大学の教養学科を卒業した学生ならば、以下に示すことを常に意識していなければならない。
1.ある出来事は別の出来事のまえに起こった。
歴史を学ぶこと、それは単に事件の日付を暗記するというだけのものではない。しかし、我々が物事を年代順に置かなかったら、多くのまちがいを得ることになってしまうのだ。初めて訪れた町で「408 N. 5th St.」を見つけようとしていると仮定する。この時、心ない人物が、3rd, 4th, 5th, 6th, 7th, 8thのそれぞれの通りから標識を取り去り、ランダムに並べ替えてしまったとしたらどうなるだろうか。たぶん「408 N. 5th St.」を探し出すことはできないだろう。そんなことをしたら、我々は歴史をきちんと学べるはずがないのだ。たとえば、ソクラテスがアリストテレスの教え子だったとか、その2人が聖ポールで議論していたとき、アテネではキリスト教の教祖が説教していたなどと思いこんではいけないのだ。
2.出来事はある特定の場所でだけ起こった。
アテネはもちろんギリシャの中にある。普通考えられている以上にエルサレムに近い場所にあると思うかもしれない。だが、2つの都市は互いに地中海を挟んで反対側の位置にあるのだ。言い換えると、地理学は年代学とともに歴史を学ぶものにとっての基礎となっている。時間と空間は、歴史を研究するためのもっとも基礎的な単位である。その2つが、歴史的事象のもっとも基礎的な単位だからだ。従って、我々は両方とも尊重しなければならないのだ。
ところで、ある人間がある「場所」にいるということは、ある特定の集団、社会、文化の中にいるということでもある。3世紀のキリスト教弁解者であるテルトリアヌスが「アテネとエルサレムの間に何の関係があるか。」と聞いたとき、2つの都市の間に旅行ルートがあることは否定しなかった。テルトリアヌスは地理学について話しているのではなかった。テルトリアヌスはこう主張していたのだ。ギリシャ哲学とキリスト教神学は、非常に異なった文化や世界観から生じているのだ。確かに、その違いを誇大に言い立ててまちがいを犯したかもしれない。しかし、違いがあると予想した点では正しかった。文化の違いを想定し、認識することは、「場所」に対する感覚を養うことでもあるのだ。
3.言葉の意味と定義は変化している。
我々が「virtue」という言葉を見たとしよう。この言葉は、キリスト教弁解者テルトリアヌスが、イエスの生誕から200年後に書いた文章の英訳の中にあるものだ。その後で、「virtue」という言葉をもう一度、ただし今度はギリシャの哲学者アリストテレスが、イエスの生誕の350年前に書いた文書の英訳の中で見たとしよう。さて、この2つの「virtue」は同じものと言えるだろうか。そうではないのだ。
もしもそう思わないのであれば、テルトリアヌスはラテン語で書き、アリストテレスはギリシャ語で文章を書いたのだということを思い出さなければいけない。そう、英訳されたあとに同じ言葉になったからといって、必ずしも同じ意味を指しているとは限らないのである(もし君が大学で外国語を学んでいるなら、当然知っているべきである。外国語を学んでいないとしたら――何で学んでないのかね)。
もっと大事なことは、言葉の意味は使う人の時代とか場所とか属する文化とかに依存しているということである(ポイント1と2を覚えているだろうか)。アリストテレスは、よく考えたあとで、他のギリシャ人、たとえばホメロスのような詩人から習った「virtue」という言葉の意味を、違う意味を表すものとして使っていた。テルトリアヌスなどの初期のキリスト教徒は、ギリシャ語における「virtue」の意味のうち、ある意味は拒絶し、ある意味は修正して使っていた。だから、文脈を読む以外には、ある言葉の意味を理解する方法はないのだ。つまり、その使い方に注意し、関連語を結びつけ、できる限り、言葉の歴史的背景やなんかを学ばなければいけないのである。
