠《りす》の蓄《た》め込んでるものを探して、 今に一等新しい栗の實か何か取つて來てあげるだらうよ。
ボトム
わしそれよりか乾豆《ほしまめ》を二攫みばかし欲しい思ふだよ。 けんど、最早《もう》どうか、只そッとしておいて貰ひてえもんだねえ、 わし眠くなつて來たゞから。
チテー
ぢや、お眠《ね》、わたしお前さんを兩手で抱擁《だッこ》してあげるから。 ……さ、お前たちは彼方《あッち》へ往つて、めい/\の爲事《しごと》をおし。……

妖精ら皆入る。
チテーニヤ文句の通りボトムに纒ひ附くやうに凭《もた》れて、

ま、如是《こんな》風に晝貌《ひるがほ》と美しい忍冬《すひかづら》とが温雅《おとなし》く絡み合ふのよ、 ま、如是《こんな》風に楡《にれ》の木の皮ばつた枝へ女蔦《めづた》の蔓《つる》が纒綿《まつは》るのよ。 あゝ、眞個《ほんと》に可愛いことね!眞個《ほんと》にわたし惚々するわ!

チテーニヤもボトムも眠る。
此途端に、パック出る。オビロンも前へ進む。

オビロ
(パックに)ロビンや、好いところへ來た。此旨い樣子を見な。 あんまりの惚け方だから、憫然《かはい》さうになつて來た。 俺は、つい此間、森林《もり》の彼方《あちら》で、 彼女《あれ》が此 可厭《いや》な阿呆めの爲に戀の記念の草花を捜してゐるのに逢つたから、 さん/\゛に毒づいて喧嘩をした。彼女《あれ》は、其時、新鮮な匂ひの好い花で以て冠を製《こしら》へて、 あの阿呆の頭に被せてゐたのだ。あの、蕾の上へ、光り輝く眞珠のやうに、 ふつくらと載かるのが例《きまり》の露の玉が、其花冠の小ちやな、 花どもの美しい眼の裡《うち》に涙然として溜つてゐた、侮辱されたのを歎いてゐるかのやうに。 俺がさん/\゛ッぱら嘲弄すると、彼女《あれ》は温順《おとなし》やかに、 堪《こら》へてくれと言つた、で俺は例の取換兒を與《く》れろと言つた、 と直ぐに承諾して、妖精《すだま》らに吩咐《いひつ》けて、 あの童《こぞう》を妖精國《すだまこく》の俺の亭《ちん》まで屆けてよこした。 あの童《こぞう》が手に入つた上は、此 可厭《いやら》しい目の惑ひを除却《とッちま》つてやらうと思ふ。 だから、パックや、此アセンズの田夫《ゐなかをとこ》の頭から、 面變《かほがは》りをさせた此 假頭《かりあたま》を取つてやれ、奴も目が覺めたなら、 他の輩《てあひ》と一しよにアセンズに戻つて行かれるやうに、 さうし今夜の出來事を只一場の苦しい騒がしい夢であつたとばかり思ふやうに。 が、先づ女王から釋《と》いてやらう。(と草でチテーニヤの兩瞼を撫でつゝ)

常の如くにあれ、
常の如くに見よ、
キューピッド草の戀の毒も
月神《ダイヤナ》草の蕾に如かず、
此花の效力《きゝめ》に如かず。

さァさ、チテーニヤ、さ、起きなよ、起きなよ。

チテーニヤ目を覺す。

チテー
おや、オビロンさん!わたし、まァ、何て夢を見てゐたらう! わたし驢馬《ろば》に惚れてるやうに思つてゐたのよ。
オビロ
お前の情人《いゝひと》は其處に臥《ね》てゐるよ。
チテー
どうして如是事《こんなこと》が起つたんだらう? (はじめてボトムに目を附けて)おゝ、ま、厭《いや》らしい! もう/\見るのも厭《いや》だ!
オビロ
しづかに、暫時《ちッとのま》。……ロビンや、其頭を取ッちまへ。 ……チテーニヤ、樂隊をお呼びよ、 さうして此五人の者を竝《なみ》の眠りよりもずッと深く熟睡《ねい》らせてしまはう。
チテー
おい、音樂をお始め!よく眠入らせる音樂を。

音樂。

パック
さァさ、汝《きさま》目が覺めたら、(ボトムの頭から驢馬《ろば》の頭を取除けながら) 生れ附きの馬鹿眼で覗いて見ろ。
オビロ
さァ、音樂を!さァ/\、女王よ、俺と手をお組みよ、 さうして踊り囘つて此奴《こいつ》らの眠《ね》てる地面を搖《ゆす》つてやらう。 もう全然《すつかり》仲直りをしたから、明日の晩はシーシヤス公の館へ往つて、 めでたく盛んに嚴肅《おほまじめ》に踊つて、子々孫々までの繁榮を祝福してやらうよ。 シーシヤスと一しよに、此眞實な戀人連《すいたどうし》の二組も、 めでたく式を擧げることになるのだ。

音樂いつれて一同浮れ立つ。

パック


妖精《すだま》の王さん、お聽きなさい。
朝の雲雀《ひばり》ッ子が聞えます。

オビロ


それぢやァ默つて、眞面目になつて、
夜の影を追うて、ぴよい/\走らう。
ぶら/\してゐるお月よりも早く
吾徒《こちとら》は地球を廻ることが出來る。

チテー


さァ/\、貴郎《あなた》や、飛んで行く途中で、
今夜の始末を話して頂戴、
どうしてわたしが人間と一しよに、
此處の地面《ぢべた》に眠込んでゐたのか。

パック、オビロン、チテーニヤ、踊るやうにして入つてしまふ。
と、奥で獵《かり》の喇叭の聲。
やがてアセンズの君シーシヤス、其妃となる筈のヒポリタ、 老臣イデーヤス及び從者ら出る。

シーシ
やいだれか往つて林獵係《りんれふがか》りの者を捜して來い、五月祭の式は既《も》う濟んだから。 幸ひ太陽も昇りかけてゐるから、ヒポリタどのに予《よ》の獵犬どもの妙音樂を聞かせることにしよう。 西の谷間で犬どもを放せ。さ、急いで林獵係《りんれふがか》りを捜して來い。

