海の中にとある島があった。そこには、プロスペロウという名の老人と、その娘で名前をミランダというとても美しい娘が2人だけで暮らしていた。ミランダは幼い頃にこの島にやってきたので、父の顔以外に、人間の顔を見た覚えがなかった。
2人は岩でできたほら穴(すなわち岩屋)に住んでいた。そこにはいくつか部屋があって、その1つをプロスペロウは書斎と呼んでいた。彼はそこに、魔術について書かれた本などを収めていた。魔術に関する研究は、当時は研究者がこぞって愛用していたのだ。
プロスペロウが身につけた魔術の知識は、彼にとっておおいに役に立った。というのは、プロスペロウは妙な巡り合わせでこの島に打ち上げられたのであるが、そのとき島にはシコラックスという魔女によって魔法がかけられていたのである。シコラックスは、プロスペロウがこの島に流れつく少し前に死んでいた。プロスペロウは魔術を駆使して、大木の幹の中に閉じこめられていた、たくさんの善良なる精霊たちを解放したのだ。なぜ精霊たちが閉じこめられていたかというと、シコラックスのよこしまな命令に従うのを拒んでいたからである。精霊たちはおとなしい性格を持っており、解放された後はプロスペロウの意志に従っていた。その頭はエアリエルというものであった。
陽気な小妖精エアリエルは、生まれつきいたずらをするような性格ではなかった。ただ、キャリバンという名の醜い怪物をいじめておもしろがる悪いくせがあった。エアリエルはキャリバンに恨みを持っていた。キャリバンが旧敵シコラックスの息子だったからだ。
このキャリバンを、プロスペロウは森の中で見つけたのだ。あまりに奇妙でぶかっこうな代物で、その姿は猿よりもはるかに人間離れしていた。プロスペロウはキャリバンを岩屋につれて帰り、話すことを教えてやった。彼はキャリバンを親切に扱うつもりだった。しかし、キャリバンは母親であるシコラックスから悪い性質を受け継いでいたので、善いことや役に立つことを学んでいく気を持っていなかったのだ。そのため、彼は奴隷のごとく扱われた。たきぎを取ってきたり、ひどく骨の折れる仕事に使われたりした。
エアリエルは、キャリバンにこうした仕事をさせる役目をしていたのだ。キャリバンが仕事をなまけたりやらなかったりしたときは、エアリエル(彼はプロスペロウ以外には見えなかった)がこっそりやってきて彼をつねった。ときには彼をぬかるみの中に転ばした。次には猿の姿になって顔をしかめて見せた。かと思うと、ハリネズミに姿を変えて、キャリバンの通る道に転がっていた。キャリバンは、ハリネズミの鋭いトゲが自分のはだしの足に刺さりはしないかとびくびくしていた。プロスペロウが言いつけた仕事をキャリバンがさぼるといつでも、エアリアルはこんな嫌がらせをいろいろやって、キャラバンをいじめていた。
エアリエルのような力のある精霊を意のままにあやつっていたため、プロスペロウは精霊の力で風や海の波を思い通りにすることができた。彼の命によって精霊たちはあらしをおこした。その中に、今にもそれを飲み込まんとしているすざましいあらしと戦っている大きな船の姿があった。プロスペロウは娘にその船を見せ、あの中には自分たちと同じ人間がたくさん乗っているんだよ、と言った。
「お父様。」娘は言った。「もしお父様の力でもってこのような恐ろしいあらしを起こしたのでしたら、あの人たちの悲しみや苦しみを思いやって下さいまし。ああ! あの船はこっぱみじんに砕かれてしまいますわ。かわいそうな人たち! みな死んでしまいますわ。私に力があれば、海を地の底に沈めてしまえるのに。船が壊され、貴重な人命が失われるよりはましでございましょう。」
「驚くことはないのだよ、ミランダ。」プロスペロウはいった。「危険はまったくないのだ。船中だれひとり危害を受けないようにしてあるのだよ。これもおまえのためを思ってのことなんだよ。娘や、おまえは自分が何者で、どこから来たのか知らないだろう。私のことも、私がおまえの父親で、このみすぼらしい岩屋に住んでいるという以外には何も知らないだろう。この岩屋に来る前のことを何か覚えているかね? 思い出せないだろう、あの時おまえはまだ3歳にもなっていなかったんだからね。」
