小懸 ―真田源三郎の休日―
返す返す申し上げますが、この物語はフィクションです。
従って、登場する人物・団体・地名などは、歴史上のそれらとは別物と思ってご覧下さいますよう、お願い申し上げます。
五
見事な
青鹿毛
《
あおかげ
》
※
でした。
「九
寸
《
き
》
※2
ある」
前田慶次郎殿はうっとりとした眼差しで
鬣
《
たてがみ
》
を撫でられました。
皐月の晦日のことです。私は厩橋におりました。
呼び出されたのです。
その日の朝早くに届けられた萬屋の紙には、細くしなやかな文字で「源ざどの」と表書きされており、開けば、
「駒なるや いざ見に来たらむ ふるさとの 厩のはしにぞ 花と咲くらむ」
という一首と、「慶」の一文字がしたためられておりました。
私の傍らでは、
垂氷
《
つらら
》
が好奇の目を輝かせておりました。
「本歌取りだな。多分、
『駒並めて いざ見にゆかむ ふるさとは 雪とのみこそ 花は散るらめ』
であろう。これは古今和歌集にある。意味合いはな、
『馬首を並べて古里へ花見に行こう、急がねば花は雪が降るように散りきってしまうぞ』
と云ったところで、すなわち、春の楽しさを詠った歌で――」
私は、己が古今和歌集にいくらか明るいのだと云うことを少々自慢したかったのですが、垂氷には私の講釈を聞く気など更々なかったようです。
「それで、ご先方さまは何と仰っているのです?」
上目勝ちにこちらを見て、ニコニコと笑っておりました。
「『予てより手に入れたいと思っていた名馬が漸く我が物になった。見せびらかせてやるから、お前が生まれた厩橋へ来い。件の馬の御蔭で、我が厩舎は花が咲いたように賑やかになっている』
と仰せなのだよ。土地の名の『厩橋』と、
厩
《
うまや
》
の片隅と云う意味の『厩の端』とが掛詞になっていてだな――」
言いかけた辺りで、垂氷はすっくと立ち上がりました。
流石に私も腹に据えかねて、
「人の話は最後まで聞くものだ。そのような態度は、話手に対して礼を欠く。当世、気の短い相手ならば手打ちにされかねない。大体、嗜み心のない娘は嫁に行けぬぞ」
少々厳しき口ぶりで言いました。
すると垂氷めは、なんとも無礼な振る舞いですが、立ったまま、
「若様。お言葉お返しいたしますが、元の歌が、早く行こうという意味なら、つまりご先方は、若様に直ちに来いと仰っておいでるということありましょう? でしたら、今直ぐに御出立の準備をなさるべきです」
口元をきゅっと引き締めた真面目な顔で申したものです。
「それに、砥石のお殿様から、滝川様の様子をそれとなく見聞するようにと仰せつかっておいでなのでしょう? ちょうどよい機会が来たではありませんか。さあ、急いで参りましょう」
垂氷は言い終わらぬ内にくるりと戸口へ振り返り、飛び跳ねるようにして外へ出ようとしました。
垂氷の言い分は理に適っております。理に適ってはおりましたが、釈然としない部分がありました。
「一寸、待て」
声をかけますと、垂氷は立ったままという不作法さで唐紙の引き手に手をかけた、そのままの姿勢でぴたりと立ち止まって、肩越しに私の方へ振り向きました。
「何ぞ……?」
大きな目が輝いておりました。
「付いて来るつもりではあるまいな?」
その気でいるだろうというのは分かり切っていたのですが、一応、確認をしてみたのです。答えは想像したものと大差ありませんでした。
「いけませぬか?」
流石に向き直りはしましたが、まだ立ったままです。
「女房衆や子供であれば女連れでも良かろうが……」
「いけませぬか?」
口を尖らせました。
「いけない」
「何故です?」
「何故と言って……」
私は頭の中で言い訳を思いめぐらせました。
正直を申し上げます。
垂氷と連れ立って歩くのが気恥ずかしかったのです。
その頃の私と言えば十六の若造で、垂氷の年は確か十三、四でした。
年頃の娘を連れ歩く様子を慶次郎殿に見咎められ、
「子供のようだ」
と莫迦にされるのは嫌でしたし、妙に勘違いされて、