一侍者入る。

妃《きさき》よ、さァ、これから、山の頂邊《てつぺん》へ登つて、 犬の聲と其反響とが混淆《ごッちや》になつた音樂といふ奴を聞くことにしよう。
ヒポリ
わたしは、ハーキュリーズどのやカドマスどのと交際《つきあ》つてゐました時分に、 あの人達が、クリートの森で、スパルタの獵犬を使つて野猪《ゐのしゝ》を死地へ追詰めたのを見ましたッけが、 あんな勇ましい叫び聲は、つひぞ聞いたことがありませんでした。 森も、山も、空も、近邊《きんぺん》の何處も彼處《かしこ》もが、 みんな一しよくたになつて反響しました。わたしやあんな音樂のやうな騒音を、 あんな心持の好い雷鳴《かみなり》を曾《つひ》ぞ聞いたことはありませんでした。
シーシ
わしの獵犬は、彼の砂色をした、顎《あぎと》の大きいスパルタ種を育てたのだ。 奴等の頭には朝露を掃《はら》ふ程に長い耳が垂れてゐて、 膝曲りで、さうしてセッサリーの野牛のやうに喉肉が弛《たる》んでゐる。 追脚《おひあし》は緩《のろ》いが、叫聲《なきごゑ》は全然《まるで》各種の鈴《りん》のやうに、 次第に節調《せつてう》を成してゐる。さういふ音樂を奏する獵犬の群を、 脊子《せこ》や獵笛《かりぶえ》で使役した例は、 クリートにもスパルタにもセッサリーにもなかつたことだ。 ま、聞いて見て、判斷をなさい。……

ふと眠れるハーミヤに目を附けて、

が、一寸待つたり。この女神のやうなのは何だ?

イヂーヤスをはじめ皆々眠れる四人に目をとゞめる。

イヂー
御前、こゝに眠てをりまするは私《てまへ》の女《むすめ》にござります。 それから、これはヘレナ、老ネダーの女《むすめ》のヘレナでござります。 どうして此處に、一しよに眠《ね》るてをりますやら。
シーシ
きッと五月祭をするといふので、早く起きたのであらうが、 わしらの意向を聞いて、それを祝賀しようと思つて此處へ來たのでもあらう。 が、イヂーヤス、たしか今日は、ハーミヤに、何《いづ》れとも決定の返辭をさせる筈の日ぢやァないか?
イヂー
さやうでござります。
シーシ
おい、獵師どもに吩咐《いひつ》けて、喇叭で彼等を起させろ。

奥で喇叭を吹き鳴らす。鬨《とき》の聲が起る。
ディミトリヤス、ライサンダー、ハーミヤ及びヘレナ、おの/\目を覺し、驚きて起き上る。

シーシ
(戯談《じやうだん》口調で)はい、お早う。 ワ゛レンタインさんの祭日は既《も》う過んだのに、 森の小鳥たちは、今頃やッと交尾《つが》ひはじめるのか?
ライサ
眞平御免下さい。(と一同跪きて禮をする。)
シーシ
どうか皆な起つてくれ。……君たち二人は競爭者で敵《かたき》同士である筈だのに、 どうして如是《こんな》に仲良くしてゐるのだ、憎み合つてゐる者が、 竝《なら》んで眠りながら、互ひに害心があらうとも恐れず、疑ひもしない程に?
ライサ
御前、私は、半分は夢中、半分は現《うつゝ》といつたやうな狼狽《うろた》へた御返辭を申し上げます。 ですが、只今の處では、實際どうして此處へ參りましたのだか、 たしかには申すされません。が、たしか……事實を申し上げようと存じますが、 多分、斯うだらうと存じますが、……私はハーミヤと一しよに此處へ參りましたのです。 私共の意志は、アセンズを駈落して、國法の咎めの及ばない處へ往つて……
イヂー
澤山、澤山。御前、もう後をお聽きになるには及びません。 彼れが頭《かうべ》に國法をお下しになることを願ひまする。…… ディミトリヤス、あいつらは窃《そつ》と駈落しようとしたのだ、 さうして吾等《わしら》に鼻明させようとしたのだ、 お前《まひ》さんは妻を奪《と》られ、わしは許諾權を蹂躙される處だつた。
ディミ
御前、私は二人が駈落したといふ事をヘレンどのから聞きまして、 憤激して此處まで追ッ掛けました、ヘレンどのはまた戀ゆゑに私の後を追つて參りました。 ところが、御前、どうしてだか解りませんが、……何か人間以上の力の故《せゐ》だと存じますが ……ハーミヤを戀しいと思ふ心が、雪の溶けるやうに消えてしまひました、今では、まるで、 子供の時分に大切《だいじ》にしてゐた無價値《くだらない》玩具《おもちや》か何かの記憶のやうにしか思はれません。 只今では、眞實、有難いとも、尊いとも、美しいとも、懷かしいとも思つてゐますのは、 只ヘレンばかりでございます。彼女《あれ》とは、御前、 ハーミヤに逢ひました前には、許嫁の仲であつたのでございます。 ところが、病氣の時のやうに、私は美味を嫌がりました、 が、今は健康を復しましたので、自然の味覺に戻りました。 今では、彼女《あれ》が欲しくもあり、愛らしくもあり、 懷かしくもなりまして、もう決して終生 渝《かは》るまいと存じます。
シーシ
戀人たち、お前がたは運よく好い處で逢つたといふものだ。 くはしい話は又後で聽かう。……イヂーヤス、 わしは君の意志を掣肘《せいちう》しますよ、と言ふのは、 わしは此二組の者に、神殿に於て、わしらと一しよに永久の契りを結ばせようと思ふからだ。 そこで、もう大分 午前《ひるまへ》も時間が經つたやうだから、 思ひ立ちはしたものゝ、獵《かり》は中止にしよう。……さァ/\、 みんな一しよにアセンズへ歸つたり/\!男三人、女三人で盛んな祝宴を催さう。 ……さ、ヒポリタ。

シーシヤス、ヒポリタ、イヂーヤス及び從者ら入る。

ディミ
今までの事が急に小さくなつて、何が何だか見分けられないやうになつた、 遠山が霞んで雲となつた時のやうに。
ハーミ
何だか目に焦點がなくなつたやうだわ、何もかも二つに見える。
ヘレナ
わたしも然うよ。ディミトリヤスさんといふ寶石を拾つたけれど、 拾つたんだから、わたしのゝ樣でもあるし、然うでもないやうでもあるし。
ディミ
實際、わたしらは目が覺めてゐるんだらうか?わたしにやまだ何だか、 眠《ね》てゐて夢を見てるやうに思はれる。 貴女《あんた》は、こゝに公爵さんが來てゐて、從《つ》いて來いと言つたと思ひますか?
ハーミ
然《えゝ》、さうです。それから父も來てゐました。
ヘレナ
それからヒポリタさまも。
ライサ
それから公爵は神殿へ從《つ》いて來いといはれたのです。
ディミ
ぢや確かに覺めてるのだ。公爵さんに從《つ》いて行きませう。 さうして途々《みち/\》夢を話し合ひませう。