Lesson:速読することなく、きちんと精読しなさい。我々が英訳を使うときには、まったく不本意なことではあるが、巨大なショートカットを認めることになるのだ。その多くを突きとめるには何ができるだろうか。
Hint:教授をいらいらさせたいと思っている場合は別として、「virtue」やその他の単語の定義をウェブスターから引いてきて、歴史的文書を読み始めないようにする。
4.記録がないところに歴史はない。
歴史の専門家は、このことに学生と同じような失望感を覚えてしまう。もちろん、物事は人間が加工品を捨てたりものを書き留め始めたりする前にすでに始まっている。そして確かに、物事がかなり進んだあとであってもたどるべき記録がないことはある。だから、我々は物事をもっと知りたいと思う。記録の隙間を埋めたいとも思う。しかし、証拠がなければ結論を導くことはできないのだ。ときには、それまでの情報や専門知識から推測したり考えたりすることは可能だが、推測を事実に見せかけるなんて我々にはとてもできない。だから、学生は推測とか思考とかを試みてはならない。持っている証拠を教授に見せるべきである。
5.しかしながら、学識豊かな人々が書いた文書だけが唯一の記録ではない。
書くこと、それはすばらしい発明である。我々が別の時間の、別の場所に関して詳しいのは、人々が文字で記録を残していたからだ。そして、ある人々を個人的に知っているのも、その人が自分の考えを書き留めていたからである。文章、それはヴァーチャルな奇跡である。古代の文献が、時代を経て数多く残っていることこそ、真の奇跡と言えるだろう(それでも、下に書いたポイント7を見なさい)。
それでも、文章はひとつの大きな問題を抱えている。人間の歴史においては、長い間ほんの一握りの人たちしか読み書きができなかった。読み書きできる人々が増えていた時代においても、系統的に考えを記録するのはわずかな人たちだけがおこなう贅沢に過ぎなかった。文章で残された記録は十分すばらしいものではあるが、上に書いた事情により、ほとんどの時代や場所で、エリートによるバイアスを抱えている。
幸い、人間による加工品も、記録として考えることができる。瀬戸片、硬貨や道具、保存された穀物、発掘された小屋、埋もれた都市の廃墟(これはある文明が造ったものの最後の姿を残している)、洞穴や地下墓地の壁に描かれた絵、宝石、子供のおもちゃ、記録が残される前から数多くの世代を経て口伝えに伝承されてきた物語なども、記録とみなすことができる。普通の人々の人生を理解するために、歴史家は時として、誰も文献とは考えないようなごく平凡な書類からも多くの手がかりを引き出すことができる。歴史家は、税金の記録、法典、請求書や財産の一覧、航海日誌、洗礼の記録、奴隷競売の広告、おびえている孤独な兵士の手紙などを参照するのだ。こういったものを研究することで、歴史家は財産家や知識人や権力者といった、「歴史を作っている」と思っている金持ちや知識人や権力者たちによるバイアスを、ある程度取り除くことができるのだ。
6.歴史はたいてい複雑なものである。
結果は複数の原因を持つ
社会には善悪ともに存在している
変化は連続的に起きる
以上のことにより、歴史的な出来事とそれに対する反応に対して、相反する説明がほとんど常に成立しうるのだ。
なぜあなたは大学にいるのだろうか。注意深く考えれば、きっと5、6個は挙げられるだろう。それでは、なぜローマ帝国が興ったのか。たったひとつの原因で十分だなどと思ってはいけない! ここで我々は、500年続いた帝国について話しているのだ。ローマ帝国は多くの文化を内包しており、広大な貿易網に依存し、多くの境界線を維持しようと試みていた。新しい宗教も創られているのだ。帝国が興った理由は複数存在すべきなのだ。学者たちには、どの理由がより重要な原因となったのか議論してもらえばいいのだ。複雑さを期待すべきである。