「色気付いた」
と冷やかされるのも嫌でした。
「ノノウが草の役をしていることがあからさまになっては不味い」
私は漸くひねり出したこの言い訳を、「我ながら良い言い訳だ。反論の余地もあるまい」と自信満々に思ったものですが、垂氷には全く通じませんでした。
「わたしはノノウの頭の千代女様の秘蔵っ子で御座いますよ? 正体が知れるような
鈍重
《
どぢ
》
をするものですか」
胸を張って言ったものです。
私は何故か米咬みの辺りにキリキリとした痛みを覚えましたので、その辺りを指で押さえながら、
「滝川左近将監様ご自身は伊勢志摩のお生まれらしいが、滝川家というのは、元を辿れば甲賀の出だそうだ。高名な甲賀衆の、だ」
「わたし共も元を辿れば甲賀流ですよ」
ノノウの総帥である千代女殿は、甲賀望月家から、遠く縁続きで同族の信濃望月家へと嫁いで来られた方です。ご実家は甲賀五十三家と呼ばれる忍びの衆の筆頭格でありました。
「だから、だ。同じ流派であれば、その所作で相手が何者かを察するに容易であろう」
垂氷めは、
「つまり若様は、わたしが鈍重を踏むと仰るのでしょう?」
童女のように口を尖らせて申しました。
米咬みだけでなく、胃の腑の辺りまでキリで突き通すような痛みを覚えました。
「万々が一にも、鈍重を踏んでもらっては困る、と言っているのだ」
「判りました。ようございます。わたしは出掛けません」
ようやっと、その場にすとんと座りますと、三つ指をついて平伏し、
「行ってらっしゃいませ。ああ、若様がこれほどおつむの堅い方だとは思わなんだ」
館中に響くほどの大声で言ったものです。
まあとにかくも、私は独り……といっても、馬丁を一人連れておりましたが……厩橋の前田屋敷へ向かったわけです。
門前で取り次ぎを頼みますと、ご家人が、
「主が、真田様がお越しになったら、厩へお連れするようにと……」
困ったような、申し訳なさそうな微笑を浮かべて、私を厩へ案内してくれました。
その厩で、前田慶次郎殿が四尺九寸の黒鹿毛をほれぼれとして眺めておいでたという次第です。
「良い馬だ。実によい馬だ。しかも
馬銜
《
はみ
》
の跡も鞍の跡もない、全くの野生馬だ。これほどの馬を野に放っておいて、しかもあれほどの騎馬軍を養っていたと云うから、全く甲斐いい上野といい、武田は恐ろしい土地を領していたものだ」
慶次郎殿は満面に笑みを湛えて、黒鹿毛の首を抱いて頬をすり寄せました。
馬の方はと云うと、何とも面倒くさそうに鼻をブルッと鳴らしはしましたが、されるがままにしておりました。
私には馬の心持ちなどは判りませんが、どうやらベタベタとまとわりつかれるのに辟易とし、しかし拒絶するのを諦めている……そのように見えました。
一頻り馬自慢をなさった後、慶次郎殿は敷き藁を高く積んだ物を
床几
《
しょうぎ
》
※
代わりに座られました。そして大きな
瓢
《
ひさご
》
と朱塗りの大盃を取り出されたのです。
並のかわらけ
※
の五倍はありそうな大杯でした。
これを私に示した後、慶次郎殿は傍らの敷き藁の山を顎で指されました。そうして、私の胸元に盃を突き付けたのです。
受け取らないわけには行きませんでした。
私は厩で酒宴を張ったのはこの時が初めてでした。無論、この後にも一度とてありません。
「樽や銚子から呑むも良いが、やはり冷や酒は瓢で呑むに限る。よく冷えて、味が締まる」
そう仰って、慶次郎殿が手ずから私の盃へ瓢の酒をお注ぎになりました。
なみなみと注がれた酒の量と云ったら、徳利一つ分もありそうに見えました。
私は盃を両手に戴き、大きく息を吐き出しますと、一息に酒を胃の腑へ流し込みました。
腹の奥から湧き上がった酒精の臭気が、鼻を突き抜けて、脳天を揺さぶりました。
「私などには、まだ酒の味の違いは良く判りませんので」
それでも何とか空にした盃を、慶次郎殿に差し出しました。
慶次郎殿がそれを片手で受け取られたので、今度は私が瓢を取って、酒を注ぎました。