一同入る。
ボトム目を覺す。

ボトム
俺のきつかけになつたゞら呼ばつてくんな、 返辭すべいから。俺のきつかけァ 「あゝ、うつくしきピラマスどの」だぜ。……おや/\! ピーター・クヰンスさん!風櫃屋《ふいごや》のフルートさん! 鍛冶屋のスナウトさん!スターヴリングさん!おや/\、 窃《そつ》と逃げたね、おれに眠《ね》こかしを喰はせて。 おれ滅法界もねえ不思議な夢ェ見たゞ。おれ人間の智慧ぢや何ちふことも出來ねえやうな夢ェ見たゞ。 こんな夢の説明しべい思ふ奴がありやァ大驢馬《おほろば》だァ。 何でも、その、俺が……迚《とて》もこりや誰れにだつて、如何いふンだか言へるもんぢやァねえ。 何でも、その、おれが思つたにやァ、何を、その、何してるちふと…… が、迚《とて》も人間で分るこんぢやァねえ、おれが、その、 何を何してゐたか、それ言はうとしるやうだら、大馬鹿だ。 おれの夢ァ曾《つひ》ぞまだ人間の眼《まなこ》で以て聞いたこともなけりやァ、 耳で以て見たことも、手で以て味つたことも、舌で以て考へたことも、 心で以て言ひ傳へたこともねえ夢だに。おれピーター・クヰンスさんに頼んで、 此夢を歌に作つて貰ふべい。外題《げだい》は「ボトムの夢」と附けべい、 何故ッて、まるッきし底《ボトム》が脱けてるだからよ。 さうしておれ其歌を、劇《しばゐ》の最終《どんじまひ》に、 公爵さんの前で歌つてくれべい。事によると、ぐッと面白くしる爲に、 (あの役で)死んでから歌ふべいかな。

ボトム入る。




眞夏の夜の夢 : 第四幕 第二場



第四幕

第二場 アセンズ市。クヰンスの宅。



クヰンス、フルート、スナウト及びスターヴリング出る。

クヰン
ボトムさんの家へ人を遣つて見たゞかね?まだ歸らねえだかね?
スター
何の便りもねえだよ。きッと攫《さら》はれてしまつたゞね。
フルー
あの人が來ねえけりや劇《しばゐ》は駄目の皮だね。止《やめ》だんべい?
クヰン
出來なかつぺい。あの人の外にやァ、 ピラマスの役やつてのける者ァアセンズ全市《ぢゆう》に一人もねえだからね。
フルー
無えだよ。あの人は、アセンズ全市《ぢゆう》で、全く第一等の細工人だからね。
クヰン
さうだよ、それに最《いッ》ち好男子《いゝをとこ》だからね。 それから、聲の美《い》いのぢや町内の美觀だァね。
フルー
美觀ぢやァねえよ。龜鑑《きかん》いふだよ。美觀だなんて、あんまり物體ねえ、 ありやお前、くだらねえもんのこんだに。

スナッグ出る。

スナッグ
皆の衆、公爵さまは今神殿の方からござらつしやるところだ。 何でも他に二三人の檀那衆と嬢さんたちが婚禮さつしやるさうだ。 吾徒《こちとら》のする事が首尾よくお慰みになりやァ、みんな立身が出來るだがねえ。
フルー
あゝ、氣の毒なボトムの親方!一日六ペンニーづつ一生涯《しやうげえ》儲かるところを損しッちまつたゞ。 一日六ペンニーは外れッこは無かつたゞに。もし公爵さまが、 ピラマスやらせて六ペンニーあの人にくれさつしやらねえやうなら、 おれ絞罪《しばりッくび》にされるだァ。それ位ゐの價値《ねうち》はあるだよ。 ピラマスで一日六ペンニー取れねえけりや、一文だつても取れねえや。

ボトム出る。

ボトム
若い衆たちは何處にゐるだね?達衆《だてしゆ》たちは何處にゐるだね?
クヰン
ボトムさん!はれ、ま、何て嬉しいこんだ!何てまァ勇快なこんだ!
ボトム
皆の衆、おれ不思議なこと話さんけりやなんねえだよ。 が、訊いちやいけねえよ。何故ッて、これ話すやうだと、 おれ眞當《まッたう》なアセンズ人でねえだからね。 今に何もかも話すべいよ、そつくら其儘。
クヰン
ねえ、ボトムさん、聞かせとくんなせえよ。
ボトム
うんにや、いふめいよ。おれが話さうてことは、 公爵さまが今ちようど夕飯をすまさしやたちふことだけだ。 さァ/\、衣裳《うはッぱり》ィ寄せ集めて、 髭にや丈夫な紐ォ附けて、靴にやァ新しいリボン附けて、 直ぐにお館へ集るだ。めい/\自分の役割を忘れねえやうにね。 つまり、その、何だ、吾徒《こちとら》の劇《しばゐ》がお採用《とりあげ》になつたんだよ。 どうしたつてシスビにやァ清潔《きれい》な麻布《リネン》を被《き》せにやァなんねえよ。 それから獅子の役する者ァ爪ェけづらねえが可い、 獅子の爪ァ長く垂れ下つてゐねえけりやなんねえだから。 それから、吾等《うら》の大切《でえじ》の俳優《やくしや》さんたち、 葱《ねぎ》や大蒜《にんにく》を食つちやァいけねえよ、 美《よ》い聲しねえけりやなんねえだからね。 さうしりや檀那がたァ、必定《きッと》、あゝ好い喜劇だいふに違へねえだに。 もう何にも言はねえで、さァ、彼方《あッち》へ/\!

