パンパリアという土地をして「治外法権都市」と呼ぶ者がいる。ギュネイ帝国の支配力が及んでいないというのだ。
領主ジロー・ル=ルーの「パンパリア辺境伯」という爵位は、確かに前王朝時代に得た物であったが、ギュネイからその官位を保証されている。パンパリア伯もギュネイ皇帝に服従の意を表しており、従って彼の地にギュネイの法が全く及んでいないということはない。
パンパリアを「治外法権都市」とせしめているのは、その地形に他ならない。
小さな大釜山地盆地はを取り囲む高山は、超えるのが容易ではない。山中に特記すべき産物はなく、主たる産業と云うべき物もない。
ギュネイの中央行政部はもとより、周辺の地方豪族もこの地をさほど重要視していない。
古い街道がパンパ山を越えて行く道筋を通っていなければ、わざわざこの地を訪れようという者はいなかったであろう。
しかし、帝国が新しく山に登らぬ――即ちパンパリアを迂回する新たな街道を敷設するに至り、彼の地はついに文字通りの陸の孤島と化したのだ。
かくて、帝国から切り離された形となったこの地は、一種混沌とした独自の文化圏を形成している。
文化風習の類がおおよそ三十年昔のハーン朝が滅亡する直前に当たる時代の気風のまま停滞しているのも、外界から切り離されている為であろう。
それは絢爛であり華美であり爛熟であり豪華であり、すなわち頽廃である。
結果。
正規に開業するには帝国政府の許可が必要な事柄を許可無しで為したい者達や、許可も免許も存在しない代わりに「行えば間違いなく手が後ろに回る事柄」為したい者共、そしてなにより、ギュネイを嫌う者、前王朝ハーンを懐古することに固執する者が、この地に流入し、留まる事となる。
祈祷師、占師、薬師、医師、錬金術師、奇術師、人形師、彫金師、細工師、香具師、贋作師、手配師、詐欺師、如何様師、調教師、刀鍛冶、銃鍛冶、女衒、博徒、学者崩れ、役人崩れ、そして浪人者の剣術使い。
一般的に彼らの類は世間の裏側を選んで暮らすことが多い。しかし、パンパリアの中ではそうとは限らない。
たいていの場合、少数派は多数派に後ろ指差される。悪人が少数で有れば多数の善人に糾弾され、悪人が多数で有れば少数の善人が隠れるようになるのだ。
従って、日常的に何処かで何かが起きる。
市、祭り、見せ物小屋、酒場、大道芸、門付け、歌比べ、賭将棋、賭場、岡場所、喧嘩、決闘、そして様々な犯罪。
騒がしいことこの上ない筈だが、領民はまるきり気に掛けない。むしろ乱稚気な日常を楽しんでいる風ですらあった。
外界にある耐え難い現実から目をそらし、自身の望む夢の中に逃避しているとも云える。
それは果たして吉夢であろうか。あるいは質の悪い悪夢なのではないか。
◆◇◆◇
エル=クレール・ノアールとブライト・ソードマンは、結局の所、その日の内にパンパリアを通過することができなかった。
エル=クレールはパンパリア領内へ行くことを渋った。直接そう口にすることはなかったが、理由はおおよそ判ろうというものだ。ブライトは何も聞かず、何も言わず、さっさと外輪山の縦走道へ分け入った。
ところがわずかに進んだところで、彼らは立ち往生した。
新道が作られ、整備が行き届かなくなったのであろう山道では、あちらこちらで崖崩れが発生していた。ある場所は大小の落石で埋まり、別の場所では道筋自体が崖下へ崩れ落ちている。
ブライトが無言のまま踵を返しても、旧道をパンパリアの領内へ向かって下っても、エル=クレールに何の反論のできようか。
夕には次の宿場に入っているつもりの路程は半日以上遅れた。パンパリアの中央部、州都に後わずかの集落で、彼らは宿を取ることにした。
野宿を選択しない理由は、二度の襲撃にあった。三度目が無いとは限らない。といっても、彼らは身の危険など小指の先も感じていなかった。ただ対処が面倒なだけである。そう感じる程度には、肉体も精神も疲れていた。