不調法に酌をする私の手元を見て、慶次郎殿が、
「儂はお主があまりに面白い男であるから、すっかり大人だと思いこんでおったが、そう云えばまだ子供のような年であったな」
と仰ったのを聞いて、私は無性に己が恥ずかしく、口惜しく、悲しくなりました。
その上、私が両手でようやっと捧げていた大盃を慶次郎殿は片手で煽り、あっと言う間に干されてしまわれたとなっては、益々自分が情けなく思えてなりませんでした。
慶次郎殿は今一度私に空の盃を差し出されました。私が受ければ、また酒をなみなみと注ぎます。注がれれば呑まねばなりません。
今度は一息に、とは参りませんでした。何度か息を吐きながら、少しずつ胃の腑に酒を落とし込みました。
その必死の最中に、慶次郎殿が、
「お主も、お主の親父殿も、大変だな」
ぽつりと呟くように仰いました。
あと一口の酒が、傾げた盃に残っておりました。私は盃の縁を噛んで、
「この世に大変でない人間などおりましょうか?」
言いながら息を出し尽くし、その勢いで最後の一滴をすすり込んだのです。
その直後、私の目の前から空の杯が消えました。顔を上げますと、慶次郎殿がそれを持っておられました。私が慌てて瓢を取ろうとしますと、慶次郎殿は首を横にして、
「ああ、そうだな」
と微笑なさりながら、ご自身で酒を注がれたのです。
慶次郎殿はあっと言う間に盃を白されました。そして今一杯、手酌で酒を注ごうとなさいました。
この時、私は何を思ったか、そのお手から盃を奪うように取ったのです。それから瓢も同様に、少しばかり強引に取りました。
私は瓢を盃の上で逆さにしました。
傾けたのではありません。まるきり逆さにしたのです。
ああいう口の小さな入れ物は、逆さにしたからといって、勢いよく酒が出てくる物ではありません。斜に傾げた方が出がよいように出来ておるのです。
逆立ちした瓢の口からは、情けなく酒の雫が垂れるばかりです。私は無気になって、瓢を上下に激しく振りました。そうしたところで出が良くなるわけではありません。
酒は杯へ落ちるのではなく、益々細かい雫となって、あちらこちらへ飛び散ってしまいました。
勿体ないことです。折角の銘酒を、殆ど厩の土に呑ませてしまいました。ばかばかしいことこの上ありません。
私はこの時、物の道理という物が判らなくなっておったのです。おそらく、強かに酔っていたに違いありません。
ところが不思議となことに、前後不覚になった、と云う覚えがありません。酔いつぶれて記憶が失せるようなこともありませんでした。
今でも時折思い出してしまいます。思い起こす度に、耳の先まで暑く赤くなります。
出来れば忘れてしまいたいというのに、何故かこの日の出来事は、何年、何十年経った後になりましても、鮮やかに思い起こされるのです。
ともあれ、情けない私は、酒の雫の出なくなった瓢を放り出しました。莫迦莫迦しい「手酌」の仕方のために、盃の酒は雨後の水溜まりのように、浅く僅かに溜まったのみです。
私が一息に飲み干せる程度の、僅かな水溜まりです。
地べたがぐにゃりとひしゃげて見えました。板葺きの天井も、グルグルと回っています。
放り投げた瓢を拾い上げようとしましたが、手近にあるように見えるのに、どうにも指が届かないのです。
私が意地になって、何もない所で手を握ったり開いたりしておりますと、瓢がふわりと浮き上がりました。
「変わりを持たせよう」
慶次郎殿は瓢の胴を叩きました。空の瓢は魚鼓のような音を立てました。直ぐに控えの方があらわれ、酒の詰まった別の瓢が主人の手に渡されました。
「信濃の冬は、寒いかな?」
何の挿し穂もなく、慶次郎殿が仰いました。言うと同時に、私の手から盃を取り上げ、空いた手に瓢を持たせました。
重い瓢でした。冷たい瓢でした。
途端、私の目玉は回ることを止めました。
「寒いですよ」
私は当たり前のことをするようにして、慶次郎殿が持つ盃に酒を注ぎ入れました。
慶次郎殿も当たり前のことをするようにして、それを飲み干されました。