みな/\入る。




眞夏の夜の夢 : 第五幕 第一場



第五幕

第一場 アセンズ。シーシヤスの館《やかた》。



シーシヤス、ヒポリタ、宴樂部長フィロストレート、 貴族ら及び侍者ら出る。煖爐には火が熾《さか》んに燃えてをり、 燭火《しよくくわ》や炬火《たいまつ》が隈《くま》なく室内を照らしてゐる。

ヒポリ
シーシヤスどの、あの戀人の申すことは奇異《ふしぎ》ぢやありませんか?
シーシ
眞《まこと》とは思はれん位ゐだ。 わしはあゝいふ荒唐な怪談や無稽《たわいもな》い作り話を信ずることは出來ん。 戀人や狂人は、常に腦が煮え返つてゐて、 有りもせん物を造り出す力が善く働くので、冷かな理性の呑み込み得ないやうな事柄を思ひ附く。 瘋癲患者と情人と詩人とは、其心を悉く想像で以て固め上げてゐる。 で、或ひは大地獄にも入りきらん程の夥多《おびたゞ》しい惡魔が出て來たなぞといふ、 それが狂人である。情人《こひびと》とても、其物狂ほしさは全く同樣で、 黒人女《くろんぼをんな》の面上にすらもヘレンの美を見るのである。 若し夫《そ》れ一種微妙な想ひに驅られて、狂ほしく廻轉する詩人の眼《まなこ》は、 今天を見るかとすれば地を見、地を見るかとすれば天を見る。 而《しか》うして想像が、未だ曾《かつ》て世に知られざる事物の形を具體化するに隨《つ》れて、 詩人の筆はそれに定形あらしめ、空然として虚なる物に居處を與へ、名を與ふ。 強い想像には種々の小手先藝がある、 例へば、若し偶《ふ》と何か喜ばしい事を思ひ附くことがあると、 もう既にそれが成立つてゐるやうに思ふ。若しくは夜中なぞに、 多少怖ろしいと想像するや否《いな》や、忽ち叢《くさむら》をも熊と思ふ。
ヒポリ
ですが、昨夜《ゆうべ》聞いた話の模樣といひ、四人ながら同じやうに心が變つたことゝいひ、 神經作用とばかりは思はれません、何か確實な理由のあることらしく思はれます。 併しそれにしても、奇怪至極なことです。
シーシ
あ、あそこへ戀人どもが浮かれ喜んでやつて來た。……

ライサンダー、ディミトリヤス、ハーミヤ及びヘレナ出る。

や、めでたう/\!若々しい喜びが永久《いつまで》も/\お前たちの心に伴ふやうに!
ライサ
兩殿下の御歩みに、御食卓に、 御 臥床《ふしど》にことそれに彌優《いやまさ》りまするお喜びの伴ひますやうに!
シーシ
さァ/\、後晩食と就褥《しうじよく》との間に此長い三時間を何をして過さうぞ、 假面劇《マスク》か、踊か?餘興係りの者は何處に居る? どういふ慰みを準備《ようい》してゐる?退屈を紛らす何か好い遊戯《あそび》はないか? フィロストレートを呼べ。
フィロ
へい、こゝに居ります。
シーシ
おい、どんな慰みを準備《ようい》してゐる、今夜? どんな假面劇《マスク》がある?どんな音樂がある? 何か面白いことでもなければ、此 緩徐《のろくさ》い時間の紛らしやうがあるまいぞ。
フィロ
こゝに種々《いろ/\》準備《ようい》いたしおきましたお慰みの筋書がございます。 此中でお氣に召したのを、先づ、御覽にいれませう。

書面を渡す。

シーシ
(讀む。)半人半獸族との戰鬪《たゝかひ》。竪琴に合せてアセンズの閹官《えんぐわん》之を歌ふ。 ……これは止さうよ。此歌は、もう彼女《あれ》に話してしまつた、 俺の親戚のハーキュリーズの功績話《てがらばなし》をするとて。……(又讀む。) 酒神祭《バッカスまつり》の爛醉《らんすゐ》する氏子《うぢこ》ら憤激の餘りスレース國の歌人オルフェースを八裂に爲す暴擧の場。 ……こりや陳《ふる》い趣向だ。おれが先だつてシーブスから凱旋した時にも演《や》つて見せたよ。 ……(又讀む。)文藝を司《つかさど》りたまふ九柱《こゝのはしら》の女神たちが、 先頃 乞食《こつじき》の境涯に零落して逝《まみか》れる博學者の死を歎きたまふ事。 ……こりや何か諷刺《あてこみ》の作だな、大分皮肉な。婚禮の餘興にはふさはしくない。 ……(又讀む。)若きピラマスと其戀女シスビとの冗漫にして簡短なる一場、 極めて悲慘なる大滑稽。……悲慘で滑稽だ!冗漫で簡短だ! といふのは熱い氷、眞黒な雪といふやうなものだ。 え、此不調和を如何して調和させることが出來る?
フィロ
御前、それは斯様《かやう》でございます。 脚本としては類のないほど簡短でございますが、 やゝ十語《とこと》ばかり贅《むだ》がございますので、 其 十語《とこと》だけ冗漫なのでございます。 と申すのは、其 劇《しばゐ》の白《せりふ》は一言だつて整つたのはございませず、 又一役だつて役らしいのはないからでございます。 さうして全く悲慘な劇《しばゐ》でございます、と申すのは、 ピラマスが其場で自殺するからでございます。 此作を稽古致すのを見ました時、私《てまへ》は、實際、落涙に及びました。 併しあれ位ゐ大笑ひをして可笑涙《をかしなみだ》にくれたことはございません。
シーシ
だれがそれを演ずるのだ?
フィロ
平素は荒爲事《あらしごと》ばかり致してをりまするアセンズの職人共でございます。 今日《こんにち》までは精神上の勞力を試みたことはないのでございますが、 御慶事の餘興にとて、右の劇を大骨折で不慣ながら暗誦中にございます。
シーシ
ぢや、それを見よう。
フィロ
いや、御前、それはお止め遊ばせ。わたくし一見致しましたが、つまらん、 たわいもないものでございます全く。御覽に供しようために、 一生懸命に、憫然《かはい》さうな程の苦心を致して暗誦してをります彼等の誠志《こゝろざし》だけが、 たかゞ、お慰みになります位ゐのもので。
シーシ
その劇《しばゐ》を見ようよ。率直な忠實な心が呈供してくれるものなら、 どんな物でも結構だ。さァ、そいつらを伴れて來てくれ。 婦人たち、皆な座にお著きなさい。

フィロストレート入る。

ヒポリ
わたしは重荷に堪へかねてゐる憫然《みじめ》や奉公疲れで死にかゝつてゐる義務なんかを見ることは好きません。
シーシ
何の、そんな物を見なさる気遣ひはないよ。
ヒポリ
でも、只今係りの者が、彼等は、斯道《しだう》の事は、 何にも爲得ない者だと言ひました。
シーシ
何にも爲得ないのを面白がつて見てやるのが、其道の通人といふものだ。 錯誤《まちがひ》だらけを買つてやるのが慰みになる。 率直な忠實な奴が下手々々と行《や》ることを、寛仁大度は、 其出來榮えを買はないで、努力を買ふ。わしが臨御した或處で、 嘗《かつ》て學者連が豫《あらかじ》め準備しておいて歡迎の辭を演《の》べようとしたッけが、 わしを見ると、彼等は皆 慄《ふる》へて、蒼白《まつさを》になつて、 文句の中途で行詰るやら、多年言ひ慣れてゐる筈の發音を畏怖《おそれ》の餘りに言ひかねるやら、 つまり、默々《だんまり》で中止して歡迎の辭を言はずに了つたことがある。 ねえ、實際、わしは其無言中から歡迎の意を酌み取つたよ、其臆病な、 遠慮勝な務め振の中に、無禮な、 厚顏《づう/\》しい多辯や早口に劣らないだけの誠志《こゝろざし》を讀むことが出來た。 だから、眞情《まごころ》があつて、さうして正直であれば、 言《ことば》は極めて少くとも、極めて多く語るものだとわしは思ふ。

