地図によると、森を抜けた先にあるのは小さな集落のはずだった。
確かに狭い。
その割に、建物が多い。
立派な見せかけだが急作りの建物の群と、その間を縫って歩く人々の数を見ると、地図を疑いたくなる。
「やあやあ、よくぞ手紙をお届け下さった。それも封緘を切らずに!」
急作りの建物の内の一つで、その土地の支配者が頬を紅潮させていた。
「さあ、お客人達をねぎらう席を設けないか! さあさあ、宴席を、楽師を呼ばぬか」
カイトスの領主であるジャン・ピエール=ポルトス伯爵は、うわずった声を上げている。
……幽かに狂気の色を感じる口調だ。
二人連れの旅人達は呆気にとられるしかない。不安げに立ち尽くしていると、位の高い家臣とおぼしき中年の男が一人、彼らに近付いてきた。
「我が主君には心労が重なり、取り乱しております。どうかお見逃し頂きたい」
深々と頭を下げる。
「それがしはアンドレイ=マルカスと申します。失礼ながら御貴殿方のお名前を」
黒ずくめの男はマルカスと同じほどに頭を下げて応じた。
「ご丁寧なご挨拶、痛み入ります。私はレオン=クミン。これは妻のガイアです」
「妻……?」
マルカスは疑問を露骨に顔へ出した。
頭から足先まですっぽりと布で覆った、大柄な、その上長大な剣を携えた人物が、貴婦人がするような深く腰を下げる礼をしているのだ。違和感に眉を寄せるぐらいは誰でもやるだろう。
だが、ホールに響く大声で、
「化け物め!」
と叫んだのは彼ではない。
マルカスの背後に別の人物が立っていた。
やはり高官らしいが、服装から明らかに軍人であることが知れる。神経質に眉をつり上げた痩せた男だ。
男はつかつかと旅人達に近寄り、やおらガイアの頭上へ手を伸ばした。
「正体を現せ!」
ヴェールを掴む。
「フランソワ、止めないか!」
マルカスの制止は間に合わなかった。軍人はその布きれを一息に引いた。
古いワインの包装紙を矧がしたように、「中身」の上半分が現れた。
確かに女性である。それも、非現実的な風貌の。
黒目がちな瞳に、その愛らしさとは少々アンバランスな太い眉が乗っている。細い鼻筋、厚く濡れた唇。美女というよりは、整った顔立ちと評した方が正しかろう。
少々長く少々太めの首の下には、筋肉質の太い左腕と右腕の殺げ落ちた肩が付いている。
肉体を構成するパーツの総てが「普通」とはかけ離れている。だが、彼女を現実から遠ざけている一番の原因は、頭だ。
髪の毛というヤツがないのだ。
僅かに両耳の上辺りからもみあげに掛けて、漆黒のリボンよろしく、一房ずつぶら下がっている。
それが決して加齢による禿頭でないと言うことは、地肌を見れば判る。
頭頂部からうなじ至る皮膚が、赤くケロイドを成している。火傷の痕であることは、誰の目にも明らかだった。
軍人は目と口をだらしなく開け、しげしげとガイアを眺めた。
マルカスに手中のヴェールを奪われても、心ない視線を哀れな女性から背けることをしない。
ガイアは自嘲がかった笑みを浮かべている。
「かつては女性ながら剣術の指南を。しかし数年前に火傷を負いましたので」
簡潔な説明は彼女の夫の口から発せられた。それにより、ようやっと己の無神経さに気付いたらしい軍人は、何も言わず踵を返した。
「申し訳、ありません」
ヴェールを女剣士に返しながら、マルカスが頭を下げた。
「フランソワ……ビロトー将軍は、つまり厳格な人物でして。このところ不穏な事件が立て続けなものですから、すこしでも不審な事柄には過敏に反応してしまい……」
「お気になされぬな」
ガイアは再びヴェールを身にまとった。
「私が顔を覆うのは、私自身が己を恥じているためではありませぬ。私の醜さを見て他人が気分を害することを防がんがため……」
紗の下に隠された顔がどのような表情を作っているのか、マルカスには知れない。ただ恥ともとれる申し訳なさに胸が詰まった。
「……お部屋に、ご案内いたしましょう。旅の道行きでお疲れのことでしょうから」
ようやく事務的な言葉を絞り出したマルカスに、レオンはやはり事務的な笑顔で応じた。
「後ほど、便りの内容を漏らしてくだされば、我らの疲れなど吹き飛ぶのですが、いかがでしょう?」
深いため息の後でマルカスはつぶやいた。
「……内容によります」