すると今度は瓢を取り上げ、盃を押しつけます。
私が盃を捧げ持ちますと、慶次郎殿はそこへちょろりと酒を注ぎ入れました。
「雪は多いか?」
「所によります」
一口ばかりの酒を呑み干しますと、また盃が取り上げられ、瓢が渡されました。
「所による、か?」
「信濃は広うございます。北の方は雪深ですが、南の方は余り降りません。その代わり、底冷えがします」
「お前の父御のいる所……砥石といったか? あそこはどうだね?」
「たんとは降りませんが、根雪になります」
「長く暮らすには向かぬなぁ」
「住めば都でございますよ」
瓢を持つ方が酒を注ぎ、注がれた方が飲み干すと、瓢を取り、盃を渡す。渡された方が飲み干せば、盃と瓢とを取り替え、注ぎ、注がれ、飲み干す。
私の盃には一口の酒、慶次郎殿の盃には一杯の酒が注がれ、消えてゆく。
一言交わすごとに、私たちはそれを繰り返しました。
「都、な」
「本物の都は、見たことがございませんが」
「見てみたいか?」
「それは……生涯に一度ぐらいは」
「ならば儂と来るがいいさ。飽きるほど見せてやるよ」
「ですが、慶次郎殿は滝川様の御一門様ゆえ、この後は関東にお住みになるのでしょう?」
「織田のお屋形様の腹積もり一つだな。ある日突然、能登の方へ行けと命じられるかもしれぬしな。これでも儂は、あっちに僅かな『田畑』を持っておるのだよ」
慶次郎殿はニタリとお笑いになりました。能登は慶次郎の叔父君である前田又左衞門利家様が治めておいでです。
この頃の慶次郎殿は、叔父御とその兄である御養父の蔵人利久様とが「不和になった」ので、「両親、妻子を連れて生家に戻った」ことになっておいででした。ですが、どうやらこの時点では世間が言うほど険悪でな訳でなない様子でした。
「しかし、西の方を羽柴様がお平らげになれば……」
「ああ、猿は『苦戦している』と言ってきたが」
「苦戦?」
私は危うく盃を落としそうになりました。
父が仕入れた、羽柴秀吉殿が援軍を要請していると言う「話」は、慶次郎殿の口ぶりからして、どうやら本当らしいと知れたからです。
「滝川様が御助勢に向かわれるのですか?」
「まさか」
慶次郎殿は手をひらひらと振りました。
関東は形の上では織田により「平定」されていますが、北条の動きは怪しげであり、また奥州のあたりはきな臭く、
「その上、越後に
長尾弾正少弼
《
上杉景勝
》
とかいう辛気臭い若造がおる。儂等としてはが大きく動くわけには行かぬよ。なにしろあれは
親の代
《
上杉謙信
》
から『織田信長』というモノを嫌っておるようだからな。……それに」
不意に、慶次郎殿の眼差しが鋭くなりました。
「此度の猿殿の言い分は信用できぬな。何か魂胆がある。硝煙臭い魂胆だ」
「硝煙……」
私は空にした盃を、殆ど押しつけるようにして慶次郎殿に手渡しました。
話を聞きたい。酒で口が軽く回ってくれないだろうか。
切実に願いました。
父の命令のため? いえ、確かに話を聞き出せと命じられてはおりましたが、あの時にはそのことなど忘れておりました。
私よりももっとずっと広くこの世を知っている、この人の話を聞きたい。この先、私が見ることがないかも知れない、広い世の中の話を聞きたい。
その一念でした。
ですから私は、慌てて瓢を傾けたのです。
細い口からは一滴の液体も出ませんでした。
私は思わず――おそらくかなり情けなげな顔をして――慶次郎殿の顔を見上げました。
慶次郎殿は顔を真っ正面に向け、厩の窓の外の空を睨み付けておいででした。
黒い雲の塊が、重そうに、のたりのたりと流れておりました。
「『何事もなく』猿公が毛利を押さえたとしても、西には西のその先がある。我らが関東を巧い具合に治めたとしても、東には東のその先がある」
四国、九州、あるいは琉球。
相模、陸奥、あるいは蝦夷。
私は固唾を呑み、空の瓢を持ったまま身を震わせました。
己が子供であることを思い知らされた気がしたのです。