フィロストレート又出る。

フィロ
恐れながら、開場詞をお聽きに入れます。
シーシ
ずッと進ませろ。

奥で喇叭を盛奏する。
クヰンス開場詞役として出る。

開場詞
或ヒハ尊意ヲ損ズベケンガ、願ハクハ思惟セラルヽ勿レ。 是レ吾等《われら》ニ惡意アリテ然ルナリ。トカク拙劣ナル技ヲ高覧ニ供セントスル他ナシ。 忠勤ノ爲ノミ然レバ乞フ尊察ヲ賜ヘ焉《いづくん》ゾ惡意ヲ以テ來リ演ゼンヤ。 吾等《われら》ノ眞願ハ一ニ是レ。餘興ノ呈進ナリ兼テハ大愉快ナリ。 如何ゾ閣下等ヲシテ失望セシメン俳優等ハ參著シ居レリ。彼等ガ何ヲ演ゼントスルカヲ乞フ。 其顏見セニヨリテ知ラレヨ。

句讀に關《かま》はず、「べんけい、がなぎ、なた」流に演《の》べるので、 意味が處々反對になる。

シーシ
彼奴《あいつ》め句讀《よみきり》に關《かま》はず演《や》つてゐる。
ライサ
彼奴《あいつ》は開場詞を全然《まるで》野馬でも乘廻すやうにして、 無暗《むやみ》に走らせますのです。法も術も知りません。 これは善い訓誡でございます、……之を言ふ、未《いまだ》し、 正しく言ふ、初めて可なり、です。
ヒポリ
ほんとに、今の口上の言ひかたは、子供が笛を吹くのに似てゐました。 律呂《りつりよ》を調へることをば知らないで、 只もう聲ばかり出してゐましたわね。
シーシ
いはゞ、紛糾《こぐらか》つた鎖だ、損じてはゐないが、めちや/\になつてゐる。 ……此次《こんど》は何が出て來るか?

眞先きに紹介役《ひきあはせやく》の者喇叭を持つて出て來る。 (或ひは此役をクヰンスに兼ねさする例もあり。) つゞいてピラマスとシスビ、石墻《いしがき》役と月役と獅子役とが出る。

紹介役
えゝ、お檀那さまがたには、これなる顏見せを御覽なされまして、 定めし不思議に思《おぼ》し召されませうが、 今にお明白に相成りまする。先づ、此男はピラマスどのにござります、 此別品さんはシスビどのにござります。此、石灰と粗漆喰《あらじつくひ》で塗り立てました男は、 戀人衆を隔てまする無情《むごたら》しい石墻《いしがけ》にござります、そこで二人の衆は、 やつと石墻《いしがけ》の隙間《あはひ》から内密話《ないしよばなし》をして滿足《たんのう》してをられまする。 こりやァ、如是《こんな》に見えましても、石墻《いしがけ》でござります。 此、挑灯《ちやうちん》と茨《いばら》の束とを持つて犬を伴れてをりまする男は月の役を勤めまする。 右の二人の衆は、月の晩に、場處もありませうずに、 ナイナス殿の墓穴の傍《はた》で出會をして思ひのたけを口説いたのでござります。 すると、此 怖《おッかな》い獅子ちふ獸類《けだもの》が、 夜中に先きへ來られましたシスビどのを威嚇《おどか》しましたと申さうか、 脅《おびやか》しましたと申しませうか、で駭《おどろ》いて逃げられまする其途端に、 外套を落されまする、それを獅子が血だらけの口で引ッくはへて汚しまする。 程なく立派なお若衆のピラマスどのが見えられます、 血に染みたシスビどのゝ外套を拾はれます、それを見て無念がつて、 無慚にも胸元を、物の見事に刺し貫き、むざ/\空しうなられまする。 と此時まで桑の木蔭に待つてをられましたシスビどのも、忽ち短刀で死なれまする。 尚ほ申し洩《もら》しました事共は、獅子なり、月なり、石墻《いしがけ》なり、 二人の衆なりが、これに罷《まか》り在ります間に、たつぷり申し上げるでござります。

石墻《いしがき》役だけを殘して皆々入る。

獅子
獅子が物をいふか知らん。
ディミ
不思議はございません。獅子も隨分物を申しませう、 驢馬《ろば》(馬鹿者共)が幾らも口を利く時勢でございますから。
石墻
えゝ、此お劇《しばゐ》では、てまへはスナウトと申しまするが、 石墻《いしがけ》の役を相勤めますることに成つたのでござります。 で、御承知おきをお願ひ申しまするが、その石墻《いしがけ》に裂目だか、 隙間《すきま》だかゞござりまして、 そこから戀人のピラマスどのとシスビどのとがこッそりと内密話《ないしよばなし》をせられまする。 此 壌土《ロード》と此 粗漆喰《あらじつくひ》と此石とで其 石墻《いしがけ》だてことが分ります、 といふ譯でござります。それから、これが其裂目で、右と左の、 この裂目から戀人衆がこは/\゛内密話《ないしよばなし》をするのでござります。

と指三本で裂目をこしらへて見せる。

シーシ
石灰《いしばひ》や毛髪《かみのけ》が演《の》べる白《せりふ》としては此上はあるまい。
ディミ
壁が物言ふとは申しますが、如是《こんな》洒落れたのは初めて聞きました。
シーシ
ピラマスが石墻《いしがき》の傍へやつて來た。默つて!