小さな集落であったが、五件のもの宿屋があった。その内の一つが「旅籠・無問題」という冗談なのか機智なのか判らぬ看板を掲げていた。この旅籠の「禿のジダヌ」と名乗る亭主によれば、普段は普通の商家や農家であっても、祭りの時期になれば空き部屋を貸し出すのだそうな。
そして今がまさに「祭りの時期」であるという。
他に空き部屋がないとはいえ、並の平旅籠の十倍近い宿賃にブライトが文句をつけなかったのは、翌朝に飯が付くと言うことに加えて、大部屋で雑魚寝ではないという条件が気に入ったからに他ならない。それはつまり、寝台が一つきりの個室でエル=クレールと一夜を過ごせるという意味であるのだから――。
そして翌暁。
集落の居酒屋を兼ねる宿の食堂で、堅焼きのパンとチーズに、干し肉とレンズ豆のスープが付くという、思いの外真っ当でそこそこに上等な朝食が饗された。
ブライト・ソードマンは生あくびを繰り返している。前日来の不機嫌はいくらか解消されている様子だが、それでもまったく上機嫌というわけでもない。
煉瓦を敷き詰めた床という寝床は、野宿するとの大差のない寝心地であった。
他方、酷く軋む寝台の上で夜を過ごしたエル=クレール・ノアールといえば、
「久方ぶりに楽しい夢を見られました」
などと、晴れ晴れした顔で言う。
故国を失って以来、微睡んでも夢など見ないか、酷い悪夢ばかり見ていた。
「そいつは良かった」
ブライトは大きく欠伸をした。
宿屋の亭主ジダヌが「祭りの時期」と言ったとおり、集落は活気に満ち、ざわついていた。
辻々に大道芸人や吟遊詩人、辻説法する托鉢僧や早朝から熱心に働く私娼の類が立っているのだろう。てんでに張り上げる声が、開け放たれた扉の向こうから聞こえる。
ただし、芸人達の前に人が立ち止まることは希な様子である。
人間たちは大半が一つの方向に向かって歩いている。それらはほぼ男である。その身なりと云えば、綺羅を着飾る者から襤褸を纏う者まで様々だったが、共通する点が一つあった。
皆一様に剣か槍を携えている。
芸人達の陽気さとは別の、ねっとりとした熱気が、彼らからは感じられた。
ジダヌが気の抜けた梨酒を運んで来た。
痩せているが骨太そうな体に、顎の張った四角い顔が乗っている。眉毛は濃いのに、頭髪は一本もない。一見、客商売向きでなさそうな見た目の無問題の亭主であったが、その厳つい顔の上には、人なつこい笑顔が満ちていた。話しかければ陽気に答える。食事終わりを見計らって悪酔いしなさそうな酒を出すあたりからして、気の周りも良いようだ。
「旦那方も明日の祭りの『ボウル』にお出になるんで?」
ブライトが怪訝な眼差しをジダヌに向け、エル=クレールが小首をかしげる。
「舞踏会?」
「いえ若旦那、武闘会で。……ほら闘技場ってのは大鉢みたいに丸うござんしょ? だもんで、ここいらでは剣術だの馬上試合だの相撲だの拳闘だの、まあ種目は何でも、騎士がやる御前試合なら『ボウル』って言うんですよ。で、明日は剣術の武闘会なんすがね、ご立派なお刀をお持ちの旦那方ですから、きっとお出になるんだとばかり」
「なるほど。おもしろい言い様ですね」
エル=クレールが心付けの銀貨を一枚卓上に置いた。ジダヌの笑みが大きくなる。
その笑みに向かって、エル=クレールも微笑を返して、
「御前試合ならば、ご領主のパンパリア伯の前に出ると言うことですね。では、エントリーするにもそれなりの手続き、あるいは、どなたかの紹介が必要ではなのでしょう? 残念ながら私たちはこのあたりに縁者がいないので……」
遠回しに興味がないと言ったのだが、ジダヌは満面の笑みで答える。
「簡単なもんですよ。何処かその辺で出場しようってのを見つけて、適当な立会人を付けて勝負を挑む。で、勝ったら立会人と神殿に行く。立会人が『神掛けて彼の勝ち也』と言やぁ、要するに『地方予選突破』と言う奴で」
