フツウな日々 5 |
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「雨が降らないのがいけない」
龍は真っ赤に燃える西の空をにらみ付けてつぶやいた。
この分だと、明日も良い天気になりそうだ。
雨の降った翌々日にもう一度来ればいい。そうすれば「トラ」は必ずここに来る。今までもそうだった。そうやって僕たちは友達になったんだから。
太陽がゆっくり沈んでゆく。龍はとぼとぼと帰途についた。
翌朝、テレビの天気予報は今日の降水確率がゼロだと言っていた。何とか言う高気圧が普段の年よりもずっと強いセイで、しばらくは晴れの日が続くとも。
ニュース番組では、このままだと水不足が心配される……と言って、水の量が普段の七割ぐらいまで減っているというダムの映像を流している。
「断水にでもなったらどうしましょう?」
龍の母親が夫に話しかける。彼は面倒そうに新聞から顔を上げて、
「この辺りは元々水が少ないから、逆に備えに溜池を作ってある。大概大丈夫だろう」
必要なことだけ言うと、また新聞記事に目を落とした。
「あ、僕知ってる。社会の時間に習った」
龍はランドセルを背にしたまま食卓につき、大あわてでご飯を掻き込んでいた。
この辺りの土地は、雨が少ない。
しかも盆地なものだから、雨雲は回りを囲む山の外側にぶつかると、そちら側で全部水分を払い落としてしまう。山肌から吹き下ろす風は、からからに乾いている。
一応、盆地のすり鉢の底に大きな川があり、そこに注ぐ支流もある。しかしそう言った「流れる水」から離れている地域は、昔から水源不足に悩まされていた。
特に農業用水の不足は深刻な問題だった。
昔は、細い水路の上流と下流で争いが起こったり(上流が水を使いすぎると、下流は当然枯渇するのだ)、水の配分を取り決めてもこっそりと取水口に細工をする水盗人が出たりで、戦争に近いような喧嘩や人殺しにまで発展することもあったらしい。
そこで昔のお殿様や、普通の人たちが、力を合わせて「雨水やわき水を溜めておく池」をいくつも作った。
そして、そこから色々なところに水を分ける水路や地下水道を整備して、町中に張り巡らしたのだ。
そおかげでこの辺りは降水量が日本でも指折りに少ないというのに、よほどの日照か事故でもなければ、水道が止まったりしない……と、龍の担任教諭は言った。
「だからお母さん、大丈夫だよ。水がなくなったりはしないさ」
みそ汁で朝食を飲み下すと、龍は居間から飛び出し、狭い店の中を通り抜け、十歩だけ全力疾走して、学校の裏門へ駆け込んだ。
そこからすぐのところに龍の教室がある古い校舎があるのだけれど、下駄箱のある昇降口は新校舎の方だ。
体育館の横のコンクリートの犬走りを通って校庭に抜けてから、真新しい校舎の前を進んで……結局正門の方まで行って……から、改めて校舎の中に入らないといけない。
「面倒くさいなぁ。旧校舎の昔の昇降口を塞いだりするからいけないんだ」
文句を言いながら、龍は校庭へ向かって歩いた。
授業が始まるまであと二十分。
体育館の中からは、バスケットのボールやバレーのボールが弾む音がする。
校庭にはまだ野球クラブとサッカークラブの班員達がいて、朝の練習の後かたづけをしている。
第一音楽室からは合唱部のコーラス、第二音楽室からはブラスバンドの練習の音が聞こえた。
その元気な喧噪とは別に、新校舎の正面玄関で人が集まって騒いでいた。
両脇に花壇があって、学校の名前が刻まれた大きな石がおいてあるその脇に、先生やお客さん達が学校に入る時に使う正面玄関がある。新しい校舎の真ん中から、コンクリートのひさしが突き出ている。
そのひさしの中側で、年をとった女の人がわぁわぁと叫んでいるのだ。
女の人はお婆さんと言ってもいいくらいの痩せたお年寄りで、薄い緑の混じった灰色のきれいな着物を着ていた。
お婆さんは教頭先生のスーツの襟を掴んで、泣きながら何かを訴えている。
他の先生達や、保健室の先生達もそこに集まってきていて、どうやらみんなでお婆さんを説得したり慰めたりしている様子だった。
それを登校してきた生徒達が遠巻きに眺めている。校舎の窓から下を見ようと身を乗り出している者もいて、先生や上級生に注意されたりもしている。
龍はその人垣の一番後ろのから、背伸びをしながら様子をうかがった。
お婆さんは小さくて悲しそうな声で、何かを言っている。教頭先生はお婆さんの話を聞き、首を横に振ったり、縦に振ったりしている。
他の先生のうち、何人かが校舎の中に出たり入ったりして、どこかに連絡を取っているようにも見えた。
残りの先生達は、集まってきた生徒達を注意したり怒ったりしながら、その場から立ち去らせようとしていた。
時々咳き込んだりするお婆さんの背中を、保健室の先生がなでたりもしていた。
教頭先生や保健室の先生がお婆さんに何を話しているのかまるで聞こえないのだけれど、お婆さんがその場を動こうとしないということは、説得しても納得してもらえていないと言うことだろう。