ピラマス又出る。

ピラマ
「あゝ、物怖ろしき夜よ!あゝ、いとも黒き色したる夜よ! あゝ、晝の在らぬ折には、必ず在る夜よ!あゝ夜よ!あゝ夜よ! あら、情けなや、情けなや、もしやシスビどのが約束をば忘れられたのではないか知らぬ! さて、おぬしよ、あゝ、石墻《いしがけ》よ、あゝ、なつかしい石墻《いしがけ》よ、 戀人の父ぢやの地面と吾等《われら》の地面との中を隔つる石墻《いしがけ》よ! 石墻《いしがけ》よ、あゝ懷かしい石墻《いしがけ》よ、なう、裂目をば吾等《われら》に見せて、 此 眼《まなこ》で覗かせてくれよ喃《なう》。……

石墻《いしがき》役指を三本出して見せる。

かたじけない、深切な石墻《いしがけ》よ。あゝ、何卒《なにとぞ》ヂョーヴ神の、 此功徳をめでさせられて、おぬしをば御保護遊ばさるゝやう!…… (指の間を覗きて)が、何が見えるかな?シスビどのゝ影さへも見えぬわ。 えゝ、己《おの》れ、非道無慚の石墻《いしがけ》め、 幾ら覗いても些《ちッと》も嬉しい目に逢ふことは出來ぬ。 石墻《いしがけ》の罰當りめ、己《おの》れ、おれを欺《だま》しをつたな!」
シーシ
あの石墻《いしがき》は生きてゐるんだから、默つちやゐまい、彼方《あッち》からも 「罰當りめ」と言ひ返しさうだなう。
ピラマ
(シーシヤスに)うんね、そんなことァ言ひましねえだよ。 「おれを欺《だま》しをつたな」てのがシスビのきッかけだからね。 これから彼女《あれ》の出になりますだ、 さうしてわしがそれを石墻《いしがき》の穴から目附けることになりますだ、 見て見てござらつしやい、わしが言つた通りになるだから。 ……あれ、あそこへ來たゞ。

シスビ又出る。

シスビ
「あゝ、石墻《いしがけ》よ、おのしは幾たび聞きやつたるぞ、 ピラマスどのと妾《わらは》とをおのしが無情《つれな》う隔ちやるを泣きうめく妾《わらは》の聲音《こわね》を! 妾《わらは》の此 櫻桃《さくらんぼ》の脣は、 何度おのしの此石に接吻せしやら、石灰《いしばひ》と毛髪《かみのけ》で固め止めた此石に。」
ピラマ
「あゝ、聲が見ゆる。どれ、裂目へ往つて、シスビどのゝ顏が聞ゆるか見て見ようず。…… (指の間から覗きつゝ)シスビどのよ!」
シスビ
(これも指の間から覗きて)「戀人ぢやな、戀人であらうずの?」
ピラマ
(尚ほ覗きつゝ)「どうあらうずとも、吾等は御事の戀人ぢやよ、 さうして往昔《いにしへ》のライマンダーのやうに眞實でおじやりまするぞ。」
シスビ
「さうして妾《わらは》はまた彼のヘレン姫のやうに、運の神に殺されませぬ限りは渝《かは》りませぬ。」
ピラマ
「シャファラスとても、彼のプロクラスに、吾等ほど眞實ではおじやらなんだであらうぞ。」
シスビ
「シャファラスとても、彼のプロクラスに、妾《わらは》がお身さまに眞實なほどには。」
ピラマ
「あゝ、此 無情《つれな》い石墻《いしがけ》の穴越《あなごし》に、 吾等に接吻して下され。」
シスビ
「接吻はしても、石墻《いしがけ》の穴に遠くばかりで、 お身さまの脣には達《とゞ》きませぬ。」
ピラマ
「ニンニの墓地《ぼッち》へこれからすぐ來てはたもりませぬか?」
シスビ
「生きようと、死なうと、すぐに參りまする。」

ピラマスとシスビ左右へ別れて入る。

石墻
まづ、これで俺の石墻《いしがけ》の役は濟しました。 濟んで見れば、石墻《いしがけ》は、ま、斯うかたづけまする。

石墻《いしがき》役も入る。

シーシ
これで二人の間の壘壁は破壞されてしまつた。
ディミ
止むを得ますまい、默つてゐて立聞をする惡戯《いたづら》者ですから。
ヒポリ
こんな馬鹿らしい劇《しばゐ》は曾《つひ》ぞ見たことがありません。
シーシ
凡て斯ういふものは、最《いッ》ち善いのでも影法師たるに過ぎない。 最《いッ》ち惡いのでも必しも最《いッ》ち惡くはない、 想像で補ひさへすれば。
ヒポリ
その想像は必ず貴方の想像でせう、彼等にはさういふ想像はありさうに見えませんもの。
シーシ
いや、あいつらが自分で想像してゐるだけに想像してやりさへすれば、 あれで立派な役者で通るよ。……あ、あそこへ立派な獸類《けだもの》が二疋やつて來た、 人間と獅子だ。

獅子役と月役と出る。

獅子
御婦人さまがたに申しまする、貴女《あなた》がたはお優しいから、 おそろしく小ちやい[鼠|奚;u9F37]鼠《はつかねずみ》が床の上 爬《は》つてるのを見てせへ怖がらつしやりますだから、 本式の獅子が腹ァ立つて、吼え猛《たけ》つたゞら、 必定《きッと》怖《おッかな》がつて、びくついて、慄《ふる》へさつしやりませう。 だらば、お見知りおかつしやりませ、予《わし》は指物師のスナッグちふもんで、 決して可怖《おッかな》い獅子でも、其 母獅子《おふくろ》でもござりましねえ。 わし獅子になつて、實際《ほんと》に食ひ合ひに來るやうだら、 不幸《みじめ》なこんでござりますだからねえ。
シーシ
大變優しくッて、さうして中々深切な獸類《けだもの》だ。
ディミ
けだものとしては抽《ぬき》んでたものでございませう、 こんなのは初めて見ました。
ライサ
此獅子は、(併し)勇氣からいつたら、たかゞ、狐でございませうよ。
シーシ
全く。そして智慧分別からいふと、鵞鳥《がてう》だらう。
ディミ
いや/\、やつには己《おの》が智慧分別を持出しますだけの勇氣もございますまい。 が、狐めは鵞鳥《がてう》を(咬へて)持出します。
シーシ
無論、彼奴《あいつ》の智慧が彼奴《あいつ》の勇氣を持出し得る筈はない。 鵞鳥《がてう》が狐を持出すといふことは無いからなう。 が、ま、その邊の事は彼奴《あいつ》の分別に一任しといて、月の言ふことを聽かうよ。

此 挑灯《ちやうちん》は角《つの》の格構をしたお月さんなのでござります。
ディミ
彼奴《あいつ》め頭に角《つの》を載けて來れば可いのに。
シーシ
彼奴《あいつ》は新月《みかづき》ぢやないよ、だから、角《つの》は輪の中に隱れてゐるのだ。