「思い出せますわ、お父様。」ミランダは答えた。
「何によってかね。」プロスペロウは尋ねた。「家のことかね、人のことかね。何が思い出せるのか言ってごらん。」
ミランダは言った。「遠い夢のような記憶に思えます。ですけど、私には4人か5人、女の人がついていたのではないかしら。」
プロスペロウは答えた。「そうだね、でももっといたんだ。そのことを覚えているなんて、どういうことだろうね。なぜここへやってきたのか、覚えているかね?」
「いいえ。」ミランダは答えた。「それ以上は何も覚えていませんわ。」
「12年前になるな、ミランダ。」プロスペロウは話を始めた。「そのころ私はミラノの公爵で、おまえはお姫様だった。私のたった1人の跡継ぎだったんだ。私には弟が1人いてね、名前をアントニオといったが、私はやつに何もかも任せていた。私は俗世間を離れて、研究に没頭するのが好きなたちでね、公爵としての仕事はたいていおまえの叔父、つまり私のよこしまな弟(後でそうと分かったんだ)にさせていたんだ。私は日常のことをすべてなおざりにして、本の間にひきこもって、すべての時を精神修養のために使っていた。弟アントニオは、たちまちのうちに私の権力を手にいれて、公爵であるかのようにふるまい始めた。私は弟に、私の臣下たちが弟を気に入るようにさせていたから、やつは自然と、公国を我がものにしようなどという大それた企てをたくらむようになった。その企てを、やつはすぐさま実行したんだ、強大な王にして私の敵だったナポリ王の助力を得てね。」
「ならどうして、」ミランダは言った。「その人たちは私を殺さなかったのですか。」
「娘や、」父親は答えた。「そこまでやれなかったのだよ。私のことを慕ってくれる人が大勢いたからね。アントニオは私たちをボートに乗せて、数リーグ[#注1]ほど沖に連れていき、索具も帆もマストもないような小舟に押し込んだんだ。そして海に流したんだ。そうしておけば私たちは死ぬだろうとあいつは考えたわけだ。しかしね、私の宮廷にいた親切な貴族で、ゴンザーロウという者がいたんだ。私を愛してくれててね、小舟の中にこっそりと水や食料や衣類、それに私が公国よりも大事にしていた本まで入れてくれたんだ。」
「お父様。」ミランダは言った。「お父様にとって、そのときの私はさぞお邪魔だったんでしょうね。」
「なんの、なんの。」プロスペロウは言った。「おまえは私を支えてくれた、かわいい天使だったよ。おまえが無邪気にほほえむのを見て、私は我が身への不幸を耐える気になったんだ。食料はこの荒れ果てた島にたどり着くまでもったよ。それから、私はおまえの教育に心血を注いだんだ。ミランダ、おかげで立派に育ってくれたな。」
「神のご加護がお父様の上にありますように。」ミランダは言った。「ところで、このあらしをお起こしになったわけをお聞かせ下さい。」
「では話そう。」父親は言った。「それはね、このあらしで私の敵である、ナポリ王と薄情な弟をこの島に呼んだんだよ。」
そう言って、プロスペロウは魔法の杖でそっと娘に触れた。娘はすぐに眠りについた。ちょうど精霊エアリエルが主人の前に姿を現したからである。エアリエルは、あらしを起こし、船の乗組員たちをどうしたのか報告に来たのだ。ただ、精霊はミランダの目には見えなかったので、プロスペロウは自分が虚空と話をしている(娘の目にはそう見えるのだ)のを娘に聞かれたくなかったのだ。
「さて、すばらしい精霊よ。」プロスペロウはエアリエルに言った。「仕事はどうだったかね。」
エアリエルは報告を始めた。あらしを起こし、船員たちを恐怖に陥れました。王の息子のファーディナンドが真っ先に海中に飛び込みました。ファーディナンドの父は、息子は波に飲まれて行方不明になったと思いこんでいます。
「ところが王子は無事なのです。」エアリエルは言った。「島の一隅で腕を組んでじっと座っています。そして、父王が亡くなったのを嘆いています。父は溺れてしまったと思っているのです。髪の毛一本も傷ついておりません。まことに王子らしいお姿をしています。波のせいでびしょびしょになってはいますが、以前より生き生きとしていらっしゃいます。」