ずいぶんと乱暴なシステムである。ブライトが額を手で叩き、天を仰いだ。
「なるほど、昨日から俺らに突っかかってくる莫迦が多い訳だ」
腑に落ちた。だが、腹立たしい。
「詰まるところ、俺たちは昨日の連中に『踏み台にできる雑魚』と目されてたてぇことかよ。全く、見くびられたもんだ」
これを聞き、ジダヌの目が輝いた。
「じゃ旦那方はもう『予選』をこなされなすった?」
エル=クレールは少々慌てた。
「何分にも、先方がお連れの立会人が先方とご一緒にお帰りになったものですから、宣誓して貰いようがありませんので」
やはり遠回しに話題を終わらせようと努めるたのであるが、これもジダヌには伝わらなかった。
「立会人なら、あっしがやりましょうよ」
胸を叩く。エル=クレールは焦りを感じた。
「ご亭主は何も見ておられないでありませんか。それでは神前で嘘を付くことになる」
「構いやしませんよ。あっしぁこう見えても、いくらかは腕に覚えがありましてね……若い時分にゃ一度『本戦』に出たことがあるんですよ。綺麗に負けましたがね」
ジダヌは上着の襟を開いて見せた。
右の胸に大きな傷跡があった。その部分が奇妙に窪んでいる。
「肋骨が二本ありません。それでも人を見る目はあるつもり、という奴です。その眼力で見るに、そちらの旦那もそれから若旦那も、そうとうの腕前の筈。万一『予選』が済んでるってのが出任せでも、実際に『予選』をやれば勝てる。つまり、嘘の宣誓も誠と同じ」
肋骨のない胸を、ドンと叩いて見せた。
ブライトがにやりと笑った。
「姫若様」
彼がエル=クレールをこう呼ぶのは、自身の身分を「武者修行中のひ弱な若君に従う田舎者の下僕」に見せかけた芝居を打つ時である。そして「良からぬ名案」を思い付いた時である。
「いくらこっちがやりたくないと言ったところで、この宿を一歩出たら『予選』を済ませたい誰かが向こうから突っ込んで来くるに決まってる。そいつらを全部ぶちのめして歩くか、それとも『これから神殿詣でござい』と断って歩くか。どっちが得策で?」
「それは……」
無駄な争い事は避けたいのなら、確かに後者の方が良いに決まっている。
「つまり、嘘の宣誓も誠と同じ」
否定や拒否を許さない口調だった。頷かない訳に行かない。エル=クレールは深いため息を吐いた。
「オヤジ、姫若様からお許しが出た」
「じゃあ早速店じまいだ」
ジダヌは大きく手を打つと、客室に向かって足取りも軽やかに駆けて行った。宿泊客全員に強制的な退館手続を行うつもりらしい。
怒号じみた抗議の声が全館に響く。エル=クレールは再度ため息を吐いた。
「正体が知れぬように、目立たぬように……というのは、あなたの助言だったと記憶しているのですが?」
「お前さんに出場しろとは言わんさ」
「それにしても……」
「俺だって無駄に喧嘩がしてぇ訳じゃねぇ。ただ、あの派手な道化が気になって仕方ねぇンだ」
「派手? ああ、峠で遭った赤毛のご婦人ですか? 確かに魅力的で気になる方でした」
そういったエル=クレールの言葉の語尾に、少々の嫉妬の色が滲んでいるようにブライトは聞いた。鼻の下を伸ばしてニタリと笑ったが、直後、酷く真面目な顔になった。
「気になるのはもう一人の、真っ黄色の野郎の方だ。真っ赤な巨乳ちゃんの、今時珍しい騎士ぶりにすっかり感心していたとはいえ、俺が奴の動きに全く気付けなかったってぇのが、気分が悪い」
舌打ちをする。
黄色い騎士の挙動の不気味さは、エル=クレールも感じていた。完璧に存在感を消し去った彼が、逃げをうつのではなく攻撃を仕掛けてきたなら、果たして無傷で済ませられたであろうか。
「あいつを見つけ出してぶん殴らねぇと、気が済まねぇンだよ」
ブライト・ソードマンの歯ぎしりに、エル=クレールは同意の頷きを返した。
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