いにしえの【世界】 29
 マイヤーの身なりも、舞台衣裳らしい。
 修道僧が着るフード付きのローブに似たシルエットのそれは、目が覚めるほどの鮮やかな緋色に染め上げられており、大振りなフードと広がった袖口と裳裾は、金糸で縫い取られた百合の刺繍で縁取りされている。
 ゆったりとだぶついた布地が、彼の小柄を一回り大きく見せていた。
 踊り子の誰かが彼のところに走り、シルヴィーが倒れたと告げた。それに対する彼の返答も、また罵声だった。
「倒れただと!? なんてドジだ、まったく。何奴も此奴もあたしの邪魔ばかりしくさって!」
 役者兼任の戯作者らしい大仰な身振りで、大きく首を振った。
 それによって動いた視線により、彼がエル・クレールとブライトの姿を見つけたことは、彼にとって良い偶然ではなかったと見える。
 隠しておいた下品さを見つかった見栄っ張りは、卑屈に、それもやはり芝居がかった作った笑顔を、二人の部外者に見せた。
「どうも、お見苦しいところを」
 軽く頭を下げ、彼は軽い足取りでエルへと駆け寄った。
 いや正確に言うと、駆け寄ろうとした、だった。
 命の恩人の若様に抱きつこうとした寸前、彼は大きな壁にぶつかって跳ね飛ばされたのだ。
 そのまま尻餅をついたマイヨールは、ローブの裾を翻しながら、大きく弾む鞠の軽快さをもって後転し、跳ね起き、つま先で着地し、二回転と半分の独楽のようなターンピルエットを決めて、客人達のいる方向にむき直し、深々とお辞儀レヴェランスをしてみせる。
 最初から台本と振り付けによって決められていたかのではないかと思えるほど、流れるような自然な動作だった。
 エルは彼の身の軽さに素直に感心、ほう、と嘆息した。
 ほとんど同時に、彼をはじき返した壁……すなわちブライトが、ふん、と鼻息を吐き出した。
「軽業師なのか俳優なのか踊り手なのか物書きなのか、どれか一つに絞ったほうがいくらかモノになるかも知れねぇってのに」
 良く聞こえる独り言を案の定聞きつけたマイヤーは、にんまりと笑う。
「こいつは有難いお言葉だ。あんたはこのあたしを、多芸多才な逸材と見てくれたってぇことだね。いやあ、さすがにクレールの若様は目の肥えたご家来をお抱えだ」
 言葉だけ聞けばブライトに話しかけているようだが、実際マイヤーの視線は最初から最後までエルにのみ注がれていた。
 あっけらかんとした、それでいて脂っこい笑顔を見たエルは、少しばかりの薄気味悪さを感じ、ほとんど本能的にブライトの背に身を隠した。
 マイヤーの団栗眼は彼女の行動をなぞって動く。
「鈍い野郎だねぇ」
 呆れ声を上げたのはブライトだった。
 マイヤーの視線を広い胸板で塞いだ。
「ウチの姫若さまは、お刀ぁ握ってるときは大丈夫でも、そうでないときは酷い人見知りでね。特にあんたみたいに口先達者のお下劣野郎とは、顔を合わせンのも金輪際御免だってのさ」
「そんなお気の弱いお人が、あんな大男をコテンパンに叩きのめしたってのかい?」
 マイヤーの言動は、どれもこれも芝居がかっている上に誇張が大きい。
 彼の事実と違う発言に踊り子達が歓声を上げ、熱い視線を送るのにエルは辟易した。
 しかしブライトは、
「そんなお気の弱いお人が、あんな大男をコテンパンに熨したのさ」
 マイヤーの言葉をほとんどそのまま鸚鵡おうむ返しにした。
「これはおもしろい。まるで、同じ顔をしたまるきり別の人間が二人いるような」
 マイヤーの手が、ローブの袖に引っ込んだ。すぐさま出てきたそれは、ぼろぼろの紙束とリボンを巻いた細い木炭を一本つかんでいた。
「一つの顔を二人が取り合うか、一人の心が二つに分かれてゆくか……。一人二役の……いや、一つ話を裏表から見たヤツを、昼と夜とに分けて、役者はダブルキャストに……」
 つぶやきつつ、木炭を紙の上に走らせて、何かを書き付けている。
「見たモノ総てを芝居のネタに結びつけないと気が済まない芝居莫迦の戯作者が本業かね。自分のトコの団員だけじゃなく、見に来た客にまでつまらないメイワクをかける、どうしようもない阿呆だ」
 ブライトは少々呆れ気味に言った。
「聞こえてる。しっかり聞こえてるよ、旦那」
 紙束に目を落としたまま、マイヤーはにやりと笑う。

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