「みごとだ、エアリエル。」プロスペロウは言った。「王子をここへ連れてきなさい。娘をその若い王子に会わせなければならんのでな。ナポリ王はどうした、それから私の弟は。」
「彼らは放っておきました。」エアリエルは答えた。「やがてファーディナンドを捜しに行くでしょう。もっとも、ほとんどあきらめていますね。彼らはファーディナンドは目の前で死んでしまったと思ってますからね。乗組員は誰も欠けていません。ただ、みんな助かったのは自分だけだと思っています。そして、船は誰にも見ることはできませんが、港の中で無事なのです。」
「エアリエル。」プロスペロウは言った。「君の任務は立派に果たされた。だが、まだ仕事はあるのだよ。」
「まだあるのですか。」エアリエルは言った。「思いだしてくださいな、ご主人様。あなたは私を自由にしてくれると約束なさいました。お願いでございます。私はあなたに忠実に仕えてきました。うそは全然つかず、間違いもせず、恨みも不平も言わずに仕えてきたはずです。」
「では何か。」プロスペロウは言った。「君は私がどんな苦しみから救ってやったのか忘れてしまったのか。老いと恨みで腰が二重に曲がるばかりだった、邪悪な魔女シコラックスのことを忘れてしまったのか。あの女はどこの生まれか。私に言うのだ。」
「アルジューでございます。」エアリエルは言った。
「そうか。」プロスペロウは言った。「昔君がどんなだったか話してやらなければならんな。どうやら忘れてしまっているようだから。あの悪い魔女は、人の耳に入れられぬほど恐ろしい魔術を使ったためにアルジューから追放されて、ここで水夫たちに置き去りにされたのだ。君はやさしい精霊で、シコラックスの邪悪な命令を聞かなかったものだから、あの女は君を木に閉じこめたんだ。私が見つけたとき、君は泣いていたね。こういった悲しみから私は君を自由にしたんだよ。」
「すみません、ご主人様。」エアリエルは恩知らずのように見えるのを恥じていた。「ご命令に従います。」
「それでいい。」プロスペロウは言った。「そうしたら君を自由にしてやろう。」それからエアリエルに、いろいろと命令を伝えた。エアリエルはその場を離れ、まずファーディナンドを置き去りにした場所へ行き、まだファーディナンドが沈んだ様子で草の上に座っているのを見つけた。
「おお、お若いかた。」エアリエルはファーディナンドに話しかけた。「あなたを連れていきます。ミランダ姫があなたの立派な姿をごらんになるように、あなたをお連れしなければならなくなったの。さあ、私についてきなさいな。」
そしてエアリエルは歌い出した。
五尋《ひろ》の深みに父上います
骨は珊瑚となりました
もとのまなこは今では真珠
彼の体は朽ちもせず
海の変化を体に受けて
珍奇な宝となりました
海の姫たち鐘の音鳴らす
ほら鳴らしてる―ディンドン、鐘を
別れた父親に関するこの不思議な知らせを聞いて、王子はたちまち無感覚な状態から目覚めた。王子は何も分からずにエアリエルの声がする方へとついていった。エアリエルの声は、プロスペロウとミランダのところまで王子を連れていった。そのとき2人は大木の木陰に座っていた。さて、ミランダはそれまで父親のほか男というものを見たことがなかった。
「ミランダ。」プロスペロウは言った。「向こうに見えるものはなにか、言ってごらん。」
「お父様。」ミランダは常ならぬ驚きを見せていた。「きっとあれは精霊ですわ。まあ、あちこち見回していますわ。なんてきれいなんでしょう。精霊じゃありませんの?」
「そうではないよ。」父親が答えた。「あれはものを食べ、眠り、我々と同じ感覚を持っているんだ。おまえが見ているこの青年は舟に乗っていたんだ。悲しみのためにちょっと変わってはいるけれども、さもなければ美男子といってもいいだろうね。連れを失ったので捜しまわっているんだよ。」
男というものは、みんな父親みたいにむずかしい顔をして白いあごひげをはやしているものだと思っていたミランダは、美しく若い王子の姿を見て喜んだ。ファーディナンドはというと、こんな人里離れた場所にとても愛らしい女性がいるのを見たし、先刻聞いた不思議な音からは不思議なことしか考えられなかったので、てっきり自分は魔法の島にいて、ミランダがここの女神だと思いこんでしまい、女神扱いして彼女に話しかけた。