「複合体」という言葉は、結局すべての人間にあてはまる。人間は善と悪の両方の性質を併せ持っている。想像力と愚かさも併せ持っている。寛大さと貪欲さも併せ持っている。英雄的な行動や立派な理由が、怪しげな主張の裏に隠されている。正当な主張も暴力などのいかがわしい方法によって擁護されたりしてきたのだ。歴史を勉強することは、つまりは灰色の部分をどちらかに区別する方法を学ぶことである。
以下のことを考えてみよう。ローマはいつ陥落したのだろうか。それは真の陥落なのだろうか。もちろん、西ヨーロッパにおいては、4世紀から6世紀の間に、ローマは変化していた。だが一方で、ずっと続いているローマもあるのだ。歴史には、変化も連続も含まれている。その両方を歴史から見つけるべきである。
7.神は本当に人間の歴史に介入しているのかもしれないが、そのことを文章にするのは難しいし、歴史には脚注が必要なのだ。
申し訳ないが、神が人間の歴史に介入しているというものの見方は、神学とか歴史哲学の方へ押しやるべきだ。そのような見方は、歴史における考証とは違う範疇に属している。確かに、人間の歴史を研究していると、それに対するもっと大きな問いを持たずにはいられない。哲学、文学、芸術、宗教、これらのものは、歴史研究の域を出て、歴史が意味するものへの問いに答えるための自由さを楽しんでいる。しかし、よい歴史家はみずからを歴史の記録の中に留める。歴史の記録が天上にある巻物を脚注の中に入れるまでは、神が歴史の中で実行したことについて意見を言うのを控えているのだ(ちなみに、巻物は段を持っていて、ページは持っていない)。
教養学科で受けた教育を最大限に活用することが期待される生徒は、以下に示した文も説明可能となっているべきだ。
8.記憶なしに生きようとすることは、人間性をなくそうとすることである。
私はあなたに、この文を説明するのはあなたの仕事だと言った。だが心配しないでほしい。答えを導き出す手助けはするつもりだ。記憶なくしてあなたは家族を認識できるだろうか。家を認識できるだろうか。祈りのやり方を知ったり、祈るのをやめた理由を知ることはできるだろうか。記憶なくして、まちがいから教訓を学べるだろうか。記憶なくして、友人の受け入れ方が分かるだろうか。失恋したとき愛の中に留まるだろうか。記憶がなくなっても、あなたはあなたなのだろうか。
さて、このことは家族全体、地区全体、社会全体、国全体、文明全体において、どういうことを意味するだろうか。
その答えこそ、我々が歴史を研究する理由なのだ。
9.しかしながら、我々の記憶は失われるのであるから、記憶を取り戻し、集めた記憶を検証しなければならない。
あなたは今、歴史がどれくらい重要かを知っているのであるから、家族や地区、社会、国、文明などが、その記憶の一部を自分たちに都合よく曲解したり、ゆがめたり、忘れたりする理由も頭の中に浮かんでくるだろう。実に多くのことが関係している。暴力、圧迫、不正、人種主義、性差別、その他あまり芳しくない人間行動によって、我々が今送っているような生活が形成されてきたのかもしれない。ありのままの真実は我々に、今とまったく違う人間になるか、人間性を抑制するかという理不尽な選択を強いるだろう。
だが、我々は本当に嘘をついて生きていくことを望んでいるのだろうか。もし望んでないなら、選択はひとつしかない。お互いの記憶に対して検証、議論を積み重ね、より正直な記憶を思いだしていこうとするべきである。
10.歴史研究においては、「事実」を集めるのも大事だが、過去を説明することも同じくらい大事である。
ここであなたは次のような疑問を持つだろう。「我々はどのようにして正しい事実を得るのだろう。歴史家たちは、それぞれまったく違う解釈を持っているに違いないのに。」
