「半月ほど前に、あの忌々しくも神々しい火山が少々揺れおったから、少しばかり心配しとるんじゃよ」
首根っこをつまみ上げられた子猫のような姿勢で、老人はにっこりと笑った。
エル・クレールはその屈託のない笑顔から顔を背けた。
「大公……ご一家は……」
「死んだよ」
小さくふるえる声を、ブライトの低い声がかき消す。
突き放すような冷たい事実。クレールはぎゅっと口をつぐんだ。
ブライトはつまみ上げていたシィバ老人を解放すると、彼のひからびた顔をじっと見た。
老人は老いに負けて垂れ下がった瞼を吊り上げた。白く濁った瞳が驚愕が泳いでいる。
「火山……ではあるまいな? 火口からは煙ばかりで火柱一つ見えなんだぞ」
「勢い余って横っ腹に新しい火口を作る火山だってある」
「しかし、何事もこちらに伝わってこぬのは解せぬぞ。いくら小さな国とは言え、一人の生き残りも居らぬはずがない。惨事があったなら、誰かが近隣にふれて回ろうが」
「俺があそこに着いたときには、もう生きた人間はいなかった。こいつも半分『死人』になりかけてた」
太い親指が、エル・クレールを指した。当然、老人の視線はその指先を追う。
大理石よりもなお硬く白い顔をしていた。
唇も瞼も震えるばかりで、開くことを忘れたようだった。
魂を失った生き人形に何を聞いても答えないと悟った老人は、仕方なしに再度ブライトを見上げた。
「それで、おぬしは公都で何をどれほど斬って捨てた?」
ブライトは答えず、沈んだ目で老人をにらみ返した。
「さっきの戦いぶりを見れば判るわい。エル坊はアームを扱いあぐねていたが、おぬしは手足以上に使いこなしておった」
老人が杖の先を小さく動かした。古びたその指揮棒の指示に、手袋もどきの疑似ホムンクルス達は忠実に従って、倒れた椅子を立て直した。
ブライトはしばらく椅子をにらみ付けていたが、やがて押しつぶさんばかりの勢いで座り、座面の上で胡座をかいた。
「死んだことに気付いていない死体共を少し、未練たらしい死に損ないを少し、そいつらに取憑かれた死にかけを一人」
そう言うと彼は、腰の革袋から石ころを三つ四つ取り出して、テーブルの上に投げた。
石ころは親指の頭ほどの大きさだった。大きさも形もいびつで不揃いだったが、色だけは揃って夕陽のような鮮烈な赤だ。
その赤い輝きに、うつむいていたエル・クレールの暗い目が、いっそう暗くなった。
「こりゃまた、半端で弱々しい魂よのう」
「じいさん。あんまり直截に言うと、こいつが苦しむ」
ブライトは視線だけでエル・クレールを指した。
「そいつらは、こいつの見知りおきだ。で、こいつが、そいつらがそんな姿になった原因でもある」
「ほう?」
「こいつはあの土地での多分唯一の生き残りだ。どうしても守ってやりたかったんだと、『これ』が末期に言っていた」
彼は、いくつかの小石アームの中で一番大振りな物を小指の先でつついた。
「じゃが、これでは弱々しすぎて役に立たぬ。第一、知らぬ者が見てはこれを【アーム】だとは気付かぬだろうの」
そう言うと、老人はやおら小石アーム達を一つかみに握った。
「弱い者には弱い者なりの力がある。協調、団結、協力」
祈るような口調で老人が言うと、逆の手に握られていた杖の、赤い飾り石がかすかな光を発した。
老人が手を開いたとき、掌には赤子の拳ほどの真球があった。
「大きな一つを散らせ、小さな複数を集める。これがわしの……と言うよりは、わしと共にあるアーム【隠者】の力じゃよ。整理整頓の役には立つが、それ以外のことはできんでな。
お主らの嫌いな軍部やら政府やらから『人鬼退治』なんぞという無理難題を申しつけられたら、それができる者を探すより他は術がないと言う訳じゃて」
老人は、小振りの赤い珠をエル・クレールの前に置いた。
「この弱い魂達は、己を何であると名乗っておるかね?」
彼女の後頭部に、肩を寄せ手を取り合っている人々の固い絆が浮かんだ。
「【聖杯の三】」
「なるほどの」
老人はにたりと笑うと、【聖杯の三】をブライトの胸元に押しつけた。
「お主が不要と思っても、エル坊には通行手形や鑑札が必要じゃよ。この細っこい脚では、お主のように裏道抜け道は歩けぬよ」
ブライトは渋々そのアームを受け取ると、元の腰袋にねじ込んだ。
「ずいぶんと余計な世話を焼いてくれるもんだな」
「世話焼きついでじゃ。今すぐにお主らをゲニック准将に引き合わせてやるわい」
歩く手袋を一個師団引き連れた老人は、粗末なドアを開け放ち、出て行った。
彼の向かった先は崩れかけた馬小屋だった。乾燥しきった敷き藁の上に、甲冑を着込んだポニーが一頭、ぴくりとも動かず寝そべっている。
老人がポニーの背中を覆う鉄板を持ち上げると、ホムンクルスもどき達が大挙してその「中」に入っていった。
手袋一個師団がすべてポニーの腹に収まったのを確認し、老人は「蓋」を閉める。ポニーの腹の中から金属や木片の歯車がきしむ耳障りな音がし始めた。
やがて、獣臭も暖かみもまるでしない馬が、ゆっくりと立ち上がった。
エル・クレールとブライトの脳裏には、狭苦しい入れ物の中で装置を操作する、手袋達の甲斐甲斐しい姿が浮かんでいた。
「良くできたからくり人形だな」
「初めはボデーに本物の馬の皮でも貼り付けてやったんじゃが、そうすると逆に紛い物に見えてくるで、止めた。死んだ皮では生きた姿を表現できん。難しいものよのう」
妙に楽しげに老人は言う。
ポニーは自分で馬小屋を出ると、自分で馬具を一人乗り戦車のような屋根のない馬車に繋いだ。
「それほど遠くはないのじゃが、年を取ると歩くのもおっくうになってイカン」
老人が馬車に乗り込んで小さな椅子に座ると、馬は独りでに歩き出した。
「ゆるりと行くでの。まあ、それほど速さの出せぬからくりじゃがな」
車輪はしめった土埃を巻き上げながら、細い農道を進む。老人の言うとおり、歩く程度の速度であった。
エル・クレールはあわてて馬の後を追い、数歩駆けたところで振り向いた。
不機嫌顔のブライトが、ゆっくりと大股に歩を進めている。
おかしな事に、彼は歩きながら強ばった頬をつねったり引っ張ったりしていた。
やがて、エル・クレールが自分をいぶかしげに見ていることに気付いた彼は、
「ご婚礼のお祝いの席だっていうなら、それでも愛想笑いぐらいはしないといけねぇだろう?」
苦しそうな笑顔を浮かべた。
「おまえさん見たいに好きに笑ったり怒ったり拗ねたりできないのが、大人って生き物の悲しさでね」
「まるきり私を子供扱いするのですね」
「子供だろう?」
そう言ったブライトの目は、どこかうらやましげだった。