彼女はおずおずと、自分は女神ではなく、ただの乙女であると答えた。そして自分の身の上話をしようとしたが、プロスペロウはそれをやめさせた。プロスペロウは、2人が互いにほめ会っているのを見て大いに喜んでいた。なぜならば、2人が(私たちの言葉で言えば)一目で恋に落ちたことをはっきりと見てとったからである。しかし、ファーディナンドが誠実な人がどうかを試すため、すこし邪魔してやろうと心に決めた。そこで彼は前に出てきて、王子に対していかめしい様子で話しかけた。おまえはスパイだ、ここの王たる自分の手から島を取ろうとしてここに来たんだろう、と彼は言った。
「私についてこい。首足もろともひっくくってやるぞ。海の水を飲ましてくれよう。貝とか、枯れた根っことか、どんぐりの殻を食えばよかろう。」「いやだ。」ファーディナンドは言った。「そんな扱いはうけんぞ。もっと力がある敵に会うまではな。」そして剣を抜いた。しかしプロスペロウは、魔法の杖を振って、ファーディナンドをその場で固めてしまった。そのため、彼は身動きができなくなった。
ミランダは父親にすがりついて言った。「なぜそんな手荒なことをなさるの? かんべんしてやってくださいな。私が保証に立ちます。この方は私が見た2人目の男の方です。そして、本当の男子のように私には思えるのです。」
「お黙り。」父親は言った。「もうひとこと口をきいたら許さんからな。なんということだ、いかさま師の弁護に立つとはな。おまえはこんないい男はいないと思っているが、こいつとキャリバンしか見たことがないじゃないか。いいかね、お馬鹿さん。世間の男はだいたいこいつよりもはるかに立派なんだよ、この男がキャリバンよりは立派であるくらいにはね。」この言葉は、プロスペロウが娘の誠実さを確かめようと言ったものだったが、それに対して娘はこう答えた。「私の愛情はほんとにつつましいものです。あの方以上の人に会いたいなんて思ってませんから。」
「くるのだ、若僧。」プロスペロウは王子に言った。「おまえには私に逆らう力などありはしないのだ。」
「抵抗いたしません。」ファーディナンドは答えた。そして、魔法によって一切の抵抗力を奪われたものとも知らないで、自分にとっては不思議なことに、プロスペロウの後についていかざるを得ないことにびっくりしていた。プロスペロウについていきながら、見えなくなるまでミランダをふりむいて見ていた。その後、プロスペロウについてほら穴に入るときにこう言った。「私の心はしばりあげられてしまって、夢の中にいるみたいだ。だがこの人の脅迫も、私の感じる無力感も、この牢獄から一日一回あの美しい少女を見られるなら、些細なものになるだろう。」
プロスペロウはファーディナンドを長いこと岩屋に閉じこめてはおかなかった。すぐ囚人を連れだし、厳しい仕事につけ、そして自分が言いつけた仕事を娘が知るように配慮しておいて、書斎にひっこむふりをして、ひそかに2人を見張っていた。
プロスペロウはファーディナンドに、重い丸太を積み上げるよう命じておいた。王の子どもたちは一般に労役には慣れていないものである。だから、ミランダはほどなく、愛する人が疲労のあまり死にそうになっているのを見つけたのである。「ああ!」彼女は言った。「そんなに仕事をなさらないで。父は研究に没頭しています。3時間くらいは大丈夫ですから、どうかお休みになって下さいな。」
「ああお嬢さん。」ファーディナンドは言った。「そんなことはできません。休む前に仕事を仕上げなければなりません。」
「あなたがお座りになったら、」ミランダは言った。「その間私が丸太を運びます。」しかしファーディナンドはこの申し出を受けようとはしなかった。助けどころがミランダは邪魔になった。2人は長話を始めて、薪運びの仕事はとても手間取ってしまったのだ。
プロスペロウは、その仕事を愛情の試練として命じただけだった。彼は娘が想像したように読書をしていたのではなくて、2人のそばに立っていて、隠れて話を立ち聞きしていた。
