いにしえの【世界】 11
連れの男装娘があきれ顔で自分を見ていることに気付いた彼は、大袈裟に肩をすくめてみせた。
「くわばらくわばら」
大柄な、どこからどう見ても「腕っ節は良いが素行の悪そうなフリーランスか浪人」という風体で、実際腕の立つ剣士でもあるブライトが、小心な振る舞いをするのは……回りの者にはどう見えるか知れぬが……エルには随分と不自然なポーズに見えた。
とはいうものの、こうした不自然をこの男は平気でするということを、彼女はまた十分理解している。
良くないこと、つまり、人をからかったりおちょくったり、あるいは人でないモノを騙し討ちにしようと言うときに、この男はこういった「振り」をするのだ。
つまりブライト=ソードマンという剣客は、時として自分の力量を隠したがる「悪癖」を持っているのである。
おかげで相手は油断して掛かり、結果としてからかい倒されて散々な目に遭うか、あっけなく肉体を四散させられることとなる。
彼は背中を丸め、大きな体をテーブルの上に身を縮めると、指先でエルに耳を貸せと合図を送る。
彼女は身を乗り出させて、彼の口元に耳を近づけた。
「アレは食わせ者だぜ。後学の為に近くに寄って見物した方がいい」
周囲をせわしなく見回しながら、彼は小声で言った。端から見れば、小心者がうわさ話をしているように見えただろう。
「酷い人。あの男も、あの貴族も、両方をからかうおつもりなのですね」
エルは断定的に言う。ブライトは一瞬だけ唇の端に図星の笑みを浮かべると、すぐさま作り物の怯え顔に戻った。
「おまえさん、俺をどれだけ性悪だと思ってるンだ?」
「あなた自身が気に入らない者に対しては、この世で一番の悪党になりうる方だと信じて疑いません」
「お褒めにあずかり恐悦至極」
彼は目の奥に悪戯な光を光らせた。そっと立ち上がると、背中を丸めて争乱の中心に向かって忍び足を進める。
「何が楽しくてああやって人をからかうまねをしたがるのだろう」
エルも立ち上がった。ただし、ブライトのようにこそこそした「振り」はしない。
むしろ、いざとなればもめ事の仲裁に入ろうかという、いかにも騎士道的で士大夫然とした様の血気盛んな若者の風に、胸を張って歩いた。
さて。
人垣の向こう側の人々はどうしているであろうか。
何か騒ぎが起きるだろう、良くないことが起きるに違いない……周囲の人々は興味と無関心の綯い交ぜになった視線を、件の男と貴族達に投げかけている。
髭のない帽子の貴族は赤い唇を笑みの形にしてはいるが、落ちくぼんだ暗い瞳の中にはそれがない。
一方若い貴族の目は、試合開始の銅鑼を待つ決闘士さながらの火を噴くような鋭さで男を睨め付け、刀の柄を握りしめている。
小柄ではしっこそうな男は、客受けの良さそうな笑顔を崩すことなく、むしろ大きくふくらませている。
彼は喝采を浴びるソリストのように大きく両手を広げ上げた。
「閣下、ようこそおいで下さりました。ああ、大変申し訳ないことです。まさか本日お着きとはつゆほども知らずにおりました。あらかじめこちらから伺おうといたしておりましたのですが」
「何の話だ!」
大声を出したのは若い貴族の方だった。
今にも飛びかかりそうな彼を、帽子の貴族は指一つ動かしただけで制止する。
「卿は、我らを知っていると申すかえ?」
赤い唇が甲高くざらついた声を出した。小柄な男はあくまでもにこやかに大きくうなずく。
「存じ上げておりますとも。恐れ多くも畏くも、皇帝陛下勅令巡視大使閣下で在らせられる、ヨハネス=グラーヴ様でございましょう?」
広げていた両腕を振り下ろしながら、男は身体を二つに折り曲げて礼をする。
所作の一つ一つは総じて大きく、芝居がかっていた。……芝居小屋の関係者であるなら、それも当然かも知れない。が、その大袈裟な身振り口ぶりを、若い貴族はどうにも気に食わない様子で、声を張り上げる。
「それを知っているならば、我々が何を言いたいか、判るな!」