いにしえの【世界】 28
笑い声に混じって、複数の娘達が騒ぎ立てているのも聞こえてくる。
「あの方、なんてすてきなお声なのかしら」
「でもあんなに可愛らしい童顔よ」
「体もあんなに細くて」
「それなのにシルヴィーを苦もなく抱いて」
「ずいぶんお強い」
「ああ、きっと人の姿をした刀剣の妖精よ」
「だとしたら御髪はきっと本物の白金に違いないわ」
等と言うことを口々にまくし立てている。
現実的でない意見までもが漏れてくることに、エルは驚きもしたし、呆れもした。
息を吐いて、改めて目の前の娘たちを見、訊ねる。
「どこかこの人を横にさせてあげる場所は?」
娘らはそろって小屋の通用口を指し示した。
同時に、見計らったかのごときタイミングの良さで、布を垂らしただけの出入り口が大きく開いた。
件の「のぞき穴」から様子をうかがっていた娘達が開けたものだ。当然、彼女たちはその入り口に集合している。
その様は、群雀が羽ばたきながら騒いでいるのに似ていた。声も仕草もせわしなく、騒がしく、しかし可愛らしい。
ブライトが大きく腕を振り、
「ウチの姫若さまが病人抱えて通るンだ。あんたら、ちっとは静かにして、そこを空けねぇか」
少々乱暴に娘達をかき分けて進む。すぐ後ろを、エル・クレールがついて行く。
たどり着いた先は大部屋の楽屋らしき空間だった。明かりのない、ほの暗い空間には、白粉と樟脳と埃と汗の混じったむせかえる匂いが充満している。
空間の端の小さな鏡台の前に、薄縁が一枚引かれていた。
エルは皆から「シルヴィー」と呼ばれた踊り子をそこに寝かせると、すぐに彼女の側から離れた。
手桶と蒸留酒の瓶を携えた年長の、これも女性の団員がとんできて、彼女の衣裳の襟元を開き始めたからだった。
手当の様子をのぞき込むブライトの右の耳たぶをぐいと引き、彼女は元来た通用口に戻ろうとした。
「全くウチの姫若さまと来たら、オレが元よりよその娘っ子に気を取られるような不義者じゃねぇってのを、いつまで経っても信じくれないと来てやがるから」
おどけた調子で言いながらも鼻の下を伸ばしているブライトの耳たぶを、いっそう強くつねりあげ、エルは
「下心のあるなしではありません。エチケットの問題です」
唇を小さく尖らせる。
「ほんに可愛い焼き餅焼きだねぇ」
ブライトはフフンと、少しばかり下品に鼻で笑ったが、耳たぶをつまむ白い指を払いもせず、通用口とは逆の方向顔を向けた。
すなわち、芝居小屋のさらに奥、舞台のある方向だ。
舞台袖と楽屋をつなぐ、貧相なドアが大きく開いてい、暗く四角い空間に、人影が一つ立っていた。
「ほうれ、姫若さま。あそこに大口たたきの戯作者様がご推参ですぜ」
ブライトの顎が指す先に、確かにマイヤー=マイヨールがいた。腕を組み、足を踏み、踊り子達が騒ぎ立てている様子を、不機嫌に睥睨している。
しばらく無言で娘達をにらんでいたが、誰一人として彼の存在に気付かないのにしびれを切らし、やがて大声で怒鳴りつけた。
「ぎゃぁぎゃあ喚いている暇があったら、少しでも稽古をしやがれ、この尻軽どもが! この掘っ立て小屋を建ててある所場代だってロハじゃねぇし、テメェらの糞を捨てるにも手数を取られるときてやがるんだ。瞬きする間だって無駄にしてみろ、タダじゃおかねぇぞ、この阿婆擦れめらが!」
先ほどの飲み屋での人当たりのよい口ぶりとは一転して、口汚くののしる。
娘達の嬌声が一瞬にして止んだ。
彼女たちはいそいそと自分に与えられた小さなスペースに舞い戻り、体を縮めて化粧直しをしたり、衣裳の埃を払ったりし始めた。
ブライトはくつくつと笑った。
「下種野郎のお里が知れるってもんだ」
声を出して笑うのはどうやらこらえているが、肩は大きく揺れている。
エル・クレールは柳眉をひそめた。
よほど
『あなたの普段の言葉遣いと、どこが違うというのですか』
と言ってやりたかったが、止めた。
代わりに呆れと嫌みをため息で表してやろうかと思いはしたが、有閑貴族のたむろうサロンよりも数倍白粉臭いこの場の空気を、そのために余計に吸うことが躊躇われて、それも止めた。
ただ眉根を寄せて、肩を落とし、首を振る。