ファーディナンドは彼女の名を尋ねた。ミランダは、それは父の命令に背くことになるのですが、と言いながらも名前を教えた。
プロスペロウは娘が自分の命令に背いた最初の実証を見てただほほえんでいた。自分の魔術によって、娘が突然恋に落ちるようにしたので、自分の命令に従うのを忘れて愛情を示しているのを見ても怒る気にならなかったのである。そしてプロスペロウは、ファーディナンドの長い話を喜んで聞いていた。その中でファーディナンドは、これまで会ったどの女性よりも、あなたのことを愛していると告白した。
世界で一番君が美しいという、ミランダの美しさに対する賛辞に対して、彼女はこう答えた。「私は女性の顔を覚えていませんし、お友達であるあなたと私の父のほかには男の人に会ったことがありません。よそでは人の姿がどんなだか私は存じません。ですが、本当のところ、私はこの世の中であなたのほかに友だちはいりませんし、あなたのお姿のほかに私の好む姿を想像することもできません。おや、私はあなたに遠慮なく話しすぎましたわ。父の教えを忘れてしまいました。」
これを聞いてプロスペロウは笑みを浮かべてうなずいていた。その姿はまるで「これで私の思うとおりになるな、あの子はナポリの王妃になるだろう。」と言わんばかりだった。それからファーディナンドは、立派な長々しい言葉で(若い王子などというものは、お上品な文句で話すものですから)無垢の心をもつミランダに、自分はナポリの王位を継ぐものであり、あなたに王妃になってもらう、と言った。
「ああ、あなた!」ミランダは言った。「私は馬鹿ですね、嬉しくて泣いてしまうなんて。飾り気のない単純な気持ちでお答えいたします。結婚して下さるなら、私はあなたの妻ですわ。」
プロスペロウは2人の前に出てきて、ファーディナンドの謝辞をさえぎった。
「心配は無用だよ、我が息子よ。」彼は言った。「私はすべて聞いていたよ。そして君の言ったことをすべて承認しよう。それからファーディナンド君、もし私が君に厳しくあたりすぎたなら、十二分にその償いをするよ、娘を君にあげることでね。君の苦痛はみな愛情を試そうとしたことなんだ、そして君は立派に試練に耐えた。君の真実の愛が堂々と勝ち取ったんだから、私からの贈り物として娘をめとってもらいたい。この娘《こ》は言葉で言えないくらいすばらしい娘だと自慢するのを笑わんでくれ。」それからプロスペロウは、行かなければならない仕事があると言い、2人に、腰を下ろして自分が帰るまで一緒に話していてほしいと頼んだ。この命令には、ミランダも喜んで従う気になったようだった。
プロスペロウは2人のところを離れ、精霊エアリエルを呼んだ。エアリエルはすぐ前に出てきて、プロスペロウの弟とナポリの王とをどうしたか、熱心に話した。
彼は、2人は自分がいろいろ不思議なものを見せたり聞かせたりしたことで、気も狂わんばかりになっています、と言った。2人がさまよい歩いて疲れきり、食料がなくなって飢えていたところに、彼は突然立派なごちそうを並べ、それを2人が食べようとしたときに、翼の生えたどん欲な怪物ハーピー[#注2]の姿で目の前に現れた、するとごちそうは消えてなくなった。2人はとても驚いたのだが、このハーピーと見えた怪物は2人に話しかけ、プロスペロウを公国から追い出し、彼とその幼い娘とを海の中に置き去りにして殺そうとした残虐ぶりを思い出させた。そして、そのためにこういう恐ろしいことで2人を悩ませてもいいのだ、と語った。
ナポリの王と不実の弟アントニオは、プロスペロウに与えた仕打ちを悔いた。エアリエルは主人に、2人は確かに心から悔い改めていた、自分は精霊だけれども、2人に同情せずにはいられなかった、と語った。
「それなら2人をここに連れてきなさい、エアリエル。」プロスペロウは言った。「もし君が、精霊にすぎないのに2人の苦悩に同情するんなら、2人と同じ人間である私が2人をあわれまないでいられようか。つれてくるんだ、すぐにな、やさしいエアリエルよ。」
