フツウな日々 6 |
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お婆さんは灰色がかった白髪をお団子のようにひとまとめにして頭の上にとめているのだけれど、頭や体を揺すりながら泣いたり叫んだりしているものだから、そのお団子がどんどんと崩れて、髪の毛がバラバラと落ち始めていた。
一体何があったのかはわからないけれど、龍はそのお婆さんがまるで「山姥みたい」に見えた。
もう少しよく見てみようと背伸びをしたら、後ろから方をポンと叩かれた。
振り向くと、副担任の女教師がいた。
背の低い、もうじき……龍たちの学年が卒業する頃……定年を迎えるY先生は、龍だけでなくその辺りにいる生徒一人一人の肩や頭の値利を優しく叩いたりなでたりしながら、
「教室に入りなさい」
と、静かに言って回った。
怒られたり、怒鳴られたりするよりも、こんな風に諭される方が、胸に響く。
一人二人、ぽつりぽつりと、生徒が野次馬の輪から外れ始め、やがて人間の流れる川の堰が切られたように、皆が昇降口へと向かって歩き出した。
ただ、皆おとなしくしているというのではなくて、わいわいとしゃべりながらの大移動だ。
それぞれが教室に入っても、その騒ぎは収まらない。
話題は当然、あのお婆さんのことだ。
誰かが言う。
「近所のお婆さんが、生徒たちがうるさいって苦情を言いに来たンじゃないかな」
別の誰かが言う。
「ウチの生徒の誰かのお祖母さんで、孫がいじめられているって訴えに来たんだよ」
また別の誰かが言う。
「呆けちゃって、何でここにいるのか判らなくなちゃったンじゃないの?」
またまた別の誰かが言う。
「ずうっと前に卒業した生徒のお母さんとか?」
その誰かに、もっと別の誰かが訊いた。
「ずうっと前の卒業生のお母さんが、なんで今頃学校に来たりするのさ?」
「だからさ、呆けちゃってて、最近のことが判らなくなっちゃったんだよ。子供が大人になったあとのことは思い出せなくて、子供が子供だった頃のことしか覚えていなくて。それで、子供の頃の子供が家にいないもんだから、学校まで探しに来たんだ」
「おまえさぁ、もしかして、なんか変なマンガかなんか読んだ?」
「マンガって限定するし」
生徒たちはケラケラと笑った。
「怖いマンガだったら、似たようなの知ってるけどさ」
もっと別の誰かが言い出す。
「怖いって、どんな話さ?」
「えっと、子供が学校の新築現場を見に行くって言ったきり行方不明になっちゃって、心配したお母さんは、何十年も歩き回って捜し続けて。
んで、地震で学校の校舎が崩れたら、その床下からコンクリート詰めになった子供の死体が出てきて、その死体の足をもっと古い死体が掴んでいて、もっと古い死体の体にはもっともっと古い死体がいっぱいついていて。
その学校の敷地は昔は沼みたいな池で、そこで何人もおぼれて死んだりしていて。
建物を建てるときに固い地面にする工事のためにヒトバシラの生け贄っていうのをやって、その生け贄がジョウブツできなくて悪霊になっていて、おぼれて死んだ人とかも一緒に悪霊になって、そういうのは仲間をたくさん呼び寄せるから、学校の下には悪霊がうじゃうじゃいて……」
要領を得ない説明だったのだけれど、周囲の子供たちの背筋を凍らせるには充分だった。
この学校も新校舎が建ったばかりだ。もしかしたら、床下に子供の死体があるかも知れないと想像したのだろう。
「怖いこと言うなよぉ」
「だって、どんな話かって訊いたのは、おまえじゃんかぁ」
彼らは、ばたばたと足踏みをしたり、できるだけ大きな声で話すようにしたりして、どうにか「怖い気持ち」を追い払おうとした。
龍の背筋も凍っていた。
それはコンクリート詰めの子供の死体を想像したからでも、何百年も昔のおぼれた人たちの死体の固まりを想像したからでもなかった。
「ヒトバシラの生け贄」
人間を使った生け贄……彼の頭の中に、あの白い御札と、虎目石と、虎の顔がいっぺんに浮かんだ。
危うくまた卒倒しそうになったが、すんでの所で誰かの
「校長先生が来た!」
という叫び声を聞いたので、どうにか踏みとどまることができた。
教室中、廊下にまで広がっててんでに放していた生徒達が、歓声とも叫声とも付かない声を上げながら、自分の席へと駆け戻ってくる。
龍もロッカーにランドセルを放り込んで、ばたばたと席に着いた。
教室の教壇に近い方のドアが開いて入ってきたのは、誰かの叫び声通りに、少し禿げた、少し太った、少し怖そうな、少し優しそうな、校長先生だった。