私が、その時までの十六年ほどの生涯で行ったことのある一番遠い場所と申せば、諏訪ということになりましょう。
織田の殿様に目通りが適ったその時に参ったご本陣です。この厩の宴の、たった数ヶ月前のことでした。
信濃や甲州の外側のことは、文に読み、話しに聞いて、夢想はしておりましたが、正直な所、想像が付きませんでした。
私にとって「世間」とは涙が出るほど狭い物だったのです。
「日の本の国は、広うございますね」
羨望と無力感と酒精とが混ざった吐息が、私の肺臓の奥から溢れました。
「だがな、源三郎……そうとも言い切れぬぞ」
「はい?」
「安土の城で、大殿から面白い物を見せていただいたことがある」
そう仰った慶次郎殿の目は、星が瞬くようにキラキラと光を放っておりました。
「面白い物、でございますか?」
「
globo terrestre
《
ぐろぼ・てへすとれ
》
という代物だ。南蛮伴天連が大殿に献じたものでな、大きな鞠の上に地図が描いてある」
「鞠に、地図?」
私は阿呆のように申しました。それがどのような物なのか想像が付かず、また、何故わざわざ鞠に地図を描かねばならないのか、その道理が判らなかったのです。
「ぐろぼは蘭語で球、てへすとれは地面のことでな、これを漢語にすると『地球儀』となるそうな。つまり、この地べたの形を球で表している」
慶次郎殿が地面を踏み付けるような所作を二三度なさると、地面は、トトン、という軽快な拍子の音を立てました。
「この平らな地面を、鞠のような球で? 何故そんな面倒なことをするのでしょう。地図ならば平らな紙に書けばよいのに」
「伴天連共に云わせれば『それこそ正しい地面の形だから』だそうな」
「正しい、とは……つまり地面は丸いと?」
私は頓狂な声を上げました。慶次郎殿は小意地の悪いような、玩ぶような、子供じみた笑顔を作って、
「まあ、そんな些細なことはどうでも良いわい。要は、そこに描かれていた地図よ」
やおら右の手を私の前にお出しになりました。
「お前が広いと言った日の本の国はな、その地図ではホンのこれほどの大きさであったよ」
慶次郎殿の親指が、小指の先を指し示しました。
「件の、辛気臭い上杉のおる越後やら、槍の又三たらいうケチ臭いのがおる能登やらのその向こう側にある海は、あぜ道の水溜まりほどもない。対岸には明がドンと構え、南蛮はどこから何処までが南蛮なのか判らぬほど広い。それを取り巻く外海はさらに広い」
慶次郎殿は両の手を大きく広げて、海の、私の知らぬ世間の、途方もない広さを示されました。
私には慶次郎殿の大きな体躯が広い世の中そのもののように思えてなりませんでした。言葉もなく、憮然呆然として、慶次郎殿のお顔を眺めるより、私に出来ることはなかったのです。
すると慶次郎殿は、突然盃を放り捨てました。
開いた両手は直後に私の両肩にドンと落ちてきました。
「それを思えば、厩橋も沼田も岩櫃も砥石も真田の郷も、川中島、信府、諏訪、木曽、それに安土、あるいは京の都といったところでさえ、目と鼻の先の近さよ」
にんまりと笑っておいででした。
つまり、
「お主が岩櫃から出て、ここに残って儂等と一緒に働いたとして、薄紙一枚の厚さほども動いたことにはならぬのだよ」
このことを仰りたかっただけなのです。
私はぐらぐらと揺れておりました。
いいえ、心持ちが、ではありません。
私の体がぐらぐらと揺すられておったのです。
慶次郎殿が私の肩を掴み、前後に揺さぶられたからです。
「父が、何と、申しますか」
私は揺れながら答えました。
「お前の妹を帰して、変わりにお前をここに残す。一つ足して一つ引くだけのことよ」
慶次郎殿は更に私を揺するので、私の胃の腑中では酒精が渦を巻き、つられて脳漿もグルグルと回り出しておりました。
「左近将さまが、何と、仰せになりますか」
どうにか絞り出した直後、私の体がぴたりと止まりました。
「伯父貴が、何を言うと?」
慶次郎殿の太い眉根の間に、浅い皺が刻まれました。