エアリエルはすぐに王とアントニオと、2人についてきた老ゴンザーロウをつれて帰ってきた。彼らは空中で鳴り響く風変わりな音楽を不思議に思ってついて来たのだが、その音楽こそ、エアリエルが主人のところへ彼らを連れてくるために奏でたものであった。このゴンザーロウは以前、悪い弟がプロスペロウを、甲板もない小舟の中に押し込めて海に追放しよう(彼はそう思った)としたときに、親切にもプロスペロウに本や食料を差し入れてくれた、その当人であった。
悲しみと恐怖に彼らの感覚は麻痺していたので、みんなプロスペロウが分からなかった。プロスペロウはまず善良な老ゴンザーロウに自分の身分を明かし、ゴンザーロウを命の恩人と呼んだ。そのとき弟と王は、彼がひどい目にあったプロスペロウだと気づいた。
アントニオは涙ながらに、悲しみと真実の改心とをこめた悲痛な言葉で兄に許しを乞うた。ナポリ王はアントニオが兄を退ける手助けをしたことに対して、心から悔やんでいることを明らかにした。プロスペロウは2人を許した。そして、2人が彼の公国を返還する約束をすると、ナポリ王に言った。「私もあなたに差し上げる贈り物を用意しています。」そして扉を開き、ミランダとチェスをしているファーディナンドを王に見せた。
思いがけない再会に、父と子とはこの上なく喜んだ。互いにあらしの中で溺れ死んだと思っていたのだから、当然といえよう。
「まあ、不思議なこと。」ミランダは言った。「とても立派な人たちがいますわ! こんな人たちが住んでいるところはさぞ素晴らしい世界なんでしょうね。」
ナポリ王は、ミランダの美しさと、とても上品な雰囲気をただよわせていることに、息子同様びっくりしていた。「この娘はどなたですか?」王は言った。「この方は我々を引き離し、再び会わせてくれた女神のようだ。」
「ちがいますよ。」ファーディナンドは答えた。彼は父が、自分が最初にミランダを見たときにやった同じ間違いに陥ったのを見て笑っていた。「彼女は人間ですよ。神の摂理によって私のものとなったのです。父上、あなたのお許しを得られぬままに、私は彼女を選びました。あなたが生きているとは思わなかったからです。彼女はここにおられるプロスペロウ様のお嬢さんなのです。プロスペロウ様は、ミラノでも有名な公爵なのです。御高名はかねがね耳にしておりましたが、今日までお目にかかったことはありませんでした。この方から私は新しい命を頂きました。自ら私の父となってくださり、お嬢さんを私にくださったのです。」
「では私はこの人の父親となるのだな。」王は言った。「ああ、おかしなことになってしまったな、我が子に許しを乞わねばならんとはな。」
「もうやめにしましょう。」プロスペロウは言った。「過去のいざこざは忘れることにいたしましょう。万事めでたく終わったのですから。」それからプロスペロウは弟を抱き、重ねて確かに許したと確言した。そしてこう言った。すべてをつかさどる摂理の神が、自分がミラノの貧しい公国から追放されることを許したもうたが、それは我が娘がナポリの王位を継ぐためだった。2人がこの無人島で出会ったからこそ、ナポリ王の息子がミランダを愛するようになったのだから。
このようなやさしい言葉がプロスペロウの口から、弟を慰めようとして語られるうちに、アントニオの胸は恥と悔いとでいっぱいになり、何も言わずに泣くばかりだった。親切な老ゴンザーロウもこのうれしい和解のさまを見て涙にくれ、若い夫婦のために祝福を祈った。
さて、プロスペロウは、一同に向かってこう言った。あなた方の船は無事に港の中にあります、乗員もみな船の中にいます、自分も娘も、次の朝みんなと一緒に国へ帰ります。「とにかく、貧しい岩屋にあり合わせの食べ物を召し上がってください。今夜のもてなしとして、この無人島に上陸してからの私の身の上話をいたしましょう。」それからプロスペロウは、キャリバンを呼んで食事を用意させ、岩屋を片付けさせた。一同はこの醜い怪物の異様な格好と野蛮な顔つきに肝をつぶしたのだが、(プロスペロウに言わせると)キャリバンはプロスペロウに付き従うただ1人の従者なのだった。
プロスペロウは島を去る前に、エアリエルを自由の身にしたので、あの元気のいい小さな精霊は大喜びした。エアリエルは主人には忠実に仕えてきたのだけれども、自由気ままに空を飛びまわったり、野鳥のように緑の木々の下やおいしい果物やかおりのいい花の間を飛んだりする自由をいつも欲しがってきたのだ。
