馬車と徒とが行き着いた先は、庄屋の屋敷だった。
すでに披露宴は始まっていた。狭い広間に、精一杯に着飾った農民達と、肘のてかった礼服を着た貧乏貴族達がすし詰めになって、祝いの馳走をむさぼっている。
新郎と新婦をおだてる言葉が飛び交っているが、その客達の声が必要以上に大きい。
新郎新婦以外の者に、自分がこの新しい夫婦に祝福を送っているのを認識して欲しい……そんな、すこぶる必死な訴えにも聞こえた。
エル・クレールは小さく息を吐いた。
『公都の宮殿よりも、豪奢かも知れない。掃除の行き届き加減は別として……』
窓枠に積もった埃をしげしげと眺めた後、彼女はちらりとブライトを見た。
大人という生き物が、ビスクドールのような笑顔を振りまいている。
その強ばった笑顔のまま、
「で、絵に描いたような美少年はどいつだ?」
彼は彼女に尋ねた。
問われて、彼女は辺りを見回した。
絵の通りの人物を捜しても、おそらく見つからないだろうというのは、さすがに判っている。似たような風貌の者を探す気にもならない。
ただ、新婦の方は実物を見たことがある。
目当ての人物は、狭い人集りの中の、一番密度の低いところにいた。
亜麻色の髪を引っ詰めに持ち上げた、漆喰色の顔をした若女将は、ふくれっ面でおしろいにひび割れをこしらえながら、ひな壇の上に座っていた。
ハンナの隣には、バラ色の頬、サクランボの唇、金の巻き毛の、ぷっくりと太った若者が座っている。
若者はもとより麻糸のように細い目を絹糸の太さにして、実に嬉しそうに笑んでいた。
「わりといい男だな。酒樽一つ分ぐらい目方を減らせば、の話だが」
「そうですね。肖像画に施されていた修正も、その部分だけの様子です」
「『お宅のお姫様』は、縁談を断って失敗だったかもなぁ」
ブライトの笑みから、型押し人形の堅さが消えた。ただし、嫌味とやっかみと冷やかしとがたっぷりとまぶされている。
「問題は新郎ではなく岳父殿にありますから」
愛想笑いで応じたエル・クレールは、カリストの背後にいる、でっぷりとした人物に視線を投げた。
ショコラ色の髪とテンピン油で固めたような口ひげが、ヌメヌメと光っている。深くシワを刻み込んだ額もまた、脂ぎった光を反射していた。
線と星とがびっしりと刻まれた襟章も、心臓の上をみっしりと覆う勲章も、十本指全てにぎっちりと巻き付いた指輪も、皆、ギラギラと輝いている。
仰々しい装飾を施したこの軍人が、エル・クレールにはできの悪いピサンカに見え、思わず顔をしかめた。ブライトも
「まぶしいオヤジだな」
小さく言い言ったが、さすがにそれを顔には出さず、件の焼き物のような笑顔で、ゲニック准将に深く頭を下げて見せた。
准将はしばらく訝しげに視線を返していたが、その怪しい大男のすぐ側に高名な錬金術師の姿を見つけると、
「シィバ先生! おお、我が師よ」
大太鼓が響くような歓喜の大声を上げた。
「やれやれ。わしはあんな弟子を持った覚えはないのじゃが」
老人はあきれ顔でつぶやいた。
脂ぎった壮年の軍人の耳に、このつぶやきは聞こえなかった様子だった。彼は大きく腕を広げ、人並みを押し広げながらシィバ老人に駆け寄った。
すると新郎新婦の回りにあった人垣が、ゲニック准将に引きずられ、彼を中心にしたまま移動した。
本来結婚披露宴の主役たるべき若夫婦は、その宴の外に放り出され、取り残された。
ゲニック准将は人々を引き連れたまま……しかしその人々を完全に無視し……老錬金術師に飛びつき、老木の幹のような細い身体を抱きしめた。
「先生が来てくださるのを待っていたのですよ」
准将閣下はエル・クレールとブライトが反射的に耳をふさぐほどの大声を出した。
それが感嘆だけであったなら、まだ我慢がもできよう。しかしこの男は地声から大きいのだ。
「見て下さい! 私の息子と、その妻を! 呑んで下さい、食べて下さい、語って下さい、楽しんで下さい!」
高笑いする声までも、調度品が震え、埃が舞い上がるほどに大きい。
シィバ老人も耳の穴に指を突っ込んだ。
「おぬしに頼まれていた件で、ちいと込み入った話がしたいんじゃが?」
ゲニック准将は全く声のトーンを変えずに、
「それは、我々の任務を代行してくれる者を推薦して欲しいという、あの件ですか?」
「それ以外におぬしから頼まれ事はされておらんよ」
老人は耳の穴から指を引き抜き、爪の先に付いた老廃物を拭いて飛ばした。
「それで先生のお眼鏡に適った者たちというのは?」
大声の末尾が消える前に、シィバ老人は杖の石突きを左右に振った。
軍人は最初、エル・クレールに目を注いだ。
不審、と言うより、ある種侮蔑の色が濃い視線だった。
が、シィバ老の
「人を見かけで判じてはいかんぞ」
というもっともな声を聞くと、あっさりと視線の向きを変更した。
ブライトを見るゲニック准将の目の色は、エル・クレールを見ていた時とは明らかに違っていた。
「軍属か、それとも傭兵か?」
期待にうわずった声で言う彼に、ブライトは、
「さて、どちらでもないようで」
再び硬質な笑顔に戻って答えた。
「だがその筋肉の付き方は農夫風情にはありえんぞ」
准将はブライトの両肩を強く叩いて言った。その言葉に、エル・クレールは思わず
『なんて愚かな人だろう』
声を上げそうになった。
確かに、農民と軍人・騎士では筋肉の付き方が違う。身体の動かし方が違うから同然の事だ。
だがゲニック准将の言い方は、
『農民よりも軍人の方が優れていると考えているとしか思えない口ぶり』
だった。
しかし彼女はそれを口に出すことをためらった。思ったことを思ったままに口にし、表に出せば、おそらくは、
『またこの人に子供扱いされる』
だろうからだ。
エル・クレールは、ちらりとブライトの顔を見た。
彼は唇の左側だけを引きつり上げていた。
「そうですか? 自分としちゃぁ、剣術の得意よりも鋤鍬の上手の方が尊敬できるんですがねぇ」
もとより不自然な作り笑いが、輪をかけて奇っ怪に歪んでいる。
エル・クレールは胸の支えが落ちた気がした。しかし同時に、不安が増した。彼の正論と言うべき嫌味に軍人がどう反応するか、気がかりだだった。
目玉だけを、ゲニック准将に向けた。
「異形狩りができるのなら、柄物は何でもかまわぬよ」
准将は相変わらずのゆで卵面で笑ってる。
ブライトの……エル・クレールも……胸焼けのような憤りに気付いていないのか、あるいは承知して飲み込めるほどの人物なのか、判断が付きかねる。
「まあ、この人混みでは落ち着いて話もできませんな」
その人混みを引き連れて歩いている本人が高笑いして言うので、エル・クレールもブライトもそしてシィバ老人も、内心あきれ果てた。当人の方と言えば、そんなことはお構いなしで、
「ハンス、悪いが仕事ができた。まあ、適当に続けてくれ」
大声を響かせながら、広間の出口へと向かって歩き出している。
付いて来いと言う事なのだろう。
本来の主である庄屋のハンスが、米搗バッタの様相で飛び出して来、交通整理とドアボーイの役目を請け負った。
一行が廊下に出、ドアが閉められると、広間の中は急に静かになった。