フツウな日々 23 |
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「『トラ』は、何処に行ったんだろう?」
池に落っこちて、それを「トラ」が助けてくれた。……銀色の龍に乗って飛んだのは多分、このごろよく見る夢か幻だろうけれど……。
濡れた服を脱がしてくれたのも、タオルを掛けてくれたのも、多分「トラ」だろう。
万一、あの「トラ」の姿までもが幻想だったのだとしても、誰かが龍を助けてくれたのは間違いない。
龍はせわしなく辺りを見回した。木陰はもとより、幼稚園児だって隠れられそうもない小さな祠の中ものぞき込んで、気配を探した。
でも、人の姿も、当然幽霊の気配も、何処にもなかった。
不安は一層募る。何かをしていないと寂しさに押しつぶされてしまいそうで仕方がない。
龍は祠の周りにある石塔や墓石に目を向けた。古い物からそれほど古くない物まで、いくつも並んでいるその石たちは、全部丁寧に磨かれていてコケの一株も生えていない。周囲も雑草がキレイに刈られているし、掃除が行き届いている感じがする。
なにより、その石達の一つ一つの前には、まだそれほどしなびていない菊の花束が捧げられているから、この場所には毎日ではないにしても、定期的に人が訪れているのは間違いない。
墓石は、寒い日の雀たちのように丸く縮こまって、ぎっしり密集して立ち並んでいる。
古い物は石が風化し始めていて、彫られている文字がぜんぜん読めなくなっている。文字の彫りが深く残っているやつも、習ったことのない画数が多い文字が多いものだから、ちんぷんかんぷんだった。
それでも、さすがに漢数字と大正とか明治とか昭和とかいう聞いたことのある年号ぐらいはなんとか読めるから、向かって右側に固まっているぶんは、せいぜい百年くらい前からこっちに作られた物らしいということは、なんとなく判った。
だから多分、真ん中から右側の端までのヤツは百年より昔の物じゃぁないか、とぼんやりと想像してみた。……どれくらい昔の物かはとても想像できないのだけれども。
龍は、彫り跡が比較的新しくて、習っていない字以外は何とか読めそうな幾つかの墓石を、前も後ろもじっくりと眺めた。
表には人の名前が書いてある。苗字は全部Yだ。
一つの家か、親戚が固まっているのか、そうじゃなければ集落一つが丸々同じ苗字な地区の専用なのか、兎にも角にも、お墓の下にいる人たちは全員が家族か親戚か、そうでなければ友達なのだろう。
そう思うと、ついさっきまで怖いばかりだったお墓が、都会へ出たおじさんがいとこ達を連れて来るお正月の掘り炬燵の周りの風景みたいに思えて、なんだか楽しそうにさえ見えてきた。
それでも、幾つも墓石の名前を見てゆくと、何度か胃袋の下あたりがギュっと縮んだ。
刻まれた文字の中に、たまに「寅」と言うのがあるからだ。
寅彦だったり、寅江であったり、寅之助だったり、寅子であったり。
見なかったことにしたい。忘れてしまいたい。非道く恐ろしい呪文か、爆弾のスイッチのように見えて、龍はその文字を見つけると、目をぎゅっと閉じ、頭をぶるぶると振った。
ぎゅっと閉じるたびに、瞼の裏側には「トラ」の顔が浮かぶ。それは頭を振るたびに「寅姫」の顔になる。どっちも同じ顔なのだけれど、全く別の人だと思えるのが、自分でもとてもややこしい。
あんまりややこしくて、もしかしたら卒倒してしまうのではないかと心配になってきたので、龍は墓石の前に書いてある文字を読まない事に決めた。
ぎゅっと目をつむったまま、彼は一息に墓石の固まりの右端まで駆けた。そしてぱっちりと目を見開くと、今度は墓石の固まりの裏側に回り込んで、反対側の橋まで駆けた。
裏側に回って最初から、古い順に……でも今度は最初とは反対向きに……刻まれた文字を読んでゆく。
よくわからない年号が一体どれくらい昔のことなのかは解らない。
でも一歩横に動くと、墓石がほんの少しだけ新しくなるから、時代が少しずつ下がっていっているのだろうという想像はできる。
一歩ずつ蟹歩きする。彫り込まれた、その墓石の下に眠る人の死んだ日付が、だんだん今日の日付に近づいてくる。
最後から四番目の墓石には、大正という年号が入っていた。これは若くして亡くなった龍の祖父が生まれた時代だ。
行年七十と書いてあるから、この人は七十歳で亡くなったと言うことだろう。
次の墓石は昭和の最初の頃の年数が書いてある。年号の下には行年二十と書いてあった。
「若い人だ」
思わず墓石の前側をのぞき込んだ。
書かれていたのは男の人の名前だった。(龍にとっては運の良いことに、「寅」の文字は入っていなかった)
龍はそのままその次の墓石の前に彫られている名前を見た。女の人らしい名前があった。
首を引っ込めて、裏側を見る。前のとほんの数日しか違わない日付と、行年三十八という数字が彫り込まれていた。
その年齢は、龍の母親と大差がない。彼間無性に寂しくなった。
一番最後の墓石は、他のそれよりも一回り小さくて、ぐっと新しい感じがした。刻んである日付も、ぐっと今に近い。近すぎて気持ちが悪くなりそうだ。
「僕の生まれた年だ」