「現場」に着いたとき、ブライトはエルを抱えていなかった。
「だから、グーは止めなさいって、おにーさん口酸っぱくして言ってるでしょ」
頬桁をこすりながら、それでも鼻の下は伸びたままで、ブライトは森の中を見回した。
「結局、あなたも私を愛欲の対象としか見ていないようですから」
下唇を突き出し、エルも辺りを見回す。
「愛欲じゃなくって、愛そのものさ」
風はない。しかし、枝葉がこすれ合う音がする。
「どう違うのですか？」
エルは瞼を閉じると、左の腰に右手を置いた。
「相手に求めるのが愛欲。相手に与えるのが愛」
ブライトは耳を澄ましながら、両掌を組んだ。
「あなたに何か与えてもらった覚えは、ほとんどないのですけれど？」
「んじゃ、これからやる」
込み合った木々の枝を見上げ、ブライトは叫ぶように唱えた。
「親友達よ！ お前達の赤心、今借りる！ 来い、【恋人達】 ！！」
両掌が輝いた。二筋の紅い光が、あふれ出す。
刹那。
エル・クレールの背後に忍び寄っていた「人でないもの」が、崩れ落ちた。
その死骸は、巨大な麦を刈る鎌を携えていた。
「作戦ミス、だ。あの連中は数珠繋ぎにして、ムラまで引っ張ってくべきだった」
紅く輝く雌雄一対の「剣」を手にしたブライトは、大きくため息を付いた。
悔しそうである……無駄な犠牲者が出てしまった。
「仕方がありません。彼らがフリッツ＝オフターディンゲンの縁者だとは、思いませんでしたから」
「慰め、ありがとよ」
「どういたしまして」
エルの閉ざされていた瞼が開いた。
「我が愛する正義の士 よ。赫 き力となりて我を護りたまえ！ 【正義】 ！！」
エルの右手が、剣を引き抜くように動いた。紅い輝きが一条、きらめいた。
逆袈裟に、一閃。
頭上から落ちてきた「人型のもの」は、刃こぼれした剣を掴んだまま、大の字に倒れた。
炎のようなサーベルを構え、エルは周囲に気を放った。
「奇妙です」
「ああ。グールの気配はウジャウジャするが、『本体』が近くにいね……え！？」
エルとブライトは、同時に後方へ飛び退いた。
倒したはずのグール２匹が、動いたのだ。
それも、人間の形状を全く失ってだ。そいつらは熟れすぎたトマトかゼラチンを引きずるかのようにな頼りなさで、一方向に、同時に、２人の足下から遠のいてゆく。
しかし、ブライトは別の気配を感じていた。
「近づいて来る……。バカでかいが、グールだ」
気配は、２つの「固まり」が動いてゆく方向から、やって来る。
「嘘、だろぉ、おい！！」
その方向には、巨人がいた。
人の体がブロックのように組み合わさってできている。
肩に頭があり、そこから伸びた体で、二の腕ができている。
足は、腿が１人、膝下が１人。
体の部分の胸筋のように見えるのは、２つの人の背中だ。
ずるずると動いた２つの「固まり」は、その巨人のつま先に張り付くと、ナメクジのように表面を這い登り、両の肘先に着いた。
その３ｍ近くある「腕」を、巨人は大きく振り上げ、振り下ろした。
木々が折れ、地面に穴が開いた。
だが、エルとブライトは、楽に攻撃を避けることができた。
この合体グールと呼ぶべき物体は、力はあるが、動きがひどく遅い。
鈍い、と言うよりも散漫なのである。今ひとつ「統率」がとれていないようだ。
「８人」
エルが息を呑んだ。
この場所の木に縛り付けておいた員数か６人。ムラから出ていったのが２人。
「頭に当たる部分が……無いのは、何故？」
クレールは声を震わせた。ブライトが、
「部品が足りなくて作れないか、あるいは……」
そこまで言って、思わず、顔を見合わせた。
そして同時に
「オーガ本体！」
叫んだ直後、２人は走り出していた。
目指す先は、先ほどのムラである。
巨大なグールが２人を追ってくる。しかし、やはり遅い。
それどころではない。急ぐあまり、手足がてんでに動きだし、ついにはバラバラになってしまった。
崩れた「部品」達は、もはや動かなくなっていた。