此 挑灯《ちやうちん》は角《つの》の格構のお月さんなのでござります。 私《てまへ》は月ン中の人の積りでござります。
シーシ
こりや先刻《さつき》からの中で一番理窟に合はん。 あの男はあの挑灯《ちやうちん》の中へ入つてゐなけりやならんわけだ。 でなくて、如何して月中の人だ?
ディミ
あの中へは入り得ないのでございませう。あの通り、[臘,月@虫;u881F]燭《らふそく》が中にゐて、 一心に修羅を燃してをりますから。
ヒポリ
わたしや此月には既《も》う倦《あ》きました。變つてくれゝば可いに!
シーシ
智慧の光りの微《かす》かな處を見ると、もう程なく傾くのだらう。 だが、作法上、是非とも、もう少し待つてゐてやらねばなるまい。
ライサ
(月役に)おい、月、後を言へ。

私《てまへ》が申し上げて置きますことは、 これだけでござります、えゝ、此 挑灯《ちやうちん》はお月さんで、 私が其お月さんの中の人で、此 茨《いばら》の束が、茨《いばら》の束で、 それから、此犬が、犬なのでござります。
ディミ
さういふ物は一切《みんな》月の中にあるのだから、 挑灯《ちやうちん》の中に入つてゐなけりやならないわけだ。 ……が、しづかに!シスビがやつて來ました。

シスビ又出る。

シスビ
「こゝがニンニどのゝ墓地ぢや。戀人は何處にござるやら?」
獅子
(のろ/\と進みて)うゝう!……
ディミ
よう/\、獅子、唸り方が巧いぞ。
シーシ
シスビよ、逃ッ振が佳《い》いぞ。
ヒポリ
月よ、照ッ振が佳《い》いよ。ほんとにあの月は樣子よく照つてますわねえ。

獅子シスビの落して行きたる外套を口にくはへて振廻すことありて入る。

シーシ
獅子よ、[口|齒;u5699]裂《くひさ》きッ振が巧いぞ。
ライサ
そこで獅子めは入ッちまつた。
ディミ
すると、ピラマスがやつて來た。

ピラマス又出る。

ピラマ
「あゝ、愛らしき月よ、かたじけない/\、太陽のやうな光りをば射してくれる。 月よ、かたじけない、今、此 際《をり》に、斯う分明《さやか》に照らしてくれるとは。 おぬしの此きら/\と金のやうに燦《きら》めく光りで、 あの眞實なシスビどのゝ忍んで來らるゝのが見えようほどに。 ……(外套を見つけて)や、これは!や、かなしや!や、見よや、 不幸《ふしあはせ》な武士《ものゝふ》よ、 何といふ怖ろしき悲哀《かなしみ》ぞや!眼《まなこ》よ、ま、おのし、 これを見い!何として此樣なことが起つたぞ?あゝ、いとし懷かしい戀人よ! あゝ、悲しや!御事《おんこと》の此結構な外套が、や、血汐に塗《まみ》れてをるわ! ……來れ/\、怖ろしき怨靈の神よ!おゝ、宿命《フェート》よ! 來れ/\。玉の緒を切れ、絲を斷て。打殺せ、打碎け、打崩せ、打挫《うちみじ》け!」
シーシ
此大愁歎に親友の死といふことが加はつたなら、ほゞ人をして愀然たらしむるに足るだらう。
ヒポリ
あの男を氣の毒だと思はないやうなら、わたしを情け知らずだとおつしやい。
ピラマ
「あゝ、造化《ネーチュア》よ、何とておぬしは獅子なぞを造りをつたぞ? 獅子あればこそ此方《こち》の戀人どのは盛りの花を散らされたわ。 あの君こそは又とない微妙《いみじ》い美人であるものを……いや/\…… あつたものを、此 現《うつ》し世に生き存《ながら》へて、いとしがり、いとしがられ、 いそ/\としていまされた微妙《いみじ》い美人であつたものを。…… さァ、涙よ、掻き亂せ。やい、劍よ、ピラマスの乳首を切れ。 むゝ、その左の乳首をこそ、心の臟を躍る其左の。(と自ら乳の下を刺して) 斯うして吾等は死ぬるのぢや、かうして、かうして、かうして。 もう吾等は死んだのぢや。もう吾等は脱け出したのぢや。 吾等の魂は最早《もう》空中にゐる。 太陽よ、光りを失《な》くせい、月よ、とッとゝ去《い》ね。……

月役入る。

さ、死なう、死々々々々。」

ピラマス死んでしまふ。

四々々々といつてるけれど、二つだけの價値《ねうち》もありやしない、 てんで奴一人ッきりなのだから。
ライサ
一だけの價値《ねうち》もないよ、死んじまつたのだから。奴は零《ジロ》だよ。
シーシ
外科醫者の手に掛けたら蘇生するかも知れん。さうすりや、 人間 竝《なみ》にや扱へないまでも、小馬《コンマ》(零コンマ一)ぐらゐにや當るだらう。
ヒポリ
どうして月が入ッちまつたんだらう、シスビが戻つて來て戀人を見つけなけりやならないのに?
シーシ
星明りで見附けるんだらう。……あゝ、あそこへやつて來た。 彼女《あれ》が歎くのが此 劇《しばゐ》の終局《をはり》だ。

シスビ又出る。

ヒポリ
あんなピラマスが死んだからッて、よもや長々とは歎いちやゐますまいよ。 白《せりふ》は短いでせう。
ディミ
秤皿《はかりざら》が卯《う》の毛でも傾《かし》ぎませうよ、 あのピラマスと此シスビとを權《はか》ることになると。 彼男《あれ》が男子《をとこ》だといふのも物體ないこつてすが、 此れが女だてえのは、いやはや、情けないこつてす。
ライサ
もう死骸を見つけました、あの艶麗な目で。
ディミ
そこで、其 白《せりふ》に曰はく……
シスビ
「え、眠《ね》てお在《いで》かえ?え、死んでかいな、愛《いと》しい戀人? おゝ、ピラマス殿、起きてたべ!物いうてたべ、物をいふて。 一言もおつしやらぬな?死んでかいな、死んでかいの? いとしい其 眼《まなこ》も最早《もう》墓地《ぼッち》の中に埋れにやならぬ。 この百合色の口も、この櫻桃《さくらんぼ》の鼻も、 この黄色の九輪櫻《くりんざくら》の頬も最早《もう》亡い、最早《もう》亡い! 戀人たちよ、泣いてたもれ!目は韮《にら》のやうに緑色であつたものを。 おゝ、三姉妹よ、さ、來う、乳汁《ちゝ》のやうに白い手を血汐の中に浸しをれ。 戀人の玉の緒を鋏み剪《き》りをつたのは汝《おのれ》らの行爲《わざ》ぢやゆゑに。 ……舌よ、何にもいふな。忠實な劍よ、さ、さ、妾《わらは》の胸をば血汐に染めい。……