私の上半身は慶次郎殿に押さえつけられた格好で真っ直ぐに立たされていたのですが、胃の中と脳漿と目の玉とは中々止まってくれませんでした。
ゆらゆらと揺れた面持ちで、漸く、
「三九郎様のことです」
と申し上げますと、慶次郎殿の眉間の皺が少し深さを増しました。
「三九郎殿が、どうした?」
滝川一益様の従兄弟である義太夫益重様のお子である慶次郎殿と、一益様のお孫様である三九郎一積様とは、いとこ違いの間柄ということになります。歳は大分に慶次郎殿の方が上ですが、三九郎様は一益様御嫡男の御嫡男であられましたので、慶次郎殿よりもお立場は上と言うことになるのでしょう。
それにしてもご一門の慶次郎殿が、
「三九郎様が、於照を、嫁にご所望だと」
云うことを、ご承知でないというのは、不可解なことでありました。
しかし慶次郎殿が、
「そんな話があるものか。証人に預かった娘子を、相手の弱みに付け込むような真似をして、無理矢理に娶ろうなどとは」
と、大層なご立腹をなされた――ただし、縁談を自分に内緒で進めたと云うことにではなく、強引なやり方であると云うことにお怒りになられて――その辺りからして、於照と三九郎様とのことを本当にご存じなかったのでありましょう。
慶次郎殿が本心お怒りのように見えましたので、私は慌てて、
「無理にというのでは御座いません。先日我が大叔父、矢沢頼綱を通して、父のところへお申し出が……」
「つまり、我が父を経由して、ということか?」
大叔父のいる沼田の城代は慶次郎殿の実のお父上である滝川益重様です。
「そう云うことになりましょうや」
「先日というのは、何時だ?」
慶次郎殿はようやく私の肩を解放してくださいました。支えを失った私の体は、胃の腑と脳漿の揺れのそのままにゆらゆら揺れました。
「つい二、三日前にて」
慶次郎殿ははたと膝を打ち、黒鹿毛の名馬を指さして、
「では、儂が
馬
《
あれ
》
を追っておる間か……。どおりで沼田からも厩橋からも『戻れ』『帰れ』と催促が来ておった」
苦笑いを頬に浮かべられました。
私が覚えず、
「御身も美馬に目を眩まされ、我が侭をなさっておいでだったのすから」
などと口を滑らせますと、慶次郎殿は、
「流石に片腹痛い源三郎め。痛いところを突きおるな」
ケラケラとお笑いになり、
「
六韜
《
りくとう
》
立将篇に曰く、『
国不可従外治
《
国は外より治むべからず
》
,
軍不可従中禦
《
軍は中より御すべからず
》
』だ。名馬の捕獲は戦そのものだろう? ならば後ろからの声などは聞こえぬ、聞こえぬ」
両の手で両の耳を覆って見せました。
このとき私は、織田弾正忠信長という為政者がこの方に前田の本家を継がせなかった理由の「小さな一つ」を見た気がしました。
大きな理由は言うまでもなくお父上である前田蔵人入道利久様の資質にあるのです。
慶次郎殿の「文人振り」をみますれば、その育ての親である蔵人入道様が平和な小城一つを治めるに優秀な「領主」であることが良く知れます。
ですが織田様が能登に置きたかったのは、恐らく主君の命を良く聞く「配下」だったのでしょう。
それゆえ、子飼いで武勇のある又左右衛門利家様に家督させたのです。女子供さえも含む、武士でない、浄土往生を願うのみの無垢な一揆衆の死兵達を相手にしても、ひるむことなく殲滅という主命を全うでき、平らげた地縁血縁のない土地を運営できる「槍の又三」を、です
慶次郎殿も確かに武勇に優れた方です。
ただしそれは、ただ眼前の一点を目掛けて突き進む、
征箭
《
そや
》
か弾丸のような武勇です。
矢が、弾が、撃ち出された後に射手の言うことを聞くでしょうか。その場に留まれと言われて、止まることが出来ましょうか。
戦場に解き放たれた慶次郎殿は、先陣となって一騎で敵陣に突入し、当たる者総てを討ってゆきます。殿軍となって、寄せ手の一群を切り裂き、押し戻し、四散させます。
御義父上が「小さな一国を治めるに向いた方」と表せるのと同様、「局地的な一戦に勝利するのに最適」な――あるいは「便利」な――人材と云えましょう。