そこだ! よく気がついた。絶望してはいけない! よい歴史家というものは、常に過去を解釈するすべを探求する人であり、単に「事実」を収集するだけにとどまってはいけないということを承知している。よい歴史家は歴史における自分の立位置を認識するために研究を進める。つまり、歴史を自分の「居場所から解釈して」いるのだ。そして、歴史からその「出発点」――個人としての大局観や世界観――に光をあてる一方で、その「出発点」から歴史に光をあてるものなのだ。これを実り多い対話ととらえよ。対話の行方は一進一退を繰り返すだろうが、希望を持ってその先をつきつめていけばよいのだ。
そうすると、ある歴史観が正しいものだと、どうやって決定できるのだろうか。会話をすればいいのだ。歴史研究に助力を請いながら、自分の立位置を自己分析しなさい――自分の価値観、自分の信条、自分の信念、ならびに自分の権利を歴史研究から把握しなさい。そして、会話の達人になりなさい。ある時はかしこまって聴き、ある時は巧みに議論しなさい。自分の観点を検証し、変えることを躊躇してはいけないし、十分に議論を尽くす準備もできていなければならない。あなたは、両方ともすぐに実行できるようになるだろう。他の真実を怖がらなくてもいいような豊かな世界観と、最も有効な歴史的証拠によく精通した頭脳でもって、自分の位置を構築すればいいのだ。
すべての解釈が同じ価値を持つわけではない。あるものは他より説得力がある。あるものは他より支持する証拠が多い。偽物もあればウソ物もある。歴史は多くの事実を集めただけの物ではないのだが、それでも証拠は重要性を失わない。ではどのようにして分かるのだろうか。我々は歴史をどのように解釈すればいいのか。我々はよく話し、かつ話し続ける。そうすることで、決して真実にたどり着くことはないとしても、接近することはできるのだ。
大学の教養学科で「A」を取り、歴史学専攻にはいったすべての学生は、以下にあげる点を考慮した上で歴史的証拠を慎重に取り扱うことで、1から10までのポイントをすでにマスターしているところを見せるべきである。
11.歴史家にとって、因果関係を示すほかに重要なことはない。たとえ、因果関係が苦もなく証明できたとしてもだ。
覚えておいた方がいいのだが、記録には空白が存在する(ポイント4、5、9)。何を読んでいるかが正確に分かる(そう書いてあるから)こともあるし、その記憶にどんな影響があったか直感で分かることもある(突然行動方針が変化するから)。しかし、そのような例はあまり存在しない。それに、文献や出来事や、ある人について誰かが言及したとしても、そこに対象からの影響が残っているのだ。まったく別の原因が影響してはいないと誰が言えるのだろうか。あなたは大学に行く理由をすべて知っているだろうか。
それでも、我々の世界を形成している因果関係の連鎖によって、大変興味深い歴史が作られているのだ。なぜ我々は(他でもない)この種の社会に生きているのだろう。なぜ我々は未来の希望を思うのに、まちがいを犯すのだろう。それを知りたいのだ! だから我々は歴史を学び、歴史からなにか学ぼうとしているのだ。
証拠は慎重に取り扱うようにと、強く望んでいる。
12.同時発生した重大事に因果関係がうかがえるように見えることもあるが、それだけでは絶対に因果関係を証明したことにはならない。
2つのことがたまたま同時に起こったからといって、自動的にその間に関係があるということにはならない。ある出来事が別の出来事のあとに起こったからといって、必然的に先のものが後のものによって引き起こされたということにはならない。確かに、こういうパターンは興味深いし、示唆的だ。実際、記録に隔たりがあるときには、歴史家たちがみんなそうしなければならないかもしれないのだ。
だが、我々は証拠をいかにして提示するかについて慎重にならざるを得ないし、証拠の価値以上のものを要求してはいけないのだ。いいかな。
13.人類の歴史には、ときに、文化や時代の枠を超えたテーマがあるように見えることもある――が、歴史家がそれについて云々するのは、時空間に横たわる細かな差異に時間をかけて綿密に意を注いだ上でないと、越権行為にあたるのだ。
だから、ポイント1からもう一度読みなさい。何度でも読みなさい。