自ら胸元を短劍にて刺す。

親しい人たちよ、さらば/\。かうしてシスビは果てまする。さらばさらば。」

シスビ死す。

シーシ
月と獅子だけが殘つてゐて、あれらが死骸をかたづけるのだな。
ディミ
さやうです。石墻《いしがき》もゐます。
ボトム
(此問答を聞きて突然立上りて)いんにや、間《あへひ》の隔《へだて》になつてゐた石墻《いしがけ》ァ、 ありや最早《もう》毀《こは》れッてまひましたゞ。…… これから閉場詞《へいぢやうし》ィ御覽に入れますかね、 でなくば、わしら仲間の者二人で以てバーゴマスクを踊るだが、それ聽つしやるかね?
シーシ
閉場詞は止して貰はう、此 劇《しばゐ》にや分疏《まうしわけ》は要らんから。 分疏《まうしわけ》にや及ばんよ、俳優《やくしや》は皆な死んじまつたんだから、 非難のしやうがない。が、もし此作《これ》を書いた作者がピラマスの役をして、 さうしてシスビの靴下締で首を縊《くゝ》りでもしたら、それこそ好い悲劇だつたらう。 いや、實際、面白い、中々よく出來た。が、そのバーゴマスクといふのを見よう。 閉場詞は止してくれ。……

これにて役者連又出で來りて、道外踊一くさりありて収まる。

深夜鐘の鐵の舌が十二時を報じた。戀人たちよ、もう寢《やす》みなさい。 もうそろ/\妖魔時だ。明朝《あした》は、 今夜 夜深《よふかし》をしたゞけ眠過しさうだ。此たわいもない劇《しばゐ》が、 それでも、夜の足の緩《のろ》いのを紛らしてくれた。皆なお寢《やす》みなさい。 一週間は此祝ひを續けて毎晩盛んな宴會を催し、いろ/\新しい、 面白いことをさせよう。

シーシヤス、ヒポリタ以下一同入る。空舞臺《あきぶたい》になると、 室内の燭火《あかり》も爐の火も消えて次第に暗くなる。 とパック手に箒を持つて出る。

パック


飢ゑた獅子めの唸る頃、
月に狼の吠えるころ、
どえらい爲事《しごと》に疲勞《くたび》れて
眠い農夫《ひやくしやう》は鼾《いびき》かく。
消えさうな篝《かがり》の燃木が光り、
キャァ/\梟《ふくろ》がキャァ/\啼いて、
枕の擧らぬ不幸《みじめ》な患者に
死裝束をば思ひ出させる。
今こそ墓所が皆口開いて、
お堂の方へと幽靈どもが
揃つてぞろ/\辷り行く。
三體具足のヘカチの神の
二頭立馬車と足竝《あしなみ》比べ、
太陽《ひ》が出りや逃げるが、
暗くなりや出かけ、
夢と同じに夜中を我が世に、
戯《ふざ》けて浮れる妖精《すだま》よ、われら。
鼠一疋騒ぐな、今宵、
めでたい此家の戸背《とじり》の塵を
掃除するのが吾等《おいら》の役目。

と言ひながら、跳ね廻るやうにして室《へや》の掃除をする。
此途端に、オビロン、チテーニヤ其他の小妖精らが、 めい/\頭上に[臘,月@虫;u881F]燭《らふそく》を戴いて、出て來る。 室内が忽ち晝のやうに明るくなる。

オビロ
館《やかた》の中がまだ薄明るいけれど、もう火は消えかゝつて眠むさうな樣子をしてゐる。 さァ/\、妖精《すだま》どもは皆廻れ/\、荊棘《いばら》から鳥が飛ぶやうに。 さうして俺が音頭を取るから、それに從《つ》いて歌つて、輕く踊れ。
チテー
先づ、お前さん、諳《そら》でお歌ひよ、一言々々に節《ふし》を附けて。 皆なが手を取合つて、靈妙な聲で唄を歌つて、此家を祝福してやりませう。

一同聲を揃へて歌ひ、やがて總踊《そうをどり》になる。よき頃に、

オビロ
さァ/\、これから夜明までは、めい/\此館の中をぶらつき歩かうぜ。 お前と俺は、第一等の花嫁の寢床へ往つて祝福してやらうよ、 其 床《とこ》で、懐胎して生んだ子供は、いつまでも運《しあはせ》が好いことにしてやらう。 それから三組《みくみ》とも、共白髪まで愛情が渝《かは》らないやうに、 又 痣《あざ》だとか、兎脣《みつくち》だとか、瘢《きずあと》だとか、 其他生れるや否《いな》や人に蔑《さげす》み嫌はれるやうな、 自然の汚點《しみ》ともいふべき人竝《ひとなみ》ならぬ厭《いや》な目章《めじるし》が、 かりにも其子供らの身には生れ附かぬやうに、めい/\手を別けて、 此野の露で以て、それ/\゛の寢臺《ねだい》を淨《きよ》め、 且つめでたい平和が此館の中に滿ち溢るゝやうに祝福してやれ。 さうすれば、其祝福された此館の主《ぬし》は、永久に安全に暮すことになる。 駈けて行きな、ぐづ/\してゐるな。夜が明けると、又皆な一しよになるんだぞ。

オビロン、チテーニヤ及び從者ら皆入る。パックだけ殘る。

パック
(觀者《けんぶつ》に對《むか》ひて) もし私《てまへ》ら影法師どもが、御覽に入れましたものが御意《ぎよい》に叶ひませんでしたなら、 どうか、あれは一寸此處で御一睡の間に御覽じた夢だと思《おぼ》し召して下さい、 さうすれば、御機嫌が治りまする。脆《もろ》い、たわいもない當狂言は、 ほんの夢同樣のものでございますから、どうぞ、お叱り下さいますな。 お赦免下さいますれば、おひ/\改良いたしまする。 私《てまへ》パックめは正直者でございますから、 もし幸ひに蛇の鳴き聲を頂戴しないで濟みますれば、 今に大改良を御覽に入れまする。でございませんでしたら、 パックは虚言者《うそつき》だとおつしやいまし。 では、皆樣、御機嫌ようお寢《やす》みなさいまし。 お贔屓下さいますなら、お手を戴きたうございます、 ロビンめがきッとお報ひを致します。

パック入る。


osawa@物語倶楽部 更新日:2004/12/30

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