「於照坊は、お主と同腹か?」
慶次郎殿は両耳を押さえたまま、お訊ねになりました。
「いいえ」
私が「何故そのような事をお訊ねですか?」と聞き返すより速く、
「弁坊は?」
「弁丸……源二郎は同腹です。あと同腹は姉が一人」
「ふぅん……」
慶次郎殿が腕組みをして、口を閉じ、それをへの字に曲げ、思案顔をなさったので、やっと私は、
「何故そのような事をお訊ねですか?」
と問うことが出来ました。
「なぁに、お主と照殿が同腹で、且つ、照殿がお主同様に父親似にておらぬのならば、三九郎は照殿の美貌に目が眩んで我が侭を言うた気持ちがわかる、と思うたまでよ」
「は?」
「つまり、お主は父親似にておらぬということさ」
「やはり似ておりませんか……」
私は自分の顔のあちらこちらを自分でなで回しました。
自覚はしておりました。
父は顎が張り、目鼻の小さい、小気味の良い顔立ちです。背丈はどちらかと言えば低い方でした。
私は顔も手足も背の丈も、上下にひょろ長く伸びております。それでいて額などは丸く突き出、頬はだらしなく下脹れに膨らんでいるのです。
「なに、男の子は母親に似た方が幸せと云うからな。……逆に娘は父親に似るが良いと云うが……」
慶次郎殿は首をひねり、
「儂はお主の妹御の顔は良く知らぬが、つまり、幸せになりそうな顔かね?」
於照は厩橋城内の人質屋敷とも云うべき館に住み暮らしておりました。完全に拘束されているというのではありませんが、押し込められているに近い暮らしぶりです。屋敷の外へ出ることはほとんど無かったでしょう。
慶次郎殿も厩橋に御屋敷を与えられているわけですが、察するに本陣には顔を出す事もあまりなさそうなお暮らしぶりの様子ですから、於照との接点は無いに等しかったようです。
「そう云う意味では、不幸顔でしょう。照はあれの母親によく似ております。兄の私が言えば、身びいきだと嗤われましょうが、丸顔で可愛らしい娘です」
「それで引く手数多では、お主の父親も気が休まるまいよ」
大きな息が慶次郎殿の肺臓から湧き出しました。長い、長い吐息でありました。
息を出し尽くされると、慶次郎殿は拱んでいた腕をほどき、両の腿をぱんと叩いて、
「よし、決めた」
満面笑みを浮かべられました。
理由は知れませんが、私は何やら背筋に寒い物が走った気がしました。
「何を、お決めに?」
恐る恐る伺うと、慶次郎殿はすっくと立ち上がられ、
「情けない話だが、まだ関東は収まりきっておらぬ。北条はうろちょろするわ、奥州にも気を遣わねばならぬわ、煩いことこの上ない。この忙しさの中で、お主の美しい妹が三九郎殿を惑わせば、滝川の士気が下がる」
突然、我が妹を侮蔑するような事を仰せになりました。
流石に私も腹に据えかね、
「於照が三九郎様を惑わすような、ふしだらな娘だと仰られますか!?」
勢いよくすっくと立ち上がった……つもりなのですが、酒精に足腰を抑え付られて、ふらふらとよろけながら漸う立ち上がりました。
足元はおぼつきませんでしたが、それでも上背だけであれば、私には慶次郎殿と殆ど違わぬ高さがありました。
その独活の大木がつま先立って、覆い被さるようにする物ですから、慶次郎殿は相当に驚かれた様子で、
「言葉の綾だ。済まぬ」
頭をお下げになられました。
ところが私は落ち着こうとも座ろうともしません。理由は思い出せぬのですが、いずれは、酒のために気が大きくなっていたのでありしょう。
怒って赤くなったり、悪酔いで青くなったりと落ち着きのない顔が太い鼻先に突き付けたものですから、慶次郎殿は益々慌てられました。
「つまり儂が言いたいのは、だな……。お主の父御には信濃衆への押さえという重い役がある。そのために、当家と婚姻で縁を結ぶのは、確かに良い手段ではあるが、それによって喜兵衛殿のお心を乱してしまっては、こちらも申し訳ない。然らば『照姫』のことは、儂が伯父貴や三九郎殿を説き伏せてやろうと、こう言いたいのだよ」