「かわいいエアリエルや。」プロスペロウは小さな精霊に暇を与えるときにこう言った。「君がいなくなると寂しいけれど、自由の身にしてあげよう。」
「ありがとうございます、ご主人様。」エアリエルは言った。「ですが、あなたの忠実な精霊のお手伝いに対しておさらばをおっしゃる前に、あなたが帰国なさる船に追い風を差し上げましょう。その上で私が自由の身になったら、私も本当に楽しく暮らせますでしょう。」ここでエアリエルはこんなかわいい歌を歌った。
みつばち蜜吸や わたしも吸うよ
九輪草の花で 私は寝るよ
ふくろが鳴くなら 丸くなろ
こうもりの背に またがって、
夏のあとをば 楽しく追うよ
おもしろおかしく わたしは暮らす
枝にかかった 花かげで
それからプロスペロウは、魔法の本と杖とを地中深く埋めた。もう二度と魔法は使わないことにしようと決心したからである。こうしてプロスペロウは敵に打ち勝った。弟やナポリ王と和解した今、幸せの仕上げとしては、ただ故国に帰り、公国を所有し、娘ミランダと王子ファーディナンドとがめでたく結婚するのに立ち会うだけだった。ナポリ王は、ナポリに帰りしだい即刻盛大な結婚式をとりおこなうつもりだ、と言った。精霊エアリエルの警護のもと、一同は、愉快な航海を終えて、ほどなくナポリに到着したのである。
[#注1]距離尺。英米では約3マイル。だいたい4.8km。
[#注2]上半身が女で、下半身が鳥の翼とつめをもった貪欲な怪物。
この物語は、The Tales from Shakespeare:Designed for the Use of Young People(若き人々のためのシェークスピア物語)と題して、1807年に出版された本の中の一遍です。この本の著者はCharles&Mary Lamb(C&M.ラム)ですが、下に挙げた本の解説には、THE TEMPESTはMary Lambの執筆となっていたので、作者をMary Lamb単独にしました。
この翻訳は、旺文社英文学習ライブラリー10「真夏の夜の夢他」(昭和38年3月15日初版発行)より、THE TEMPESTを翻訳したものです。原文が、作者が書いたままだということで、原文に関しては著作権がすでに切れていると判断しました。なお、翻訳の際には上記本についていた対訳および注記を参考にさせていただきました。
一部《》によってルビをふってあります。
【訳者あとがき】
まずはじめに、翻訳に関してkatoktさんに指摘を頂いたことを感謝します。
この作品も、シェイクスピア物語の一遍として執筆されたものです。日本でも有名な作品の1つみたいで、原作の訳も岩波文庫などに存在しています。
しかし、私がこれを訳してみようと思った動機は、この作品が欧米でいろいろ改作されているそうだという情報を得たからです。その議論を一通り読んでみた後で改めて考えてみると、ミランダがプロスペロウの公国奪取の手段にしかすぎない、とか、プロスペロウ=侵略者・シコラックス=先住民・キャリバン=奴隷化された先住民という図式が見えてくるときもあります。
ヨーロッパ人の潜在意識を考察する際のテキストの1つとして、このテンペストの原作にはやはり現代的な意義があると思います。その筋だけでも把握しておくことはやはり大事なのではないでしょうか。
まあ、そんなことを考えなくても、シェイクスピア劇の1つとしても結構楽しめるのではないでしょうか。
2001.1.11
原作:THE TEMPEST(TALES FROM SHAKESPEARE)
原作者:Mary Lamb
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この版権表示を残すかぎりにおいて、商業利用を含む複製・再配布が自由に認められる。プロジェクト杉田玄白正式参加テキスト。
翻訳履歴:2001年1月14日,翻訳初アップ。
2001年2月4日、katoktさんの指摘を反映。正式版へ。
2001年4月12日、プロジェクト杉田玄白正式参加。
代表:sogo(sogo@e-freetext.net)