フツウな日々 8 |
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「この学校があるところは、昔は殿様のお城の一部分だった……というのは知っているかな?」
「はい!」
複数の生徒が手を挙げる。手を上げない生徒の中からも、
「校章に地図記号のお城のマークを使っているってのは知ってるけど」
といった声が漏れ聞こえる。
校長先生は、ちょっと不満そうな苦笑いをしたあと、
「お城を建てる命令をした人は殿様で、殿様はお侍さんだから、お城を建てるときにはお侍さんの大切なもの……刀と馬を神様へのプレゼントにした。考古学者の先生が調べたら、お城の地面の下にさびた刀や馬の骨が埋まっていたそうだ」
「馬も、埋めちゃったんですか?」
質問をした生徒が、不安そうな声で訊ねると、校長先生は小さくうなずいた。
「それでお城の工事が失敗しないし、できあがった後も戦争で負けたりしなくなると思ったんだろうね。実際に工事はうまくいったし、そのあとで大変なことが起こったりもしなかったから、工事をした人やその子孫の人たちは『あのとき神様へのプレゼントをして良かった』と思ったに違いない。それが本当にプレゼントの効果だったかどうかは、判らないけれどね」
ざわつく教室をぐるり見渡すと、校長先生はもう一度黒板に向かった。
そして、青いチョークをチョーク入れから探し出し、さっきの地図のずっと下の方に丸を一つ描いて、その中を塗りつぶした。
「お城が建ってから百年くらいあとのこと。この辺りの土地に田圃を作ろうと考えた人がいた。色々調べて、この辺りは川から遠いので、水路と貯水池を作らないと水が足りなくなると言うことが判った。これはとても大変な工事だ。お城を造るよりもずっと難しい」
本当に難しそうな顔で校長先生は言った。
「さあ、君たちが『昔の人』なら、どうしたらいいと考えるかな?」
何人かの生徒が勢いよく手を挙げた。龍も挙げようとしたのだけれど、自分の考えていることがとても「恐ろしいこと」のように思えたので、やめた。
校長先生に指名された生徒は、小首を傾げながら答える。
「お城の時よりもたくさんのプレゼントを用意すればいいと思ったと思います」
「たとえば?」
「お城の時よりも馬の数を増やすとか……」
生徒の声は尻つぼみに小さくなった。答えを聞いている校長先生の眉毛が「ちょっと違う」と言っているように見えたからだ。
その生徒が席に着くと、また別の生徒が手を挙げた。指名されて、立ち上がって、さっきの生徒よりもっと自身がなさそうに答える。
「お城の時よりももっと高価なものをお供えにすればいいと思います」
「たとえば?」
「それは……わかりません」
生徒はへたっと椅子に座った。
校長先生は難しそうな顔のまま、教壇から降りた。そうして、生徒達の顔を見回しながら、机の間を歩く。
「昔の人も、確かにお城を建てたときよりもたくさんの高価なものをプレゼントにすればいいんじゃないかと考えたはずだ。じゃあ、なにをプレゼントにしたらいいと思いついたのか……」
校長先生の革靴が、木の床の上でコツコツキュッと鳴った。
コツコツとキュッは、どんどんと龍の机そばに近づいた。コツコツの度に龍の心臓が大きく縮み、キュッの度に掌から汗が出る。
そして、ドンと言う音が、龍にだけ聞こえた。他の生徒には多分「ポン」という音に聞こえたはずだ。
校長先生の大きな掌が、龍の両方の肩の上に乗っかったのだ。
「君はさっきから、手を挙げようとしているのに挙げないでいるね?」
校長先生の声は優しかったのだけれど、龍にはお説教のように聞こえた。
「答えが合っている自信がありません」
うつむいて言うと、校長先生は彼の肩をぎゅうっと……まるで肩もみをするみたいに……掴んだ。
「これはテストじゃないんだから、間違っていてもかまわないんだよ。さて、君が昔の人だったら、何を神様へのプレゼントにしたらいいと思うかな?」
「怖くて、言えません」
龍は体中の毛穴が縮んで、全身が鳥肌になるのを感じながら、ようやっと答えた。
「そうか」
校長先生の掌が、龍の肩からふわりと離れた。
安心したのと変に疲れたのとがいっしょになり、全身の緊張がいっぺんに消え失せて、彼は机の上に突っ伏した。
校長先生のコツコツキュッが、どんどんと離れてゆく。
「多分君の考えは正解だと思うよ」
龍は机の脚を蹴飛ばし、大きく音を立てて体を起こした。
校長先生はもう教壇のところまで戻っていた。