先ほどまで「お照坊」などと気安くお呼びだったのに、急に「照姫」などとおう大げさな呼び方をなされた所を見ると、この時の私めは、どうやら常ならぬ恐ろしげな風貌に変わり果てておったようです。
「どのように?」
私は単純にその手法を知りたかっただけです。しかし、酔い果てて目の座った顔をした泥酔者の回らぬ言い様は、慶次郎殿には家族を思うての上の激しい立腹に思えたのかも知れません。慌てた口ぶりで、
「一度照姫を御家に戻そう。それが良い」
そう仰って、大きくうなずかれました。
「それでは証人がいなくなります」
「別の証人を出してもらうより他に手立てがあろうか?」
当然の疑問には当然の答えがかえってくるものです。そして当然の反問への答えは当然「否」です。
「出せる者がおりませなんだから、於照をお出ししたのですよ」
「だから、お主が来ればよい」
「は?」
流石に私は驚いて目玉を剥きました。
……目を剥いたつもりでした。
強か呑んで、強かに酔った私の瞼は、重く眼球の前に垂れ下がっておりました。
視界は平生の半分よりも更に狭くなっております。目の前は暗く、ゆらゆら揺れて、グルグル回っています。
「丁度良い。丁度良い」
慶次郎殿が明るく笑う声が聞こえた途端、私は己の体がふわりと浮いた気がしたのです。
実際、私の足の裏は地面には付いておりませんでした。
持ち上げられていました。
慶次郎殿が私の帯を掴み、片の
肱
《
かいな
》
だけで私の体を吊り上げて、まるで小行李でも持ち歩いている彼の如き気軽さで、私を運んでいたのです。
私は拒否するとか暴れるとか、そういった動きを取るべきでしたのに、することが出来ませんでした。
そうしようにも、手足の先どころか髷の先端まで酒精の行き渡った体が、頭の言うことを聞かないのです。
しかも、その頭ですら、自分自身で何を考えているのかさっぱり判らないという有様でした。
だらりと垂れた手足の指先が、掃き清められていた厩の地べたに擦れておるのを酔った眼で見て、
『ああ、これでは慶次郎殿が運び辛いであろうに。私はなんて無駄に体が大きいのだろう』
などと考えるような為体です。
ゆさゆさと揺れながら、ずるずると手足を引き摺って、私は運搬されておりました。
そして、その揺れに妙な心地よさを感じた物でありましょうか、運ばれながら、墜ちるように眠ってしまったのであります。
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青鹿毛
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馬の毛色の一種。全身殆ど黒色で、眼及び鼻の周辺、腋、尻等に僅かに褐色が見える。
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九寸
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中世から近世の日本では、馬の体高は四尺(約120cm)が基準とされており、それを越える馬は、越えた部分の長さで体高を表した。
したがってこの馬の体高は体高四尺九寸(148cm前後)となる。
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床几
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脚を交差するように組み、座面に革や布を張り渡した折り畳み式の簡易腰掛け。
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かわらけ
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素焼きの陶器。この場合は素焼きの盃のこと。
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